72. ケット・シー
「あっぶねー」
緊張感ゼロの猫は、そんな言葉を発しながら足元にすり寄ってきた。
黒猫の頭をなでようと手を伸ばすと、それがうれしいというように猫は首を伸ばして私の手に自分の頭を当てるような仕草をした。あごを撫でるとゴロゴロと喉を鳴らす。この辺りが本当の猫と同じ仕草でかわいい。
「ケット・シー?」
「そう言いたくなるの。わかるよ」
ケット・シーと呼ばれたことで、説明が面倒になったと見える。カイはそのままの恰好でいることに決めたみたいだった。
「カイ、なぜ犬に乗ってきたの?」
「クロードが本館から犬を連れてきて、早く追いかけろとうるさくて」
あの時、すれ違ったのは本館に急いでいたからなのか。連れ戻しではなかったら、姿を現してもよかった? いいえ、クロードのことだから、姿を見せたら連れ戻されていた。
「クロードは?」
「ああ、あいつは仕事が山積み、行けるわけねえ」
「真由、君はケット・シーと知り合い?」
カイとあまり接点がないために山の管理人はわからないのかもしれない。
説明するのが億劫になったのか、カイはいきなり人間の姿に戻った。人間の姿に戻った彼をセオは顔を近づけて見つめていた。
「カイ? おまえ、人間じゃなかった?」
「正真正銘の人間だ。おばけ扱いするな」
「猫に変身して? やっぱりケット・シーか!」
「だ・か・ら、ケット・シーでもねえ!」
「セオ、複雑な理由があるのよ。聞かないであげて」
「いや、ここは気になるところだろう」
引き下がる気持ちゼロのセオと、説明する気ゼロのカイが合うはずもなく、山小屋で仲良くやっていけるのか不安でしかなかった。
結局、事の成り行きを語ったのは、私だった。
「ふーん」
あんなに聞きたがったのにマーガレットの物語に入った瞬間、一言で終わらせたセオに不完全燃焼を感じる。だが、これ以上説明はいらないようだった。説明がなぜいらないのか原因がわかったのは山小屋に着いてからだった。




