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25. 火の精霊

「おはようございます」


 目を開けるとクロードの顔がドアップで目の前にあった。


「え? 朝?」

「まだ夜半すぎです」

「メアリーではなくて、何でクロード?」


 毛布にくるまれて、暖炉の側でクロードに抱かれている。床に降ろしてくれてもよかったのにそれはできなかったのか。それがクロードらしい理由だと思った。

 六月の暑いと感じる夜もあれば、寒いと感じる夜もある。そんな微妙なときに汗をかきながらも真っ赤な顔をしながらも側にいてくれた。暖炉の近くがいいと思ったのか、椅子に寄りかかりながらも私の体は、クロードの足全体で支えて、頭を二つの腕で抱き留めてもらえたみたいだ。かなり重かったに違いない。


 私が毛布ごと彼の膝から下りるとぐったりと横たわった。床なのも気にならない様子で、かなりグロッキーになっている。ここで涼しい顔をしていたら、それはそれで超人だ。

 クロードの顔が赤い、かなり部屋が熱くなっている。

 窓を開けると気持ちのいい風が入ってきた。暖炉に火を入れなきゃいけないほどに体が冷え切っていたということか。


 体に体温が戻ってきたので、毛布を取ろうとすると肌に何もつけていない。待ってこの状況は何? バスタオル一枚で倒れていたから、バスタオルは濡れているだろうし、バスタオルを取って毛布にくるんだ状況なのはわかる。しかし、これはメアリーだよね。メアリーがやってくれたんだよね。

 ドアを開けて、メアリーが入ってきた。

 

「お嬢様、大丈夫ですか?」

 

 お水を持ってきたお盆をテーブルに置いて、こちらに走ってきてくれた。

 額に手をのせ、手を触るとほっとした顔をした。

 メアリーは、ぐったりとのびているクロードを見つけて、あわててお水をついでガラスのコップを彼に渡した。

 クロードはコップの中の水を一気に飲み干した。メアリーがお代わりをついでいる。

 別のコップを用意して、私にも手渡してくれた。


「ありがとう」

 

 メアリーが今の時間いてくれるということは、メアリーの家の方は大丈夫だろうか。


「弟さんは大丈夫?」

「大丈夫です。お隣のハンナにお願いしてきました」


 メアリーは通いでここまで来ている。弟さんと一緒に暮らしている。クロードも通っているがたまにここに泊まっているようだ。バートンさんは泊まりこみで用心棒と料理人、両方をこなしているようだった。


「お嬢様をソファーに横たえていたのに五分おきにクロードが体温が戻らないと言って騒ぐものですから、側にいたらいいと言ったら、ずっと離れなくて」


 なるほどそれでさっきのような状況になっていたということか。


「体が温まりやすいのは暖炉のすぐ前の床の位置だ」

「ありがとう。メアリー、クロード」

「体に体温が戻ってよかった。お風呂入れてきますね。用意ができたらお呼びしますね」


 そう言ってメアリーは、急いで部屋を出て行った。

 クロードを見ると、ブラウスの前ボタンが全部外されている? ジャケットも椅子の上に脱ぎすててある。部屋が熱かったからだよね。

 そう思いながらも目のやり場に困る。前ボタン、全部閉めてください。

 ちらりと服の隙間から見えた体には、無数の傷があった。執事だよね? なぜあんな物騒な傷があちこちにできているんだろう。体も無駄な贅肉がないのか腹筋割れていた。


「あっ、そう言えば、黒猫はどうしたの?」


 カイさんという言葉を出すと不用意にクロードを刺激すると思って、遠回しな言葉で聞いてみたが無駄だったみたいだ。すでに般若のお面を被ったかのような顔をしている。目は見開かれ、額にしわがよっているため、眉は八の字に垂れ下がっている。


「ああ、彼ですか。彼はさっき元気になり、廊下で寝そべっていますよ」


 寝そべっているということは猫のままということになる。

 クロードの顔が近づいてきて、私の手を取る。ちょっと乱暴に手を引かれた。


「この印は約束の印ですよね。誰につけられたものですか?」

「ええと?」

「妖精の国に行ってきたのになぜそれがあなたの手の中にありますか? 原因は廊下にいる黒猫しか思い浮かびませんけどね」

「でもね。マーガレットの手にあるよりもいいと思ったの」


 そう言ったら、クロードの目が細められ、目尻が上がったように感じた。


「あいつ異世界人でしたか」


 ポケットに手を入れていることから、例の物騒な物が取り出されようとしている。全力でクロードを止める。


「あ、あのとりあえずっていうことで彼に恋人ができたら、このマークを移してもらえるのかも?」


 片手を出して、あとは毛布で覆い隠してクロードの腕を握る。

 いや、論点はそこではないのはわかっている。

 クロードは、マーガレットの手にこれがあったというのが我慢ができないのだ。

 結婚式の日から、二カ月間、このマークは彼女の手の甲にあった。

 まるでそれは結婚指輪のように強固な絆に思えたのではないだろうか。

 そこを刺激してしまうといけないためにわざと論点をずらす。


「見えてる」

「え?」

「裸見えてる」

「ぎゃーっ!」


 後ろを向く。どの辺が見えた?

 いや、谷間というほど胸はないし、肌を見せるだけでいけないのかも。


「あの時、フェアリーリングに入る前に手が届いたと思ったのに手が届かなかった」


 悔しそうにクロードが呟いた。

 手は届いていたけど弾かれてしまったと言ったら、新たな火種を生みそうなので黙っておく。


「手袋だけでも心強かったよ。ありがとう」

「あなたは簡単に誰にでも感謝しすぎです」


 手元にずっと握っていたはずの手袋は、妖精王のお風呂場付近にドレスと一緒に置いてきてしまった。

 身につけていた物を置いて来て、あとでまずいことにならないか心配になる。ここで心配しても仕方ない。なるようにしかならない。


 廊下に寝転がっている黒猫の無事を確認しようと扉に手をかけたところで、その腕を掴まれた。振り向くとクロードが立っている。顎をいきなり掴まれて、クロードの端整な顔が近づく。唇が触れようとした瞬間、火花とともに拒まれた。


「約束はなされている。違えるものではない」

「おまえか、サラマンダー」


 小さなドラゴンのようなトカゲのような生物がいつの間にか私の肩に乗っている。

 約束は絶対なのだ。この世界では簡単に約束を交わしてはいけないことがわかった。でもこの印をどこにも持っていくことはできない。約束は契約のようなもの、それには精霊が関わってくる。

 ルビーのような燃える瞳、爪は鋭く尖っている。体全体をうっすらと炎が燃えているように見える。肩に乗せている方としては、ちょっと怖いと思ったが不思議と熱くない。


「契約を違えると燃やしつくすという契約だ」

「ええ!? 待って待って何を燃やしつくすの?」

「心だ」

「心?」

「そう心を失う。その人を好きだと思っていた心をなくす」

「どうしてそんな契約を? あなたにメリットないじゃない」

「人の誰かを思う心は美しい。燃やしつくすことで我の力になる」


 怖い。こちらでの異世界人の恋はリスクが高い。


「こちらの世界へつなぎ止める契約は、かなりの力が必要だ。だから、負うリスクも高くなる」


 納得いかない顔をしていたみたいだ。

 サラマンダーが追加で教えてくれた。

 かなり親切だ。


「あなたのことが好きになりそうよ。サラマンダー」

「好きという言葉はそんな軽はずみに使っていいのか。考えろ」


 お説教をされてしまった。

 燃えている炎で見えないけど、青筋立てて怒っていそうな感じだ。

 手の甲を見ると、アイビーの蔦のような印。この印はどこかで見た気がする。

 思い当たったのは、マーガレットの部屋の壁紙の蔦に似ている。あれは新郎を指していた。この印は妖精王の印で、契約を交わしたのは妖精王と交わしたということにならないだろうか。サラマンダーは妖精王の使い? 嫌な予感は当たるものだ。


「この印は妖精王の印なの?」

「そうだ。今頃悟ったのか」


 知るのが遅いと言わんばかりの対応だった。心の底から叫びたいのを必死にこらえた。あの話しても通じなさそうな一方通行の会話しか成り立たない妖精王の印。マーガレットに言っても無駄だろう。帰り道の件で口を閉ざしていたことから、自分で解決すべしという風潮のような気がする。

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