18.黒と目玉
ここが瘴気の中。
薄紫の霧が立ち込める。見えない空から雷鳴が聞こえる。それ以外何もない世界。少し強い風が唸りを上げ、舞い上げられる砂が顔に当たる。幸い外で見るより中の霧は薄く、多少は見通せる。
「カイト! どこにいる!?」
返事はない。風の吹く音しか聞こえない。
「カイトーー!!」
あの手は、カイトをどうしたのだろうか?落とされたりしてないか。更に危害を加えられていないだろうか。
「カイト……無事でいてくれ」
どうしてこうなってしまった。
どこで選択を間違えたのだろう。
どうしていたらこうならなかったのだろう。
さらに奥深くへ進む。
だんだんと霧が濃くなってきた気がする。悪くなる視界、自分が今どこにいるかも分からない。
俺はカイトに近づけているのか?
不安が胸を覆い出す。
それでも、行かないと。
駆け足だった馬の足並みが急に止まる。ガクッと前に体が倒れる。
「? どうしたんだ」
手綱や足で合図を送っても、なんの反応も示さない。顔を覗こうとした時、突然馬のバランスが崩れそのまま横に倒れた。受け身をとり立ち上がる。倒れた馬を見た。口からは大量の泡を吹き、目は真っ赤に腫れ今にも破裂しそうだ。ビクビクと痙攣する体の皮膚が剥け、徐々に赤黒く変色していく。悪夢の様な光景を、瞬きしないで見つめていた。次第にぼこぼこと体が大きく変形し、姿を変える。
そう、これは先ほどまで対峙していた瘴魔そのものだった。
"瘴気に入ると瘴魔になる"
そんな言葉が頭の中でこだまする。
「ビッギャアァア゛ア」
瘴魔と化した異形が俺に襲いかかってくる。
悪い……俺のせいだ。
せめて苦しまぬようと、瘴魔が振り上げた拳を避け、その隙に首めがけて一刀を入れる。頭をなくした体はその場で崩れ落ち、動かなくなる。その骸を見つめカイトがもしも、もう、なんて考えはやめる。
自分の足でさらに奥へ進む。
ふと前方の霧の中、何かの影が見えた。
カイト!?
影の大きさから違うのは分かる。それでも希望が持てるなら何でもすがりたかった。
近くに来て分かったその影の正体に唖然とした。それは小屋であった。ボロボロに朽ちた小屋。何ともこの場には不釣り合いで、不気味に思う。木でできた壁はところどころ剥がれ落ち、中を確認しようと穴を覗くがよくは見えない。もしかしたらここに避難していかもしれない。朽ちた扉を勢いよく引く。
薄暗い部屋の中でも、小さな空間なので見れば分かった。中には……何も無かった。希望は霞の様に消える。扉を閉めようとした時、気配を感じた。この部屋の隅に唯一寝床があった。それに目を向ける。かけられている廃れた布が僅かに動いた。鼓動が早まる。静かに鞘から剣を抜き、切っ先をそこへ向ける。もぞもぞとしていた動きが止まり、何かがそこから現れる。
それは真っ黒であった。ひたすらに黒い。その黒い体についた食われそうなほど大きな一つの目玉が、キョロキョロとした後で俺を見た。思わず呼吸が止まる。
「瘴魔か」
「瘴魔?」
驚いた……こいつ喋れるのか?
今まで斬ってきた瘴魔は理性や自我を失い、ただの殺戮と化した怪物だった。なのにこいつは喋ったのだ。一つ目の下がぱっくりと割れる。
「君、誰?」
「お前こそ、何なんだ」
声が震えてしまう。目玉の瘴魔が寝床から降りる。全身を確認できた。樽のような体に細い手足は取ってつけた様にそこにある。それでもしっかりした足取りで俺の方へ近寄ってくる。いつでも斬れる様に構える。
「変だなぁ。ここへは自分が呼んだ人しか来られないのに」
俺を見上げながらない顎をさする様な仕草をしている。この瘴魔は正気なのか?そうだ、こいつはカイトを知っているだろうか。
「ここに緑の目をした茶色の髪の男が来なかったか?」
「ん? さっきも言ったけどここへは呼んだ人しか来られない。多分、自分はその人を呼んでいない」
「……」
つまりは見ていないってことか。扉の方へ向かう。ぐっと後ろに体が引かれた。
「ねぇ、待ってよ」
「触るなっ!」
背を掴んだ黒い腕を振り払う。瞼の無い目が大きく張った。見上げた目玉が俺を映す。思わず一歩後ずさる。
「君……」
「なっなんだ」
「マリャなの?」
「マリャ?」
何を聞かれているのか、全く分からない。マリャなんて知らない。聞いたこともない。
「……そうか。彼女を呼ぶと君も来てしまうんだね。……これは考えていなかった」
言ってる意味が分からない。正気かとも思ったがそうでは無いのか。いや、それより今はこんな事で時間を使ってる場合じゃない。早くカイトを見つけないと。
「どこ行くの?」
「お前には関係ない」
扉から出ようとすると、目玉の瘴魔が今度はぎゅっと腕を掴んできた。振り払う。
「だから、触るなっ!!」
「何だか弱く感じる……こんなものなのかな」
「なっ!?」
「君、何者? マリャじゃないの?」
もう限界だ。付き合いきれない。こんな問答意味がない。俺は扉から飛び出る。背から張り上げた声がした。
「自分のことはできたら内緒にして欲しいんだけどっ!」
「知るかっ!」
無駄な時間を使ってしまった。
カイト、どこにいるんだ。




