84. ダブルブッキング
何の申し開きもないまま、扉が閉まる。
マーガレットあの子は、一言も発することはなく出ていった。潔ささえ感じる。
「旦那様、よろしかったのでしょうか? クロードまで帰ってきますか?」
「あの子がマーガレットか! なんて才気ある娘なんだ! 這い上がってくるさ。獅子は我が子を千尋の谷に落とすというではないか」
コスツス伯爵は変人だという噂を聞いた。社交界では普通のように見えたから、心を許してしまった。
「コスツス伯爵、わざとダブルブッキングになるようなことは止めて頂きたい」
「マインスター伯爵、二つの予約もいいものだろう?」
「どちらかを選べとは脅しです」
「君にとってはつらい選択だろうね。現在の伯爵か将来の伯爵を選ぶのか」
アルベルト・デュフォンから届いた手紙の後に、もう一通同じ使用人が差し出した手紙があった。
「これも試練だよ。アルベルトも甘いところがある。将来のコスツスを継ぐつもりならば、もっと計画はしっかりと立てることを念頭に置いておかないとね」
アンナが叫んだときに立ち止まって、一瞬考え込んだが、最終的には彼女の方を振り向いてしまった。
その時点で、アルベルト・デュフォンと手を組むのではなく、コスツス伯爵の手を取ってしまった。
自分の子どもをわざと窮地に追い込むようなことは、彼しかしないだろう。アルベルトだったら、いざ知らず、追い込んだのは娘だ。容赦しないということは、コスツスの名を継ぐのにふさわしい者を選定しているかのようだ。
普通ではない。噂通りの変人だった。
それに気がついたときは、時もうすでに遅し。巻き込まれてしまっていた。
一昨日の自分に戻れるならば、パーティーには出席するべきではないということだ。
使者が訪れたのは、パーティー会場だった。火急の用事と言って、面会を求められた。どうしてここにいることがわかったのか、その名前が明かされたときにコスツス領からそんなに遠くない距離にいることがわかった。
「それではこれで失礼します」
「我が家はお客様の泊まる場所はたくさんある」
「いいえ、滅相もありません」
「これでアルベルトへの借りは返したことになるだろう。君にとって損な話ではない」
自分の領土で起きたことだ。伯爵本人が知らないということはない。
コスツス伯爵がひとつ言葉を紡ぐごとに手のひらに汗が流れるのを感じる。
「恐れ入ります」
それだけを言うと退室をする。
マーガレットが美しくともあの父と将来の兄がおまけとしてセットでついてくるのは避けたい。
彼女の瞳を覗き込んだときにぐらつきそうになる心を抑えた。
「さらば、マーガレット。さらば、コスツス領」
暗がりが迫っているが、もうここには帰らない。
剣を交えているときは、ここまでの恐怖を味わうことはない。
磨きをかければ磨きをかけるだけ、返事は己の筋肉に的確に返ってくるものだ。
彼らにはどう太刀打ちしていいのかわからない。筋肉に訴えることはできない。だから、さようならだ。できれば関わらずに生きていきたいものだ。




