96. 意外な人物の訪問
夕方、訪問時に来客は扉を叩くものだと思っていた。
乱暴に扉が開けられた。
「クロード、真由に何をした?」
「何のことですか?」
「とぼけるな! 町で噂になっているだろ!」
「ああ、あれですか」
掴みかからんばかりの形相で睨んでいる。
「あれぐらいの嫌がらせが何です」
「やっぱり嫌がらせか!」
クロードには弱気のカイが胸倉を掴んで彼を吊るし上げようとして、できなくて手首を彼に掴まれている。
「それよりもキャルムの結婚式でお嬢様にキスされたそうですね」
「待て、話をすればわかる」
指を一本一本鳴らす音が聞こえる。
カイが玄関まで下がったとき、今度は扉を叩く音が聞こえた。
メアリーが「はあい」と言ってドアを開ける。
そこには、手前に従者。後ろにマントを羽織り、額に傷がある人物が立っていた。
「こんばんは、こちらにコスツス家、お嬢様がいらっしゃるとのことでお聞きしましたが」
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
メアリーが珍しく緊張しているのがわかる。
口調に失礼がないように、でも誰なのかと牽制しているようでもある。
「これは失礼致しました。主人はマインスター家当主でございます」
「え? ご当主様自らですか?」
メアリーがお辞儀をする。
彼が一歩足を踏み入れたときにマントが濡れていることに気が付いた。雨の匂いがふわりと香る。
「マインスター卿!」
みんな立ち上がり、彼にお辞儀をする。彼も優雅にお辞儀をする。
「マーガレット、追放されたと知り、何か貴方のお力になれないでしょうか」
「いいえ、大丈夫です」
「町中の噂になっているのをご存知でしょうか」
「噂……家を追い出されたことでしょうか?」
「そちらの使用人と恋仲というのは、本当だったという内容でした」
「いても立ってもいられなくて、こちらにお邪魔致しました」
「領土に帰られたわけではなかったのですね」
「コスツス領に来るならば、お立ち寄りをと言われている場所がありまして、そちらの方に逗留しておりました」
温泉でも湧いているのかしら? 後で確認してみようと思いながら、笑顔作るのにも疲れてきた。頬が引きつってくる。
「噂はデマかせです」
「噂が違っていたとしても貴方の醜聞になってしまうでしょう。その前に私の館にいらしてください。離れもありますので、そちらに招かれて来客としている方が貴方にとってプラスになります」
お嬢様役をまたやらなきゃいけないのか。
ドレスに身を包んで微笑む。後はパーティに参加しなければならない。
それぐらいの情報しか私の頭の中にはない。
そのままコスツス家お嬢様として、別館に招かれていると、マインスター伯爵との結婚ルートが出来上がりそうな気がする。あのアルベルト様と同じ種類の人間のコスツス伯爵なら、やりかねない。
この庶民の生活とどちらが自分に合っているかは明白だ。
「いえ、結構です」
「なぜですか? 貴方にとって不利益となります!」
「噂が不利益だとしても、ここでしかやれない仕事をみつけたとします。マインスター伯爵はどうされますか?」
「仕事がみつかったら留まります」
「そうですよね」
にっこりと笑いかける。
赤い顔をして、マインスター伯爵は一歩後ろに下がる。
「まさか。仕事を?」
「昨日の今日でやりたいことが見つかりました! 隙間産業があったのです!」
「隙間?」
「ああ、誰も手をつけていなかった分野がみつかりました。この町でしかやれません。需要があることも確認済です。私はやってみたいと思います」
「伯爵家のお嬢様がですか?」
「少し他の令嬢と違っていますが、これが私です。魔法も使うし、仕事もする。マインスター伯爵のお嫁さんとしては難しいと思います」
「それなら、せめて支援を」
「いいえ、大丈夫です。資金は少しですが、集まりました」
この時、私の頭の中には、革工房で壊した棚の値段が入っていなかった。
マインスター伯爵の申し出を断ったことを後悔したのは、明日になってからだった。




