30. 結婚式当日、黒猫になった日
マーガレットがお嫁に行ったのは、二ヶ月前の満月の夜。
あの日のことは昨日のように鮮明に覚えている。
俺が黒猫になってしまった日。
妖精たちが踊り狂い、どこからか音楽が聴こえていた。ウェディングドレスを着た彼女がひとりになったのを見計らって、そっと部屋に入る。
「カイ、どうしてここにいるの?」
ドレッサーの前に座る彼女を見つけて少し見惚れた。ピンク色の頬、若々しい彼女には少し大人っぽい赤の口紅、バラの花と蔦と小さな花々の花冠が髪を飾り、サイドの茶色の髪は三つ編みにして、ウェーブがかかった流れるような長い髪、真っ白なウェディングドレスは金色の刺繍が入り、すべての物が美しく見える。
「妖精王と結婚するのは建前で、実際には人質として妖精の国へ行くのでしょう?」
「いいえ、誰がなんと言おうと彼はそんな人ではありません」
「人間ならまだ話が通じる。だけど、彼は違う」
「カイ、私ね。妖精の国に行くと決めたのはこの領土を守るためではないの。自分が行きたいと思った。あなたが訳してくれた文献には人質そう書いてあったみたいだけど、違うの」
マーガレットが違うと否定するたびにそうだと言っているように聞こえた。
「お願いだ。行かないでくれ。俺がここに来なかったら、あの文献を見なかったら、マーガレットはここにいられた」
椅子に座る彼女の目線に合うように片膝をついて、手のひらを握りながら懇願する。
「いいえ、行くわ」
彼女の決心は固く揺らぎそうにない。その瞳を見た瞬間、綺麗だと思った。
「俺はあなたのことが好きです」
「あなたは同情と愛情をはき違えている。その感情は同情であって、愛情ではないわ」
きっぱりと言い切った瞳は、真っ直ぐで揺るぎなかった。手を引っ込めようとする彼女の手を引き止めて手の甲に二回キスをした。
その手の甲に宿った印を見て、マーガレットは驚いた顔をした。
「カイ、あなた異世界の人だったのね。知らなくてごめんなさい」
その瞬間、痛みを伴うような瞳に変化したのを見逃さなかった。その瞳に映ったもの、それは自分へのではなく、俺に対する心だった。
同情、そんな感情を読み取った。自分もこんな瞳をしているのか。
目の前に見せつけられて手を離した。
「カイ、私は今日のこの日を楽しみにしていたの。彼と一緒に行けるなら、どこへでも行く。それが地の果てだろうと、家族から反対されようと。自分の幸せは自分で決めるの」
幼いと思っていた彼女が自分より年上に見える。
「幸せですか?」
「幸せよ」
ここに来てやっとでわかったこと。彼女は自分から望んで嫁いで行くということ。
でも、彼女の精いっぱいの強がりで、俺が気にしているのを悟られまいとしている可能性もある。
背がいきなり縮み始めた。不思議の国のアリスは、テーブルの上に置かれている「私をお飲み」と書かれた瓶を飲んでしまった。そんな気分だ。だが、アリスほど小さくなってはいない。自分の手をみると真っ黒なふさふさの毛と肉球が見えた。
「私のモノに手を出したのはおまえか」
ドアを開けたわけではないのに妖精王が空中から姿を現した。
私の物、彼女を人として扱っていない。そう感じた瞬間、涙が流れた。
「カイを元の姿にお願い」
彼女の懇願も撥ねつける瞳の力。人ならざるものの力を感じて、全身から冷や汗が流れ、鳥肌が立った。
「ならぬ。罰は受けてもらう。元の姿に戻りたければ、運命の人を見つけよ。答えは自分で見つけてもらう」
「運命の人を見つける。チートとかないの?」
妖精王の顔が引きつっている感じがするのは、縮んだせいなのか。
「頬を舐めればわかるが、あまりお勧めはしない」
不親切のようでいて、親切なアドバイスをくれる。
マーガレットに手を差し出すと彼女は頬を染めてそれに答えた。
「あ、待って。メアリーに預けてこなきゃ」
部屋を二人で出ようとして、小さな獣になってしまった俺を抱き上げた。鏡に映った姿は、丸々とした黒猫だった。
ドアを出ると黒猫になった俺をメアリーに預ける。
「マーガレット様、この猫どこから?」
「ちょっとした知り合いなの。この猫が自由に行き来できるように台所のドアを改修してほしいの」
俺の名誉のために庭師のカイだと言うことは黙っておいてくれた。
「しゃべったりするけど、驚かないであげてね。カイはしばらく休みを取っているから、この猫を彼だと思って、カイと呼んであげて」
「カイ、どうしたんですか?」
「急用があるからといって出かけたわ。私がここに帰ってくることがあれば、その時にまた会えるかしら」
静かにじっと見つめられて、頭を撫でられると唇の動きが「ごめんね」そう動いた気がした。
ペロリと頬を舐めるとくすぐったそうに笑った。
「カイ、心配してくれてありがとう。答えをちゃんと見つけてね。自分だけの大切な人を見つけてね」
それが二ヶ月前の出来事。




