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愛レス  作者: たけピー
6/10

父母を守れ

喧嘩ばかりの両親にうんざりする望夢は、自分はなぜ産まれてきたのか疑問に思う。亜久間はそんな望夢を過去に飛ばし、目の前で両親の仲を邪魔してします。望夢は両親をくっつけようと動くが…。

6 父母を守れ


「そんなもんか望夢‼︎そんな弱腰じゃ、自分を守れねえぞ‼︎」

 夜の街に低い怒鳴り声が響いた。場所は望夢の家から徒歩数十秒で行ける公園。望夢はその中央で四つん這いでうなだれていて、親父がその正面で仁王立ちで叱り飛ばしているという状況だ。

「立て‼︎望夢‼︎」

「っく!」

 望夢は歯を食いしばって立ち上がった。のも束の間、すぐさま親父の体当たりが炸裂し、今度は尻もちをついた。

「油断禁物‼︎甘いぞ‼︎」

 望夢はもう立つ気が湧かなかった。もう1時間くらいこんな特訓をやらされている気分なのだ。実際はまだ15分くらいだが、嫌な時間というのは長く感じるものだ。

「ほら‼︎まだ15分ぽっちしかやってねえぞ‼︎」親父が心を読んだかのように唆した。

 ったく!ほんとムカつく親父だな!

「なんだムカつくのかコラァ‼︎」

 こいつ絶対おれの心読んでるだろ。望夢は考える気もなくして地面にのめり込むように力が抜けていった。

「お前はほんとだらしねーなー!俺が若え頃はよ…」

 はい始まったー!親父の武勇伝。けれどこの話が始まると親父はしばらく攻撃をしてこなくなる。だから望夢はいつもこの話の間は休憩に入っていた。

「俺が若え頃はよ、負け知らずで喧嘩に負けたことがなかった。誰かがいじめられてるのを見れば必ず助けてたし、クラスのガキ大将とタイマン張って勝ったこともある。中でも自慢なのは、不良に絡まれてた母ちゃんを拳一本で救い出したことだ。あれは高校生の頃、今のお前と同じ頃だ。久米沢の駅で、何人もの不良を相手に、俺は拳で挑んで打ち負かしたんだ!母ちゃんったら俺にベタ惚れでよ!傷だらけの俺を優しく慰めてくれたぜ。そしたら俺も惚れちまって!はは!そっから一緒にライブ行ったりして仲良くなって、大学生のときに告白して付き合ったんだ。母ちゃん、顔真っ赤にしてオーケーしてくれたんだ。付き合ってからも色々あったけど、ぶつかっては仲直りの繰り返しの挙句、とうとう結婚して、」

「俺が生まれたっつーわけ、だろ?」望夢が締めくくった。

「そうだ!お前が生まれたのには俺と母ちゃんの長い長い歴史があるってこと、忘れんな!」

 そう言うと親父はベンチに置いていたペットボトルの水をぐびぐびと飲んだ。

 はいはい。もう何度も聞いてるから忘れやしねーよ!望夢は親父の後ろ姿に向かって思いっきり舌を出した。

 そのとき、公園の出入り口から母親が向かってきた。

「二人ともー!またやってんの⁈もうやめてって言ったでしょ!」

 母は望夢の前に立って服の汚れを払った。

「おい!やめろよ!自分で落とせるし!」望夢は顔をしかめた。

 親父も顔をしかめてこう返した。「別にいいじゃねえか。望夢のためだ」

「望夢のためって、これが何か役にたったことある?」母は望夢に顔を向けた。

「いや、ない」と望夢。

「ほらー!時間の無駄でしょ!」

 親父は二人を睨んだ。「なぁに言ってんだ⁈俺が体張って鍛えてやってんのに!」

「痛めつけてるようにしか見えません!」母親はきっぱり言い返した。

「なんだと⁈」

「もういい加減にして!それより、どっちでもいいから、クロの散歩に行ってくれない?」

「え、今から?」望夢は嫌そうに尋ねた。

「今からよ!」

「わかったよ。おい望夢、行ってこい」

「は⁈なんでおれなんだよ⁈親父が行けよ!」

「俺はしょっちゅう行ってる!たまにはお前が連れてけ!」

「やなこった!」

「もう勝手になさい!」母は怒鳴った。「クロのことは二人でどうにかしなさい!私は晩御飯作るから!とにかくここでやり合うのはもうやめなさい!」

「はーいよっ!」

 望夢は抗うことなく従い、家に戻った。正直大助かりだ。親父と無意味に押し相撲するのも過去のくだらない話を聞かされるのももううんざりだった。

 親父と母親はまだ公園で言い合いを続けている。夜の公園で口喧嘩なんて、恥ずかしい親だな。そう思いながら望夢はシャワーに打たれた。

 ……本当に、何で結婚したんだ…?

 頭を洗いながら望夢はつい考えた。シャワーの水が急に冷たくなった。

 あの二人がどうして結婚したのか考えたことは何度もあった。そしてその度に、どうして自分を産んだのかも考えてしまった。自分が手のかかる駄目息子であることは自覚している。あの二人も二人で喧嘩ばかり。今の生活に、いったいどんな幸せがあるのだろうか?

 望夢はお風呂から上がったが、まだ両親の姿はなく、外から口喧嘩が聞こえていた。

 望夢は何もする気が湧かず、ベッドに倒れ込んだ。

 …いつまでもこんな生活が続くのかな?

 望夢は自分が不安に思っているのか、開き直っているのかもわからず、イヤホンで大音量で音楽を流して、目を閉じた。




 知らぬ間に眠りについた望夢は、例のお決まりの夢を見た。どこだかわからないがだだっ広い野原。そこを手を繋いで駆ける望夢と謎の少女。誰だかわからないが、望夢は幸せな気分だ。少女もきっとそうだろう。

 しかしある程度時間が経つと、景色が真っ暗になってしまう。そして恐る恐る振り返ると、少女の顔がはっきりと見えてくるのだ。

 今回、振り向いたその顔は、なんと…

「母ちゃん⁈」

 その顔は間違いなく母親だった。

 そう気づいた瞬間、望夢は光に包まれ、暗闇の底に落ちていった。




「……⁇」

 夕焼けに照らされて、望夢は目を覚ました。

 まずおかしいと思ったのが、自分の部屋のベッドで寝ていたはずなのになぜか屋外のフェンスに背中を預けて寝ていたこと。

「どこだここ?」

 辺りをキョロキョロ見回して、すぐにわかった。自分の高校の前だ。道路と校庭を切り分けるフェンスに望夢はもたれていた。しかも寝巻きだったのに、学校の制服を着ている。

 望夢は立ち上がって学校を凝視した。たしかにそこは自分の通う高校だが、何か違う。なんというか、綺麗だ。壁に黒ずみがほとんどなくまだ建てられて間もないといった感じ。清掃業者でも呼んで綺麗にしてもらったのだろうか?

 というか学校なんてどうでもいい。問題はなぜこんなところにいるのかだ。でも考えるまでもない。どうせまたあの亜久間とかいうドS女がおかしな夢を見せているに違いない。ついこの前も夢の中で女にされて、あいつ扮する木晒なんちゃらとかいうクソ男に…いや思い出したくもない。

「どうせまたお前なんだろ⁈」望夢は声に出して尋ねた。

 すると亜久間が煙のようにヌーッと現れて「ピンポーン!正解」と笑いかけた。

「今度は何企んでんだ?」

「それを言ったら面白くないでしょう?」

「愛の天使とか言って愛を教え込むのはいいけどよ、もっとマシな教え方できねーのか?教科書くれるとかさ」

「できるけど、経験上、そんなぬる〜い教え方しても人は何も学ばないし学ぼうとしないの。学校で教科書をもらって、それで必死に勉強しようと思える?」

「思えないっす、はい」ド正論に望夢は頷くしかなかった。

「よろしい。ってわけで、見なさい」

 亜久間は校内のある場所を指さした。望夢がその先を見ると、そこは校庭の少し盛り上がった場所、通称“高台”だ。数ヶ月前に望夢が自信満々のスピーチを披露して男子らにコケにされたあの場所である。

 そこを取り囲むように男子生徒が集まっていた。さらに高台の頂上には、一人の男子生徒が仁王立ちしている。男子生徒はヒョロくて背もあまり高くない。望夢に体型が似ている。唯一、顔が違う。目が細くて眉毛が太い。

 …なんか、見覚えある光景…。

「なんだあれ?」

「見てなさい。今にわかるから」

 亜久間はニヤリと笑って高台に立つ青年を見つめた。

 青年はスーッと息を吸って胸を張ると、その精一杯の虚勢を保ったまま言い放った。

「みんなよく聞け!おれたちは男だ!女の子を追い求め恋い焦がれる生き物。その道はどんな斜面よりも急でどんなぬかるみよりも進みづらい!でも、おれたちはけして諦めない!その先の栄光を勝ち取るために!

 おれもそうだ!おれもまだ見ぬ栄光を追い求める一人!ずっと一人で異性を追い求めてきた!でもそれも今日までだ!今、共に闘ってくれる同士を求める!一人じゃ弱い。けど、数人で力を合わせれば、きっとみんなで幸せになれる!どうだ⁈おれと一緒に異性を射止めてくれるやつはいないか⁈おれたちは独りじゃない!そうだろ⁈」

 拍手喝采!…とはなるわけもなく、男子らは冷めた目でその青年を見ていた。ポカンとする青年に、男子らは空き缶や丸めた紙などを罵倒しながら投げつけた。

 なんかにたような光景見たことあるぞ?と望夢は思った。

「そうでしょうね」亜久間は望夢の心を呼んでクスクスと笑った。

「で、あれは誰だ?おれとどう関係が?」

「よく見て。わからない?」

 望夢は再びフルボッコにされる青年を凝視した。しかし誰なのかわからない。

 けれども罵倒する男子たちのセリフにヒントがあった。

「おめーと行動してーやつねんているわけねーだろ!」

「巻き添えすんな!しゃしゃりやがって!」

「おれたちはみんな彼女いんだよ!一緒にすんじゃねえ!」

「お前ほんとだっせぇな!雄一!」

 “雄一”と聞いた望夢はもしやと思い、もう一度青年の顔をまじまじと見た。太い眉毛に細く尖った目…⁈

「そう。あなたのお父さん」亜久間が先に心を読んで言った。

「ってことは、ここは過去の久米沢⁈」

「そっ!」

「そんな…」

 望夢は驚きのあまり言葉を失った。まず、親父が今と大違いでヒョロいこと。昔からゴリゴリマッチョだと思っていたが、勘違いだったようだ。それからあの言い様。まさか自分のやっていたことは親譲りだったなんて…。自分のことは散々怒鳴るくせに、親父も変わんないじゃんか!

「今回は、あなたの親と交流してもらうわ」

「“交流”ってなんだよ“交流”って」

 亜久間はニヤリとわらった。「彼を追いかけて」

 亜久間が指差す先には、高台の上でうつ伏せで倒れる青年の姿がある。その周囲にはゴミが散乱している。なんとも無残な姿だ。

「駅まで着いていって。そのときにまた教えるわ」

 望夢がおいと言う前に亜久間は消えてしまった。

「ったく!」

 望夢は悪態をつくと、倒れる青年に目を向けた。青年は自分の荷物をかき集めると、のろのろと立ち上がり、校門に向かって歩き出した。

 何がなんだかわからないが、望夢は校門を出た若き父親、雄一の後を追った。

 声をかけてみようか?迷ったが、かける言葉もないし、未来から来た息子ですなんて言うわけにもいかないし、亜久間は駅まで追えと言っていたから、望夢はひたすら久米沢駅まで雄一の後ろ姿に着いていった。

「今度は何企んでんだ、あの悪魔」

 駅に着き、雄一は切符を買ってホームに下りた。

 望夢はポケットを探ったが、当然お金なんて持っていない。定期もスマホもない。いや、あったとしてもこの時代では使いようがない。と思った瞬間、何も入っていないはずのズボンのポケットの中で何かが手に当たった。引っ張り出して見ると、それは切符だった。表記は“久米沢⇔所沢”となっている。これを使えということか。

 望夢はそれで改札を抜けた。

 雄一はホームの椅子で電車を待った。6つ並ぶ椅子の一番右端に座っている。

 望夢は真反対の左端に座ると、横目で雄一を見据えた。

 雄一は真っ直ぐホームの壁を見つめている。何か考えているのか。大抵の学生はスマホをいじるところだが、雄一はひたすら壁を見つめている。

 このままずっと無言で着いていっていいのか?それで何になる?ただストーカーじゃないか?などと望夢が考えていると…

「やだ!やめてよ!」

 女性の声がホームの階段の向こうから聞こえてきた。望夢と雄一ははっとしてそちらに目をやった。女性の叫びに対する反射速度はどちらもピカイチで、二人ともいい勝負だ。

 しかし動くのは雄一の方が早かった。雄一は間髪を入れずに階段の裏に走った。望夢も後に続こうと立ち上がった。すると…。

「始まりよ」いつの間にか傍らに立っていた亜久間がささやいた。

「うお!脅かすなよ!」望夢は亜久間を睨んだ。

「よく見てなさい。お父さんの活躍ぶりを」

「活躍?」

 望夢は亜久間に引かれて階段の裏で起こっていることを確認した。

 雄一とチャラい格好の男が格闘している。そのそばでは女子高生が見つめている。

「母ちゃん⁈」

 望夢は思わず叫んだ。見ればわかる。それは若き頃の母親だ。歳を重ねても美は保っているが、ティーンエイジャーの姿はまるで80年代のアイドル並みの可愛さを誇っている。けれどもさすがの望夢でもときめきはしなかった。いくら可愛くても母親は母親。本能的に恋愛感情は湧かないのだ。

 雄一は細い体でありながら、必死に抵抗してチャラ男を押し倒した。

「なんだてめえ!」

「おれは本橋雄一!かわいい女性を痛ぶるやつは、けっして許さない‼︎」

 雄一はそう名乗ると、「とおっ!」とジャンプしてチャラ男の顔面に蹴りを入れた。

「親譲りねー」亜久間はそう言いながらちらりと望夢を見た。

「……」望夢は歯ぎしりした。

 なんだこの昭和のヒーローみたいなカッコつけ方は!自分によく似ていることは否定できない。だがいくら女性を助けているとは言え、見ていて超絶ダサい。望夢はようやく自分のダサさを恥じた。

 それはともかく、チャラ男は地面にうつ伏せになり、抵抗しなくなった。雄一の勝ちだ。たしか例のパストストーリーだと、これを機に母と仲良くなって…

「ふふふ。そう簡単にはいかないわよ」

 亜久間がいたずらっぽく笑ってパチっと指を鳴らした。すると、どこからともなく柄の悪い男が何人も現れ、雄一を取り囲んだ。どの男も“黒船番長”とか“喧嘩上等”と書かれた服を着ていたり、リーゼントだったりで“ザ・昔の不良”の出で立ちだ。

「おい!どういうつもりだ⁈」望夢は唖然とした。

「そう簡単に二人をくっつけはしないわ」

 雄一は男たちを一人ひとり睨むと、「上等だぜ!ぶっ壊れたいやつからかかってきな!」と挑発した。

 まさか!この人数を一人で相手に⁈…思い起こせば、親父は昔から力自慢で喧嘩では負け知らずだと話していた。もしや、本当は強いが、生徒たちには負けた振りをしてあえて手を振るわなかったのか?ここでついに親父の本領発揮か⁈…いけぇ!やれぇ!おやじー!望夢は心の中で全力で応援した。

 ボコッ‼︎

 凄まじいパンチがクリーンヒット!したのは不良にではなく雄一にだった。雄一は「うっ!」とうめいて地面にうずくまった。そして攻撃する間もなく、寄ってたかって痛めつけられてしまった。

 弱い…。いつも自慢げに話してたのは何だったんだ⁈嘘だったのか⁈あのゴリラ、盛りやがって!望夢は歯痒い気持ちで痛めるけられる雄一を見つめていた。

「見てるだけでいいの?」亜久間が問いた。「お父さん、やられちゃうわよ?」

「あ、そっか!」望夢は親父に対する呆れを押しやり、乱闘の中に突入した。

「そいつに手出すんじゃねえー‼︎」

 案の定、望夢もフルボッコにされた。

 望夢は息絶え絶えな状態で、せめて母ちゃんは逃さなきゃと思い、“早く逃げて‼︎”と叫ぼうとしたが、いつの間にか女子高生はいなくなっていた。すでに逃げていたようだ。

 不幸中の幸いと言おうか、不良たちはすぐに飽きてホームから姿を消した。散々痛めつけられた望夢と雄一がホームの真ん中に取り残された。

 二人とも重症ではなく、すぐに立ち上がることができた。

「大丈夫?」望夢は尋ねた。

「はい。助太刀してくれてありがとうございました」

「当然だろ」

 雄一はキョロキョロを周りを見た。「あの子は?」

「いなくなってた。逃げたみたい」

「そっか…」

 悔しそうにうつむく雄一。望夢はその心境を察した。

「告るつもりだった?」

「え?」

「助けたらお礼に付き合ってくれって言うつもりだったんだろ?」

「そ、そうですけど…なんでわかったんですか?」

「長年の勘だ」そう答える望夢には心当たりがあった。

「へー!経験豊富なんですね!」

「いや、そうじゃないけど…。あ、でもある意味豊富かな」亜久間のお陰でな!

「ある意味?」

「話すと長くなる。それより、告らなくて正解だったぞ?即行フラれて終わってた」

「ですよね…」雄一はまたうつむいた。

 望夢はやれやれと首を振った。「あの子にはまた会える!だから諦めるな!」

「なんでわかるんですか?」

「それは……勘だよ勘!君とあの子は運命の糸で繋がってるんだ!」

「⁇」雄一はポカンとした。「そっか…。運命の人か。本当にそんな人がいればなー」

「いるさ!おれが証人だ!」望夢がグーポーズした。

「証人って…お名前は?」

「おれはもと…望夢!」望夢は危うく名字を言いそうになって呑み込んだ。

「のぞむ?同じ高校か!」雄一は望夢の胸に付いている校章を見て察した。「名字は?」

「え、えっと…芽傍!」瞬時に口から出たのがそれだった。まさか、あいつの名字をつかっちまうなんて。

「めそば⁈珍しい名前ですね!学年は?」

「3年」

「あ、1個上でしたか!通りで記憶にあるようなないような気がしたんだ!」

「おれは結構記憶にあるけどな」会ったどころか一緒に住んでるぞ!

 電車がホームに入ってきた。

「そうですか。とりあえず今日はありがとうございました。また会えるといいですね」

「うん、きっと会える」絶対会う。

 電車の扉が開いた。

「じゃ、さようなら」雄一は手を振って電車に乗ろうとした。

「おう。またな!…って、あー‼︎」望夢は突然叫んだ。

 雄一はびっくりして電車とホームの隙間でつまずいた。

「どうしました⁈」

「帰る場所がない…!」

「え?なに?家ないんですか?」

「あるけど、今はない!」

 雄一は首を傾げた。「ん⁇つまり、家出したんですか?」

「いやそうじゃなくて…。むしろ連れ去られたというか…」

「え⁈誘拐されたんですか⁈」

「いや、違う…いや、そう…いや、違くて…いやそうだな」無理矢理送り込まれたという意味では誘拐と同じか。

「まずいですよ!警察には言いました⁈」

「言ってないし、言ったところでなんだよな」

「え…」

「話してもどうせ理解できねーよ!」

「そうですか…。で、どうするんですか?」

「どうしよう…」

 困り果てる望夢、それを見つめる雄一。

 雄一が乗ろうとしていた電車の扉が閉まり、ゆっくりと発進した。電車は徐々に加速していき、とうとうホームから抜けた。

 過ぎ去った電車を見つめる望夢の目の先に、亜久間がヌッと現れた。そして指をパチンと鳴らすと、すぐに姿を消した。

「じゃあ、家に来てください」突如、雄一が提案した。

「え⁇」

「一晩留めるくらいなら、親も何も言いませんから」

「お、そうか。じゃあお邪魔するわ」望夢はこれも亜久間の手引きなんだと察し、従うことにした。

 雄一は微笑んだ。「じゃあ、次の電車に乗りましょう」




 望夢が連れて来られたのは、望夢の地元、尾長駅から数駅離れた所沢だった。ここには来たことがあった。なんせ、祖父と祖母の実家があるのだから。

「ただいまー」

 『本橋』と表札のついた家の玄関を雄一は開けた。

「おかえり」奥からした女性の声はきっと雄一の母、つまり望夢の祖母に違いない。

 望夢はまじまじと玄関を見回した。よく見慣れた祖父母の実家だが、懐かしさはありつつも古さを感じない。家が生き生きとしているとでも言おうか。不思議な気分だ。

 奥からはトントンと包丁を叩く音が聞こえ、美味しそうな匂いが玄関まで漂っている。晩御飯の支度中のようだ。実家の安心感とはこのことか。

 今見ている光景も夢なのだろうが、望夢は食欲がそそられた。以前、女にされたときも普通に空腹感はあったし飲み食いもしていた。亜久間の見せる夢は現実と区別しにくい。

「母ちゃん!今日友達泊めるけどいいよね⁈」雄一は奥に向かって叫んだ。

「別にいいけど、そういうときはあらかじめ教えてよね?そしたらもっと掃除したのに」

「全然大丈夫です!」望夢も叫んだ。

 すると奥からエプロンを付けた女性が出てきた。

「いらっしゃい。雄一の母の花子です。汚い家でごめんなさいね。家に来るのは初めてよね?」

「あ、はい」厳密には何度も来ている。

「あ、でも見たことある気がする!お会いしたことあったっけ?」祖母は首を傾げた。

「いや!初めてですね!」望夢は笑って誤魔化した。

「あら。待っててね。もうすぐご飯ができるから」

「いや、食事は自分でどうにかするんで」

 と言ったものの、今一銭も持っていない望夢には自分の腹を満たす手段はなかった。

「まあそんな必要ないわ。ゆっくりしていって!」

「そんじゃ、お世話になります!ありがとうございます!」望夢は知り合いのお母さんにお礼を言う感じで祖母に感謝を述べた。

「どうぞ上がって。ゆっくりしてて。もうすぐ晩御飯できるから。雄一、お茶出してあげて」

「うん!じゃあこっちへ」

 雄一は靴を脱いで案内した。望夢も靴を脱ごうした。

「ゆーいちーーー‼︎てめえーーー‼︎」

 突然、怒鳴り声を発しながら大柄な男が飛び出してきたと思いきや、雄一の頬を思いっきり殴った。雄一はすっ飛んで廊下の壁に背中を強打した。

 望夢はすぐにその人物が誰なのかわかっt。だいぶ若いが何度も見てきた顔。親父からも昔は厳しかったと聞いている。これぞ雄一の父親、こと望夢の祖父である剛だ。

 親父は体型から顔までアントニオ猪木によく似ているが、彼もまたそっくりだ。親父を2代目猪木とするなら、祖父は1代目猪木だ。ちなみに当然、望夢は3代目を継ぐ気はない。

「ゆーいちー‼︎てめえ、さっきな!同じクラスの桜木ゆうこちゃんとかいう子の親から電話があったぞ!その子のスカートのぞいたり髪の毛引っ張りしてるってよ!ふざんけんのもいい加減にしろよ‼︎親の顔に泥塗りやがって‼︎」

「ちょっと‼︎」祖母が制した。「お客さんの前でそういうことはやめてちょうだい‼︎」

「ん⁈おっ!これは失礼しました!」剛は打って変わって恭しい態度で頭を下げ、望夢に挨拶した。

「あ、どうも…」優しい祖父を見慣れている望夢は動揺してしまった。

「雄一、この事は後で話す!とりあえずお客さんをもてなしてやれ!」

「はい!」雄一は軍人のように言い返事すると、速やかにコップを用意してお茶を注いだ。

 望夢は学校で異性にちょっかいを出す雄一を想像して自分と照らし合わせた。親父も若い頃は祖父に殴られていたなんて。自分はもっぱら母親似だと思ってたけど、偉い父親譲りを受けてたもんだな。望夢は密かに恥じらいを感じた。




「いただきます!」

 味噌汁や揚げ物、焼き魚を並べたテーブルを囲んで、本橋一家と望夢は夕食についた。ありきたりなメニューだが、色々あったのもあって望夢には贅沢なご馳走に思えた。

「望夢くんは、どちらにお住まい?」祖母、花子が尋ねた。

「尾長です」

「尾長か。あそこは自然が多くていい場所だな」祖父、剛が頷きながら言った。

「今日はどうして家に?」花子はまた尋ねた。

「えっとー、それは…」答えられるはずがない。

「あら、よろしくないこと聞いちゃってごめんなさい」と花子。

「いえ!とんでもないです!こっちこそ、いきなり来てすみません!」

「はっはっは!」剛が笑った。「色々あるよなーこのくらいの歳だと!俺も若え頃はしょっちゅう親と喧嘩して友達んちに寝泊まりしてたぜ!」

「あなたも若い頃はおてんばだったものね!」花子が笑った。

「お前もだろ!だって大学のときなんか男と…」

「こら!それ言わない約束でしょ!」

 本橋夫妻はケラケラと笑った。

 なんて仲の良い夫婦だろう。自分の両親も見習ってほしいと望夢は思った。

「ご馳走さま!」ここで雄一が一番に食器を下げた。そしてリビングを出て階段を上がった。

「雄一さんはどうなんですか?さっきはクラスの女子にちょっかい出してたとか」望夢は本人がいなくなったのを機に聞いてみた。

「ほーんと手のかかる子よ。ま、男の子なんてこの歳ならみんなそうだろうけど。ついこないだだって、他校の男子とタイマンはったみたいで、傷だらけで帰ってきたのよ」

「へー。やっぱり喧嘩は苦手なんですね」

「よえーよえー!」剛がお酒をごくごくと飲んで言った。「自分が弱いの自覚してて、わざと強いやつに喧嘩売ってんだよ」

「あんたもそうだったもんね」花子がチキンカツをかじりながら言った。

 怒って言い返すかと思いきや、剛はうーんとゆっくり頷いた。「そうだな。俺もそうだった。強い男とタイマンはってぶっ倒したら、アホみたいに女の子が寄ってくるからな!あっはっはっはっは!」

「まったく」花子は呆れてトンカツにソースをたっぷりかけた。

「あいつも見栄張ってんだよ。女目当てにな。まだ女抱いたこともねえガキンチョだからな!」

「でもねー!」母がこれ以上はよしなさいと咎めるように遮った。「たしかに喧嘩は弱いかもしれないけど、良いとこはあるんだよ。雄一はね、自分の大事な物をちゃんと大事にできる子なんだよ」

「大事な物?」

「うん!例えば、あれ」

 花子はタンスの上に置いてある野球ボールを指差した。

「雄一がお父さんと野球やってて、初めてホームラン打ったときのボールだよ。もう10年くらい前のなんだけど、ずーっと大事に取っといてるの。たまに埃も拭いてるし」

「へー!」と望夢は驚いたそぶりをしたものの、そのボールのことは知っていた。今でも親父の部屋に大事に保管されている。

「他にも、小さい頃に買ってあげた特撮のフィギュアとか、私が縫ってあげたマフラーとか。思い出になってる物は今でもちゃんと全部持ってるの。大事なものをいつまでも大事にできる。それが、雄一の長所よ」

 一通り話し切った花子は味噌汁をすすった。

 望夢は噛むことも忘れて感慨にふけっていた。




 夕食を終えた望夢は、階段を上がって雄一を探した。一つだけ扉の閉まった部屋があり、望夢は試しに開けてみた。すると…

 雄一がいた。「うをお、お!」

 雄一は見ていた雑誌らしき物を慌ててしまった。

 望夢は一瞬その表紙を見たが、下着姿の女性が写っていたので、察した。自分もあんなの持ってたなー。全部処分したけど。親父にもやっぱりそんな時期があったんだな。

 部屋の壁には野球チームのポスターや、特撮のフィギュアがいくつか飾ってある。雄一の部屋で間違いない。

「失礼する」望夢は一言告げて中に入った。

「はい」雄一は顔を向けた。

「今日はどこで寝ればいいかな?」

「ああ。おれの部屋でいいですよ。布団もう1枚あるので」雄一は低いトーンで答えた。

「そうか。悪いな」

「いいえ」

 望夢は妙に大人しい雄一に首を傾げた。「…?どうかしたか?なんか元気がないみたいだけど…おれのせい?」

「全然!」雄一は上半身を起こした。「ごめんなさい。そうじゃないんです。ただ、気になってて。あの子が無事かどうか」

「あの子って、今日助けた子か?大丈夫だ。無事に逃げただろうから、無傷だよ」

 これまでの経験上、亜久間はどんなむごい試練を課しても、無闇に人を傷つけるようなことはない。あいつが傷を負わせるのは自分と芽傍ゆうだけだ。

「だといいけど…」雄一はうつむいた。

 望夢はその様子から察した。「会いたいのか?」

「え?」

「会いたいんだろ?あの子に」

「べ、別にそんなわけじゃ…。ただ、おれ弱いから。ちゃんと守れなくて…」

 もしかすると食卓での話を聞かれたのかもしれない。望夢は申し訳ない気持ちになった。

 望夢は雄一の肩にポンと手を置いた。「だったら、また会って確かめなきゃな!」

「え⁈会うって、どうやって会うんですか⁈」

「久米沢は乗り換え口だ!あの子もきっと乗り換えで駅にいたんだと思う。だとしたら、また会えるはずだ!」

「なるほど!じゃあ、また会えたら、声かけてみます!」

「おう!頑張れ!じゃあ、今日あの子が駅にいたのが4時半くらいだったから、明日4時20分に久米沢駅集合な!」

「え?集合って、望夢さんもですか?」

「当たり前だろ!」

「えー!」雄一は照れ臭そうに声を上げた。「いいですよー!自分の問題なので!」

「いや!雄一の問題はおれの問題でもある!最後までサポートするぜ!」

 望夢はニンマリとした。今回この世界に送られてきた理由、それは両親をくっつけるために違いない。それが済めば、きっとこの夢から覚める。元の世界に戻れるはずだ。

「なんかわかんないけど、ありがとうございます!」

 望夢と雄一は握手した。

「じゃ、明日から勝負だ!」




 次の日。

 雄一は制服を着て学校の鞄のファスナーを閉じた。

「よし!じゃあ、行ってきます!」

「行ってらっしゃい」花子がキッチンで返事した。

「行ってら」と望夢も雄一の部屋から返事した。

「ん?望夢さんは、学校行かないんですか?そういえば、会ったとき鞄持ってなかったですよね?」と雄一が首を捻った。

 おっと…。そういえば、同じ学校の3年生って言っちゃったんだ。

「おれはー、いつもギリギリだから先出てていいぞ!鞄は学校に置いてある!」

「そうですか。大胆な置き勉ですねー。ではお先に」

 雄一はまた「行ってきまーす」と言って玄関を出た。

 ……。さて、どうしよう?何もすることはないし行く場所もない。かと言って、この家にいるわけにもいかない。

「心配しないで」

 突然後ろから声がして、望夢はびくっとした。もちろん声の主は亜久間だ。

「見てなさい?」

 亜久間はパチンと指を鳴らした。すると見る見るうちに視界がボヤけ、気がつけば望夢は久米沢の駅に立っていた。不思議で仕方なくて、きょろきょろ辺りを見回すと、たまたま時計が目に入った。4時20分。約束の時間だ。

「えっ⁈ワープした⁈」

「そう。場所も時間もね」

「そんなことできたのか!」

「ここは私の命令で作り上げた空間だから。自由自在よ。無駄は省略」

「だったら女にしたときも使ってくれりゃよかったのに」

「女の気分を噛み締めてほしかったからあえて使わなかったの。じゃ、うまくお父さんをサポートしてあげてね!」

 亜久間はスーッと消えた。

 望夢は、無駄な時間を省いてくれてありがたかったが、素直に感謝できない複雑な気持ちだった。

「望夢さん!」

 ちょうど雄一がホームに下りてきた。

「おう!」

「本当に来ますかね?」

「来る!昨日彼女がいた場所で待ってよう」

「はい!」

 と、二人は昨日男たちとやり合った階段の裏に向かった。すると、彼女はすでにいた。

「あっ…」と雄一は声をもらし、固まった。

「ほら!しっかりしろよ!」望夢は背中を押した。

「でも……忘れられてたらどうしよう⁈」

「昨日のことだから忘れてるわけねーだろ!」

「じゃあ、もし嫌われてたらどうしよう⁈」

「なわけねーだろ!まずは好かれる努力をしろよ!」

 望夢は雄一の背中をボン!と叩いて前に突き出した。雄一はつんのめって2、3歩、その子に近づいた。

 その子が雄一に気づく。雄一は硬直した。

「「……あの!」」

 同時に声をかける2人。

「あ、ごめんなさい!お先にどうぞ!」その子は申し訳なさそうに言った。

「いえ!こっちこそごめんなさい!」雄一も譲った。

「あ、はい!じゃあ私から!昨日はありがとうございました!よかったら、受け取ってください!」

 そう言って差し出してきたのは小洒落た箱だ。和菓子でも入っているんだろう。

「え!いいんですか⁈というかどうして準備してたんですか⁈」

「久米沢高校の校章がついてたので、ここでまた会えると思いまして」

「え⁈…えへ…えへへへへへ!」雄一は照れを隠し切れなかった。

 いいぞいいぞ!この調子でいけ!望夢がそう思っていると…。

「あなたも!どうぞ!」

「え⁇」

 その子は望夢にもお菓子の箱を差し出した。

「い、いや…ありがとう」望夢は断ろうとしたが、なんとなく悪い気がして受け取った。

「あの、ぼく、高校2年生の本橋雄一っていいます!あなたは?」雄一が思い切って自己紹介した。

 ナイス!望夢は心の中でグーポーズした。

「あ!忘れてました!1年生の水谷玲子です!」

 玲子。やはり、間違いなく望夢の母親だ。

“あなたは?”と言うように玲子は望夢に顔を向けた。

「あ、自分、3年生のもと…芽傍望夢です!」望夢はまた芽傍の苗字を名乗った。

 にしても、両親がいて自分が一番年上か。変な気分だ。

「めそばさん?珍しい名前ですね!」

 望夢は「ですよねー」と笑ってごまかした。

「水谷さん!ありがとうございます!」雄一は頭を下げた。

「いいえ!こちらこそ!」玲子もまたお辞儀した。

「また…お会いできるといいですね!」雄一は恥ずかしそうに目を逸らして言った。

「…そうですね!」玲子は笑顔で雄一を見て言った。

 おい!終わらせるな!望夢は二人の間に割って入った。

「水谷さんは電車、どっちですか⁈」

「私は1番線です」

 きた!雄一と同じ方面!

「おれたちもそうなんですよ!もしよければ、帰りの乗り換えまで一緒してもいいですか?なあ雄一⁈」

「あ、はい!ぜひ一緒に!」

「あ、はい!いいですよ!」玲子は気前良く頷いた。

 やや大胆ではあるが、これで一緒にいる時間を稼げた。二人は玲子と一緒に電車に乗り込んだ。

「どうするんですか⁈」乗り込むや否や、雄一は玲子に聞こえないように悲鳴を上げた。

「どうにかする!」望夢も必死で考えた。

 ふと玲子の鞄を見ると、有名歌手の織家れいのキーホルダーがぶら下がっていた。そういえば、母ちゃんは昔から織家れいが好きだと言っていた。

 これだ!望夢はひらめいた。

「織家れいが好きなんですね!」

「あ、はい!この前テレビで観たときから夢中です!」玲子は鞄のキーホルダーをチラ見しながら答えた。

「へー!ライブとか行くの?」望夢は尋ねた。

「まだ行ったことないんです。明後日のライブ、チケット取ろうとしたけど取れませんでした」

「売り切れてたの?」

「いえ。電話での受け付けが定員でした。取るとしたら、当日券しかないです。でも、前日の夜から並ぶ人がいて、当日並んでも売り切れちゃうみたいでして。私、さすがに前日からは並べないので、もう諦めてます」

「な、る、ほ、ど」望夢は気づいた。そういえば、この時代にネット購入なんて便利なものは無いんだ。

 ここで望夢はあることをひらめいた。「実はおれたちもそのライブ、行く予定なんだ!」

「え⁈」雄一は仰天して大声を出した。

「当日券買うから、水谷さんの分も買っておくよ!」

 玲子は目をまん丸くした。「え⁈そうなんですか⁈いえ!気持ちは嬉しいですけど申し訳ないので、大丈夫です!」

「いや、大勢の方が楽しいし、どうせ並ぶなら同じだから、こっちで用意しておくよ!」

「そんな…。本当に良いんですか?」

「いいって!な?雄一?」望夢は雄一の肘を自分の肘で突いた。

「おう、もちろん!」

 玲子は二人の顔を交互に見た。「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて。お金はちゃんと用意しておきます」

 玲子は深々とお辞儀をした。

「じゃあ、電話番号聞いてもいいかな?連絡するからさ!」望夢は提案した。

「そうですね!」

 玲子は紙に自宅の電話番号を書いてくれた。この時代、まだ1人1個ケータイは持っていない。

「クラスメイトってことにしといてもらえますか?親に怒られちゃうので」玲子は笑って言った。

「おっけー!」

 雄一は神妙な目つきで望夢を見ていた。

『次は、新秋津、新秋津』

 車内アナウンスが鳴り、電車が止まると、二人は玲子に別れを告げて電車を降りた。姿が見えなくなるまで、お互いに手を振り続けた。

「こんなことしちゃってよかったんですか⁈織家れいのライブ行ったことないし、どこでやるのかいつ開場かもわからないし!」雄一は不満をぶつけた。

「そんなのググれば調べればいいだろ」

「ググる?」

「うん。ネットで……って違う。そっか。…雑誌とかなんかに載ってんだろ?ライブ情報誌みたいなの」

「あー、そうですね。にしても、独断はちょっと…」

「ごめんごめん。でも、これもお前の未来のためだ。はいよ!」望夢は雄一に玲子の連絡先を差し出した。「持っておけ」

「え⁈おれが⁈」

「当然だろ!お前が彼女に連絡するんだ!」望夢はさらに紙切れを突き出した。

「そっか!色々と、ありがとうございます!」

 雄一はそれをポケットにしまった。

 二人は乗り換えのホームを目指して歩き出した。

「望夢さん、異性誘うの上手いですね!やっぱり経験者ですか?」

「え⁇いや、まったくないぞ!」言われてみれば母ちゃんを必死で誘ってたな、おれ。

「じゃあ、本読んだり人の話聞いて勉強してるとか?」

「勉強…まあな。結構みっちり勉強させられてるかな」望夢の頭に亜久間の顔が浮かんだ。

「そうなんですね…」

 雄一はそれ以上は聞くのをやめて、話題を変えた。

「ところで、今日はどこに泊まるんですか?」

「ん?あー、そうだな。……家に帰って、親に頭下げるよ」望夢はてへっと笑った。

 内心、わざわざ雄一の家に寝泊まりしなくても、亜久間に時間を進めてもらえばいいじゃないかと思っていた。

「わかりました。入れてもらえるといいですね」

「おう。両親によろしく伝えてくれ。昨夜はありがとうございましたって」

「わかりました!じゃあ、明後日のライブで!あ、電話番号教えてくれません?」

「あ、ごめん、うちは電話禁止で」この時代にテレフォンナンバーを持ち合わせていない望夢はしれっと嘘をついた。

「そうなんですか?どうしましょう?」

「明日の夜、23時、家に行くよ。一緒に会場向かうぞ!」

「了解です!よろしくお願いします!」

 雄一は会釈して乗り換えの電車に乗った。

 さあ亜久間、時間を進めてくれ。望夢は目をつぶり、心の中でそう呟いた。




 亜久間は姿を見せなかったが、望夢の願い通り、目を開けると雄一宅の前にいた。空はすっかり暗い。

 こんな時間にインターホンを鳴らしていいものか望夢が悩んでいると、雄一が玄関を開けた。

「こんばんは!」

「おう!」

 雄一はリュックサックを背負って準備万端だ。

「望夢さん、手ぶらですか?」手荷物無しの望夢を見て雄一は驚いた。

「あ、ああ。荷物多いのは嫌いで」

「寝袋も飲み物もないんですか?一晩並ぶならそういうの必要ですよね?」

 そっか!一夜漬けで並んだことなんてないし、そもそも丸腰で送り込まれたから全然用意していなかった!ただ千円札が数枚あるから、少しくらいなら使っても大丈夫だろう。

「後で買うよ」

「そうですか。ライブのことは調べましたよ。コンサートホールはブリッジというライブハウスで、開場は6時だそうです。当日券の販売は10時から!」

「10時か。こんなに早く集まる必要なかったかな?」

「いえ。水谷さんが言ってた通り、当日券を買うための行列が夜からできるみたいです。なので今から行って並んでおくのが無難でしょう」

「なら早いとこ行こう!」

 二人は渋谷を目指し、池袋行きの電車に乗り込んだ。

 望夢は改札を通る前に、ポケットを探って電車の切符が入っているのを確認した。行先は渋谷となっている。それと、千円札が数枚入っている。なるほど、これでチケットを買えというわけか。電車の切符やお金をくれるならライブのチケットも欲しいところだが、亜久間がダメと言うのはわかっている。並ばずにチケットを手にしたならば、自分も雄一も玲子のために何の努力もしないことになる。

「彼女に電話はしたか?」電車に揺られながら、望夢は期待の眼差しで尋ねた。

「いえ。してないです」

「おいー!ライブ前日くらい連絡入れろよ!」

「だって、話すこともないですし」

「明日よろしくね、とかで良いだろ!あと、ライブの詳細をお互い確認したり、気をつけて来てねって伝えてたり」

「なるほど。そっかー。ただでさえ話すの苦手なので…」

 望夢はやれやれと首を振った。

 池袋で電車を乗り換えて数分、二人は渋谷に到着した。

「行くぞ!」望夢は雄一の先に立って歩いた。

 時代が古くても渋谷駅の人の多さは変わらない。リーゼントやモヒカンなどいかつい髪型のヤンキーや、酔ったサラリーマン、キャッチ、派手なメイクの若い女性などと絶え間なくすれ違った。

 会場の前に着くと、すでに20人ほどの列ができていた。みんな毛布や寝袋を携えている。

「ここですね」雄一は並ぶ人たちを見て唖然として言った。

「情報通り、凄い人気だな。でも今から並べば確実に買える」

 二人は列の最後尾に座った。これで一安心だ。

「望夢さん、眠くないですか?」雄一が気を遣って尋ねた。

「ちょっとな。雄一も眠かったら寝ていいぜ?」望夢も気を遣った。

「いえ!先に寝るなんて申し訳ないので!」さらに気を遣う雄一。

「おい、余計な気遣うなよ?」望夢は笑った。

「いえ、元はと言えばおれのために着てくれてるので、やすやすと眠るわけにはいきませんよ」

「ライブに誘ったのは独断だからおれこそ付き合わせちゃってすまない」

「いえ!おれ、自分からは誘えないですし、女の子と出かけるのも初めてなので嬉しいです!感謝してます!」

「よせよ。チケット取って彼女と連絡してから言え」

「そうですね…すみません」

 望夢はまた笑った。いつもは叱られてばっかりだから、いざ自分が指導する側になるのは面白い。それでも雄一が自分を気遣ってくれていることはよく伝わってくる。親父も偉そうだけど良くできた人じゃないか。

 望夢は大きなあくびをした。

「じゃ、おれは寝るぞ。おやすみ」

「おやすみなさい」

 まもなくして、二人は睡眠に入った。




 時が進んで数時間後。

「起きてください!」

 望夢は雄一に起こされた。

「販売、始まりました!」

 望夢は目をパチパチしながら列を見ると、販売員が先頭の人にチケットを渡していた。次から次へとチケットは渡され、列が進む。

「もう10時?」

「いえ、9時過ぎです!列が長いためか早まりました!」

「おっけい!」

 望夢は立ち上がって荷物を持った。

 あっという間に列は進み…。

「2枚下さい!」

 二人は無事にチケットを購入できた。

 それから飛ぶようにチケットは売れ、列がまだ数十人残っている状態で完売になった。

「やったな!」

「お疲れ様です!」

 二人はハイタッチした。

「じゃあ、水谷さんに連絡して伝えよう」

「そうですね!あそこに公衆電話があります!」雄一は指差した。

 公衆電話か。そういえば最近見なくなったな。

 二人で電話ボックスに入ると、雄一は受話器を持ち、もらった番号を入力した。望夢も受話器に耳をくっつけた。

 渋谷のど真ん中の電話ボックス内で1つの受話器に耳を押し付ける男2人。それを見た行き通う人々は、二人を“そういう関係”だと勘違いした。

 プルルルル…プルルルル…

 ドキドキ…ドキドキ…

 呼び出し音と鼓動がリズムを刻むように共鳴する。

『はい、水谷です』電話先の声は玲子ではなく、男性だった。おそらくお父さんだ。

「あ…す、すみません、水谷玲子様のお知り合いの本橋雄一と申しまするでございます。お忙しいところ大変失礼致しますことをお詫び申しあげます。玲子様はただいま御在宅でありますでしょうございますか?」

 おいおい、緊張し過ぎて敬語がおかしくなってるぞ!望夢は呆れた。

『……。ちょっと待ちなさい』男性はそう告げると受話器から無音が漂った。

 雄一はもちろん、望夢もそろってハラハラした。なんて気まずいんだ。今じゃメールやSNSで好きな子に連絡入れるのなんて簡単にできるし、親に秘密で異性の友達を作ることも可能だ。しかしそれができなかった時代は、親が出るというリスクを背負って家に電話しなければならなかったのか。異性にアプローチするのも大変だったんだな。

『はい、玲子です』

 雄一はですーっと息を吸い込んだ。「雄一です!今日のライブのチケット、無事に買えました!」

『ありがとうございます!何時頃会場行けばいいですか?』

「えっと、ライブが19時からだから…」

 と答えようとする雄一を、望夢は肘で小突いた。そして受話器を当ててない方の耳に小声で、「ライブ前に一緒に食事に誘え」と伝えた。

 雄一はうんと頷いた。

「もしよければ、少し早めに来て、一緒に食事でもしませんか?」

『お食事、ですか?ちょっと待っててもらえます?』

「あ、はい」

 受話器の向こうからボソボソと話しているのが聞こえた。詳しくは聞き取れないが、お父さんに許可をもらっているのだろう。雄一も望夢もドキドキしながら待っていた。

 ……。

『お待たせしました!いいですよ!」

「本当に⁈ありがとうございます!」

 雄一はガッツポーズし、望夢は雄一に親指を立てた。

『じゃあ、16時くらいに会場で合流しませんか?』玲子は提案した。

「16時ですね⁈わかりました!待ってます!」

『よろしくお願いします!失礼します』

「失礼します!」

 雄一はゆっくりと受話器を置いた。

「やったな!」望夢は手をかざした。

「はい!助かりました!」雄一はその手に応えてハイタッチした。

「そうと決まれば、準備に入るぞ!」望夢は気合を入れた。

「準備?」

「ああ。一晩中外で並んでたんだから、そのまま彼女に会うわけには行かないだろ?」

「あーそうですね!」

 そこで二人は近くにあったホテルに入った。目的はシャワーを浴びるためだ。お互い安く済ませたいということで、部屋はツインにした。

 誰かと2人でホテルに入るのは初めてだが、なんで初めての相手が親父なんだ、と望夢は密かに思っていた。

 二人きりでホテルなんて初めてなのに、なんで会って間もない歳上の男と一緒なんだろ、と雄一も密かに思っていた。




 その後、昼食を取り、身だしなみを整えて準備を終えた二人は、待ち合わせ付近にやってきた。

「いいか?おれは用事で遅れることにして、玲子と二人で食事をしろ」

「え⁈まじですか⁈」

「まじだ!お前のための時間なんだから!おれは少し離れたとこで見てる!」

「はぁ…」

「上手くやれよ!」

 望夢はグーサインを出すと、雄一から離れ、買っておいた帽子とサングラスで変装した。

 雄一は待ち合わせ場所に立った。ゲームウォッチで時間を確認すると、4時52分となっている。

 水谷さんはもう着いているだろうか?キョロキョロと当りを見回した。“会場”だけではなく、会場のどこに集合するか決めていればよかった。

 歩いて探そう!いや、じっとしていた方がいいのか⁈そもそもまだ会場にいるとも限らない!そしたら、駅まで行って改札前で待ってるようか⁈いや、駅に向かう途中ですれ違ったらどうしよう⁈…どうしよう‼︎ひゃーーー‼︎

「本橋さん?」

「ひゃっ‼︎」

 雄一はびっくりして振り向くと、水谷玲子が心配そうに見つめていた。

「は!は!はい!待たせてすみません!」雄一は深々と頭を下げた。

「いいえ!私今着いたので!遅くなってすみません!」玲子も頭を下げた。

 雄一は首を振った。「大丈夫です!おれも今着いたので!」

「え?朝からいたんじゃないんですか?」

「あ、うん!いたよ!でもちょっと望夢さんとホテル行ってて!」

「望夢さんとホテル⁈」

「あ!そんなんじゃなくて!二人とも疲れてたから一休みしたくて!」

「ああ…そうですか…」玲子はおずおずと頷いた。「そういえば、望夢さんはまだですか?」

「あー、彼はまだホテルです」

「え?じゃあ2人でお食事ですか?」

「そうなんです…」

 雄一も玲子も、それぞれ不安そうな顔をした。

「…望夢さん、待ちません?まだ時間ありますし。私、てっきり3人でのお食事かと思ってて…」

 このとき、望夢は雄一の前方からひょっこり顔を出して合図を送った。雄一はそれを読み取ってくれた。

「…あー、そういえば!望夢さん別の用事があるから食事は一緒にできないって言ってました!ライブまでには戻るみたいですが」

 雄一のとっさのアドリブを望夢はグーポーズで褒めた。

「そうなんですか?残念です…」玲子は表情を曇らせた。

「仕方ないですが、2人で行きましょう!」雄一は促した。

「はい」と玲子はぎこちなく頷いた。

 雄一と玲子はとある喫茶店に入った。二人のすぐ後に望夢も入店し、バレない位置に座った。

「先に選んでいいですよ?」雄一は玲子にメニューを渡した。

「ありがとうございます」玲子はメニューを取って見た。

 おいおい、ここは二人で一緒にメニューを覗き込めよ。んでどれがいいー?これ美味しそうだねー!とかいう話で盛り上がるとこだろ。

 望夢はテーブルにあったアンケート用の紙とペンを取った。

 雄一は自分の正面、玲子の後方で何かをアピールする望夢に気づいた。字を書いた紙を掲げている。なになに?『二人でメニューを見ろ』

 雄一は頷いて玲子が眺めるメニューに目を向けた。

「ここのメニュー、どれも美味しそうで迷いますよね!」

「私ここ初めてなんですよ。たしかに美味しそうですね!遅くてすみません」

「あー、おれも初めてです!全然!ゆっくり選んでください!」

 なんだこれ。注文を急かしてるみたいになったぞ。

 結局大したアクションもなく、玲子はベーグル、雄一はサンドイッチを注文した。

 望夢はさらに紙にこう書きあげた。『織家れいの話をしろ』

 雄一はテーブルの下でオッケーサインを出して応えた。

「水谷さんは織家れいのどの曲が好きなんですか?」

「一番好きなのは、やっぱり『Bright』です!雄一さんは?」

「おれ⁈えっと…」雄一は口籠った。明らかに楽曲を把握していない。

 バカー!ライブ前に曲くらい聴いとけ!望夢はわざと呆れたジェスチャーをした。

 雄一は迷った挙句、「選べないです!自分もブライト好きです!」と答えた。

 しかし心なしか、玲子は追い討ちをかけた。「他に好きな曲は?」

「他は…?えっと…なんだっけ…名前が出てこないな…」

 望夢は助け舟を出した。織家れいの曲なら母親が何度も聴いているから数曲知っている。望夢はその中の1曲のタイトルを書いて掲げた。

「マ…リン。マーリン!マーリンです!」

「なるほど。私も好きです」玲子はうんうんと頷いた。

 望夢はため息を吐いた。ギリギリごまかせたか。

 望夢はさらに『注文がくるまで話を世間話しろ』とカンペを出した。

 雄一は水を一杯飲むとえへんと咳をしてこう切り出した。「最近の経済をどう思いますか?」

「え?」玲子はキョトンとした。

 違う!そうじゃない!もっと他にゴシップとか芸能人の話題があるだろ!最近の経済とかお前は政治家かよ!

 けれどもさらに度肝を抜いたのは玲子の返答だった。

「正直、輸出を控えた方がいいんじゃないかなって思います。このまま貿易摩擦が深刻化すれば、アメリカとの関係が悪化しますし。実際、アメリカは今軍事力を強めていて、双子の赤字状態ですし、日本からの輸出を拒まれでもしたら今度は日本が打撃を受けることになると思いません?」

 雄一はぽかーんと口を開けて、「はい、同感です」と明らかに共感してなさそうに答えた。

 望夢は唖然とした。何の討論を聞かされてんだおれ。

 微妙な空気の中、注文の品が運ばれ、どうにかまともな空気に戻った。

 さあ、雄一、食事中もうまく会話しろ。自力で乗り切れ!

 雄一はおしぼりで手を拭き、サンドイッチを口に運んだ。そして以下のコメント。「おお!レタスがシャキッとしてて、ベーコンも分厚くて、ドレッシングのアクセントが効いています!」

 お前はグルメリポーターか!そこは美味しいですね!とかでいいだろ!しかもちょっとレポートが上手いのムカつくぞ雄一。

 優しい玲子はクスクスと笑った。「私のも熱々でおいしいです」

 玲子のは普通の感想なのに、下手なリポートに聞こえる。雄一、お前のせいだ。

 望夢の表情を読み取ったのか、雄一は話題を転換した。

「水谷さんは、今…好きな人とかいます⁈」

「え⁈何でですか急に⁈」

 恋バナか。唐突だけど良い作戦だ。攻めろ攻めろ!

「いやー、なんか、こういう話って面白いので盛り上がるかなーなんて!あはは!」

「たしかにそうですけど。私は、今は……いないですね」

「今はってことは…?」

「あ、そりゃ以前はいましたよ!でも小学6年生くらいのときで、それっきりですね」

「そうなんですね!でも高校生なら、これからきっと機会あるんじゃないですか?」

「あー、それが無理なんです…」玲子はベーグルの包み紙を丁寧に四角く折ってテーブルに置いた。

「え?無理?」と首を傾げる雄一。

 玲子は頷いた。「私、今アイドル活動をしてて、恋愛禁止なんです」

「えー‼︎そうだったんですね‼︎」と叫ぶ雄一。

 えー‼︎そうだったのかよー‼︎と言葉を失う望夢。まさか母ちゃんがアイドルやってたなんて!

 玲子はまた頷いた。「なので、しばらくは恋愛しません。どうしても夢を叶えたいので、そのためには規則は守らないと。最近、やっと名前を知られるようになったので、せっかくのチャンスを投げ出すわけにはいかないんです。本当は、こうやって二人だけでいる姿も見られるとまずいんですよね…」

 雄一はほうほうと頷いた。「なるほどそうでしたか!それは!はい!うん!大事なことです!どうぞ活動に集中してください!邪魔してすみません!」

 玲子はそんな雄一に笑顔で「ありがとうございます」と言った。「多分、関係者にもファンにも誰にも見られてないので大丈夫です。気にしないでください」

「は、はい。でも、今後は安易に誘うのはやめておきます!」

「大丈夫ですよ。状況次第で」

 望夢はやれやれと首を振った。

「ごちそうさま」玲子は行儀良く手を合わせた。雄一も低いトーンで「ご馳走さま」と言うと、二人は会計しにレカウンターの前へ。

 雄一は気を遣って2人分払おうとした。すると…。

「結構です。払えるので」玲子はお札を差し出した。

 雄一はそれを抑えた。「いや、時間作ってくれたのに、それは悪いです」

「大丈夫です」玲子は構わず手を押し出した。

「いえいえ、申し訳ないので」

「自分で払わせてください。奢ってもらうような関係じゃないので」玲子は真面目な表情で言い切った。

 雄一は一瞬硬直してから、「わかりました」と返し、割り勘で会計を済ませた。

 望夢は訝し気にその様子を見守っていた。




「駄目だー!」店の外で玲子と離れた雄一は、頭を抱えて嘆いた。

 望夢は雄一の肩に手を置いた。「落ち込むな!まだ始まったばっかだぞ!」

「だってアイドルですよ!恋愛できないし、しかも奢ってもらうような関係じゃないって!」雄一はうつむいた。

 正直望夢もこれは想定外だった。アイドルを目指していたなんて聞いたことがなかった。いや、聞いたけど忘れているだけか?どっちにしてもこれは厄介だ。しかし、諦めたら両親はくっつかないし、自分はこの世界から抜け出せない。なんとかして方法を考えないと。

「まだチャンスはある!告ってもないじゃないか!おれなんて、会った瞬間告って、当然ばっさりフラれてばっかりだったんだぜ!」

「そんな自慢げに言うことじゃないですよねそれ」

「だから頑張れ!嫌われたわけじゃないんだ!まだライブだってある!これからじゃないか!一緒に盛り上がって距離を縮めちゃえ!」望夢はチケット3枚を取り出すと、雄一の肩を叩き、持ち上げて立ち上がらせた。

 雄一は小さく頷いた。「…そうですね。ライブにかけます!」




 雄一が会場に着くと、玲子は会計後に約束していた場所で待っていた。

「水谷さん!お待たせしました!」雄一は声をかけた。

 玲子は雄一を見るとキョトンとした。「あれ?望夢さんは?」

「それが……チケットをなくしたみたいで、今探してます!」

「そうですか。まだ開演まで時間ありますし、一緒に探しません?」

「おれもそう言ったんですけど、望夢さん、悪いから先に行って入場してろって」

「そうですか」玲子は残念そうに頷いた。

「並びましょう。望夢さんの気遣いを無駄にしないように!」

 実は、望夢はチケットをなくしていなかった。雄一と玲子が二人でライブを楽しめるように、わざと遅れて入場することにしたのだ。

 雄一と玲子は整理番号通りに並ぶことができた。入場した雄一は、できるだけ前に行こうと誘ったが、玲子は首を振った。

「望夢さんが見つけたやすいように、一番後ろで観ましょう。望夢さんがチケット取ってくれたのに、2人だけで楽しむのは申し訳ないので」

 雄一は返す言葉もなく、その意見を受け入れ、二人で会場の後ろに立った。

 数分後、望夢が後ろの出入り口から入ってきて、すぐに二人に気づいた。

「お!もっと前にいると思ったよ!」望夢は驚いた。

「望夢さんに悪くて。チケット取ってくれたのに」玲子は申し訳なさそうに言った。

 雄一は隣でうんと頷いた。どう考えても玲子に同感しているのではなく、彼女の気持ちに合わせたという意志が見える。

「…そうか。気使わせてごめん」

「いえいえ!間に合ってよかったです!」玲子は笑顔で首を振った。

 望夢は雄一の隣に立った。雄一を真ん中にして、その両隣に望夢と玲子という配置でスタンバイした。

 雄一は望夢に笑いかけた。「今こうしていられるのは、望夢さんのお陰です!感謝してますよ!」

「まだ感謝するのは早い。彼女に気持ちが伝わらない限りはな」

 ここで玲子が望夢に振り向いた。「ん?私の話ですか?」

「いや。別に」

 ここで会場の明かりが落ちた。観客の拍手が会場に響き渡る。

「あ!始まりますよ!」玲子はワクワクしながら言った。

「待ってました!」望夢もテンションを上げた。

 雄一は無言でドキドキしていた。

 そして音楽のイントロと共に主役、織家れいが登場した。拍手が一層大きくなる。思い思いの拍手が鎮まったところで、マイクに彼女のスーッと息が当たる音がし、そのまま歌い始めた。代表曲の『Bright』だ。

 自然とノリノリな玲子。知っている曲にそれらしくノって雄一を誘い込もうとする望夢。何とか着いていく雄一。3人の気持ちは別々だったが、謎の一体感があった。

 正直、母親ほど織家れいに興味があるわけでもない望夢だが、いつの間にかライブを本気で楽しんでいた。思えば、両親と一緒にライブに行ったことはない。というか、もうしばらく家族で出かけていなかった。しかも亜久間の魔法で歳が近いから、親特有の壁も感じず、一緒にはしゃいでいられる。

 数曲歌い終えたところで、織家れいは自己紹介をして、トークに転じた。

「…たまに会うだけの友達が、実は凄く大切な人なんだって気づいたり。逆に、いつも一緒に過ごしてる家族の大切さには気づけなかったり。長く一緒にいると、その大切さを忘れちゃう、人の心って、寂しいなって。…本当に大切なものは、近くにあるのかもしれない…。そう思ったときに、湧き上がってきた気持ちを、そのまま歌った曲。聴いてください。『一番近く』」

 しんみりとした切ないメロディーが会場を包む。まるで会場内の空気が変わったような神秘さが漂う。数百人の観客が見つめ、耳を傾ける中、メロディーに乗っかるように優しく口ずさむ織家れい。誰もが彼女の曲に吸い込まれていた。

 望夢もすっかり聴き惚れていた。この曲も母親が何度も流していて知っていたが、じっくり歌詞を意識して聴いたことはなかった。こんなに良い曲だったのか、と望夢は感じた。

 間奏中、雄一は両隣をチラ見した。望夢は無表情で身動き一つせず曲に聴き入っている。その隣で玲子は、感動して涙を流している、と思いきや、何かに堪えるように顔をしかめていた。

 具合でも悪いのか?と雄一は後ろ側から玲子を見てみた。両手で必死にお尻の辺りを抑えている。暗い中、さらに目を凝らして見ると、とんでもないことが発覚した。玲子の後ろに立っている男が、彼女に下半身を撫で回している。

 痴漢だ!と思った瞬間雄一は玲子に触れる手を掴んだ。“やめろ!”とか言葉で制したいところだが、せっかくのライブを妨害するわけにはいかない。

 痴漢の男は雄一の側頭部を殴った。雄一が倒れ込むと、男は続け様に玲子にも蹴りを入れ、間髪を入れずに走り去った。

 ここで望夢もようやく事態に気づいた。

「おい!」雄一は堪忍袋の尾が切れ、ライブなどお構いなしに叫んでしまった。

「水谷さん!大丈夫⁈」雄一はかがみ込む玲子に心配そうに尋ねた。

「は、はい…」玲子は弱々しく頷いた。

 望夢は状況認識が追いつかずあたふたしていた。

 …あの野郎‼︎雄一は勢いよく走り出して会場を飛び出し、男を追いかけた。男の逃げ足はあまり速くなく、すぐに追いついた。

「てめえ許さねえぞおらー‼︎」

 雄一は走ってきた勢いのままジャンプし、男にキックをお見舞いした。「うっ!」と呻いて倒れ込む男を、雄一は容赦なく袈裟固めで抑え込んだ。

 ここで望夢と玲子も駆けつけた。望夢は雄一に加勢して男を抑えるのを手伝った。

 そこへ会場の警備員たちが駆けつけて、男を取り抑えてくれた。雄一と望夢は玲子を会場に戻らせると、警備員たちに事情を説明し、男の身柄を預けた。会場を出てからかれこれ20分ほど経ち、雄一と望夢はようやく会場に戻れた。

 会場に入ると、もうステージに織家れいの姿はなく、拍手喝采が終わったところだった。

「大丈夫でした?」玲子は二人に駆け寄った。そして「私のせいでご迷惑おかけしてすみません」と目一杯頭を下げた。

「大丈夫です。犯人は無事に捕まりました。ライブはどうでした?」

 玲子はうーんと首を傾げた。「ライブ自体は良かったんですけど…。二人に任せっきりで申し訳なくて…」

 玲子はとうとう堪え切れなくなり、涙が溢れた。

 雄一は首を振った。「気にしないでください。せっかくのライブだったのに、こんなことになってごめんなさい」

「いえ!雄一さんのせいじゃないので!…ごめんなさい…」

 玲子はしゃがみ込んでしくしくと涙を流した。

 望夢と雄一は顔を見合わせた。せっかく苦労して参加したライブだったのに。

 望夢は頭を下げた。「すまない。おれももっと早く気づいてれば、ここまで面倒にならなかったかもしれない…」

 雄一は首を振った。「望夢さんが謝ることじゃないですよ!気にしないでください!犯人は捕まえましたし」

 雄一の笑みに、望夢は感謝の意を込めて頷いた。

 三人は悔しい気持ちで途方に暮れた。観客たちはそんな三人を避けてどんどん会場から出ていき、とうとう会場から誰もいなくなった。ガランとした静かな空間で、三人はスタッフに追い出されるように外の世界に戻ったのだった。




「本当にすみませんでした」玲子は深々と頭を下げた。

 望夢と雄一は必死で首を振った。

「水谷さんが謝ることじゃないよ!」

「そうです!被害者なんですから、そんなに責任感じないでください!」

 玲子は泣き疲れた顔をゆっくりと上げた。「私のせいで、二人まで巻き込んでしまって、チケットも取ってくれたのに、申し訳ないです…」

「いえいえ!むしろ、すぐに気づけなくてごめんなさい」雄一は心底謝った。

「おれも…」望夢も申し訳なさそうに頭を下げた。

 玲子は首を振った。「いえ。織家さんの歌がそれほど素晴らしかったということなので、仕方ないです」と言って、玲子は笑って見せた。

 望夢も雄一もそれが作り笑顔であるのはわかっていたが、前向きでありたいという玲子の気持ちを汲み取ることにした。

「…あ、あのよう…」雄一が言いかけた。「…水谷さん、もしよければ、また別の機会に出かけませんか?」

 これに驚いたのは望夢だ。とうとう雄一からも誘えるようになったか!

 玲子は嬉しそうに頷いた。「はい!お願いします!望夢さんも一緒ですよね?」

「え?あー、そうだな。いつまでかはわからないけど、時間があれば」

「え、どういうことですか?」玲子はキョトンとした。

 望夢は首を傾げた。「無期限の滞在っていうか、いつかは元いた場所に戻るんだ」

「留学生なんですか?」玲子は真顔で尋ねた。

「…ああ、同じようなもんかな」違うけど、一種の移動教室みたいなもんだな。

「そうだったんですね」雄一も驚いた。「じゃあ、望夢さんが帰るまでに3人で思い出作りましょうよ!」

「私もそうしたいです!」玲子も賛同した。

「えへへへ!」望夢は反応に困って笑った。二人をくっつけるつもりだったのになんかおれが好かれてる。まあいっか。この調子で二人の仲を取り繕っていけばいい。

 色々あったものの、三人はまた会う約束をして、浮かれ気分で解散した。




 それから三人は定期的に会うようになって、動物園、カラオケ、遊園地など、いろんな所に出かけた。望夢はそんな日々を普通に楽しんでいた。この世界に飛ばされてもう何日経ったかもわからないけれど、気にしていなかった。むしろ、ずっとこのままでいいかもとすら思い始めていた。望夢は幼馴染の瞳以外と、こんなに出かけたり頻繁に会う友達はいなかったし、現実の両親は喧嘩ばかりで一緒にいても憂鬱にしかならない。この世界にいれば何の悩みも無く生活できる。だから望夢は満足だった。

 それでも望夢は、雄一と一緒にどうやって玲子を振り向かせようかと計画を練った。いつまでもこの世界にいられないのはわかってる。それに両親をくっつけるのが自分の役目。それを放棄するわけにはいかない。

 玲子に一途な雄一は何度も空回りを繰り返したが、いよいよ転機が訪れた。

 それは三人で山登りをしに行った日。

「もうちょっとで頂上だね!」玲子は先頭ではしゃいだ。

 その後ろから重い足取りで着いていく望夢、雄一。

「やっとか」

「疲れたー」

「ほらほら!行くよ!」玲子は体力の衰えを感じさせない軽快な足取りで前へ前へと進んでいった。

「男顔負けだな」望夢は雄一にささやいた。「良いとこ見せたいのにこれじゃ見せる顔もないな」

「たしかに…」雄一は吐き捨てるように言った。「おれ、歩くペース合わせて話してきます!」

 そう言うと雄一はとっとと歩を速めた。

「おう!頑張れ!」

 1人でせっせと登る玲子に、雄一がもうすぐ追いつそうになったときだった。

 ズゴッ‼︎

「きゃっ‼︎」

 玲子が踏み込んだ地面が崩れ、玲子はバランスを崩して斜面を転がり落ちそうになった。

 雄一は素早い動きで走り込み、身を乗り出すと玲子の手を掴んだ。

 音を立てずにボロボロと斜面を転がっていく砂利。何も起こらなかったかのように包み込む静寂。それを望夢の声が破った。

「玲子ちゃん!雄一!大丈夫か⁈」

 望夢は駆け寄ってきて、雄一と一緒に玲子を引っ張り上げた。引っ張った勢いが強くて、玲子の顔が雄一にぐんと近くなってしまった。二人は見つめ合った。

「!……大丈夫⁈」雄一は一心に尋ねた。

「…はい!ありがとうございます!」玲子は息も絶え絶えに言った。

「ここの斜面は急だから、あんまり離れないで。そばにいて」雄一は優しく言った。

「…はい」玲子は恥ずかしそうに応えた。

 雄一は玲子を立たせると、服に着いた泥を落としてあげた。

 そんな二人を見て望夢は微笑んだ。「よーし!じゃあ気取り直して行くか!」

「行きましょう!頂上までもうすぐです!」雄一も気合いを入れた。きっと玲子を自ら救ったから自信に満ちているのだろう。

 それから三人は無事に頂上までたどり着き、その眺めと達成感を存分に共有して下山した。

「今日もありがとうございました」玲子は深々とお辞儀した。

「こちらこそです」と雄一。

 望夢も頷いた。「楽しかったな!てか、二人とも別に敬語じゃなくていいぜ?」

「え?いいんですか?」と玲子。

「たしかに、もうそんなかしこまった仲じゃないですもんね」雄一も賛同した。

「そうそう!もうマブダチだぜ!」

「「マブダチ?」」雄一と玲子は声を揃えた。

 あ、この世代にマブダチなんて言っても通じないか!「つまり親友だ」

「「あー!」」

 三人は笑った。

「じゃあ、また会おうな!」望夢は踵を返して言った。

「はい!お疲れ様でした。玲子ちゃん、またね!」雄一も歩き出した。

「お疲れ様です。また連絡します!」と言って、玲子も遅れて歩き出した。

 充実した三人の青春。しかしこの時間は、終わりを迎えようとしていた。




「マジかよ⁈」望夢は受話器を耳に当てて叫んだ。

 電話越しの雄一は突然の叫び声で思わず耳を離した。そして気を取り直して話を続けた。『うん。さっき電話があって、もうこれ以上三人で会うのは難しいって言われた…』

 望夢はうーんと唸った。「詳しく聞いたか?」

『うん。玲子ちゃんの事務所にファンの人が押しかけて、おれたち三人が写った写真をマネージャーに見せたんだって。それでマネージャーから、今後も活動したいなら、男と遊び歩くのはやめろって注意されたらしい』

 望夢はイラッとした。「遊び歩くなんて、言ってくれるな。おれたちがタチ悪いみたいな言い方じゃんか!」

『ほんと、酷いっすね…』

「で、どうするんだ?彼女への気持ちは?いつ言うんだ?」望夢はストレートに尋ねた。

 受話器の向こうで雄一をため息を吐いた。『どうするって、諦めるしかないでしょ?玲子ちゃんの夢を邪魔するわけにはいかないし…』

「おいおいおい!雄一、お前の気持ちはそも程度のもんだったのか⁈アイドルやってるから気持ち伝えても意味ない?そんな簡単に諦めていいのかよ⁈」

 雄一は答えなかった。ただ、涙を堪えるような息遣いだけが聞こえてきた。

「…もう一度だけ会わせてもらえ。そんときに告るんだ!」

『ええ⁈そんな……迷惑じゃないですか⁈』

「やってるみなきゃわかんねえだろ!それにそれで断られたら諦めつくじゃないか!行けるとこまで行こうぜ!な⁈」

 雄一はしばらく無言でいた。そして恐る恐るこう切り出した。『…実は、別の心配もあるんです…』

「なんだ?言ってみろ!」

 雄一は一瞬口籠って、しぶしぶ答えた。『…玲子ちゃん、望夢さんのことが好きなのかもよ?…』

「…え?」望夢は驚いた。

『だって、ライブに誘ったのは望夢さんだし、出かけるときも、望夢さんがいないと行きたがらないし』

「……」

 それは考えていなかった。もしそうだとしたら、某タイムスリップ映画と同じ展開じゃねーか!母ちゃんに恋心持たれるなんて、勘弁してくれ!どうにかして二人をくっつけないと!

「いや、それはあくまで可能性だ!玲子に気持ち伝えちゃいけない理由にはならない!」

『…そうかな?』

「あー!玲子が誰に気があろうと、お前の気持ちは変わらないだろ⁈だったら伝えてなんぼだろ!」

『ほほう…』雄一はよくわからない返事をした。

「繰り返しになるけど、お前の気持ちはそんなもんじゃないだろ⁈玲子のことを思って今日まで関わってきたんだろ⁈その気持ちを、こんな簡単に消化しちまっていいのかよ⁈」

 雄一はようやく決心してくれた。『…わかった。電話かけてみる!』

「おう!じゃあ15分後にかけ直すな!」

 望夢は公衆電話の受話器を置いた。

 そしてハラハラしながら15分経つのを待つ、のかと思いきや、亜久間が時間を進めてくれて、あっという間に15分が経過した。

 望夢は再び受話器を取った。

 プルルルル…ガチャッ。

『もしもし?望夢さん?』

「どうだった⁈」望夢は受話器に食いつかんばかりの勢いで尋ねた。

 電話先からは雄一の成し遂げたような短い笑い声が聞こえた。『オッケーです!明日の午後5時、池袋駅集合です!玲子ちゃんもこのままお別れするのは嫌だったみたいで、最後にもう一度だけ会いたいと言われました!』

 望夢はガッツポーズして舞い上がった。「よっしゃー‼︎よくやった!もちろん、言うんだよな⁈なあ⁈」

『はい!もう思い切って伝えます!』

「いいぞー!楽しみだぜ!泣いても笑って、これで最後だ!」

 二人は喜びを分かち合って、電話を終えた。

 望夢は安心感と不安感が半々状態だった。雄一と玲子が会うのは最後のチャンス。これで二人をくっつけられなければ、自分はどうなってしまう?亜久間からゲームオーバーを告げられて何か罰で受けるのか?それとも一生この世界から抜け出せないまま?それとも、実はこの世界が現実とリンクしていて、自分は生まれてこないことになってしまう…⁈

 何にしてもろくでもないことは確か!何が何でも二人をお見合いさせないと!




 と考えるのも束の間、すぐに時進めマジックが巻き起こり、景色も変わった。見ればすぐに池袋駅だとわかった。近くの時計を見ると午後5時ちょっと前を指している。約束の時間。そしてここは待ち合わせの場所だ。

「望夢さーん!」

 呼ばれて振り向くと、雄一が走ってきた。「はぁ…遅くなった!玲子ちゃんは?」

「あー、まだ来てないっぽい」と言いながら望夢は周囲を見回すと、振り向き様に玲子と目が合った。

「お待たせ!」

「うわっ!」オシャレな私服姿の玲子が目の前に現れて望夢は飛び退いた。

「うわあ!」望夢の声にびっくりして雄一も飛び退いた。

「そんなに驚かなくていいじゃん!おかしい!」玲子はクスクスと笑った。

 玲子は顔を隠すつもりか、帽子を深めにかぶっている。

「ごめん!で、どこ行く?」雄一が尋ねた。

「いいお店があるの。案内するね!」

 望夢と雄一は玲子に着いていった。数分後、三人はオシャレなカフェに入店した。

「ここのコーヒーとっても美味しいの!」と玲子に勧められるがままに、望夢も雄一も苦手でありながら同じコーヒーを注文した。

 最初に話し出したのは雄一だった。「会えて嬉しいよ!時間作ってくれてありがとう!」

「ううん!こちらこそ!二人には本当にお世話になったから、私もお礼しておきたかったし。あまり時間はないけど、その分いっぱいお喋りしたいなー」

 玲子はニコッとした。雄一はもちろん、望夢もそんな玲子をかわいいと思ってしまった。さすがはアイドル。普段母親を見ていてもかわいいとか綺麗とは思わないが、こうして見ると母親にもちゃんと女性とした魅力があるもんだなと望夢は思った。

 三人で思い出話をしていると、コーヒーが運ばれてきた。望夢は一口すすっただけで無理だと確信した。しかし顔には出さないように努めた。

 今日の玲子はもう最後の時間だからか、いつも以上に口達者だ。次から次へと会話が弾む。あまりに会話上手なものだから、望夢も雄一も本来の目的を忘れそうになった。

 30分ほど経ったとき、望夢はこのまま話していても拉致があかないと思い、策を打った。

「あー…なんかお腹痛えな。ちょっとトイレ行ってくる!時間かかると思うから、二人でうま〜く話しててくれ?」望夢は雄一に目配せしながら言った。

 雄一は「うん!ゆっくりトイレしてきてどうぞ!」と了解の意を示した。

 望夢はトイレにすたすたと入っていった。

 よーし雄一、後は上手くやってくれ!お前に全てがかかってる!

 と念じると、背後に亜久間がスーッと現れた。望夢が「ん⁈」と首を捻ると、亜久間は洗面台の鏡に向かって指を振った。すると、鏡に雄一と玲子のリアルタイムの姿が映し出された。

「お⁈こんなこともできるのか!」望夢は驚きいた。

「まあね。しっかり見てなさい」

 鏡の中で、雄一は背筋を伸ばして姿勢を正した。

「玲子さん」

 玲子は雄一を見た。「はい?」

「あの、ずっと伝えたかったことがあるんです!」

 雄一がそういうと、玲子も姿勢を正した。「…はい…」

「…あの、実は…」雄一はウジウジしたが、意を決して言い放った。「玲子さんのことが、ずっと好きでした‼︎」

 玲子は驚きのあまり口を覆った。望夢は拳を作って雄一を応援した。

 雄一は続けた。「もちろん、玲子さんがアイドルなのはわかってます。でも、それ以上に好きって気持ちが強いんです!なので、わがままを承知で、付き合っていただけないでしょうか⁈」

 雄一は深々と頭を下げた。唖然とする玲子。

 望夢は“いけ!”と強く願った。

 口をあんぐり開けていた玲子だったが、すぐに笑顔が溢れた。「…嬉しい」

「えっ⁈」雄一は身を乗り出した。「本当ですか⁈」

「はい!」玲子は大きく頷いた。「私も好きだったので…」

 ひゃっはーーー‼︎望夢と雄一は心の中で一緒に舞い上がった。これは決まりだ!

「いやー良かった〜!」雄一は安堵した。「じゃあ、お付き合いしてくれるんですか⁈」

 と胸を膨らませた雄一だったが、玲子は首を横に振った。「ごめんなさい!それはできないです…」

 がびょーん‼︎望夢と雄一は地に叩きつけられた。

「やっぱり、活動優先ですよね…?」雄一は残念そうに尋ねた。

「…はい。私、まだ諦めたくないんです!」

 雄一は椅子に深く腰かけた。

 望夢は洗面器に頭を預けた。そして水を全開で出した。

 雄一はうんうんと頷いた。「…仕方ないですね。おれのために夢を諦めろなんて言えないし…。夢が最優先です」

「ありがとう!」玲子は頭を下げた。

 …もうおしまいだ!望夢は絶望した。後ろでは亜久間がクックッとすすり笑う声がする。やっぱりこいつ、悪魔だ。

「それにしても驚いたよ。玲子ちゃんもおれを好きでいてくれたなんて。はー!緊張した!」雄一は脱力して椅子にもたれかかった。

 玲子は笑った。「気づいてなかったのね」

「まったく!というか、玲子ちゃん、望夢さんに気があるのかと思ってた」

 望夢は洗面器からびしょ濡れの頭を上げた。

「え⁈そんなわけないじゃん!」玲子は首を大きく振って全力で否定した。「どうしてそう思ったの?」

「いやー、最初にライブに誘ったのは望夢さんだし、出かけるときも望夢さんが一緒かどうか気にしてたし?」

 と雄一が説明すると、玲子はまた首を振った。

「違う違う!一緒に行くかどうか気にしたのは、異性と二人で出かけるのがまずいから。三人だったら、同級生とか、親戚って言い訳できるもん」

「そうだったのか…」雄一は納得した。

 望夢は無言で鏡を見つめ、このやり取りを聞いていた。

「それに、ライブのとき、雄一さんは私が痴漢に遭ってるのに気づいて止めてくれたけど、望夢さんは気づかなかったでしょ?たしかに、誘ってくれたのは望夢さんだけど、そういうところがね…」と玲子は苦笑した。

 望夢は目を見開いた。

「で、でも、あのときはおれが玲子ちゃんの隣にいたからだよ!望夢さんはおれを挟んで玲子ちゃんの反対側にいた!」雄一は望夢を庇った。

 しかし玲子は「どうかな?」と首を捻る。「雄一さんが望夢さんの場所にいたとしても、もっと早く気づいてくれてたんじゃない?」

 雄一は恥ずかしくて返しに迷った。どうやら、ライブ中に何度も玲子を見ていたことに気づかれていたようだ。

「そういうわけで、望夢さんに好意はないの。残念ながら」玲子は断言し、苦いコーヒーをすすった。

 男子トイレで、望夢はぶちのめされたような気分に陥っていた。

「どう?どんな気持ち?」亜久間が耳元で尋ねた。

 望夢は顔面の水を手で拭った。「…なんか…なんかわかんないけど……悔しい…」

 望夢は手を拭く紙を数枚引っ張り出して顔を思いっきり拭いた。

「親父には、母ちゃんを守る力があった…。でも、おれには無かった…」

「そういうこと」亜久間は微笑んだ。

 望夢は振り返って亜久間を見た。「…まさか、これを伝えるために、おれをこの世界へ?」

「どうでしょう?」亜久間は焦らした。「もう少し居させてあげるから、自分で見つけなさい」

 と言うと、亜久間は指を鳴らした。

「おい⁈おいっ!待て‼︎」

 望夢が止めるも遅く、周囲の光景がどんどん早送りで進んでいった。

「親父と母ちゃんは⁈二人はもうくっつかないのか⁈おい‼︎おいーーー‼︎」

 望夢は頭を掻きむしって膝を着き、うずくまった。

 そんな望夢を無視して、どんどん時間が進んでいった。




 望夢は顔を上げた。

 すると、どこかのお店の中にいた。店内の雰囲気と匂いから、居酒屋だとわかった。なぜ急にこんなところに…?

 望夢があたふたしていると、店内に置かれた小さなテレビでニュースが流れているのに気づいた。

『元アイドル、成宮圭子の暴露本の売上が、300万冊に達しました。』

 と語るアナウンスの横に、そのアイドルの顔写真が表示された。

 望夢ははっとした。「玲子⁈」

 名前は違うものの、それは間違いなく母、玲子だった。しかしだいぶやつれている。しかも暴露本って?いったい何があったのだろうか⁈

 …というか、ここはいつの時代だ?

 望夢はニュース内に表示された日付を確認した。2015年8月20日。それは自分が暮らす日付だ!亜久間のやつ、今度は未来に飛ばしたのか⁈

「しかしよく見るねー、この本」ラーメン屋の店長はカウンターの客に呟いた。「どこの本屋にもあるし、街中でも読んでる人たくさんいるよ!あんたみたいにな!」

 望夢はくいっと首を回してそのカウンターの客を見た。スーツを着たサラリーマンらしき男だ。本で顔を隠すように、必死で読みふけっている。

 その男は店長に言われて本を顔から下げ、テレビ画面に目をやった。

「雄一⁈」望夢はまた驚愕した。本を下げて露になったその顔は、雄一だった。ただ、自分の知る親父ではなく、どこにでもいそうなヒョロンとした細身のサラリーマンだ。

 雄一は目を見開いた。「…⁈望夢さん?えっ?望夢さんですか⁈」

「ああ!」

 望夢はドタバタと椅子から転げ落ちるように雄一の隣の席に移動した。

「まさかまた会えるなんて!」雄一は歓喜した。「最後に会ったのは、玲子ちゃんと三人で食事したときですよね?トイレに行った望夢さん、いなくなっちゃって、それから一度も会うことなくて、心配してました!」

「そうだったのか…。すまない。それより、」望夢はテレビ画面を指差した。「玲子とはどうなった?あれは、どういうことだ?その本!」

 雄一は本の表紙を望夢に向けた。タイトルは『私が体験した“アイドル”』。

「この本は、玲子ちゃんがアイドルを引退してから出版したものです」

「アイドルを引退⁈ってことは、アイドルになれたのか⁈」

「はい。結構人気をあって、順調に活動してました。でも、この本でその実態が暴露されたんです」

「実態?」

「はい。下積み時代、彼女はどう足掻いても売れず、アイドルを辞めようとしたそうです。でも、彼女に目をつけた業界のお偉いさんに、“枕”を要求されたそうです」

「枕?枕営業か⁈」

「そうです。彼女は拒んだそうですが、脅されて強制的にそういう関係に持っていかれたそうです…」

 望夢にふつふつと憎しみが湧いた。「酷い…ゆるせねえ!」

「ほんと、酷い話ですよ。俺も、ずっと仲良くしてたのに、結局力になれなくて…。自分が憎いです…」

 と言って、雄一はぐびぐびと焼酎を飲んだ。

 望夢はジョッキを傾ける雄一の横顔に尋ねた。「おれがいなくなった後、雄一と玲子はどうなったんだ?」

「なーんもなかったっすよ。あれからしばらくは交流ありましたけど、やっぱり彼女、アイドルになる夢諦められないからって言って、俺と深い仲になるのは拒絶されました。でも俺は忘れられなくて、彼女のライブがある度に出向いてました。最初のうちは観客も少なかったし、彼女は俺に気づいてくれてました。でも、どんどん人が増えていって、いつの間にか彼女は俺に目もくれなくなったんすよ。それが辛くなって…。ライブに行くのもやめました。それっきり、直接会ってないっす」

 雄一はまたジョッキを傾けてゴクゴクと焼酎を流し込んだ。

 望夢はどん底の気分だった。あれだけアプローチしてたのに、まさかこんな結末なんて…。酷過ぎる…!

 雄一はガツンとジョッキを叩きつけた。「…俺は彼女を救えなかった…。あのとき、彼女の反対を押し切っていたら、結果は違っていたかもしれない…」

「……。今は、一人で生活してるのか?」

「はい。一応職にはつけて、給料も充分で、何不自由ない生活はできてます。でも、やり切れない気持ちでいっぱいっすよ……。店長、おかわり!」

 雄一は空のジョッキを差し出した。

 望夢は視線を雄一から、手元の本に移した。

「その本、ちょっと見てもいいか?」

「ああ、どうぞ!

 望夢は受け取るとパラパラとめくって飛ばし飛ばしで読んだ。


『ー私は挫折して、事務所に解約を願い申し上げましたー』

『ー「おれの言う通りにすれば、仕事をやろう」と。それはあまりに理不尽な要求でした。恋愛を禁止されていたにも関わらず、そんな要求してくるなんてー』

『ー言う通りにしないなら、スキャンダルをマスコミに流してやると脅されました。私は何も悪いことはしてなかったので、それは嘘の情報を捏造するということでしたー』

『ーたしかに仕事は増えたし、お金もたくさん入ったし、ファンも増えました。でも、嬉しくはなかったです。ただただ苦しくて、ー』

『ー私が見ていたのは所詮“夢”だったです。そんな“夢”のために私は自分の体を売り、恋も諦めました。そして得たのは絶望ですー』

『ー普通の家族が羨ましいです。お金持ちじゃなくても、ファンなんていなくても、平和な家庭にどれほど幸福が詰まっていることでしょうー』


 望夢は辛くなって本を閉じた。いつの間にか目から涙が溢れて落ちていた。

「…母ちゃん…ごめん…」

 雄一は隣でタバコを蒸していた。深呼吸でもするように、スーッと煙を吐いた。

「辛いですよね…。もし時間を戻せるなら、彼女を無理矢理でも説得して、辞めさせたい…」

 望夢はそれを聞いてはっとした。時間を戻す。そうだ!

 望夢は決意の顔で立ち上がった。「待ってろ雄一!」

 意味がわからず見つめる雄一。「ん?何ですか急に?」

「玲子を救うんだ!」

 望夢はそう言うや否や、居酒屋を飛び出していた。

 望夢は走って、人が少ない道路の真ん中に立つと、問いかけた。「亜久間!どうすればいいかわかった!頼む!時間を、さっきの時間に戻してくれ!」

 亜久間が正面にぬっと現れた。「ふふふ。ずいぶん熱くなってるわね」

「頼む!時間を戻してくれ!玲子を、母ちゃんを助けたいんだ!」

「その必要はないわ。もう充分よ。この世界であなたが学ぶべきことはもう学んだ」

 望夢は意味がわからず顔をしかめた。「でも、親父と母ちゃんは離れ離れだろ!過去に戻って、ちゃんと二人を引き合わせたいんだ!」

「落ち着きなさい」亜久間は至って冷静だ。「その必要はないの。なぜなら、現実の世界で、お父さんはお母さんを助けたんだから。あなた自身がその証拠」

 途端に望夢から熱気が抜けた。現実とは別世界なのに、いつの間にか本気になっていた。「…おれ、うっかり、親父と母ちゃんを引き合わせるのがここでの使命かと…」

 亜久間は首を振った。「それは、お父さんの使命。そしてお父さんはそれを成し遂げたの」

 望夢は亜久間を見つめた。

「過去の世界で、お父さんはお母さんを救ったの。今度はあなたの番。今の気持ち、忘れずに持ち帰りなさい」

 それを聞いて、望夢はやっと理解した。

 亜久間は指を鳴らした。すると、望夢は光に包まれた。




 望夢ははっと目覚めて飛び起きた。

 いつものベッドの上。見慣れた自分の部屋だ。枕元に転がっていたスマホを手に取り、日付を確認した。1日しか経っていない。なのに久しぶりに帰ってきた気分だ。時刻は18時を過ぎていて、外は真っ暗だ。たまたま土曜日で学校がなかったのは幸いだ。

 望夢は階段を降りた。キッチンで母が料理をしており、親父は座って新聞を読んでいる。

「親父…母ちゃん…」望夢は思わず呟いた。

 二人は同時に振り向いた。

「おっ!やっと起きたか!」

「ずいぶん寝てたから心配したのよ。でも元気そうでよかった。疲れてたのね」母はちらりと望夢を見て微笑んだ。

「死んじまったかと思ったぜ」親父は真顔で冗談を言った。

 望夢はしばらく親父を見つめていた。

 煮え切らない望夢は、どうしても気になってこう尋ねた。「親父、母ちゃんに、どんなプロポーズしたんだ?」

「あ⁈」「へ⁈」二人は腰を抜かして望夢を見た。

「ほら、親父よく昔の話してくれるけど、どうプロポーズしたかは聞いたことないなーと思って」

 それを聞いて、親父は新聞で顔を隠すようにもじもじした。母はクスッと笑った。

 さらに望夢は尋ねた。「あと、母ちゃんって昔アイドルだったの?」

 さらに肝を潰す母はガコンと空振りした包丁をまな板に叩きつけてしまった。「えっ⁈どうして知ってるの⁈まさか、部屋にしまってた写真、見たの?」

「あー、実はね」望夢はとぼけて頭をかいた。

 母は恥ずかしそうに親父に目をやった。「…あなた」

「…ったく。仕方ねえ。話してやるか!」親父は新聞を置いた。「たしかに母ちゃんはいっときアイドルやってたな。でも、全然売れなかった。それで芸名を変えたり事務所を移ったりしてたよ。たまたまおれは知り合いから、母ちゃんが入った事務所がやべーとこって聞いてな。必死で説得したよ。自分を売るために体を売るなんて間違ってるってな」

 台所で黙って聞いていた母は耐え切れずに「もー!」と声を漏らした。「ほんと、危なかったわよ。お父さんが止めてくれなかったら、私何しでかしてたか」

 望夢はほうほうと頷いた。

 親父は続けた。「だな。あのとき、何て言ったかなー?」親父はわざとらしく首を傾げた。

 しかし母が代わって明かした。「今でも覚えてるわよ。こう言ったの。『みんなのアイドルにならなくていい。俺のアイドルでいてくれ』って」

「マジ⁈」望夢は笑うのを堪えられなかった。

 母は大笑い。

 親父は恥ずかしそうに引き笑いした。「ああ、そういやそうだったな!」

「すげーじゃん!なんで今まで話してくれなかったの⁈」望夢は笑いながらも称賛した。

「なんでって、そりゃ恥ずかしいからでしょ!」と母はまた笑った。

 親父は「おい、よせよ〜」と照れた。「まあ、とにかく!」親父は場を制するように言い放った。「俺の説得は母ちゃんに通じて、アイドル辞めて恋人になってくれたんだよ」

「あら、完全に辞めたつもりなかったわよ?こいつダメだなーって思ったら、また再開しようと思ってたわよ?」

「まったく。素直じゃねーなお前は!」

 親父と母ちゃんは楽しそうに笑った。望夢も自然と笑みを浮かべた。喧嘩ばかりの両親が一緒に笑っているのを見たのは久々だった。

「そうだったんだな!じゃ、おれも親父に負けない男にならないと!」

「あったりめーだ!頑張れよ望夢!」

 望夢は親父にグーポーズした。「んじゃ、トレーニングしようぜ!」

「「⁈」」両親はびっくりして顔を見合わせた。

「…何だ急に?お前が遅くまで寝てたから、今日はしないつもりでいたぞ?昨日充分やったし」

「そうよ!疲れてるのに無理しちゃ駄目よ。というか、いつもやりたがらないのに、どうしたの?」母は首を傾げた。

「今日はやりたい気分なんだよ」望夢は笑った。

 両親はまた顔を見合わせた。

「お前がやりたいってんなら相手になるけど?」

「よくはないけど、望夢がやりたいってん言うならねー。怪我しない程度にね!」

 二人とも渋々だが承諾してくれた。

「じゃあ、着替えてくる!」望夢は走って部屋に戻った。

 数分後、いつもの公園にいつもの光景が現れた。街灯の下で大柄の男と痩せ形の男子が押し合うシルエットだ。

 望夢はドテッと尻もちをついた。

「どうした⁈自分から誘っといてそんなもんか⁈もっと来い!」親父は煽った。

「おう!」望夢はへこたれることなく立ち上がり挑んだ。

 望夢は何度も挑み、押され、倒されては立ち上がりを繰り返した。親父も、何度でも相手してくれた。

 そしてついに下剋上が起こった。

「そんなもんじゃねえだろ!」必死で押してくる望夢に親父は怒鳴った。「もっと来やがれ!」

「おおおーーー‼︎」望夢は雄叫びを発し、力の限り親父を押し返した。

「うをっ‼︎」と親父は呻いて真後ろにバッタリ倒れた。

 望夢もバランスを崩したが、何とか倒れるのを防ぐと、すぐさま親父に駆け寄った。

「ごめん‼︎親父‼︎大丈夫‼︎」

 いくら力強いと言えどももう知命。後頭部の強打は大ダメージだ。脳震盪なんかもなりかねない。

「親父‼︎」返事のない父親に、望夢は必死で問いかけた。

 しかし意識はちゃんとあった。親父はゆっくりと頭を持ち上げ、上半身を起こした。そしてギロリと望夢を見ると、勢いよく右拳を振り上げた。

 望夢は身構えた。殴られる!

 親父は振り上げた拳を思いっきり望夢の顔面に振り下ろしたかと思いきや、ポンと優しく望夢の左肩を叩いた。

「?」

「ようやった望夢!」親父は満面の笑みで褒め称えた。「初めて押し返したじゃねえか!」

 さらに親父は望夢は抱きしめてきた。

「え⁈ちょっ!親父!苦しい…」望夢は動揺を隠せなかった。

 親父は望夢を離した。「もう一回だ!もう一回やってみろ!」親父の方がやる気になっていた。

 望夢は失笑した。「ったく!いくぜ!」

 二人はまた押し合った。そのシルエットは、息子を痛めつける父親の姿ではなく、本気でぶつかり合う親子の姿だった。

 決着がつく前に、母が登場した。「二人とも!ご飯できたよー!」

「お!おう!ってえ⁈」返事した望夢は親父に押し返された。

「たあっ!油断は禁物だぞ!」親父は大笑いした。

 望夢は「やられた〜!」と微笑んだ。

 母はそんな2人を見て笑顔になった。「もう充分やったでしょ?早く入りなさい」

「おう。望夢、今日はよくやった!」親父はポンとまた望夢の肩を叩いて家に戻った。

「うん!ありがとう!」望夢は爽やかに返事した。

 母は望夢に歩み寄った。「怪我はない?」

「大丈夫!」望夢は服を叩きながら立ち上がった。

「まさか望夢がやる気になるなんてねー。あの人ね、昔の話するとき強がってるけど、もともと望夢みたいに細くて喧嘩も弱くて。こんなんじゃ家族を守れないって思い始めてから毎日トレーニングしてたみたいなの。自分に子供ができてからも、鍛えて強くするって張り切ってたんだから」

「そうだったのか」望夢は歩いていく親父の後ろ姿を見つめた。

「さぁ!早く戻って!先にお風呂入ったら?寒いし風邪ひくよ?晩御飯、冷める前に食べてね!」母はそう告げると、家に向かった。

「うん!ありがとう!」望夢は元気よく返事をして家に向かおうとした。

 しかし、立ち止まった。「母ちゃん!」

「ん?」母が振り向く。

「母ちゃんは、今の生活、幸せだと思う?」

 母はしばし望夢を見つめると、すぐに表情を綻ばせ、頷いた。「ええ。とっても幸せよ。お父さんがいて、望夢がいて、犬もいて、私は凄く幸せよ」

 望夢は笑顔で頷いた。「よかった」


 どこか遠い場所で、亜久間は微笑んだ。「今回も突破ね」

「さすがです亜久間様!望夢さん、どんどん立派になってますね!」すぐそばに立つ記憶の使者メモリーがピョンピョン跳ねた。

「あんたが目指してる未来に着々と近づいてるな」時間の使者アジェも真顔で褒めた。

「私だけじゃないわ。今回もあなたたちのお陰よ。ありがとう。でも、最後まで気は抜けない。まだ望夢に教えるべきことがあるわ」

「楽しみです!」メモリーはニコッとした。

「本橋望夢もだけど、芽傍ゆうはどうだ?もうすぐ運命の時が訪れる」アジェは見透かして言った。

「そうね…。でも大丈夫よ。望夢がこのまま成長してくれれば…」亜久間は悲しそうなで芽傍、望夢、瞳の三人を想った。

両親の愛情と、息子としての自分の役目に気づいた望夢。一方、亜久間の使いアジェは、芽傍に運命の時が訪れると予見する…。

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