表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
売名  作者: なかはら
5/9

5章

羽織物が必要な時期になると年末に向けた企画が動き出して、事務所が騒がしくなる。芸能の世界は常に世界を先取っている。雑誌なんか既に十二月号だもんなと、専属モデルの彼氏役で出た女性誌を本屋で眺める。初めて出会った小奇麗で背の高い女性の、年下彼氏に徹して、お似合いだの絵になるだの浮ついた称賛の言葉に酔っていられるのなら、それはある種の快楽でもある、と思う。少なくとも、本来そうである人間の仕事のはずだった。

渋谷に降り立つと、成瀬と一緒に撮ったプロモーション用のポスターがでかでかとビルに張り付けられていて、段々と自分の存在が大きくなっていくのを、俺は実感なく眺めた。

撮影日のことを思いだす。撮影スタジオに用意された大掛かりなセットの中で、馬鹿みたいに身体を寄せ合った。なんでも仕舞えそうなくらい大きな倉庫の一角に用意された、赤いベルベットのソファとニスの輝くアンティーク風の家具。壁に掛けられた偽物のレンブラント。

監督に指示されるままに、椅子に座った成瀬の髪に唇を寄せた際に感じた、清潔な香りをかき消す整髪料の匂いに、何故か身体的な距離を覚えた。近づけたと思った距離を、不意にそうでないと教え込まれた気がした。カットがかかると同時に目線を上げて俺を見つめた成瀬の瞳には、確かに俺がいた。黒く澄んだ瞳はまっすぐな愛情をくれる。真っ直ぐだから、不器用だと嘲笑ってやりたくなるのに、誰かの手に守られていてほしいと願ってしまうのは、俺の手には負えないと知っているからだろう。強さとか、権力とか、立場とか、その類の煩わしさの一切を無視しても、俺の手は成瀬に届かない。

ハチ公の近くで、俺はポスターを眺め続けた。何故か、動けなくなった。有名な待ち合わせスポットだけあって流動的ではあったが、人はいつも同じくらい銅像を取り囲んでいた。薄暗い都会の空を背景に、艶美で洒脱な雰囲気を醸し出すポスターをカメラに収める人を、俺は素知らぬ顔で見守っていた。彼女たちの行為を、俺は残酷だとすら思った。

プロの手によって一番綺麗にポスターに収まった俺たちは、その後も更に手を加えられていて、自分でも美化され過ぎだと理解している。あれは最早虚像でしかない。現に、隣の彼女たちはポスターの片割れが隣にいるなんて、気付く気配もない。

「艶美な」と煽り文句をつけたせいで、同じポスターの右左の差がより浮き彫りになって、俺は滑稽にすら見えた。スーツ衣装を提供したのは、外資の高級ブランドだった。俺は金髪のままに臨んだ。ナンバー入りのできないホストみたいだ、とネットで揶揄された。




MVの撮影日当日は雨が降っていた。秋の長雨だとマネージャーが教えてくれた。

「今日は室内での撮影でよかったね。こういう日に外での撮影があったりすると、予定が押して苦労するから」

 規則的に動く車のワイパーを眺めながら、俺は曖昧に頷いた。すっきりとしない雨が続いていて、肌寒さも増してきた。夏休みがあっという間に終わってしまった時も驚いたが、気付いたら日々が過ぎ去っていく。このままなんとなく仕事をしているうちに冬になって年が変わっていくと思うと、形容し難い不安に襲われた。このまま仕事をこなしていくことが自分の人生なのか思うと、軌道に乗っただけでは何も成しえていないのだということを実感する。間違いなく前には進んでいる。順調な気配もある。でも、一歩気分が後退する度に、忙しさで無理やり身体を前に押しやっているだけの現実に嫌気がさした。

都内のスタジオに着いてからまず成瀬の楽屋に挨拶に向かうと、ドアをノックしてから中々返事が返ってこない。もう一度、今度は少し強くノックをすると、どうぞと弱弱しい声が返ってきた。

怪訝に思いながらそっと扉を開けると、成瀬は俺と認識するや、青白く血の気のない顔を無理やり笑顔にした。

「おはようございます」

 ドアの傍で立って挨拶した俺を呼び寄せて、隣に座るように言う。

「その髪型、すごく似合っているよ」

 役の為に、落ち着いた茶髪にした。長さも整えてあるせいか鏡に映る姿は幼く見えたが、いつもの無造作に見せたカラフルな髪色に比べると、衣装のスーツに合っていた。整髪料を付けた毛先を弄ぶ成瀬の顔は相変わらず痩せていて、浮いた頬骨がしかし、セクシーな印象を強めていた。

成瀬は穏やかな笑い方をしているが、見るからに疲れが溜まっているのが分かる。傍には付箋が貼ってある何かの台本が斜めに放り投げ出されていた。

 お茶を入れてあげると言って設置してあるポットに近寄った彼に、俺がやりますと立ち上がったとき、テーブルの下に置かれたゴミ箱が目に入った。その中に見つけた銀色のシートに、俺は血の気が引いた。思わず、他に何もなかったゴミ箱から、拾い上げる。

「成瀬さん…」

 プラスチックと銀紙で一粒ずつ包装された、鎮痛剤のシート。容量は一回二粒だが、シートの六個分が空になっていた。残りの平べったい四粒は、飲みやすいように表面が滑らかにしてあるせいで、蛍光灯の明かりを拾って艶っぽく輝いた。

「一気に飲んだんですか?」

 オーバードーズという単語が頭に浮かんで不安と後悔がせりあがってきたが、彼は薄っすらと弱弱しい笑顔を浮かべた。

「まさか。ゴミが、かばんに入ってたのを捨てただけだよ」

「嘘です。成瀬さんがゴミになる部分を切り取らないで持っているなんてありえないし、残っている薬をそのままゴミ箱に入れるなんてありえない」

 大方、俺が急に入ってきたので、隠し場所に困ったのだろう。

 俺は動揺と怒りと哀情が一気に押し寄せ、感情のままに彼に詰め寄った。下からねめつけるように見上げると、彼は少しの沈黙の後、諦めたように目を閉じた。

「わかってほしいのは、それが癖になってるんじゃなくて、単純に必要量を摂取しているだけなんだよ」

 細い声だったので、俺は絶望感で言葉が出なかった。これは何かを誤魔化しているわけじゃないというのは直ぐにわかり、それはむしろ問題ではないのかと感情が先走るせいで、言葉が紡げなかった。

「もともと結構な片頭痛を持っていて、おまけに雨に弱いんだ。昔からこの錠剤が飲みやすくて使い続けてたら、慣れすぎちゃったみたいで、容量が増えてしまったんだ」

 成瀬の弁明は事実だろう。そう理解すればするほど、苦しさを覚えた。俺には成瀬のすべては理解できないと教えられた気がした。でも、それでも、今一番近くにいるのは自分なのだと理解したとき、彼の持つ絶望ごと俺自身の内側に取り込んでしまいたい、と衝動的に感じた。

 成瀬の手が俺に触れる前に、少し背伸びをして彼の首に腕を回す。細い首筋に頬を当てると、皮膚の薄い冷たさの奥に低めの体温と波うつ脈を感じ、背筋をじわじわと幸福感が上ってきた。

 成瀬は少し驚いたように身体を硬直させていたが、やがて力を抜いて俺の背中と頭に腕を回した。

 彼に言いたいことはいくらでもあったけれど、彼に言葉以上のものを与えられるのはこの距離にいる俺だけだ、と麻痺した脳で考える。取り込んでしまいたいけれど、この健全な身体を取り込ませたっていい。身体の丈夫さには自信がある。美しい成瀬だけじゃなくて、脆弱で過敏で不器用な成瀬の背筋に、脈に、なってしまいたい。

「あったかいね」

 成瀬が小さく呟いた。

「俊。俺はお前が羨ましいよ」

 俺は言葉を返さずに、薄い成瀬の身体に回した腕に、力を込める。

 例えば何かの物語のように、俺と成瀬が入れ変わることはできないだろうか。彼の痛みだけを受け取ってあげたいけれど、成瀬の暗鬱は俺のものにはならない。背負っているものも、置かれた立場も違う俺に、成瀬の重圧も懊悩もわからない。


 


 ぎりぎりまで休んで欲しいと告げると、成瀬は納得したように頷いて、マネージャーに毛布を頼むと言った。

 連絡をうけた彼のマネージャーと部屋を退出した俺は、その扉の前で鉢合わせた。俺を見るや否や表情を険しくした彼に良い印象はないが、声をかける。

「成瀬さん、ちょっと体調が悪いらしくて」

 そういうと、彼はとても嫌な表情で俺を睨む。

「知ってます。だから、必要以上に絡まないでください」

 ずいぶんな言い様だと思う。しかし、北風と太陽なら北風が自分だとわかった今、けんか腰になることもない。

「ご迷惑をおかけしました」

 マネージャーが成瀬のことで気を揉んでいるのはよくわかる。明るく見せるのは下手なくせに、弱みを見せることもない。その危うさを近くでずっと見せられりすれば、心配と不安で神経だってすり減らされる。おまけに成瀬は事務所の稼ぎ頭だから、マネージャーの責任も重い。

 心配をよそに、撮影は滞りなく進んだ。一番最初のダンスシーンの撮影では俺たちのダンスが揃っていることに監督から感嘆の声が漏れた。休憩時間には氷嚢を首筋にあてながら、テレビの取材にも応じた。

花を使った演出では、本物の薔薇に囲まれた。むせかえるような花の濃密な匂いに、体調に問題のない俺もくらくらと脳が痺れたから、成瀬はきっと相当耐えていただろう。完成した映像を見せてもらったとき、成瀬の眉に寄ったしわが演出のためじゃないとわかったので、彼の傍によってその眉間を指先でなぞると、くすぐったいと笑われた。彼が笑うと空気が和らぐ。少しの安堵を持って次の撮影に臨めた。

勿論、成瀬のマネージャーの目線は冷たい。それに耐えて成瀬に触れる行為が正しいのかどうかは、正直分からなかった。




『成瀬君には、出来れば内海俊に近づいて欲しくない。悪い影響しかなさそう』

『真面目な成瀬唯が好きなのに、余計なことしないで欲しい』

『成瀬君優しいから、あなたを断れないだけです』

 すっかり習慣になってしまったエゴサーチによって、見当違いも甚だしいコメントが並ぶのを、俺は水を飲みながら確認する。

 優等生な成瀬唯。

 生意気な内海俊。

 自分たちで作り上げたキャラクターとはいえ、お互い首を絞め合っているものだ。

 ある日を境に、肌寒い日々が続いていた。街路樹の葉が気付いたらすべて散っていて、本格的な冬の気配を感じる。ベランダの窓を開け、ケータイを持ったまま外に出る。雲のない紺青色の空に、いくつかの星が見える。秋に見えるのはカシオペヤ座だったかなと考えながら、手元の携帯に視線を戻す。生々しい明かり。星の輝きの方が何倍も明るいはずなのに、手に取れる明りの方が目につきやすい。

 自分の存在が自分の手に負えない。らしさ、を求めたあまり、らしさが形骸化していく。俺のSNSでは、妙な要求が増えた。ファンという大義名分はファンを勢いづかせてしまう。番組に出る度に作品が公開される度に雑誌に載る度に、ああしろこうしろと四方八方から指示が飛んでくる。

掲示板ではこのままチャラい異端児でいて欲しいという人に、そろそろあのキャラが痛々しいと誰かが咬み付く。そこに昔は結構気遣い屋だったよと古参ファンが口をはさみ、場外戦が勃発してくる。

建設的じゃないと知りながらも中毒性のある言葉の応酬を眺め、日々が荏苒と過ぎていく。なんとか区切りをつけた頃に残るのは、途方のない絶望感と言いようのない虚無感だけだった。

 自分のファンが暴走して俺に攻撃的だということに、成瀬は気が付いている。彼が負い目を感じる必要などないのに、俺に対し過保護になっては、食事に連れ出したりSNSに名前を出したりと、彼のやることは常にピントがずれている。成瀬の考えは理解できるが、むしろ俺を構うことがきっかけで成瀬に対して悪意を向ける人間が出てしまう方が、俺は怖かった。

 MVは撮影から僅か二週間後に公開となった。公開前に確認した映像はお金をかけた分出来が良かったし、社内で作り上げただけあってバランスのいい作品になっていた。

ネットで公開された当日に、公開記念イベントを事務所で行った。

 小さなステージに準備された椅子に腰かけながら、その簡易的な作りにアイドル時代のことを思いだし、感慨深さに耽っていた。

公開記念イベント自体はそう長い時間やるものでもなく、ほとんどが決められた台本を読み進めるだけの単調なものだった。

 曲のイメージは、とか、どんな気持ちで歌いましたか、なんて番組リポーターや記者の質問に、誰か興味あるのだろうかと考えながら、当たり障りなく優等生な発言を繰り返す成瀬を見つめる。俺は勿論、成瀬とは対照的な軽いリップサービスを繰り返す。また成瀬のファンの神経を逆なですることになるのだろうと内心うんざりしていると、それを穏やかな笑顔で見つめる成瀬と目が合った。

「今回、お二人は初めてのコンビでしたが、お互いの印象はいかがだったでしょうか?」

 どっかの番組レポーターの質問に、まず成瀬がマイクを取った。

「内海君のことは期待の新人だって噂には聞いていたんですけど、会ってみて本当に可愛らしくてびっくりしました。歌もダンスも俺よりずっと上手くて、天才肌ですね。レッスン中は俺の方が足を引っ張ってるんじゃないかって不安なくらいでした。こんなにチャラついてますけど、礼儀正しいし、素直でいい子なんですよ。とってもかわいい後輩です」

 成瀬の品のいい声が並べる称賛の言葉を聞きながら、背中が粟立つ。感謝の気持ちより先に、頭の良さと思慮深さに感動する。俺に向いている無数のナイフに、それぞれの型に沿ったカバーを一つずつ嵌めていく仕草に、わざとらしさを感じない。

 横目に見ると、成瀬と目が合った。茶色い瞳。俺は今、青に近いグレーのカラーコンタクトを入れている。

 ほんの一瞬、彼と世間を隔てる理想の壁に小さな亀裂を入れてしまおうか。成瀬がそうしてくれたように、つけられたイメージに小さく抗ってみようか。そんなことを、頭の隅で考える。

 しかしマイクを手に取ったとき、手のひらに感じる冷たさと握りこんだ時に入る指先の力に意識を向けると、もう頭の回転は鈍る一方だった。

「成瀬さんはもう、イメージのまんまです」

 自分の声に穏やかさが含まれているのが分かる。外向きの、やんちゃと愛嬌を使い分けようとするあざとさを自覚する。脳裏には吉田の顔がよぎった。イメージを作り上げるには長い年月がかかるけど、壊れるのは一瞬。

 成瀬はずっと、優等生でい続けた。十代前半から第一線で活躍をしていた。実力と誠実さでファンを増やし、その安定感から事務所や現場の信頼も厚い。中途半端に含みを持たせると、彼のキャラクターイメージを損ねる気がした。

「いつもどんなことにも手を抜かずにストイックに練習されていて、背中で見せてもらったって感じでした。それに、優しいですし、ご飯にも連れて行ってくれて面倒見のいい大好きな先輩です」

 答えた後に感じる、納得の空気感。誰もが求めていたのはこの答えだと、小さく安堵する。言わなくていいこと、言わない方がいいことに蓋をすることは、何も嘘をついているわけじゃない。

 無事に終わった会見のあと、楽屋に戻ると同時に色の失われた成瀬の横顔に、俺は自分もまた疲れから気が抜けていることに気が付いた。会見の間中、彼は気丈に美しく振舞っていた。俺は慣れないカラーコンタクトで疲れた目をこする。

「成瀬さん、SNS用に写真撮りませんか?」

 携帯を片手に声をかける。痩せて背の高い成瀬は俺を少し見下ろし、力のない笑顔を見せた。

 並んで撮った写真を夜になってから確認すると、成瀬の顔色が酷く薄暗く見えて、それは勿論撮影用の照明がない室内の写真だとすれば当然のことであったが、俺は世に出すべきではないと考えて夕食の海鮮丼の写真を載せた。成瀬には、ピンボケしていたと伝え、写真は消去するかどうか何度も親指を彷徨わせながら悩んだ後、そのままにした。どんな姿であったとしても、成瀬の写真を消す気にはならなかった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ