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61. サラマンダーが食べてしまったもの

「お嬢様、おかえりなさいませ」

「クロード、マーガレットとは話ができた?」

「話はできませんでした。でも、姿を見れただけで十分な気がします」


 クロードの胸ポケットから、少しはみ出ていた物を見てしまった。

 マーガレットのリボン。大事そうに胸ポケットに収まっている。


「クロードにもあったのかな。小さい頃が」

「ありました。マーガレット様とエイヴァ様と遊んだ日々がありました。長くは続かなかったけど楽しかった」


 短くも楽しかった日々があったことを喜んでいいのか悲しんでいいのかわからなかった。


「その日々はあってよかった?」

「……よかったと思います。それがあるから今の自分がいる」


 胸ポケットを大事そうに押さえると、持て余している自分の思いをどうしていいのかわからないまま、痛みを堪えるようにして目をつぶった。

 思いは告げられたのかな。人のことなのに心配になった。


「クロード、何か夢中になれるものに出会えるといいね」

「もう出会えていますが」

「え?」

「いいえ」


 その声は小さすぎて私の耳には届かなかった。

 すぐに否定されたので、何を言いたかったのかわからなかった。

 マーガレット、みんなあなたのことが恋しいと思っている。

 たまには遊びに来てよ。もう来ないなんて冷たいこと言わないで、みんなあなたとの日々を忘れないと思うよ。

 思いを誰に届けていいのかわからないまま、遠い空を見つめた。


「真由、おかえり」

「私、マーガレットじゃない。でも、おかえりでいいのかな」

「君は真由でマーガレットじゃない。君はそのままの名前と生き方でいいと思う。今更お嬢様と言われてもぴんとこないだろうし、どうしても長く暮らした場所がベースになっているからね。優しい人たちに囲まれて暮らしたんだろうなってことがわかるよ」


 いつもだらしなくて、大丈夫かなと思うカイだけど、私が一番欲しいときに欲しい言葉をくれる。


「今、カイはさみしくない?」

「もうさみしくない。今、隣に真由がいるから」

「私がいなくなったら?」

「もういなくならないでしょ? 君は帰るべき場所に帰ってきた」


 真由がいるからさみしくない。

 その言葉を心の中で反芻しながら、照れ隠しに大きな伸びをしながら言った。


「明日から一緒に鍛錬しよう」

「ええ? 俺、武器とか無理なんだよね。チートとかあればやる気でるけど、ほら庭師だからさ」


 カイはどこまでもカイでしかなかった。

 

「こっちに来て五年でしょ?」

「こっちに来て五年でも今回のような物騒なことなかったもん」


 唇尖らせてまるで小学生みたいだ。

 

「明日から鍛錬するでしょ?」

「あー、ちょっとは考えるかな。真由の隣は危なそうだしね」

「私の隣が物騒だったら、これはなしだね」


 約束の印を見せる。

 カイの目があちこちに泳ぎ始めた。彼は、嘘をつくと目が泳ぐタイプの人だ。


「えっと努力する?」

「なぜ疑問形なの?」

「たぶん努力します?」

「まだ疑問形」

「少し鍛錬します!」


 チートという言葉が好きなカイから、少し努力する言葉が聞けた。これだけで今日はこれでよしとしよう。


「明日から一緒に頑張ろう」


 指切りをするように小指をカイの方に差し出すと、いきなり手首を掴まれて、彼の腕の中へ引き寄せられた。


「その笑顔、反則」


 引き寄せられると胸の動悸が激しくなる。心臓が熱を持ったみたいに熱くなるのを感じる。


「真由も真っ赤だし、俺を意識してくれていることがうれしい」

「いい加減に……」


 それ以上は言えなくなった。

 カイの唇が好きだと動くのを見てしまったから、何も言えなくなった。

 私の耳には、音としては聞こえなかった。でも、思いだけが花束に包まれるのでもなく、ただ野の花をそのまま差し出されるように心に届いた。

 風が木々の葉を揺らし、太陽が照りつけている。

 もうすぐ夏が来る。

 その暑い日々を思い起させるような強い日差し。

 だから、頬が熱いのだと自分に言い聞かせながら、カイの掴んだ手のひらの熱さを感じずにはいられなかった。


「言葉に出してもいい?」

「やめておいた方がいいぞ」


 カイが問いかけた言葉にどこからか声が聞こえた。

 ふと肩を見るとサラマンダーが姿を現した。


「真由がおまえにいじめられるのがかわいそうで、思わず力を貸してしまったときに思いを食べてしまった」

「え? どの思い」

「おまえに対する思い。火力が足りなくなったら困るからな」

「嘘だろ。返せ」

「無理だ。最大火力を出すために使ってしまった。でも、全部食べていないからほんのりと思いは残っている。だから大丈夫だ」

「それ、大丈夫じゃない案件だろ」

「今だと大丈夫じゃないかもしれんなぁ。まあ、がんばれ」


 それだけつぶやくとサラマンダーは、背景に紛れるように消えてしまった。

 姿がどこかにかあるはずだけど、いつも神出鬼没で、真由の肩にいつも現れるがいなくなるときも早い。


「くそ、あいつ逃げやがった」

「カイ?」


 不思議そうな真由の瞳に俺は映っていない。


「サラマンダーが言っていたこと聞いていたか?」

「何だかぼんやりしてしまって、聞いていなかったけど、何か言っていた?」


 あいつ、俺だけに聞こえるように言っていきやがった。

 頭痛がしてきそうだ。

 でも、一緒に歩いていきたいと思う人が見つかった。

 この子の笑顔を守るためならば、何度でも努力してみようと思う。

 それも悪くない。


「俺は努力するぞ!」

「明日からの鍛錬! すごい! ありがとう」


 ああ、そっちじゃないと素直に答えることができない状況になってきた。

 こういうときは、まあなるようにしかならない。

 スペイン風に言うとケセラセラだ。


「真由、明日から覚えてろ」

「え? 何を?」

「覚悟しろってこと」

「だから何を?」


 泣くところだけど、笑うしかない。


「俺はこの世界に来て、たまにたったひとりで生きているような不安定な気持ちになる。家族も友達も会社の人、知り合い、親戚、全部大切な人たちだったと今になったらわかる。だけど、何もかもをぞんざいに扱ってきた俺に大切な存在が生まれた。だからその人をこの世界で一番大切にしようと思う」

「カイ」


 カイにそんな大切な人がいたということに胸が跳ねた。

 だけど、今好きだと言ってもらったのは、自分ではないのか。

 唇を読んだだけだったことに気がついた。

 ちゃんとした確信が取れない。


「俺は変化球は投げれない。だから直球しかねえ」

「はい」

「だから、だからじゃあ、そういうことで」

「だからの先は何?」

「今日はいっぱいいっぱいでもう無理」


 脱兎のごとく逃げ出したカイの背中を見つめながら、どこまで行ってもカイはカイでしかないのだとわかった。私も真由という存在。この大事なことを忘れそうになるけど、忘れてはいけない。いつも自分らしく、生きていこう。


1章最後までお読み頂きありがとうございました。


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