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咲く君のそばで、もう一度  作者: 詩門
第三章
75/111

75.気持ちの答え合わせ③

 リナリアがジュンと話しをしているこの隙にと、俺はここへ出た同じ場所から、森の中へ入る。

 ほぼ真っ直ぐに歩いてきたのだから、帰りもそうすれば良いだけのこと。それほど歩いた記憶はないので迷うことはないだろう。

 それにしても、相変わらずここは妙に落ち着かない。

 精霊の住む森と呼ばれ、人が立ち入らない禁足地に近い場所だけあって草が繁り、人が通った痕跡のない森の中はとても静か。

 自分の足音しか聞こえないのだから、誰もいないことは分かってる。

 なのに、視線みたいなのを感じる。

 誰か近くにいる。

 そんな感覚に背がぞわぞわする。

 立ち止まり、濃い土の匂いが混じる澄んだ空気を、一度自分の中に溜め込み、吐く。

 そしてまた足を動かすが、真っ直ぐに進んでいるはずなのに、変化のない景色のせいで、本当に進むべき道を誤っていないかと、徐々に歩く速度が落ちる。

 不安が胸を覆い出した隙を狙われ、蓋をしていた恐れが顔を出す。


 ……本当に、やれるだろうか。


 己の力量は、分かっている。

 刃を交えた事はないが、今の俺では多分ミツカゲに勝てないだろうから、あいつが勝てなかったフォニ、そしてカルディアにも、勝つことはできないだろう……あとそう、神もか。

 強敵が多すぎて、誰が聞いても絶望的な状況。

 埋めることのできない圧倒的な力の差に、初めから敗北は決まっているように思える。だが、必ず彼女を守ると決めたんだ。

 

 もう、これしかない。


 俺の唯一残された道。

 それは、本当に自身が悪魔になること。

 リナリアは、母が俺を守るために悪魔を拒絶したと言っていたが、俺は守られるのではなく、守る力が欲しい。

 あの時と同じように、自身を闇に染めることに恐怖もためらいもないし、疎ましい力であったが今は、縋れる力があることに感謝したいくらいだ。


『お前はお前の、信じる道を行けばいい』


 キルは俺に、そう言ってくれた。

 

 世界を危機に晒しても、己を闇に染めてでも、リナリアの事を守りたいとキルに話したら、なんて言うだろう。

 同じように背を押してくれ……っは、しないか。

 打ち明ける事に対して胸が重くなるが、こうなった以上もう全てを話した方が。

 ふと、馬の息遣いが聞こえた。

 近いのだと足早に木々の間を抜け、視界に現れたのは俺が乗ってきた馬。それと……。


「アトラス」

「満ち満ちた表情をしていると言うことは、どうやら悔いのない決断をしたようだな。そして、それをリナリアは受け入れた」

「……止めるのか」

「まずはあんたの大切な人を、人形と言ってしまった事を謝りたい。だが、知らなかったのだ。リナリアに自我が芽生えたのと同時に、天への道が閉ざされエリンとイラエノの通信が途絶えてしまった。だから、神の片割れであるリナリアが、まさか人のように生きていたなんて」

「そうだったのか。……イラエノって」

「あんたらはミツカゲと、呼んでいるそうだな。イラエノは天使である奴の名、そして今の名はリナリアが与えてくれたそうだ」

「それは知らない」

「そうか」


 いや、そういえばトワが、そんな話をしていたな。

 ずっと一緒にいる、そんな意味が込められていると。


「俺はあんたを止めはしない……エリンは悲しむだろがな。帰って何と言えばいいか、分からない。だがあんたは俺が止めても、止まらないことはもう知っているし、浄化をせずに悪魔を討ってくれれば、これ以上俺にとって良い事はない」

「良い? エリンが遠くへ言ってしまうと言っていたが、役目を果たしたあと天へ帰るという意味なのか?」

「それだけで、済めば良いがな」

「どう言う意味だ」

「彼女自身はそう言っているが、もう余力のないエリンが浄化の儀をしたら、身が滅ぶかもしれん」

「余力がない? 何故」

「相手が強大故、儀式を行う為に身を削る力が必要であったのだ。それほど恐ろしい敵を相手にする……なんて事は、あんたの方がよく知ってるか。悪魔の子よ」


 何故、知ってる。

 俺はアトラスに、自分の素性を話した覚えはない。

 さらりと自分の秘密を暴露され、疑問と不快感が芽生えるが、不思議とバレたことへの恐怖心はない。


「何故、知っている」

「イラエノがあんたの事を言っていたよ。あんたは知られたくなかっただろうがな……すまない。だが、悪いのはあいつだ」


 なんて奴だっ。

 人の素性をペラペラと他人に話すなんて、やはり天使とは思えない。

 怒りの気持ちが顔に出ていたのか、アトラスは肩をすくめ苦笑するが、ふと表情を消し、思い詰めたような目で嵌めている腕輪を見つめる。


「もう、行くのだろ」

「あ、あぁ」

「あんたに、これを貸してやろう」


 アトラスは腕輪を外し、俺に差し出す。

 色鮮やかな宝石が装飾された、銀色に鈍く光る美しい腕輪。一際大きな青い宝石は、キラキラと水光のような輝きを放っている。

 これはエリンからもらった、アトラスの大切な物だ。眉を下げ、真っ直ぐに俺を見つめ微笑むアトラスを見返す。


「これは、お前の大切な物だろ」

「そうだが。今は俺が持っているよりも、あんたが持っていた方がいい気がしてな。きっと、何かの力になってくれる」


 あんなに大切にしていたのに、他人の俺に貸してくれるなんて……どう言う気持ちの変化なのだろうか。

 アトラスの真意は分からないが、そう言うのならここは有難く受け取っておくか。神の力が宿るのだからアトラスの言う通り、悪魔に対抗するのに役立つかもしれない。

 俺は腕輪を受け取ろうと手を伸ばし、青い石に指先が触れる。

 馬が(いなな)いた。

 瞬間、眩い光と激しい痛み。

 反射的に目を瞑り、手を引く。

 頭に衝撃を受けたような耳鳴りがし、焦げた匂いが鼻をつく。


「大丈夫かっ!?」

 

 俺はおもむろに目を開け、慌てて覗き込むアトラスと共に指先を見る。青い石が触れたそこは、火傷したように赤く爛れていた。

 明らかにこの石に、俺は拒絶された……悪魔の血に反応したのか?


「……まぁ、その、なんだ。あんたは悪魔かもしれんが、いい奴だ。気にすることはない。傷を治してやりたいが、俺は腕輪の力を介さないと、治癒の力を使うことができない。悪化するといけないからな、自分で治せるか?」

「俺には、そういう力はない」

「そうか。なら、自然に治すか、誰かにやってもらってくれ」

「平気だ。これくらい大した事ない」

「力になればと思ったが、余計だったか。あんたはこれを、持たないほうが良いかもしれん」

「いや、カルディアを見つけるのに役立つかもしれない。貸してくれないか」

「カルディア? なんだ、それは」

「悪魔の心臓だ」

「心臓? ふむ……よくは分からないが、ならばこうしておこう。手綱を持ってくれ」


 俺に手綱を渡したアトラスは、額に巻いていた青い布をほどき、腕輪に巻き始める。

 それを見ながら思案する。

 仮に今悪魔の力に反応したのなら、心臓にも反応を示すかもしれない。どうやって見つけたらいいか何も案が浮かばずにいたが、これは大きな収穫だ。

 気まずそうな顔をしているアトラスに対し、俺はほくそ笑んでしまう。

 布を巻き終え、包まれた腕輪を俺に差し出しながら洗って返してくれよ、っと冗談めいたことを言うアトラスから、慎重に受け取ったそれは、もう俺を拒絶しなかった。

 空になった胸ポケットにしまおうと、隊服の襟に手を入れるとアトラスが話しかけてきたので、耳を傾ける。


「ヴァン。定めなどないと、全ては人の思いが道を作ると言ったのを覚えてるか?」

「あぁ」

「選んだ道の先が、お前が望んだものであることを願っている。我が友ヴァンに、どうか神の加護があらんことを」

「アトラス」

「……だから、貸してやったのだ。感謝しくれよ」


 友達。アトラスが俺の事をそう思っているとは知らなかった。俺に悪魔の血が流れていても、そう言ってくれるのか。

 確かにアトラスには、感謝しなくてはいけない。

 腕輪のことも勿論そうだが、アトラスからあの時話を聞いていなければ俺は、リナリアを行かせていただろう。

 消えようとしていた彼女を止めれず、思いを伝えないまま知らないうちに、もう会えなくなっていた。


「俺はお前が話をしてくれたから、彼女を止めることができた。あのまま行かせていたら俺は、想いを伝えることも、彼女の想いも分からないままだった。だから、ありがとう、アトラス」

「俺もあんたとの出会いに感謝している。出会った時、どこかあんたと俺は似ていると思ったが、今分かったよ。あんたと俺の愛する者は、数奇な運命を背負わされている」

「……まぁ、だが、そんな事初対面で分からない」

「ふふ、そうだな。だが」


 何かを言い止めたアトラスは、腕輪が嵌められていた手首をそっと握る。そして小さく首を振る。


「似てると言っても、やはり俺たちは違う。俺にはあんたのような勇気はない」

「お前も、伝えたらいい」

「やれやれ、経験者は簡単に言ってくれる。だが、そうだな。帰ったらエリンと話をするよ」


 アトラスは気恥ずかしそうに視線を逸らし、片手を軽くあげながら俺の横通り過ぎていく。

 今の話で大切な事を思い出した。

 

 そう人形……あれは、君だったのだろうか。


 昔出会った泥だらけのローブのあいつ。

 あいつがリナリアに重なったから、俺は彼女を止めたんだ。昔会ったことがあるかって、それを聞きたかった。


「そう言えば一つ、気になっている事がある」


 俺に向けられたであろう疑問に振り向くと、アトラスは背を向けたまま佇んでいる。


「なんだ」

「この世界は天への道が閉ざされ、肉体を失った魂たちは消滅を待つのみだ。それでも、今だに人は生まれる。何故だと思う?」

「分からない。考えてもなかった」

「輪廻転生と言うか、俺は魂は巡るものだと考えていた。そうでなくとも、天への道が閉ざされたこの世界では、どこから命が来るのか。それをエリンに尋ねたことがあるのだが、上手くはぐらかされてな」

「そう言えばミツカゲが、この世界は特殊だと言っていた。あいつもその意味を答えなかったが」

「そうか。ならもしその意味が分かったら俺にも教えてくれ。それも返してほしいしな、だからまた会おう、ヴァン」


 じゃあなっ、と言いアトラスは再び歩みを始め、木々の中を進んで行く。その背を少し見送り、俺は森の出口を目指す。先ほどよりも足取りが軽いのは、少し希望が見えた気がしたからだ。

 森を抜け、馬に跨り、手綱を持ち、駆け出す前。


「ヴァンっ!!」


 この声はリナリア?

 呼び止められ、振り向く。

 森の奥からこちらへ走って来るリナリアの姿に、嬉しさよりも嫌な予感が勝り、眉間に皺が寄る。


 まさか。


 近づいて来る彼女から視線を外し、手綱を握る手に目をやる。

 多分、きっとそうだから行くか……だが、無視するのは気が引ける。もしかしたら大切な用事かもしれない。どうする……あぁ、手遅れになってしまった。


「私も一緒に行くっ」


 後ろに飛び乗ってきた彼女の言葉に、思わず額に手を当ててしまう。

 あぁ、やっぱりそうだ。

 さっきそれを、彼女の目から感じたんだ。

 待たずに行けばよかったと後悔しても、結局俺には彼女を無視する事なんてできなかった。

 とにかく今は、説得しないと。


「ダメだ。さっきも言ったろ、危険だ。リナリアはここで」

「そんな事できない。こうなったのも私のせいだから。それに……カルディアは私が倒す」

「何を言ってるっ!! ミツカゲとトワはどこにいる!?」

「ここにおりますよ」

「えっ?」


 見るといつの間にか、そばに立っている。

 流石精霊、全く気配を感じなかった……って、それは今はどうでもいい。

 トワはどこか申し訳なさそうにして、口を開く。


「私は先に、アデルダへ行っております。ミツカゲもアトラスさんとの話しが済み次第、向かいますので」

「いや、リナリアを止めてくれ」

「ヴァン、この世界にもう安全な場所なんてない。みんなを巻き込んでしまった、私には責任がある。だから、一人だけ逃げるようなことはしたくない」

「それでも」

「私はヴァンと一緒に戦いたい」


 言葉を飲み込んでしまう。

 一緒に戦いたい。

 それはずっと俺自身が、彼女に願ってきた思いだから、気持ちは分かる。だからこそ、俺の願いを蹴り続けた彼女の気持ちも。

 入れ替わった立場に、ようやく理解できた。


「だが」

「私は、貴方に何かあったら、生きてたって……だからお願い」


 切なさも見える彼女の懇願する目は、俺の意思を弱くする。

 こうなったらリナリアが、折れないことはよく知っているし、俺がここで断ったところできっと彼女はアデルダへ行く。

 ならば考え方を変えれば、そばにいてくれた方がいざという時、すぐ守ることができる……が、やはり気が進まない。

 リナリアがそばにいて欲しくない理由が、俺には他にもある。

 それは、彼女は必ず俺を止めてくる。

 闇に己を染めようとする行為を、リナリアはきっと許してくれない。それでも、背に触れる温もりに俺は、決断した。


「リナリアのことは必ず守る。だから、俺がする事を許してほしい」

「それは……どういう、こと」

「リナリア様、あとの話はまたあちらで、いたしましょう。私は、先に行っております」


 この流れは押し問答になりそうだったので、会話を遮ってくれたトワに感謝する。

 トワがそばに来て、馬に触れる。

 なんだか一瞬、暖かくなった気がした。

 馬は耳をピンッと立て、そのまま前方に集中するようにして動かずにいたが、トワが優しく首を撫でると頭を下げ、耳を緩やかに横に向ける。


「加護を与えました。少しは持久力が上がるので、早く着くことができるでしょう」

「そんなことできるのか」

「道中リナリア様を、お願いします」


 ふわりと笑い、ゆらりと消える。

 なんというか、人……ではないが、人の姿が目前で簡単に消えてしまうのは、幻を見ていたかのようでおかしな気分になる。


「本当に、精霊なんだな」

「……」


 何も答えない代わりにリナリアは、ぎゅっと俺の背を掴む。

 今は振り向けなかった。

 リナリアがどんな顔をしているのか、俺には安易に想像がついたから。

 嘘をつくことでしか、彼女を安心させることができないと分かりきっていたので、今の俺にはかける言葉が見つからない。


「そのまま……しっかり捕まっててくれ」

「……うん」


 更に強く、リナリアは俺にしがみつく。

 どうか分かってほしいと願っても、分かってはくれないだろうけど、俺は君を失うことが耐えられないんだ。

 君が自分よりも世界の人の幸せを願ったように、俺は自分が自分でなくなっても君を守りたい。そして、そばに居続けたい。

 俺たちは互いに鏡に映し出された己を見ているように対でいて、だが何よりも近い、似通った存在に思える。

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