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82. 勘違い

 ここでアンナに引き止められることは想定外だ。

 何が起きているの?

 彼女の声を無視して歩いていくべきだとはわかっていたが、マインスター伯爵の足が止まった。彼の顔を見上げると、下を向いたかと思うと天井を仰ぎ見た。視線が合うと笑ってくれたが、アンナの方を振り返った。私も振り返らずにはいられなかった。


「このままでいいの?」

「このままってどういうこと?」

「マインスター伯爵は、前からマーガレットに求婚の手紙を書いてくれていた方よ」


 小さな声で耳打ちしてくれる。

 それは理解しているという意味をこめて頷く。

 アンナはよろめいたようにして後ろに下がると、母の手にすがった。


「あなたの手にある約束の印は誰がつけたものなの?」

 

 大きな声で糾弾されてしまい、コスツス伯爵にも手袋に隠れた約束の印があるということが伝わった。

 マインスター伯爵も初耳だと言わんばかりに見つめてくる。

 肯定も否定もせずに黙って立っていたらよかった。手袋をつけて隠していることが自分の胸にあるために、それが言い当てられて、左手の印を隠すようにして右手が動いてしまった。


「彼につけられたものでしょう?」

「アンナ、何か勘違いをしていない?」

「いいえ、真由。このまま行くとマインスター伯爵との結婚を進められるわよ。それでもいいの?」


 結婚を進められることを想定している。

 それはわかっている。

 貴族の社会は複雑だ。結婚も政略だとわかっている。 


「それであなたは諦められるの。クロードを!」

「え?」

「は?」


 何の勘違いをしているのだろう。ああ、あの時に恋愛の関係かと聞かれたときにきっぱりと否定をしたが、彼女の中で物語が勝手に進んでいたらしいことが今わかった。

 確かに抱き合ってはいた。面倒なことになってしまい、どうしたものかと考える。


「二人とも勘当だ。出ていきなさい」

「旦那様、それでは私の後継者がいなくなってしまいます」

「ベイジル、わかっているが、これはダメだ。今すぐ出ていきなさい!」

「あなた、マーガレットを追い出すの?」

「これは醜聞だ。社交界に出ない娘が使用人との恋愛をしていたということが知れ渡る前に手を打つ」


 クロードを見つめると、肩を揺らして笑っている。

 笑う場面ではないと思うけどな。

 申し開きをしたとしても信じてもらえるかどうかわからない。

 ここは潔く出ていくべきだ。これ以上、コスツス伯爵の機嫌を損ねたくない。


「わかりました。今すぐ出ていきます」


 コスツス伯爵に告げると少し気が楽になった。

 完璧なお辞儀をひとつ、みんなに背を向ける。

 ドアを開けると、後ろからクロードと黒猫が一緒に出てきた。

 ドアを閉めて、壁に寄り掛かる。

 宿なしになってしまった事実をどう受け止めていいのかわからなくなる。

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