青春のリグレット
ユーミンの歌に同名のものがありますが、まったく関係ありません。いつものことタイトルだけお借りしました。
高校のグラウンドには、練習着を着たラガーマンたちが、楕円形のラグビーボールを必死になって追いかけていた。
私は、グラウンドの隅っこにある鉄棒にもたれかかり、走り回る学生たちを、ただボンヤリと眺め、昔のことを思い出していた。
あれから何年たったのだろう。
高校時代、私はある一人の同級生の男子生徒にあこがれ、その男子がいるラグビー部のマネージャーをしていた。本当に信じられないくらい弱いラグビー部だった。
「元気出しなよ、次の試合は勝てるってッ!」
マネージャーをしている明日香が、となりに座っている光一の肩をパンッと強く叩いた。めっためたに惨敗したラガーマンをどんなふうに励ませばいいのかわからなかったが、とにかく何か言わなきゃと思った。
試合は本当にひどかった。125対3。これじゃ励ましようがなかった。次の試合は勝てるなんて無責任に言ってしまったが、次の相手はもっと強い、全国制覇の経験もある県内一、二を争うほどのラグビー強豪校だった。
光一は、ガックリと肩を落としたまま、溜息ばかりをついていた。明日香は思った。これは下手な言葉より男は「エサ」で吊ったほうが効き目がある。
「ねえ、いいこと教えてあげるよ」
明日香が光一の耳元にそっと顔を近づけて言った。
「あのね、敦子が光一のこと、好きみたいだよ」
木村敦子は、明日香といっしょにラグビー部のマネージャーになったクラスメイトだった。性格は少々おとなしく、いわゆる「奥手」で、明日香ほど自分を表にさらけ出すようなことはしなかった。
明日香の言葉を聞いた光一は、サッと顔の向きを変え、明日香を真剣な表情で見た。明日香も慌ててのけ反り、光一の顔から顔を離した。
「ほんとか、それ」
聞いた光一は、ポカンとした顔をしている。
「ほんとよ、いつも光一のこと気にしてるみたいだし、光一のこと見てるみたいだよ」
「そうか……あいつが……」
「感じなかったの? 敦子のこと」
光一は全然感じなかったと唖然としていた。
「ダメだなぁ~、女の子の気持ちをわかってないんだから」
明日香は、言いながら、ふふふっと含み笑いをした。
「お前はどうなんだよ?」光一が言った。
「えッ、なにが?」
「お前は……俺のこと、どうなんだよ」
「どうって?」
「俺のこと、どう思ってるんだよ」
光一は顔を赤らめて言った。
「ア、アタシッ! アタシはそんな……」
光一の問いかけに明日香は一瞬、言葉を失った。光一にいきなりタックルをされた気分だった。頭の中が真っ白くなる。真剣な表情の光一を見ると、みるみる顔が赤くなっている。
「ア、アタシは……そんな、光一のことなんて、それほどじゃないけど……」
明日香のその言葉を聞いた光一の顔からは、落胆の色が広がっている。
明日香は、自分の心の中とは、全く違う気持ちを吐いたのだ。「ほうとはアタシも好きなんだ」それが明日香の胸の中の叫び声だった。
光一は、ふ~んと力なく頷いただけだった。光一の顔は、まるで風船から空気が少しずつ抜けていくように、しぼんでいくのが明日香にはわかった。
それからしばらくして、光一と敦子が、練習後や休憩時間に短い言葉を交わすのを明日香は目にするようになった。教室でも、クラスの違う二人は、たびたび廊下で顔を合わせ、すれ違いざまにふざけあっていた。光一と敦子の寄り添う時間は、砂時計の砂がさらさらと落ちるように増えていくのが分かった。
明日香は、そんな二人を見ているのが、なんとなくつらかった。光一と敦子を結び付けたキューピット役をやった自分が、今になったは恨めしかった。
ラグビーの試合はあいかわらず惨敗だったが、光一と敦子は、そんなことは全く気にならないようで、毎日がとても楽しそうだった。
高校三年間が終わり卒業式の日、明日香は、卒業の記念にと思い、光一と敦子と三人で写真を撮ろうと言った。光一を真ん中にして彼を挟むように明日香と敦子が両端に並んだ。
そして三人は「じゃあね」「またいつか会おうね」「私のこと忘れないでね」などど平凡な、決して守られることのない約束をして、分かれて行った。
しかし、光一と明日香と敦子は三人がバラバラに分かれたわけじゃなく、二人と一人になって分かれて行ったのだ。
光一と敦子は二人並んで駅の方へ歩いて行き、明日香一人がポツンとその場に取り残された。明日香は二人の後ろ姿をいつまでも見送っていた。
明日香は思った。なんであの時あんなこと言ったんだろう。
光一に言われた時、強がりなんか言わずに、自分も光一のことが好きだと言ってしまえばよかった。そうすれば全く違った学園生活を送り、全く違った卒業式になっただろう。
敦子への遠慮か、つまらないプライドかわからないが、素直な気持ちを言えなかった自分に今は無性に腹が立ち、悔しかった。
砂に指で書いた『後悔』の文字が、強い風の中でもいつまでも吹き消されず、明日香の心の中に、むなしい傷跡を残しているようだった。
私の足元に、ポロンポロンとスキップするようにラグビーボールが転がってきた。私はそれを拾い上げた。
あの高校の卒業式の日、私と光一は、駅までの道を一言も話さず、黙ったまま歩いた。
私には分かっていた。光一が私と親しく話していたのは、明日香の気持ちを自分に引き寄せるためだったことを。
教室で話す時も、部活の最中でも、ずっと明日香のことを気にしていた。私はそれに気付かないフリをしながら、光一に毎日寄り添っていた。いつか、いつか必ず明日香のことなど忘れ、私の方を向いてくれるだろうと思い、毎日そんな日が来るのを待っていた。でも、とうとう卒業式の日まで「その日」はやってこなかったみたいだった。
今に思えば、もっともっと積極的に光一との距離をつめておけば良かったと思った。
卒業式が終わり、明日香と別れて二人で歩いている時、光一は学校に忘れ物をしたと言い、歩いてきた道を戻ろうとした。光一は、ちょっと待っててくれと言ったが、私は、ここで分かれようと言ったのだ。
もういい、もう十分だ。もう光一との日々は、今日で終わりにしてもいいと思った。
学校に戻る光一の後ろ姿を、私は黙って見送った。
あれから二十年の時が流れ、私は三十八歳になった。今は夫も子供もいる平凡な主婦をしている。夫はスポーツなどには縁がないような文科系、子供は私に似て少し奥手の小学五年生。平凡な家庭だが、これはこれで毎日が楽しい。
光一と明日香があれからどうなったのかは、全くわからなかった。
私は、拾い上げたラグビーボールの感触を手の平で触り、確かめた。ものすごく懐かしい手触りだった。
私は、履いていたサンダルを脱ぎ、裸足になった。そして、スカートが捲れることも気にせず、足を高々と振り上げてラグビーボールを空めがけて蹴り上げた。
後悔という名のボールは、空高く舞い上がり、私の心の中から飛び出していった。
THE END
誰にでも「あの時こうすればよかった」という後悔はあるのではないでしょうか。その思いを小説にしてみました。読後、ユーミンの「青春のリグレット」の方も聴いてみてください。名曲です。