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17. 一難去ってまた一難

 長靴をはいた猫が三男にもたらしたモノは大きかったが、しゃべる猫カイさんがもたらした被害は計り知れなかった。

 クロードとバートンさんの機嫌は悪くなる一方で、次に姿を現した日には八つ裂きにされそうな勢いだった。クロードは、板を釘で強く叩きすぎて割れて、また違う板を用意していた。とにもかくにも猫の侵入を防ぐ一心で打っていた。

 バートンさんは、台所の勝手口にカイ用の小さな扉が職人によって作られていたのを動かないように細工をしていた。侵入経路は二か所あった。その場所はすべてふさがれた。

 これでチャイムを鳴らさない限り、家の中へ侵入は不可能だと誰もが思った。

 むっちりとした朝より毛並みが整った黒猫は、堂々とチャイムを鳴らし、正面玄関からアンナの腕に抱かれて入ってきた。どういう経緯で、アンナのところにいったのかわからない。クロードから、しばらくアンナ様は来ないとの報告を受けていたので意外な気がした。

 夕飯後のはずなのにバスケットいっぱいのスコーンとジャムを持参してくれた。そのスコーンとジャムが大義名分となり、彼女をここまで足を運ばせた原因と本人は言っているが、本当の理由は他にありそうだ。


「今日は家庭教師が来る日ではなくて、勘違いしていたみたいなの。昼間来れなくてごめんなさい。少し二人で話をしたいのだけど」


 クロードの方に視線を投げると、一礼をして、ドアの外へ歩いていった。たぶんドアのすぐ外に待機してくれているはずだ。カイをすぐに捕まえられないクロードの歯ぎしりの音がここまで響いてきそうだ。


「ねえ、マーガレット少しお庭を散策しない?」


 どういう意図があっての散策なのだろう。

 アンナが抱っこしている黒猫に視線を投げかける。昼間あれだけおしゃべりをしていた猫は、しっかりと口をつぐみ、違う猫かと思うくらいに静まり返っている。うっすらと開けたオッドアイの瞳が同一人物だと教えてくれる。


「アンナ……お姉さま? 庭を散策するには、暗すぎない?」

「大丈夫よ。まだ、ほんの少し明るいし、夜の帳がおりる前に帰ってきましょう」


 なんだかお互いに嘘を並べて、姉妹ごっこを演じている感じがして気持ち悪い。

 猫をおろして、アンナが応接間の窓を開ける。窓から外へでると、少し広めのデッキになっていた。手摺が途中で終わり、そこから階段になって、外へ探索に行けるようになっていた。


「誰にも言わないで本当にいいのかな?」

「大丈夫よ」


 「大丈夫」を繰り返しているアンナを少しうさんくさいと思いながら、断る理由が何ひとつ思い浮かばない。

 私、アンナの順番でデッキに出た。私たちの後に続いて一緒に出ようとした黒猫をアンナは部屋へ押し戻した。


「すぐに帰ってくるわ。おまえはお留守番よ」

「真由、気をつけろ」


 警戒の唸り声と同時にかすかにカイさんの声が聞こえた。

 アンナは、猫が出ていかないように完全に窓を閉めた。

 振り向くと窓に張り付いた猫が窓を開けようとひっかいているシルエットが見えた。


「あんなに出たがっているなら、一緒に連れていってはダメなの?」

「久しぶりに帰ってきてくれた猫なの。大事にしていたのにいつの間にかいなくなってしまった。だから、大切なものは、もうなくさないようにしっかりと鍵付きの場所に入れておかないとダメよね」


 その言葉を聞いてうすら寒いものを感じた。大事なものの中にマーガレットの偽物も入っているのだろうか。今、私は籠の鳥状態になっているのだろうか。心配になってきた。

 用心をして、アンナの後ろからついていく。

 庭を散策ではなく、森を散策にいつの間に切り変わったのかわからないが彼女は何か意図があって、この散歩に誘ってくれた。その真意を知りたくて、少し遅れながらついていく。周りが暗くなっていく様子と月の位置に気を取られていた。こんなところに置き去りにされたら帰り道はわからない。

 無理してでも、こっそりと窓を開けて黒猫を出さなかったことに後悔をし始めた頃、アンナが振り返って、木の下にあるたくさんのきのこを指さした。

 日本にいるときに読んだ本に記載されていた気がする。


「フェアリーリングね」

「知っているの?」

「本で見ただけだから、本物を見れるとは思っていなかったな」


 きのこがきれいな輪になってサークルを作っていた。偶然とはいえ、こんな現象を初めてみた。

 遠くから「離れろ」という声が聞こえた。周囲を見たが夜の帳がおりはじめていて、はっきりとした輪郭が掴めない。一匹とひとりの人間の形がぼんやり見えるが、誰かまでは判別がつかない。走っている様子がわかる。アンナから離れるといいのかと思って少し距離を取る。それがかえってフェアリーリングに近づくことになった。

 黒い雲が風に流されて、ゆっくりと月の形をあらわにする。フルムーンの月が姿を現したと同時にフェアリーリングの中へ突き飛ばされた。振り向くとアンナが立っていた。


「フェアリーリングから離れろ」


 クロードの声が聞こえた。


「お願い、マーガレットを連れ帰ってきて」


 懇願するようなアンナの声。


 一匹とひとりの人間は、カイさんとクロードだった。カイさんは懐に飛び込んできて、クロードの伸ばしてきた手袋を握った気がした。

 夢中でしっかりと二人を掴んだまま倒れ込んだ。

 ゆっくりと目を開けるとまぶしい空間が目に入ってきた。

 左手を見ると、クロードを掴んだはずの手は、彼の手袋のみを連れてきていた。

 右手を見ると、懐に飛び込んできた猫は大きくなっていて、重くなっていた。


「重い。あんこが出る」

「いや、まんじゅうじゃないんだし、何にもでないから大丈夫」


 カイは、少し体を起こして体重をかけないようにすると頬をぺろりと舐められた。


「カイさん?」

「ああ、しまった。ここはフェアリーリングの中だから、まやかしの姿は本来の姿になるんだった!」


 猫のときの癖が染みついてしまって取れないようだった。

 舐められた方の頬が熱い。そこだけ熱を持ってしまったように、それを悟られないように両方の手で頬を隠す。

 大事なものの中にマーガレットの偽物は入っていなくてよかった。別のことに集中しようと必死に違うことを考えようとする。



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