103. 娘
キャルムは、伯爵に報告をする係と護衛を兼ねている。
伯爵は、自分の館を離れて城下町まで来ていた。報告を待てないから、ここまで急いで来た。まるで本物の娘を気遣うような仕草。
実際には追い出されている。
追い出す意味がわからない。
親になったことがないから、その気持ちも意味も理解できない。
「何か見落としているような」
「家に帰ってみたら?」
「追い出されたのよ。伯爵に」
「そこはお父さんじゃないのか」
「複雑な事情があるの。察してよ」
「まあね。何かあるとは思っていたけどね。じゃあ、いっそ会ってみるか! 鍛冶屋は止めにして大工さんのところへ直行!」
キャルムは有無を言わせずに走り出した。
彼の背を見失わないように必死について行こうとする。
彼は後ろを振り返りながら、余裕のある走りをしている。
私はと言えば、キャルムについていくのが精いっぱい。
日頃の運動不足がここで出てしまうとは情けない。
訳を話したくてもこれでは話せないし、彼は何かを誤解している。
普通の家庭にある愛情というものを信じている気がする。
私の中には、伯爵家が我が家だとはまだ信じ切れていない。彼らに対する愛情というものがまだ育っていない。
冷たいと思われようがそれが現実だ。
日本で育ったあの環境こそが家族と過ごした唯一の時間だと思える。
漆黒の瞳の中の家族に少し明るすぎる瞳はどう映ったのだろう。
走りながら、涙が出てくる。
思い出すな。そう思うけど、会いたい気持ちは押さえられない。
お通夜の夜に叔母と二人で座り込みながら、棺の中の姿を見ていた。
そのうちに声も顔も忘れてしまう。
どちらが先に思い出せなくなるのだろうと怖い気持ちでいた。まだ、父の声も母の顔もはっきりと思い出せる。
角を思い切り曲がった先に馬車に乗り込もうとしている人がいた。
求めていた家族がいたような気になり、思い切り体当たりで抱きつく。
「あなたは私の父ですか?」
顔を見ると、ちょっと困ったような顔をして、手袋を外すとハンカチを出して涙を拭いてくれた。きっと見られない顔をしていたのだろう。
泣くまいと思って、口を真一文字に結ぶがそれが崩れてきてしまう。
「どうしたのだね? キャルム君、これはどういうことか説明してもらおうか!」
「え? お嬢様、泣いてる? 何で? 仲たがいしているなら早い方が解決になると思ってですね」
一日中続く静かな雨音、小学校にいてみんなといるのに帰りたくてたまらなかったのを覚えている。思い出を密やかに連れてきてしまった。
ハンカチで目頭を押さえても涙が出てきて止まらない。
「マーガレット、君は私の娘だ」
そう言って抱きしめてくれた。
ふわりと雨の香りがした気がした。
抱きしめられているのに心に穴が開いたみたいに塞がらない。
この穴は、少しずつ小さくなっていくものだろうか。
「お父さん、私はここにいていいの?」
「マーガレット、君の居場所はここだ。ここ以外にはない」
「なぜ、追い出したの?」
「君達は戻ってくる方法を模索する。それが遅いか早いかの違いだ」
君達という言葉で、クロードと私のことを指しているとわかった。




