37.灯火
部屋へ通した彼女が何かを言おうとする前に、俺は先を歩く。部屋の中央で立ち止まる。背にいる彼女に向け、重たい口を開く。
「どうしてここが分かったんだ」
「……精霊に聞けば分かるから」
そうだったな、と振り向き彼女に向き合う。
「母は……本当に悪魔、なのか」
真っ直ぐにリナリアを見つめた。自分で聞いた問いに鼓動が早まりだす。暗い部屋の中、窓から入る月明かりに朧げに照らされる彼女は眉を下げ、憂いが見える瞳で俺を見る。小さく口を開き、彼女は話し始めた。
「目玉さんがね、私が来た時にマリャが来たって話してたの……だから時間がないって。目玉さんの事、悪魔にバレるかも知れないから」
そう言えば別れ際に、秘密にしておいてほしいと訳のわからない事を言われた。
「目玉さんに誰か聞いたの。黒い髪を一つに縛った金色の目の男の人って……それは貴方のことを言ってるって思った」
「……」
「貴方の名前はマリャじゃない。そもそもマリャは何って聞いたら……悪魔の髪だって言ってた。悪魔が一番大切にしていた黒い長い髪。……それが、きっと貴方のお母さん」
母を思い出す。
長い艶やかな黒い髪。そして、微笑みながら柔らかく細める金色の瞳。そう、俺は母によく似ていた。だからこそ、嫌でも自分は闇の者なんだと思い知らせる。
「だから、目玉さんは貴方の事をマリャと勘違いしたのだと思う」
「なら何故」
問おうとした口を噤む。
何故、悪魔が現れる前に悪魔の一部であろう母がこの世界にいたのか。それを聞こうとした。そして思い出した。
――彼女を呼ぶと君も来てしまうんだね――
あの、目玉の瘴魔に言われた言葉。
彼女。それはリナリアの事だったのだろう。何故、彼女を呼ぶと俺も呼ばれてしまうのか。俺が今知り得ている事で彼女との共通点は一つ。
闇が紛れている事。
それに気がついた時、恐怖した。
正確には穢れたがあると言っていたが、それしか思いつかない。母は彼女に何かしたのか?リナリアは自分に何故穢れがあるのかは分からないと言っていたが、この事には気がついているのだろうか。何故、目玉の瘴魔はこの事を知っていたのだろう。
「大丈夫?」
はっとした。不安な表情をしたリナリアが一歩、足を前に出す。俺は一歩下がる。リナリアは止まり、胸に手を当て下を向く。
「マリャはきっと、悪魔に帰るって目玉さんが言った」
「俺は……そんなつもり」
「分かってる。多分だけど貴方は悪魔に呼ばれたんだと思う」
「呼ばれ、た?」
「……」
彼女が言いにくそうに口を結ぶ。俺は自分で心当たりを探る。
そうだ、あの黒い手に狙らわれていると感じた。
なら、っと更に考える。
カイトが連れて行かれたのも誘い出す為だとしたら。一気に全身の血が引いて、冷たくなっていく。闇に突き落とされる。目の前が真っ暗になる。
カイトを死なせてしまったのは……本当に俺のせいだ。
「悪魔はきっと貴方を取り込もうとしてる。だから私はそれを伝えたかったけど……言えなかった」
「……俺のせいだ。俺のせいでカイトは」
「ちっ違うよ!」
「違わない! カイトは俺を庇って死んだんだ! 俺に悪魔の血なんてなければ、こうはならなかったんだっ!」
吐きそうになるくらいに胸が苦しくなる。罪悪感で心が潰れそうだ。
「……どうして、あの時斬ってくれなかったんだ」
どうして、俺だけ生きてしまったのか。
「そんな事、私はしない! 私は貴方を悪魔から守りたいだけ。だから伝えれるまで、そばで」
「それは、俺がキルの友達だからか? 約束したから
? 悪魔の血が流れていても、君を殺そうとしてもか!?」
憤りが一気に溢れ出し、歯止めが効かなくなった。胸で大きく呼吸をする。大きく打つ脈のせいで頭が痛い。
もう、嫌だ。
変わらず悪魔が憎い。何より自分が汚らわしくてたまらない。カイトを殺した悪魔の血が俺には流れている。そして、俺のせいで死なせてしまった。自分が許せない。
見開いた瞳で俺を見ていた彼女の視線が、ゆっくりと下を向く。ただ、どこか一点をひたすらに見つめ口を閉ざす。何も答えてくれない。それが、苦しい。
「もう、俺に関わらないでくれ!」
「待って! 私は貴方を守りたいだけなの」
「なぜ!?」
「それは……私は」
消えるような声。彼女はまた俯いて、黙ってしまう。はっきりしない態度に胸がぐちゃぐちゃになる。彼女なら道を示してくれると思った。その勝手に抱いた期待は違った。心の声が出てしまう。
「……もう、全部嫌なんだ」
「全部? カイトさんの事も? 忘れようとしてるの……お母さんとお父さんみたいに」
「……」
「会わなければ良かったと、思ってるの」
「もう思い出せないんだ、カイトの事を。思い出すとあの時」
血に塗れたカイトしか、思い出せない。
「カイトはきっと、俺を恨んでる」
「そんなはずない! カイトさんは貴方に生きて欲しいと今も、願ってる」
「どうして、そんな事が言い切れるんだ……君には何も分からない」
怒りと悲しみに沈む心のせいで、彼女の言葉を受け入れられない。突き放してしまう。それでも、彼女は言う。
「カイトさんの事を信じて欲しい。貴方を最後まで守ったその意味を。それは今も変わらない。だから、貴方は生きていかないと」
「このまま俺だけ生きて……何の意味が」
「生きていけば、いつかきっと分かる時が来る。でもそれが分からなくてもね、いいんだよ。生まれた事だけで、それだけで貴方はきっと誰かの希望になれる」
希望なんて、そんなもの。
「希望のない俺が、誰の希望になれるって言うんだ」
「貴方はなれるよ。懸命に生きる貴方なら」
「生きている……なんて、分からない。現実が痛いだけなんだ」
キルとカイト。ずっと二人を守りたい。それだけしか生きる意味なんてなかった。それなのに、カイトは死んでしまって自分が死んでしまったようなんだ。
足音がした。彼女がこちらに来る。慌ててまた距離を取ろうと下がる。何かに躓き倒れ、座らされる。邪魔な長椅子。
逃げ場をなくした俺はただ、近づく彼女を見つめる。手を差し出した。躊躇いなく小さな掌が俺の頬に添える。胸が跳ねる。
「な、なに」
高鳴る鼓動で見上げる。彼女は切なさが見える笑みする。同時に頬に痛みが走る。
「な、何するんだ」
「生きているから、痛いんだよ」
彼女はするりと手を離し、一歩下がる。惚けた頭で、つねられた頬をさする。
「貴方は確かに生きている。ここに、キルや仲間と。みんな貴方のことを大切に思ってる……貴方のお母さんも」
無駄に頬を摩る。愛でるように俺を見る青い瞳のせい。跳ね続ける鼓動のせいで言葉も出ない。
「あの時、あの闇はきっと貴方を守ろうとしたのだと思う……貴方を悪魔から守ろうとした。それにね、カイトさんもいつも貴方と一緒にいるよ」
「カイトが?」
「あなたの思い出の中でずっと……だから、その思い出を悲しいものにしないで。私だったら会えて良かったとそう思って欲しいから」
「だったらって」
「も、もしの話だから! 大丈夫だよ。私は世界を守らないといけないんだから。変な事言ってごめんね」
リナリアは苦笑して、俺から離れ窓際へ寄る。彼女は弱音も何も言わない。ずっと疑問に思っていた。悪魔と戦う、世界の運命を背負わされ怖くないのだろうか。
「怖くないのか」
「えっ」
「その……悪魔と戦う事が」
リナリアの顔に少し影がかかる。そのまま窓の外を眺め出す。
「大丈夫だよ……私は。必ず私が倒すから、心配しないで」
それはまるで自身を鼓舞するように聞こえた。背しか見えない彼女は今、どんな表情をしているのか分からない。だが、淡く月光に照らされるその姿が幻想のように儚く見えた。リナリアはふるふると首を振った後、振り向きぱっと笑う。
「それに、私にはお守りがあるから」
「お守り?」
「うん! 辛い時、苦しい時、今までどんな時だって私を奮い立たせてくれた大切なお守り」
「それ何」
「ふふ、気になる?」
「……別に」
「見せてあげたいけど、ごめんね。今はトワに預けてて持ってないの。今度、貴方にも見せてあげる」
微笑んだリナリアはまた、窓の外を見る。
「この部屋、空気入れ替えようか。窓開けていい? きっといい風が入るから」
両開きの窓を開け、リナリアは迎えるように手を伸ばす。白のカーテンが揺らめく。彼女の言った通り、穏やかな風が入り込み、部屋の空気が流れ出す。
「気持ちいいね」
とても優しい風だった、カイトのように。
周りを見渡す。
見えない。
もうカイトは見えないけど思い出す。初めて出会った時の事。カイトは笑ってくれる。たくさんの思い出の中でカイトは笑ってくれる。そう、いつも笑っていてくれたんだ。それを思い出した時、心を縛っていた鎖がするすると解けていく気がした。
リナリアがこちらを向き、弾む声で話しかけてくる。
「たくさん本があるんだね」
「……まぁ。それしか、する事ないから」
「そう言えばキルが、貴方は本を読むのが好きって教えてもらってた。私もね、好きだから貴方とはお話が合うんじゃないかなって思ってたの」
嬉しそうにこちらへ来て、なんの躊躇いなくリナリアは隣に座る。身を引く。こいつは男に好かれるのが嫌いなくせに、こういう態度を取るのはどうなのだろう。
「どうかな」
「もぉ。ねぇ、アシュルの冒険譚は読んだ事ある?」
「昔な。子供向けだろ」
「そう、かもしれないけど……私は好きで何回も読んでる。この大陸の南部にある帝国や共和国。海を渡ると燕蓮やエルサール。でも、もっともっと大陸、海は続いていて知らない国や見たこともない物がたくさんあるんだよ!」
青い瞳が輝きだす。俺は黙って相槌を打つ。
「あとね、食べた事ないお菓子もたくさんあるんだよ」
「また、菓子」
「お菓子以外だってあるよ! どこまでも続いてるか分からない深い穴や、夜が来ない場所。ファリュウスと同じくらい大きな湖もあるんだから」
彼女の気持ちがどんどん溢れ出す。宝物を見せてくれるように話してくれるリナリア。そんな彼女が純粋に羨ましかった。自分は気づけばずっと読み続けている。両親が死んで一人になって、空っぽな心を埋める様に空想の世界に入り浸った。本に書かれている世界は自分を傷つけない。それだけであって、そこに夢や希望なんてものを重ねる事はなかった。ただ、現実を忘れたかった。
「あと、その湖には怪獣がいるって。本当にいるのかな?」
「いないだろ」
「そうなのかな? でもね、私はいつか自分の目で見てみたいの。この世界を見て周りたいなって」
「壮大な夢だな」
「貴方はどう? どこか行ってみたいところある?」
「……別にない」
「そう。でも貴方が思うよりもこの世界は素敵なことで溢れてる。だからね、貴方もいつか見てほしい」
青い瞳が柔らかく細めて俺を見る。胸がむずむずして、何か込み上げてくる。
生きていく。
その意味はまだ見出せはしないし、それが分かる日がくるのかも分からない。ただ、希望が持てる日が来たらいいなと思った。それがきっと生きて欲しいと願ってくれた、カイトの想いに報いる事なんだと。そんな灯火が心に宿った。それに少し希望を重ねた。リナリアは無邪気に笑う。俺も釣られて口元を上げてしまう。
「そうだな。それもいいかもしれないな」
「う、うん」
リナリアは急に萎れた様に元気がなくなる。顔の横に垂れた髪を耳にかける。見えた青い瞳の中で揺らいでいる気がした。
「じゃあ、行きたいところ考えておかないと」
「あぁ」
「まずはメルニカから船に乗らないとね。私、船に乗った事ないんだ」
「そうか」
俺もないけど、っと言おうとしたが窓から入る風があまりにも心地良く感じた。優しく包まれるような風に身を委ねると、急に猛烈な睡魔に襲われる。
「船酔いってあるけど、私は大丈夫か心配だな」
「……どうだろうな」
欠伸が出る。
「平気だといいな。せっかくなら景色も楽しみたいし」
「……」
「きっと星も綺麗に見えるよね! そう言えば明日」
徐々にリナリアの話し声が掠れ、遠くに聞こえだす。その声がまるで子守唄のように心地良く、眠気が限界を迎える。抗う事なく瞼を閉じる。体の力が抜ける。背もたれに寄りかかる。夢の現実の境の中、体に温もりを感じた。
「……おやすみ、なさい」
眠りに落ちる前、彼女の声がすぐそばで聞こえた。




