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咲く君のそばで、もう一度  作者: 詩門
第二章
36/111

36.行かないと

「マリャってなんだ」


 ミツカゲへ駆け寄っていた足がピタッと止まる。リナリアはそのまま背を向け、何も言わない。不機嫌そうなミツカゲの顔色に険しさが増す。


「まだ、言っていなかったのですか? それを言う為に、こんな事をしていたのではないのですか?」

「今は……まだ」


 はぁとミツカゲが重たい息を吐きながらリナリアの横を通り過ぎ、俺から彼女を隠すように立つ。冷徹な瞳が俺を見る。胸が跳ね、背がぞくっとした。


「貴方が言えないのなら、代わりに私がお前に答えてやる」

「まっ待って、ミツカゲ!」

「お前の母親は、悪魔だ」


 悪魔?


 躊躇なく出された言葉。

 こいつは何を言っているのだろうと、凍てつく瞳を唖然と見た。ぽかんとした空虚な頭でも鼓動がバクバクと鳴り、呼吸が乱れだす。


「世界を滅ぼそうとする悪の元凶。お前はその悪魔の血が……本当なら今すぐにでも」

「ミツカゲやめて!」

 

 リナリアがミツカゲにしがみついて訴える光景を眺める。彼女の悲痛な声色が嘘ではない、現実だと言っている。


 ……悪魔?


 言われた事を静かに考えた。


 母は悪魔。


 頭の中で木霊した言葉に、わっと発狂したくなる様な恐怖が心を蝕む。 

 闇ビトという存在だけでも、疎まれるのに……それなのに。


 俺にはあの、悪魔の血が流れてる。


 何故か今までの記憶が乱暴に蘇る。

 初めてキルと会った時、両親の事を聞かれて怒った事。

 初めてカイトに会った時、カイトが嬉しそうに俺の名を呼んだ事。

 二人と虫を取りに行って、キルが蝶を捕まえて喜んでいた。

 二人と一緒に本を読んで、カイトが約束を口にした。

 記憶が飛ぶ。

 赤い瞳の父が釣りをしながら俺を見て、微笑んでいた。

 泥だらけのローブを着て魚を見ていたあいつ。フードの中から見えた光の無い青い瞳が、俺を見上げていた。

 川の向こうで長い黒い髪を靡かせながら、母が俺を呼び微笑んでいた。

 全部が一瞬で呼び起こされ、亀裂が入って崩れ落ちていく。

 何もかも全部、壊れた気がした。


「ヴァン、あのね」


 いつの間にかリナリアが目の前にいて手を伸ばしてくる。それがとても怖かった。振り払う。彼女は目大きく見開いた後、悲しそうに瞳を歪める。恐怖が最高潮になる。


「待って、ヴァンっ!!」


 気づけば走ってた。

 煌びやかな街中。

 たくさんの人が笑ってる。

 隣にいる人を見て笑ってる。

 それが嘲笑されている様に聞こえた。

 でも、誰も俺の事なんて見ていない。

 やっぱりここに、俺はいない。

 いや、いない方がいいんだ。


 だって、俺にはカイトを殺した奴の血が流れてるんだ。


 また暗い部屋へ逃げ込む。

 慌てて布団に隠れ耳を塞ぎ、息を殺す。しっかりと塞いでいるのに、抑え込めない自分の粗い息がよく聞こえる。

 誰かそばで立っている。分かってる、誰かじゃない。布の隙間から覗き見る。闇の中に佇む友を見上げる。


「……カイ、ト」


 頭と口から血が流れ出す。その血がカイトの顔も、服も赤に染めていく。赤く染まり出した瞳が蔑む様に見下ろしている。


 そうだ、そうだろう。


 カイトが俺に憎しみを抱くのも当然だ。

 塞ぎ込む。

 全部俺のせいだ。出会わなければよかった。そうしたらカイトも死ななかった。いや、産まれてこなければよかったんだ。どうして両親は俺を産んだんだ。こんな何も。


 希望のない世界。


 願望を口にする。


「もう、全部消えればいい」


 悲しい事しかない。

 それでも二人がいてくれたから、楽しいと思える事もあった。二人がいてくれたから、思い出の中の俺は一人じゃなかった。

 それなのに、俺のせいでカイトは死んでしまった。


 全部無くなればいいのに。


 思い出だけじゃない。自分の存在も全部、消えてしまえばいいのに。消えたってこの世界は何も変わらない。カイトだけじゃなくて、きっと俺はこれからも禍をもたらす。なら。


「俺なんて」

「……そんな事、言わないで」


 耳を塞いでいるのに、よく聞こえた。

 柔らかい口調に胸が跳ね、はっとカイトを見る。カイトは血濡れたまま悲しそうに俺を見ていた。赤に染まる緑の瞳が、チラッと横を向いた。それと同時に扉がドンドンと叩かれる音がする。

 体が跳ね、鼓動が止まる。

 恐怖に体が硬直する。

 体を震わせながら恐る恐る扉を見る。


「ヴァンっ!!」


 ……リナ、リア?


 暗い部屋の扉の向こうから彼女の声がした。それに胸がぎゅっとして、よく分からない感情が溢れ出す。


「ヴァン」


 カイトが名を呼ぶ。おもむろに見る。


「……カイト」


 目を見開く。息が止まる。流れる血が徐々に引いていく。血に染まった瞳が新緑のような緑を取り戻す。カイトは柔らかい瞳で俺を見ていた。胸が熱くなる。自然と涙がこぼれ落ちた。今目の前にいるカイトは俺のよく知る、ずっとそばにいてくれた友人だった。カイトはいつもの様に微笑んでくれる。


「呼んでるよ……行かないと」


 カイトの影が薄くなる。そのまま静かに消えてしまう。


「待って」

「ヴァンっ!」

「……」

「お願い、だから。話を……聞いて欲しい」


 扉の向こうでリナリアが呼んでる。彼女はきっと俺に現実を突きつけてくる。会いたくない。いつも俺は逃げてしまう。……それでも。


 ……行かないと。


 カイトにそう言われたから。俺は立ち上がり扉の方へ懸命に歩く。短い距離なのに、やけに長く感じた。鼓動を跳ねさせながらドアノブを握る。そのまま握る。

 迷い。

 この扉を開けたら、自分自身に向き合わないといけない。今まで自分からずっと逃げてきた弱虫な俺の最後の足掻き。

 でも、カイトが背を押してくれている気がする。

 キルか引っ張り、いつもカイトが背を押してくれた。

 ノブを回し、扉をゆっくり開ける。

 開けた先にはリナリアがいた。大きく開いた青い瞳が俺を映す。


「……泣いていたの」


 言われて頬を触る。濡れた指先を見つめる。


「ごめんね。どうしても……言えなかった」


 彼女は瞳を歪めてポロポロと涙を溢し始める。

 言葉が何も出ない。浮かんでこない。

 突然の事実を俺はどう受け止めたらいいのか、分からない。俺は……どうしたらいい。

 リナリアは言う。


「少し……お話ししよ」


 俺を見上げる涙した青い瞳に胸が揺らいだ。

 彼女なら……答えをくれる気がした。

 この闇の中、俺の進むべき道を。

 俺は彼女を部屋へ入れる。

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