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108. 抱きしめていて

「どうやってもうまくいかないときもあります」


 クロードの慰めの言葉を聞きながら家路をたどる。


「そうだね……」


 返事はしたものの自分の不器用さを呪いたくなる。

 結局、クロードはひとつのお直しを仕上げてしまい、私はひとつも仕上げることができなかった。

 違う人間なのだから、仕上げる物のスピードが違うのは当たり前だと思えたらよかった。

 また、気持ちがループする。


「おかえりなさい」


 出迎えてくれたメアリーにも顔を上げて見せることができない。

 このままじゃ私は何もできない人になってしまう。


「ご飯にしましょう」

「嬢ちゃん、おかえり」

「バートンさん!」


 意外な人物が来ていた。

 コック姿の彼を見慣れているために今日のようなラフな格好は新鮮だ。

 ひとつ結びの髪はいつも通りだけど、ゆったりとした白いブラウスに腰ベルトをして革のズボンをはいている。がっちりとした彼の骨格がよくわかる。コック姿はポケットや装飾で、少し華奢に見える。


「今日はメアリーのご飯だ。楽しみだな」


 幸せそうな顔のバートンさんと相反して、後ろ側のテーブルでふくれっ面のノアが座っていて本を広げている。

 ノアの隣に座る。


「どうしたの?」

「お嬢様こそ、どうしたの? 元気ないね」

「仕事で失敗しちゃってさ。ノアの方は?」

「僕はさ」

 

 バートンさんの方をこっそり指さす。

 そう言えば最初に会ったときもバートンと呼び捨てにしていた。


「嫌いなの?」

「嫌いだよ。あの大きな声も無神経なとこも嫌い。ここは僕の家でここはメアリーとお兄ちゃんの家なんだ」


 メアリーはバートンさんと結婚して、この家から出て行く。

 でも、バートンさんは一緒に暮らしてもいいと言っていた。

 それを伝えると大喧嘩になりそうだ。

 メアリーを取られてしまうような寂しさはわかる。

 私もメアリーが結婚してお屋敷を辞めてしまったら、心の穴をどうやって埋めていいのかわからず戸惑ってしまう。

 母のような姉のような優しさで包み込んでくれる。

 それは心地のいい場所、陽だまりの中でお昼寝をしているような気持ちよさ。

 その場所を失ってしまうのはつらい。

 最初にノアに会ったときにエプロンの影に隠れていたのを思い出す。

 あと一年もするとノアの背も伸びる。声変わりもしてしまうかもしれない。


「メアリーはまだここにいるじゃない。大丈夫だよ。どこにも行かないでしょう?」

「でもいつかはここからいなくなってしまう。僕のことなんて忘れてしまう」

「忘れない。心はいつも家族と一緒にいるよ」

「お嬢様は失ったことがないからそんなことが言えるんだよ!」

「失ったことはあるよ。だから、いつも寂しかった。ノアの気持ちはわかるよ」

「ごめん……」

「いいの」


 ノアを弟みたいに思えて抱きしめる。

 彼の背は小さく百四十センチぐらいだ。

 私が両親を失ったときもこのくらいの背丈だった。

 叔母に抱きしめられた。それをどこか恥ずかしいと思いながらもひとりでないことに安心したのを覚えている。


「寂しいときは声に出していいよ。そして言うの。メアリー、ぎゅっしてって」

「え! そんなこと!」


 ノアと一緒にメアリーに抱きしめられた。 


「寂しいときは寂しいと言わないとわからないときもあります。二人とも大好きよ」


 ノアの額にメアリーがキスをする。

 彼から小さな嗚咽が聞こえてきた。

 今まで寂しかったのに泣けなかった。

 

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