75. 白い血
「真由、過去マーガレットという名前だったということが濃厚になってきたな」
「私が? マーガレット? 妖精に名前をつけたのも覚えていないのに?」
「妖精は嘘をつけない。小さい頃に会った。香りを覚えている。この二点は揺るぎないものだ」
「私の記憶がおぼろげなのは、どうして?」
「カイ、小さい頃の記憶はどの程度覚えている?」
「えっ? 俺? うーんと七歳ぐらいからしか覚えてねーかな」
「自分に関して言えば、五歳からの記憶しかない」
「だってお話をする犬だよ。その子に名前をつけたなら、覚えているでしょう?」
クロードの記憶のときと同じようにお話の中の話だと思っていたら? そんな思いが首をもたげてくる。
私がマーガレットだったと証明するには、決定打が何もない。
この犬の妖精とお話をしてくださいという訳にもいかなさそうだ。
「私は二週間経ったら、フェアリーハウスから出て行くことになっているの。私が本物ならどうやって証明したらいいの? この子を連れていくわけにもいかないでしょう」
「この本もレオポルトも証明に使えねぇとなると、ひとつだけ方法がある」
カイと私はもっと話をよく聞こうとして、セオが立っている台所のすぐ近くのテーブルに集まった。
「伯爵に思い出してもらう以外、道はないと思うが?」
「セオ、それは無理でしょう。最初から娘じゃないと決めつけている人に娘だと信じてもらうのは難しいと思うの」
「セオが言う方法もなくもないけど、最終手段で考えた方がいいよな?」
「他に方法はないと思うが?」
「伯爵が頷く方法を考えればいいんじゃないか?」
「頷く方法って何? カイ、いい方法考えついたの?」
「ひとつだけある」
レオポルトを扉の外に締め出すと、カイは私たち二人にわかるように話し始めた。眠り始めたのは、朝日を見てからだった。眠さと山登りの疲れで、川の字になって眠りこんでしまった。起きたときに左側を見るとカイが右側を見るとセオが眠っていた。
外に出るとレオポルトがデッキで眠っていた。山の上の寒い中、外で眠らせてしまった。頭から背にかけてなでていく。レオポルトは体を起こすとあくびをしながら、大きく伸びをした。
閉めていたはずのドアが開く音がした。犬であるはずの彼が二足歩行をしていると思っていたら、手だけが人の手に代わっていた。手から顔にかけて、人に変身していくのを見つめていた。全身黒の毛並みが黒の革のジャケットにパンツに変わり、グレーとダークグリーンのメッシュが入った髪、瞳はダークグリーンだった。この瞳とはどこかで出会ったことがある。
「クロードの瞳……」
「クロードは息子だ」
「息子ということは、妖精?」
「半分妖精、半分人間だ。変身ができない半端者だ。だから人間の世界で生きていくしかないのじゃ」
「ということは、メアリーは?」
「メアリーとは血が繋がっていないが違うつながりがある」
彼女が結婚をためらっていたのは、この人も関係があるのか。
「どういうつながりなの?」
「死にかけていたので、白い妖精の血を分け与えた。もうひとりの娘は死にメアリーは生きたが瞳の色が変わっていた」
クロードと同じ瞳のメアリー。彼らは妖精の血でつながった姉弟だったのだ。
「分け与えたことで人間と違う時を刻むことになる」
心臓が外に飛び出てしまうと思うくらいに大きな音を立てた。
嘘でしょう。
「このことはメアリーも知っているの?」
「助けるときに聞いたのじゃ。人間よりも長い時と今で生を終わるのはどちらがいいのか。メアリーは長い時を選び、もうひとりの娘は選ばなかった。選ぶ前に生を終えたといった方がいいのか」
メアリーには姉か妹がいた。目の前で人が死ぬ世界とは何だろう。平和な世界で生きてきた私としては、話を聞くだけでつらい。
「どのくらいの時を生きるの?」
「今まで分け与えたことがないのでわからない」
私は詳しい事情も何も知らないままで伝えてしまった。メアリーは生きる長さが違うことを知りながら、彼の手を握ってしまった。バートンさんはわかっているのだろうか。自分がメアリーに心のままにと伝えた結果がこれだと思うと、自分の考えの浅さを呪った。




