6. 偽りのない真実
「覚えていらしたら、お嬢様のお名前を教えて頂けますか?」
予想していた通りだ。ここの館の人たちは、私をマーガレット様だとは思っていなかった。
「真由」
「マユ、どういった意味が込められていますか?」
「偽りのない真実。自分なりの解釈よ。両親がいないから本当の意味はわからないけど」
「あなたは名前通りの方なのですね」
どういった意味なのだろうと顔を上げると、クロードのやさしい笑顔にぶつかった。
ハンカチで涙を拭いてくれた。
ああ、この人。こんな優し気な顔もできるのか。
「アンナ様は、マーガレット様のことについては、冷静ではいられないのです。そのことだけはご理解ください。誰かを騙すのが嫌で気が咎めるのならば、明日、アンナ様にお話をされたらいいと思います」
この涙は違う意味合いのものなのに、嘘が嫌で泣いたと思われた。
「嘘をつかずに生きていけるなら、それが一番だと思うわ。いつか嘘はほころびが出る。でも、この涙は紅茶をいれて頂いたことがうれしかったの」
「紅茶がうれしい……」
クロードは不思議そうな顔で私の顔を覗き込んだ。
ここの人たちにとって、紅茶を入れて飲むという行為は当たり前で普通なこと。だから、不思議そうな顔で覗きこまれているのか。
「私のいたところではね。朝起きて身支度をすませたら、すぐに仕事に出かけるの。仕事から帰ってきたら、外は真っ暗でごはんを食べて一日が終わる。そんな毎日だった。紅茶を飲む余裕さえなくて、だから、誰かに紅茶を淹れてもらえるなんて、すごく贅沢な時間だと思ったから……」
クロードのもうひとつの手が私のもうひとつの頬に添えられた。クロードの顔がすごい勢いでアップになった。
「お嬢様のいた仕事先をお知らせ頂けますか。私の方で雇い主に苦情を入れされて頂きます。そんな劣悪な環境で働くなど! この世にあってはいけません。アンナ様に雇われるべきです。三食昼寝付きでマーガレット様を演じたらよろしいかと思います」
顔を挟みこまれて、話をされても会話が耳に入ってこない。さすがに両手で触れられると手袋越しとはいえ、恥ずかしくなってきた。顔が徐々に赤くなっていくのを止められない。
離して欲しいんですけど、どうしたらこの親切な執事を傷つけずに手を放してもらうことができるのか。恋愛スキルが底辺の私としてはわからないとしか言いようがない。
「あの……恥ずかしいので離して頂けますか」
結局直球で考えを伝えるしかなかった私のスキル。もっと磨いておけばよかったと思うが、変化球を投げても伝わるとは思えなかった。違う解釈をされても困る立場になるのは私の方だった。
「失礼致しました。ひとつのことに夢中になるとどうにも止められなくて」
あっさりと手を放してくれた。
クロードは歩く労働基準監督署のようなものか。でも、残念だ。ここは異世界、苦情を申し立てたくても申し立てることができない。クロードの様子からしてすぐに改善してくれそうだ。
「仕事先の環境の改善については、クロードにまかせたらいいと思いますよ」
メアリーの両手が私の手をふわりと包み込む。
さっきまでは素っ気なかった固い表情のメアリーがやさしい。心配そうにこちらを見てくる瞳には、涙が浮かんでいた。
「つらい思いをされたんですね。ここのお屋敷は、そんな環境ではないので安心してください。いらっしゃったお屋敷は覚えていますか。囚人服を着せられて、つらかったでしょう」
メアリーとクロードの中で進行しているであろう物語を頭の中で整理してみる。
囚人服を着せられたメイドが道に倒れていた。そのメイドは、所々記憶をなくすほどに劣悪な環境から逃げてきた。町の人たちが顔を見たらマーガレット様に似ていると騒ぎだした。お屋敷から使いがきた。そういう流れになっている気がする。
絶好なタイミングでお腹が鳴った。コンビニには行ったけど、自動扉が開かなくて、ご飯を食べていなかったことに気がついた。
「食事の用意をバートンにお願いしてきましょう」
クロードは、メアリーとアイコンタクトで顔を見合わせて頷く。
『長い間、信頼関係を繋いでいった結果、得られるもの』を形としてみた気がした。
ドアを閉めるときに「お食事お待ちください」と言わんばかりに、クロードがウインクを投げた。
メアリーが手を引いてマホガニーの椅子に座らせてくれた。
「お腹がすいていたら何も考えられないと思います。スコーンを食べてください。食べたらお風呂に入ってゆっくりしましょう。その間にディナーができていますので隣の部屋で食べましょう」
やさしげな瞳に促されて、スコーンにジャムを塗って食べる。
ゆっくりとした時間、胃にやさしくスコーンが落ちていくのがわかる。少しずつお腹が満たされていく。