1.この世界と縁が切れた
誰かを必死になって探していた。
誰なのかわからないけど、いつも目が覚めると夢の中の住民はいなくなったかのように姿がわからなくなる。夢の中の出来事はあいまいで、でも必死に誰かを見つけていたことだけがこの胸に残る。
「桐原真由」
夢の中で自分の名前を呼ばれたときに胸の痛みが増した。
◇◇◇
最近見る夢はおかしい。寝汗がひどくて朝からシャワーを浴びる。
トレーニングウェアに着替えてから気がついた。
今日からいつもの朝のルーティンをこなさなくてもよくなったこと。
「ああ、そうか。会社行かなくてもよくなったんだっけ」
年末に仕事の継続を聞かれていた。だが切られた。二月の終わりに事務的な通達事項があり、呆気なく仕事はなくなった。
派遣社員のつらいところだった。
次を探そうにもハローワークに行くことが億劫になってしまっていた。
「どこかに行きたいなあ」
帰る家などどこにもなく、この場所をなくすわけにはいかなかった。
たくさんの貯金があるわけでもなく、すぐにでも働かないといけないがその前に少し息継ぎがしたい。水泳で少し潜った後の息継ぎ、その一瞬でよかった。その一瞬は私にとってどのくらいの期間になるのだろう。
「とりあえず走ろう」
家を出て、走ろうとするが足に力が入らない。
昨日の夜、食欲なくて何も食べていなかった。
とりあえずコンビニを目指すことにした。
最近、おかしなことが続いていた。
その一、誰かを探している夢を見る。
その二、すべての自動扉が開かない。エレベーターで階を押していてもスルーされる。まるで私など乗っていないかのように通り過ぎる。一回は押し間違えたと思うが、二回目からおかしいと気が付き始める。
とりあえず走ろう。辛いことを振り切るようにして、毎朝走ることにしたのはいつの頃からだったろう。
後ろからついてくるのは、私の過去だ。過去に追いつかれる前に振り切る。
近くのコンビニの全自動ドア。
また、開かなかったらどうしよう。
そんなことを考えながら、自動扉の前に立つ。何回も行ったり来たりを繰り返しても開くはずのドアは静まりかえったまま、少しも開く素振りを見せなかった。扉の内側にいる店員さんは、あくびをしながら、こちらに気がつかない。
こういうときはなんて言うんだったけ?
「この世界と縁が切れた」
そんなはずはないか。気を取り直して走りだそうとする。周りが急にまた夜に戻ったかのように真っ暗になった。
「雨でも降るのかな。早く帰ろう」
真っ暗な暗闇の中に一筋の光がいきなり差した。
神話の世界にでも繋がっていそうな空間。その光の下に立ってみる。
「危ない!」
いきなり誰かの声が聞こえた。
自転車のブレーキの音。
ああ、まずい。頭の中の赤信号。十九年間の人生が走馬灯のように流れていく。
歩道を走っている自転車にぶつかる。
そう思って両目をつぶった。衝撃はいつまでも来ない。どうしたんだろう。
目を開けると辺りは真っ暗闇。一筋の光の下に立っていたはずなのにその光が移動していた。その光に導かれるようにして歩き出した。
強烈な光がいきなり顔を照らした。まぶしくて顔をそらした。
次に目を開けたとき、私を覗き込むたくさんの人の顔が見えた。
暗闇の中、歩きまわってこの空間に出たはずなのにどうしてだろう。精神だけが迷子になっていて、今、体の中に入った。だから、状況が呑み込めないような不思議な感覚。
いきなり空間移動してしまったかのような感じ。さっきまでの暗闇はどこへ行ったのだろう。