64. 距離
「真由、あの時の俺は自分を失いかけていた。笑ったことがなかった。でも、俺を救ってくれたのは」
「クロード、あなたを笑顔にしたのはマーガレットだよね」
「貴方は何もかもを忘れた。そう言いませんでしたか?」
「忘れてしまったの。小さい頃のことは覚えていない。でも、クロード、ありがとう。私の心の中の思い出の男の子が笑ってくれたみたいで嬉しい」
クロードに抱きしめてもらうと、小さい頃に手をつないだことを思い出す。私は昔に戻ったみたいな気分になる。
小さい頃に遊んだ男の子。ビー玉みたいな瞳をしていて、いつも泣いていた。
忘れた。そう言ったけど、ほんの少し覚えている面影を思い出すたびに、きっと目の前の人物にたどり着く。
あの時の私ができなかったことを大きくなった彼に手渡す。もう彼が泣かないように、包み込むように抱きしめる。気にかけていたあの子は、今はきっと笑ってくれる。
今度こそは、あの子の物語を見つける。そう思っていろいろな本を探し歩いた。私の記憶の中の子どもにもう一度会いたかった。物語をどんなに開いても出会えなかったのは、現実にいた男の子だったからだ。
周りは黒色の髪に瞳を持つ人が多かった。いろいろな髪の人を見かけたけど、私の知っている銀髪の髪にダークグリーンの瞳の人には出会えなかった。
「ななな、なにをしているのよ⁈」
「アンナ! えっとこれは親が子を思うような親愛の気持ちの表れだから」
誰かに見られたことで恥ずかしくなって離れる。
自分でも何を口走っているのか、わからなくなっている。
「そういう関係なの?」
「えっと違う関係です」
きっぱりと否定をした。
「クロードが泣いていないといいなあと思って」
「もう泣いていません。お嬢様、泣いているのは貴方の方ではないですか」
クロードは、左手の手袋を外すと頬を伝う涙を拭いてくれる。ハンカチではなく、手袋でもなく、左手の親指で目のふちを丁寧になぞる。少し荒れた手の感覚。ああ、働き者の手だ。
「ありがとう」
そっと離れながら、彼に感謝を伝える。彼は手に残った感覚がまだあるかのように握り締めるとその手を右手で包み込む。大事な物をまるでもらったかのように微笑む。
「お嬢様、ありがとうございます」
六十センチ、それがクロードと私の距離。




