92. 隙間産業
「お昼を食べましょう」
クロードに連れてきてもらった場所は、小さな町中の食堂だった。
木の匂い。オープンしたばかりの新しい匂いがする。
お昼には少し早い時間なのか、お店にはお客さんが誰もいない。
「クロードじゃないか。久しぶりだね。どうしてたの? 今日はえらくかわいい子と一緒じゃないか」
「マルタさん、お久しぶりです」
私にウインクをする。
恰幅のいい女性で元気のある人だ。
「今日はお屋敷の方はよかったのかい?」
「ええまあ」
クロードは、私との噂のためにお屋敷を出るしかなくなった。
名誉挽回のチャンスを作らなくてはいけなくなった。
「クロード、訳を話したら、あなただけはお屋敷に帰れるんじゃないの?」
「貴方の護衛がいなくなります。申し訳ありませんが却下です。それに一緒に戻らないと意味がない」
「町娘の恰好をしているし、誰も攫わないわよ」
「ご自分が攫われかけたのをお忘れですか?」
頑ななところは、メアリーと似ている。
こんな状態のクロードに何を言っても意見は翻ることはない。
窓の外を見ると、港に船が止まっているのがわかる。
「ここから港が見えるのね」
「港町ですからね。ここのお料理は魚料理がおすすめです」
「じゃあ、クロードと同じものをお願いしても?」
「いいですよ」
オーダーをして、鮭のムニエルが出てきた。バターとオリーブオイルの香りが食欲をそそる。付け合わせのクレンソンとトマト、バケット。
「ここは異世界だけど、私の世界と同じ料理だよ」
「何年か前に来た異世界人が教えてくれたレシピみたいですよ。トマトとクレンソンもそのときに伝わりました」
なるほど食はもう私たちの世界から持ち込まれている。
食後の紅茶が出てきたときに思った。
「クロード、コーヒーってないの?」
「こーひー?」
「あれ? セオは知っていたよ。山に行ったときにコーヒーをごちそうになったの」
「どういうモノでしょうか?」
「飲み物なんだけど、コーヒー豆を挽くといい香りがするの。その香りだけで人が寄ってきそうな匂いでね。飲むと苦いけど美味しいの」
「苦いけど美味しいですか? そのムニエルを教えてくれた女性は、しばらくセオと一緒に居ましたが、旅を続けると言って一カ月ほど前にこの領土を出ました」
「えっ、異世界の人だったの?」
道理で私たちの世界と同じような物が並んでいたのを思い出す。
だから、彼は言っていたのだ。
「ガスの予備がもうない」
こちらにコーヒーが伝わっていないのだったら、これはビジネスチャンスなのではと思えてくる。
「コーヒーが伝わっていないのだったら、それを何とか伝えられないかしら? カフェをオープンして」
「かふぇ?」
「えっと私のいたところでは、人間には職場と自宅ともうひとつの自分の居場所というか。サードプレイスが必要だということで、カフェという場所があって」
「なるほど、そこはくつろげる場所なのですね?」
「うん。そうなの」
「この町にはバーはある?」
「あります」
「飲めない人にとっては、仕事場と自宅の往復になってしまうので、このマルタさんの食堂みたいな場所があってもいいのかなと」
「コーヒーの他に真由が提供できるものはありますか?」
「紅茶ぐらいしかないなぁ。料理苦手だしな。この案ダメかあ」
頭を抱えて机に突っ伏していると、行くぞというようにクロードの手がやさしく頭を撫でる。
「マルタさん、ご馳走様、お代ここに置くよ」
「ああ、ありがとうね。また来ておくれよ。あれ? お嬢さんの鞄、壊れているよ」
革のバッグの肩かけの根元の部分がほどけてしまっていた。
「あのマルタさん、針と糸はありませんか? 布用ではなくて、革用の」
「直せるのかい?」
「材料があれば直せます」
「お嬢さん、それだよ。それ」
「えっ?」
「ここの町に革バッグを売る店はあるんだけどね。気難しい男でね。レザーアーマーだったら直すけど、それ以外の商品の直しは断られるんだよね。リュックとかバッグとかちょっと縫ってくれればいいんだけどね。私が縫ってもきっちり縫えなくてね。またすぐにダメになる始末さ」
おお、隙間産業があった!
「さっきのこーひーという物と一緒に提供してはどうかね? 私はオープンしてくれたら行くよ。クッキーだったら、うちから提供してもいいしね。その代わりにうちのお店も宣伝してくれたらいいけどね?」
クロードと顔を見合わせる。
「需要がありますね。小物が極端に少ないので、革で作成してもらえたらと思う物はたくさんあります」
クロードのその一言で、今後の身の振り方が決まったような気がした。




