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愛レス  作者: たけピー
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男女お互い様

ひょんなことから瞳にショッピングに付き合わされた望夢。しかしすれ違いにより、望夢は瞳を置いてきぼりにしてしまう。いつの間にか眠りに落ちた望夢は、目覚めると女になっていた!

5 男女お互い様


 久米沢のとあるショッピングモールにて、入り口前に人がごった返していた。50人から100人はいる。その先頭で本橋望夢と片山瞳は体を扉に密着して後ろからの圧迫に堪えているところだった。

「たくっ!なんでおれまで付き合わなきゃなんねぇんだよ⁈」望夢はギューギュー押されながら声を絞りだした。

「ぶつぶつ言わなーい!制服汚した埋め合わせよ」瞳を肘で後ろの野次馬をこずきながら返答した。

 二人がここにこうしているのは訳がある。

 それは前日の食休み、食堂でのことだった。その日のメニューは望夢の大好物のカレーライスで、望夢は上機嫌でそれを席まで運んでいた。そのとき、スカート丈が完全に校則違反の超かわいいこちゃんとすれ違ってしまったのだ。当然のごとく望夢はその子をイヤらしい目でガン見した。そして足元にぶちまけられていた牛乳に気づかなかったのだ。案の定望夢は滑り、偶然そこを通りかかった瞳にカレーライスをぶちまけてしまったのだ。

「こぉのー‼︎無礼者ーーー‼︎」瞳は回し蹴りをして望夢を10メートル先まですっ飛ばした。

 しかしそれでは済まなかった。瞳はこう命令した。今週の土曜日に久米沢のモールで半年に1回の大セールがあるからその際の荷物持ちをしなさい、と。望夢は当然嫌がったが、瞳はコンビニでエロ本を立ち読みしてたことを先生にチクるだの、学年のマドンナの水筒を勝手に飲んでいたことを本人にチクるだのと脅しをかけたため、望夢はしぶしぶ承諾したのだった。

 ちなみに望夢はその日の朝、通学中に痴漢と勘違いされ、女子高生から平手打ちと頭突きと回し蹴りのトリプルコンボをかまされていた。おまけに「ざっけんじゃねーよゴミが‼︎おっさんのケツでも舐めとけ‼︎」となかなかキツい罵声を浴びせられ、電車の乗客から不審な目を注がれて大変気まずい思いをした。この日は厄日だったようだ。

 しかし悪いことばかりではなかった。無実の罪で暴行と罵声を浴びせられて凹んでいた望夢に声をかけた人物がいた。

「あの、大丈夫ですか?」

 その声に振り向いた望夢はときめいた。

 それは川浦夏美という学年の中でも指折りの美人同級生だった。川浦は約一カ月前に来た転校生で、ルックスも仕草もかわいくてしかも優しいと、男子から人気があった。

「…ひゃ、ひゃい!」望夢は思わず声が裏返っていた。「異性から叱られるのは慣れているもので!」

「そうでしたか。もしかして、本橋くん?」

「はい!いや、うん、そうだよ!おれ本橋望夢!どうして知ってるの⁈」

「だって有名だもん!色んな噂で!」川浦はにっこりと笑った。

 “色んな噂”とはもちろん良い噂ではない。

「あははははは…」望夢は頭を掻いた。

「でもうちは信じてないよ」

「え?」

「悪い人に見えないもん!」川浦はさらににっこりした。

 望夢も照れてニヤニヤした。「そ、そう⁈いやー嬉しいなー!わかってくれる異性がいてくれて!」

 こいつ、いけるかも?と望夢は思った。

「じゃあ、川浦さん!おれと…!」

 ここで電車が停車した。

「じゃあ!またね!」

 川浦を手を振りながら電車飛び出した。

「お、おい!ちょっと待って〜!」

 望夢は叫んだ追いかけようとしたが、柱に激突してぶっ倒れた。

 そんな散々な日から三日経った今日。瞳から朝8時に駅に集合をかけられたのだった。いやいや承諾したにも関わらず、望夢は時間ぴったりに駅に来た。しかし瞳の姿は無かった。メールを送ると、ただいま準備中で少し遅れるとのこと。イライラしながら待つこと20分、オシャレに着飾った瞳がようやく現れた。

「おせえよ!」

「ごめんごめん!化粧に時間かかっちゃってさ」

「化粧とかいいだろそんな時間かけなくて。たかが買い物に」

「失礼ね!女にとっては大事なことよ!」

 初っ端からそんな言い合いをしながら二人は8時過ぎに久米沢のモールにたどり着いた。しかし開店は9時だ。この大セールはかなりの争奪戦のため、前もって早めにスタンバイしておこうと瞳は計画していたのだ。

そして待つこと約50分。それが現状況である。

 いよいよ入り口が開けられ、100人前後の買い物客たちは我先にとなだれ込んだ。

「行くわよ!」瞳が走りながら叫んだ。「まずは洋服!急がないとどんどん品切れになっちゃう!」

 というわけで、二人は急ぎ足で色んなお店を回った。洋服屋、帽子屋、靴屋、アクセサリー屋。ありとあらゆる高級品を片っ端から比較的安値で買っていった。そしてその度に望夢の荷物が増えていった。

「これかわいい!これも!あ!これも!」

 普段から瞳は上機嫌だが、今日はいつにも増してハイテンションだ。一方、望夢は服や靴には興味なし。ブランドとか高級品とかそういった物の価値もわからず、ひたすら瞳の賛美を聞き流していた。

「わー!これかわいい!」瞳はあるワンピースを手に取って言った。「試着してこよっと!ちょっと待ってて!」

「はーい」望夢は愛想の無い返事をしてボーッと突っ立って待つことにした。

 何となくキョロキョロと周りを見回すと、ある物が望夢の目を惹いた。

 水着。女性物の水着。より正確に言うと、ビキニだ。

 望夢はニヤリとして大量の荷物をその場に置くと、今にも悪さをしそうなもの気持ち悪い表情で水着の陳列するコーナーに立ち入った。自分を取り囲む色とりどりの水着たち。望夢はそれらの中からランダムにチョイスし、手に取って触り心地を確かめたり、匂いを堪能したりした。

「はぁ〜…正しくこれだ!モールに来たらやっぱこういう物はチェックしな…」

 バコーン‼︎

 突然望夢の頭に硬い物が落ちてきて、快楽をぶち壊した。硬い物の正体は大きめの手鏡、それを握るのはもちろん瞳だった。ついさっき格安で購入したオシャレな手鏡が早速役に立ったようだ。

「何やってんのよこの変態!プライベートならまだしも、女の子と出掛けるときくらい自重しなさい!」

 洋服屋のど真ん中で望夢は説教され、はいはいとしぶしぶ頷いた。

 その後も望夢は、下着売り場でも同じようなことをしたり、すれ違った綺麗なお姉さんの後を追ったりと変態行為を数回繰り返したが、瞳は欲しい物をどんどん手に入れて、なんとか上機嫌でいた。

 それから数時間が経過した。

「もうほんと最高!」瞳は買ったばかりの帽子を頭に乗せ、サングラスをかけ、両手から紙袋を二つずつ下げて、満足気に歩いていく。その後ろから大量の袋を両手、口、首に引っ掛けて望夢がついていく。ハタから見たら望夢はどこかのお嬢様の雑用にしか見えない。まあ瞳はある意味“お嬢様”なのだが。

「よーし!買いたい物はそろった!」瞳は満足そうに望夢に振り向いた。

「やっとか!」望夢は呆れ顔でつぶやいた。望夢がイライラしていたのは荷物が多かったからという理由だけではない。一つの店にいる時間が長過ぎた。一店舗に少なくとも20分はいた。おかげでもう昼をとっくに過ぎている。そのため空腹もあった。

「お腹空いたし、フードコートで食事しよっか?」

 望夢は早く帰りたい気持ちはあったが、空腹の方が強かったので、それには賛成した。

 フードコートにて。瞳はハンバーガーとドリンクを注文しようとファーストフード店へ。一方で望夢はどんぶり屋の方へ行った。

「カツ丼定食ひと1つ!」望夢は威勢よく注文した。その直後…「あ!」

「カツ丼て…」店員の動きが止まった。

 望夢と店員は一瞬見つめ合った。その店員というのが、なんと芽傍ゆうだったのだ。

 望夢は何か言いかけようとしたが、言葉が見つからなかった。

 一方の芽傍は、「カツ丼定食でよろしいですか?」と店員らしい真面目な対応に戻った。望夢は「お、おう」とぎこちなく頷いた。

瞳は先に戻っていた。望夢がいつにない暗い表情で椅子に座ると、「どうしたの?」と尋ねた。

「芽傍がいた」とつぶやくと、瞳の興味を充分に引いた。望夢は芽傍がいるお店を指差した。

「へー!あそこでバイトしてんだねー!」と瞳。

 望夢の表情はこわばっている。「なんでいつもあいつと鉢合わせるんだろな?」

 2ヶ月ちょっと前に転校してきた謎多き優等生芽傍ゆう。望夢の痴漢冤罪事件から数日前のAV女優の事件まで、何かと彼は絡んでくる。芽傍はなぜか毎回事の詳細を知っており、解決に導くのに長けている。

「まあなんだっていいや!いただきます!」望夢は手を合わせてそう言うと、蓄積していた食欲に任せてカツ丼にありついた。

「望夢さ、」瞳は食事中の望夢に尋ねた。「昨日の芸能ニュース見た?」

「んあ?見てない」

「俳優の栗山晃がアイドルのりっきーと付き合ってたんだって!」

「へー」

「栗山晃と言えばモテる独身で有名だったでしょ?それにアイドルは恋愛禁止だからもう大騒ぎだよ!」

「へー」

「ねーなに?そのリアクション」

「へー」

「少しは調子合わせてよー!」

「へー」

「もう!」

 ここで瞳のスマホの着メロが流れた。瞳は画面を見て「あ、ヒロだ」と言って電話に出た。ヒロとは今の彼氏のことだ。

 望夢はほっとした。これでつまらない会話をずっと続けられずに済む。しばらく電話してていいぞ。そう考えてじっくりと飯にありついた。

 もともと食欲旺盛な望夢は瞳よりも早く完食した。「ふぁー!ごちそうさまー!っしゃ!帰るか!」

 と言ったが、瞳はまだ通話している。かなり盛り上がっているため、しばらく終わりそうにない。仕方なく望夢はスマホをいじって暇を潰した。

 しかし瞳が通話し始めて30分経ってからも、一向に終わる気配がない。望夢はスマホいじりだけでは堪えきれず、トイレに行ったり、女性の店員を口説いたりしたが、いつまで経っても瞳は通話しているのだった。

 イライライライラ!

 望夢はとうとう限界に達してテーブルに拳を打ち付けた。「いい加減にしろ!こっちは来たくて来てるわけじゃねえんだ!マイペースなのもいいとこだぞ⁈」

 瞳はスマホを耳から離した。「だって、望夢だってスマホいじってたじゃん?だからあたしも話してたんだよ?」

「あーーー‼︎」望夢はイラついてテーブルを蹴飛ばした。「もう勝手にしろ‼︎」

 望夢がそれだけ言うと、ズケズケとモールの出入り口目指して歩き、出たところにあった自販機で炭酸系ドリンクを一本買うと、一気に半分まで飲み、「かー!」と一声うめくと、自販機の横に座り込んだ。

 …おれ何やってんだろ?なんで瞳なんかの相手してんだ?

 望夢はそんなことを思い始めた。そのうちに、疲れでウトウトしていつの間にかいびきをかいていた。








 望夢はいつもお決まりの夢を見る。広い草原を、誰だかわからないが理想的な女の子と一緒に手を繋いで歩いている。言葉を交わすこともなく、ただ手を繋いで歩いているだけだが、それだけで望夢は十分幸せなのだ。

 しかし、近頃はこの快楽をぶち壊される。夢の展開が急展開したと思うと、少女に異変が起こり、望夢はびっくりして飛び起きる。

 この日の夢もそうだった。

 少女がゆっくりと望夢に振り向き、徐々にその素顔が明らかになる。見事な美貌が期待される展開だが、少女の首が完全に振り向いた途端、望夢の期待は恐怖に変貌した。

 女の正体は今朝痴漢だと勘違いしてきた女だった。凄まじい形相で望夢を睨んでいる。握られる手の力がどんどん強くなり、彼女の爪が望夢の手に食い込んできた。

 …痛い!

 そして彼女こう呟いたのだ。

「……よくもやったな…」




 ピッ!ピッ!ピッ!ピピピピ!ピピピピピ…

 騒がしい目覚まし時計が朝の訪れを伝えた。

  望夢は飛び起きた。見回すと、いつもと変わりない自分の部屋で寝ていた。自身の体は汗でびしょ濡れだ。

 望夢は、ガチャッと若干乱暴にそれを止めると、まだ開き切っていない細い目を擦った。次に体を起こし、立ち上がって伸びをすると、「うあーっ」とあくびをした。

 いつもと同じ朝だ。同じようなドタバタな一日があって、同じような夢を見て、同じように体が重くて、同じような水色のパジャマを着て………⁈

「ん⁈」

 望夢はキョトンとした。今自分は上下水色の半袖半ズボンのパジャマを着ている。なぜだ⁈いつも寝るときはスウェットにTシャツか、スウェットに半裸か、パンツ一丁か、制服のままのどれかだ。こんな服装で寝ることはない。いや、こんなパジャマなど持っていない。いったいこれはどういうことなんだ⁈寝ている間に、誰かに衣装チェンジさせられた⁈寝ている間に、何者かに服を引っぺがされたのか⁈だとしたら女がいいな〜!

って、そうじゃなくて!

望夢は平静を保ってもう一度部屋をよく見てみた。基本的な家具配置は変わっていないが、机の上が綺麗に片付いている。普段は服や学校の荷物、お菓子の袋などで散らかっているはずなのだが、今ではシャーペン数本、ハンカチ数枚、飴やグミの袋が少しある程度だ。

 望夢は机の引き出しを開けてみた。中もしっかり整頓されていて、まるで女子の机だ。しかし、収納されているものはどれも見覚えのないものばかりだ。手に取ってじっくり眺めてみても、何なのかさっぱりわからない。

 そもそも思い返せば、自分は瞳とショッピングモールに行って、喧嘩して、外の自販機の横で飲み物を買ったのが最後の記憶だ。しかしそれ以降のことは覚えていない。

「何があったん…えへん!えへん!」

 驚きのあまり声が裏返ってしまったようだ。望夢は数度咳払いをし、改めて疑問を口にした。

「何があった……あれ?」

 やはり声がおかしい。裏返っているわけではない。喉は平常状態だが声がいつもより高い。まものすごく違和感を感じる。まるで女のようだ。

「どういうことだ⁈」

 高い声でそう呟くと、望夢は階段を駆け降りて洗面所へ。そして鏡を覗いた。

 そこには恐ろしいものが写っていた。

「ぎゃーーーーーー‼︎」

 鏡には、水色のパジャマに身を包んだお団子頭の女の子が立っていた。女子高生くらいだろう。美人とは言えないがそこまでブスでもない。その娘が、鏡の中で驚愕して口をあんぐりと開けている。

 そう。その見知らぬ女の子こそ、今の望夢自身なのだ。

「どういうことだ⁈」

 恐る恐るお団子を縛っているヘアゴムを外す。髪の毛は放射状に広がって望夢の頭を覆い隠すように、首の付け根まで下りてきた。くるんと跳ね上がった先端が一回バウンドした。

 ショートヘアーだ。望夢はショートヘアーの女の子になっていた!

「ウソだろー⁈」望夢はショートヘアーは両手で抑えながら呻いた。

 …女‼︎…まさかいきなり、女になっちまうなんて‼︎

 待てよ⁈ってことは、もしや⁈

 望夢はパンツの中を覗いた。

「………ない‼︎」

 望夢の股にあるはずの、男の証は消えていた。

「望美ー!朝から何騒いでるのー⁈」

 リビングの方から母親が問いかけた。

 のぞみ⁇のぞみだって⁈名前も女⁈

 望夢は大慌てでリビングに入った。

「母ちゃん!」

「ん?どうしたの?それに母ちゃんって?」ガスコンロでフライパンを握っていた母の手が止まった。

「おれ、どうしちゃったの⁈」

「はあ⁇」

「おれ!おれ、何で女になってんなの⁈」

 母はしばしの間硬直して望夢を見つめていた。フライパンの上でベーコンがジューッと音を立てている。

「おれって?なに言ってるの?あなたは生まれたときから女の子でしょ?」

 そう言うと母はベーコンを菜箸でひっくり返した。

 生まれたときから女の子だって⁈そんな馬鹿な!自分には男だった頃の記憶がしっかり残っているのだ。男だったから数々の女に言い寄っていたのだ!男だったから彼女を欲していたのだ!男だったから親父に殴られて育ったのだ!それなのに、なぜ⁈親のくせに、なぜそんな手のかかる変態息子の性別を正反対に認識しているんだ⁈

「ほら!早く朝ご飯食べちゃいなさい」

 母は目玉焼きとベーコンの乗っかったお皿テーブルの置いた。ベーコンは黒焦げだった。

 訳がわからないまま望夢は朝食を口に押し込んだ。

 その後、制服に着替えようとして自分の部屋に戻った。そして壁にかけてある制服を見てはたまた仰天した。

 スカーフにスカート。制服は女物だった。

 望夢は色んな意味で興奮した。今日はこれを着て学校に行くのか!

 望夢は溜め息をしながら水色のパジャマを脱いで、下着になった。ブラジャーとパンツ。色は白。望夢は自分の姿にまた興奮した。

 望夢は下着も脱いで素っ裸になり、全身鏡の前に立った。もともと痩せ型のため、スタイルはそんなに悪くない。胸はCカップと言ったところか。

「たまんねー…」

 望夢の鼻からはすでに血が滴っていた。望夢は自分の体を撫で回し、胸を揉んだ。自分自身の体に夢中であった。今すぐ自分の体にかぶりつきたくて仕方なかった。

 そのとき…

「望美?ちょっといい?」

 部屋の外から母の声がした。望夢はビクッとして慌てて服を纏おうとしたが、母はすでに部屋を覗いていた。

「えぇ⁈ちょっと⁈何してるの⁈」母は目を丸くした。

「きゃー‼︎えっちーーー‼︎」

 望夢は片手で胸、片手であそこを隠しながら扉に駆け寄り、脚でバタンと扉を閉めた。

 すると、「ふふふ」と後ろから笑い声がした。見ると、亜久間がベッドに座っていた。

「きゃっ!」望夢は女の叫び声を上げてまた体を隠した。「やっぱりお前の仕業か!」

「もっちろん!」亜久間はニヤリとした。「私からレッスン兼罰よ。しばらくその体で過ごしなさい」

「しばらくって、いつ戻してくれるんだよ⁈」

「その時が来たら。バーイ!」

 亜久間は煙となって消えてしまった。

 望夢は訳がわからず、イライラしながら制服を着た。じっとしててもこの悪夢は終わらない。またあいつの手の内で動くしかない。

「これでよし」鏡の前で襟元を整えて望夢は頷いた。

 しかしこれで終わりではない。ほどいた髪がさっきから邪魔で仕方なかった。大半の男が好む女子のロングヘアー。しかし実際身に付けてみると結構邪魔くさい。サラサラの綺麗なロン毛の持ち主が「髪切りたいなー」と言う気持ちがよくわかった。

 望夢はゴムで髪をなんとか束ね、荷物を整えると、玄関に向かった。

「行ってらっしゃい。気をつけ…」

という母の言葉をスルーし、行ってきますも言わずに玄関を出た。

 すると、外で制服姿の美少女が立っていた。セミロングの髪に大きな目。望夢はもう見飽きるくらい見ていた。瞳だ。

「遅いじゃん?どうしたの?寝坊?」

「ま、まあな…」

 正直、まだ夢を見ているような気分だ。

「え?ずっとおれのこと待ってたの?」

「?…うん。いつも待ってんじゃん。というか、何?俺って?」

 察するに、瞳も望夢が本来男であることを知らないらしい。女友達である望美のことを、毎朝玄関前で待ち受けているという設定のようだ。

「ほら、早く行こうよ?遅刻しちゃう」

「おう」

 二人は駅に向かった。その最中、瞳が友達の話や異性の話をタラタラと話しているのを、望夢は聞き流していた。そんな話はどうでもいい。今自分に何が起こっているのか気になって仕方ない。

「望美?のぞみーー!」

 瞳の呼びかけに望夢はドキッとした。「ん⁈は!⁈」

「どうしたの?具合悪いの?今日なんか元気ないよね?」

「え?そんなこたぁねえよ」

「そんなこたぁある!それに、そういう男っぽい口調も。いつもそんな話し方しないでしょ?」

「え…だって、……」いつもは男だもん。

「なあ瞳、今すげえ動揺してんだ…け…ど…」

 そのとき、おしりに妙な感覚がした。電車の揺れに合わせて、さりげなく手を押し付けてくる。その手が、明らかに自分のおしりを掴んでいる。

 ザッ‼︎

 望夢は瞬時にその手を掴み上げ、その者に平手打ちと頭突きと回し蹴りのトリプルコンボをかました。さらに「ざっけんじゃねーよゴミが‼︎おっさんのケツでも舐めとけ‼︎」と罵倒した。

 ちょうどそのとき、電車が止まった。車内の誰もが注目し、気まずさに苛まれた男はタイミングよく開いた扉から逃げていった。

 ざまぁ見やがれ!

「望美凄い!勇気あるね!」瞳は称賛した。

「はー!気持ち悪かった〜!」

 人生初の痴漢だった。望夢は痴漢に遭う女子の気持ちがよくわかった。




「はぁー。ほんとキモかった〜!」

 電車を降りて学校へ向かう途中、望夢は溜め息混じりに呟いた。

「でも、かっこよかったよ!望美!」瞳はにっこりした。「ほんとに今日はどうしたの?いつもはあんなに大声出さないのに」

「いつも?」

「うん」

「ってことは、おれ、しょっちゅう痴漢にあってるの?」

「え⁈そうだよ!何言ってんの⁈記憶飛んじゃった⁇」

 飛んだのではなく、もともと無いのだ。

「え…じゃあ、おれってモテるの?」

「え?いや、モテるっていうか、体が細いから痴漢に遭いやすいって感じじゃない?モテるかモテないかどうかと、痴漢に遭いやすいかどうかは関係ないし」

「そうか、そうだよな。女の子って大変だね」

「なに初めて女になったみたいなこと言ってんの?ふふ。おかしい!」

 初めて女になったんだよ。

「あ」望夢はある者の存在に気づいた。前方、自分たちとは反対方向から学校に向かってくる男。それは謎に満ちた同級生、芽傍ゆうだ。

 芽傍も望夢に気づいた。そしてじーっと望夢を見つめると…⁈

「笑った⁈」瞳が望夢の思ったことを代弁した。

 そう。あの基本ポーカーフェイスな芽傍が、望夢のことを見て笑ったように見えたのだ。

「なんだあいつ?意味わかんねぇ」

 二人は校舎に入ると、階段を上がった。

「芽傍くん、今日は機嫌のいいのかな?」瞳はちょっぴり嬉しそうに言った。

「しらね。どうでもいいよ気持ち悪い」

 その直後、何につまずいたのか望夢は急に足を踏み外し、後方に倒れてしまった。

「うわっ‼︎」

 死ぬ!っと思った次の瞬間、望夢は仰向け状態で宙に静止していた。ばっちり見開いた目を横に向けると、見たこともないような超イケメンが望夢の背中を支えていた。

「大丈夫⁈怪我はない⁈」爽やかな声でイケメンは尋ねた。

 望夢、いや、望美は頬を赤らめた。「は!はい!大丈夫です!」

「よかった!」

 イケメンは「起こすよ?」と言うとゆっくり望美の上半身を持ち上げて立たせてあげた。

 ここで望美はじっくりイケメンの顔を拝めた。高いつり目で力のある目にキリッとした眉毛、筋の通った鼻。細かく見てもどこまでも美しい顔をしている。

「あ、ありがとうございます!」

「どういたしまして!気をつけてね!」

 イケメンは「じゃあね」と笑いかけて階段を上がっていった。

 その一部始終を見ていた女子たちはキャーキャーわめいた。

「やったじゃーん!」瞳は微笑んだ。

「何が?」

「木晒くんに抱きかかえてもらえたじゃん!」瞳は望美を肘で小突いた。

「木晒くん?て言うのか?」

「え⁈知らないの⁈」

「知らない!あんな人いたっけ?」

「いるよ!有名じゃん!木晒悠斗!成績めっちゃ良くて運動神経も抜群!バリイケメンでおまけに優しくて!学年のアイドル!男子の憧れ!女子の的!」

 瞳は目をキラキラさせながら説明した。

 望夢は唖然としていた。「まじ⁈初めて聞いたわ」まさかの新キャラ登場とは。しかもかなりチート級!

「うそでしょ⁈ありえないー!」

「なんか、めっちゃナルシストっぽくない?」

「別によくない?実際誇れるくらいはいスペックだし。とか言うけどさ、望美凄い頬赤らめてたじゃん?」瞳は耳元で冷やかすように言った。

「はっ⁈そんなことないし!」

「ある!ほら!今もまた赤くなってるよ!」

 瞳はケラケラと笑った。

 正直、望美はときめいていた。あんなイケメンに抱きかけられて「大丈夫?」なんて聞かれてたら、どんな女も落ちるに決まってるじゃないか。イケメンにキュンキュンするなんて、おれ!…完全に女じゃん!

「木晒くんとこのまま仲良くなれるといいね!助けてもらったんだし、お礼がしたいなんて言って、呼び出しちゃえば⁈」瞳はまた冷やかした。

「うるさいなー!早く教室行くぞ!」望美は照れを隠して急かした。

 このとき、二人は気づいていなかった。下の階から川浦夏美、あの痴漢と勘違いされた望夢をかばった女子が、望美のことを見つめていたことに。

 二人は分かれてそれぞれの教室に入った。

 望夢は教室に入った。すると、「望美おはよー!」「おはー」「おはよ!」と、クラスの女子数人が挨拶してきた。

「え⁈」望夢はびっくりした。「今、おれに挨拶した⁈」

 望夢は"学年一の変態"という称号を与えられている。そんな望夢に向かって堂々と挨拶する女子はせいぜい瞳くらいだ。それなのに、教室に入った途端女子たちが挨拶で迎え入れてくれるなんて!

「そうだけど⁇なに、おれって?」挨拶した女子の一人、久保が首を傾げた。

「あ…わ、わたし!」

「それも変!いつも、うちって言ってるよね?」

 久保がそう言うと、周りの女子たちもうんうんと頷いた。

「あ!そうそう!うち!うちだよ!はは」

「変なのー」

 おかしな望美ちゃんのことは置いといて、女子たちは雑談を始めた。

 本当に自分は女になってしまったのだ!と、改めて望夢は実感した。

 ここで学校の鐘が鳴り響いた。ガラガラと教室の扉が開き、担任の源先生が入ってきた。

「よーし、号令!」

 気をつけ。礼。

「みんな、もうすぐ夏休みだ。わかってると思うが、休みだからと言って、夜遅くまで遊び歩いたり、大人限定のお店に立ち入るのは駄目だからな?まあ、みんなと同じ歳の頃に、女の子連れ回してそんなことやってた俺が言える立場じゃないがな!ははははは!」

 静かな教室の中、変わり者の源先生の笑い声が響いた。生徒の前で色男だった過去の栄光を自慢するとは…。女子はもちろん、男子まで引いている。

「話は以上」

 源先生は数分つまらない話をして、そのシラけた空気のまま、ホームルームを終えた。

 望夢は初めて源先生に嫌悪感を感じた。男だったときは、女好きなんだろうなーくらいの気持ちで話を聞いていたが、女になってみると、あの教師が自然と気持ち悪く思える。

「マジあいつキモいな」先ほどの女子、久保が望夢に向かって呟いた。

「ん⁈あ、ねー!」と望夢は遅れて反応。

「ほんとだよねー!ああいう男、一回死ねばいいのに!」不良女、内藤も加わって共に愚痴り出した。

 それに続いて、女子たちは次々に源先生愚痴を言い合った。

「源死ね!」

「ゴミカス教師!」

「セクハラ常習犯!」

 次々と飛び交う罵声に望夢は溜め息を吐いた。女子って陰口凄いなー。毎日こんなの聞かされたら不愉快でしょうがない。いったいいつまで女でいなきゃいけないのだろう?

 あ、トイレ行こっと。

 源先生のせいでゾクゾクしたためか、急に望夢は便意を感じて、そそくさとトイレに向かった。

 バタン!と扉を開け、壁に設置された立ち小便器の前に立つ。そしてファスナーを下げようと股に手を当てた。しかし、一向に探し物の感触はしない。あれ?と思った瞬間、思い出した。自分が履いているのはスカート。ファスナーなんてものはない。というか自分は今女子高生!そしてここは男子トイレ!つまり…

「本橋…⁈」

 隣の便器で用を足していた愕然として男子が声をかけてた。

「ここ、男子トイレだぞ⁈」

 見ると、他の便器はすべて使用中であり、使用している全員が唖然とした表情で望夢を見ている。

 しまった…。

 望夢はうな垂れて、この窮地を乗り切ろうと必死で言い訳を考えて、こう言い放った。

「何よ‼そんな目で見ないでよ‼︎女の子だって立ちションしたくなることくらいあるのよ‼︎ふん‼︎」

 望夢はズカズカとした足取りで男子トイレから出て、女子トイレに入った。

 望夢は個室の扉を勢いよく開け放ち、すぐに勢いよく閉め、鍵を掛けた。そして便座にドスッと座り、またうな垂れた。

 女の体じゃ過ごしにくいったらありゃしない。ほんとにいつまでこの悪夢は続くんだ?




 その後も、望夢は慣れない女の生活に苦労した。

 1時間目の英語の授業が終わった後、斜め前の席の女子から、こんなことを言われた。

「望美ちゃん、授業中、ずっとパンツ見えてたよ?」

「え⁈」

「だって、ずーっと脚開いてたじゃん」

「あ…」

 それから次の2・3時間目は、脚を閉じるように意識していた。これがなかなかきつかった。男として過ごしている普段は、いくら脚を開いていても問題ないため、まったくしない意識である。しかも、もともとじっとしている事が苦手な望夢が、長時間脚を閉じて行儀良く座るなんて不可能である。結局望夢は妥協して、脚を交差させて股にゆとりを持たせた。

「はー。めんどくせー」

 授業が終わった途端、望夢は脱力して机に突っ伏した。

 女の子って大変だな〜。

溜め息を吐きながら望夢は次の授業を確認した。運の良いことに、体育だった。これでパンチラのリスクからは解放される。

 しかし、体育の授業は座学よりもきつかった。

 女の体はスポーツに向かない。男の体にはあった体力も筋力も、すっかり消えている。グラウンドを走るだけで精一杯だ。何よりも、胸が重い。望美、つまり今の望夢は、Cカップくらいだが、男の体と比べたら若干しんどい。重りを胸に入れて走っているみたいだ。

「かーーー‼︎もういやーーー‼︎」

 望夢はヘトヘトになって授業を終えたのだった。

「マジで男に戻りたいわ…」制服に着替えた望夢はまた机に突っ伏して呟いた。

 そのとき。

「望美ー!」

 扉の方から呼んできたのは瞳だった。

「んー?」

「ほら!カフェテリア行こ!」

「え?…あー…」

 どうやらお昼も瞳と一緒に過ごしているらしい。やれやれ。女でいるってだけで面倒なのに、さらに面倒なやつと食事もしなきゃならないなんて。だがここで断ったら、クラスの全然話したことのない女子や、ヘタをすれば内藤のような女子とも言えないような女子と食事を共にする羽目になるだろう。それはもっと困る。

 仕方なく、望夢は財布を持って瞳のもとに向かった。瞳は笑顔で頷いたが、一瞬にしてその表情は崩れた。そして望美に顔を近づけて臭いをくんくんと嗅いだ。

「な、なんだよ⁈」

「いやー…ちょっと…臭うなぁって」

「え…」なんて神経質で正直ななやつなんだ!「体育の後だから。そんな大した臭いじゃないだろ?」

「いや、結構臭うよ?なんて言うか、男っぽい臭いって言うかな?」

 がくっ!望夢の上半身の力が抜けて腰から上だけ崩れ落ちた。何で臭いだけ男のままなんだよ!

「臭い消し持ってないの?」瞳はキョトンとした顔で尋ねた。

「あー?持ってねえよそんなもん」

「えー!今日ほんとどうしたの⁈いつもすごい臭い気にしてるのに?臭い消しは女子の必須アイテムって、自分で言ってたじゃん?」

 信じられなかった。女子力の欠けらも無い自分が、臭いを気にして臭い消しなど持ち歩いているなんて。

「ほら、あたしの貸すよ」瞳は制服の内ポケットから小型の容器を取り出し、望夢に差し出した。

「サンキュー…」

 望夢はすっかり元気をなくした声で礼を言うと、シュッシュッとそれ数回自分に振りかけた。

 瞳はまた望美の臭いを嗅いだ。

「…うーん!いい香り!やっぱりこれだね!さ!行こ!」

 こうして二人は学校のカフェテリアにやってきた。

 カウンターで日替わりランチを注文し、自販機でいちごミルクとバナナ・オレをそれぞれ買うと、空いている席を陣取った。

 さてと。これから瞳のつまらない世間話や愚痴を聞く相手をしないと。はー。めんどくさー。

 と、望夢が心の中で呟いたのを合図にしたかのように、瞳は話し始めた。

「ねえ?昨日のジャニーズの滝田くんのニュース、見た?」

 滝田くん?知らねえよそんなや…

「みたみた!モデルの高山英と熱愛ってね!」

 …⁈何言ってんだ、おれ⁈

 望夢は自分にびっくりした。ジャニーズの滝田くんなんて知らないし、知ってたとしても熱愛騒動なんて興味ないのに。

「そうそう!」瞳は続けた。「ドラマで共演したときから囁かれてたけどさ、そんなのよくあることじゃん?だから信じてなかったんだよね」

「だよねー!あたしも!」

 …あたし⁈うわ!おれ気持ちわる!こんな話に食いついてしかも"あたし"だなんて!

「でもジャニーズは恋愛禁止だから、滝田くん、引退するってことかな?」

「え、マジ⁈それは辛いわ!」

 いったいどの口が喋ってんだ⁈おれはもともと男だぞ?なんでジャニーズのメンバーの引退話で辛いとか言うんだよ⁇

「ねー引退は嫌だ!でもお似合いだし、別れてほしくもないかなー?」

「確かにねー」

 なぜかはわからないが、こんな調子で望夢は食いつき、二人は盛り上がった。

 20分後、二人はほぼ同時に日替わりランチを完食した。瞳は満腹、しかし望美はまだ物足りない。女になっても食欲は変わっていないらしい。

「足りないからさ、なんか適当に買ってくるね」

 瞳にそう告げると、望美はカウンターへ向かった。日替わりランチはさすがにもう売り切れだが、サイドメニューのフライドポテトが一つだけ残っていた。

 ラッキーだ!望美はその最後の一つに手を伸ばした。

 しかし、手が触れる寸前で、横取りされてしまった。「⁈」

 傍らに目を向けると、そこには例のガキ大将、鬼頭が立っていた。

「最後の一個だぜ!あぶねえあぶねえ」

ムカッ!望夢の頭の中で何かが切れた。こやつ、いつも邪魔ばかりしおって!ボッコボコにしてやる!

 と思ったが、男であっても歯が立たないのに、女である今の自分に勝ち目がないのは目に見えている。ちくしょう!ほんとに不便な体だぜ!女に暴力は似合わない。

 …そうだ‼︎望夢は閃いた。これなら鬼頭を圧倒できるはずだ。力に頼るのではない。女の特権を生かすのだ!

「えへん!」望夢は一つ咳払いをすると、腕を組み、鬼頭に一歩近づいた。「鬼頭!それ、よこしな!」

「あ⁈」鬼頭は自身に命令してくる小柄な女子生徒を睨んだ。

「だからー、それ、あたしに、よこしなさい!」

 鬼頭は前かがみになって真正面から本橋望美を睨んだ。「てめー、何様のつもりだ⁈」

「そっちこそ何様よ!いつも威張り散らしてばっかで、自分を偉いとでも思い込んでるの?」

「てめえ!黙んねえとただじゃおかねえからな!」

「黙ってほしかったらさっさとそれをこっちによこしなさい!」

「なんだとー‼︎」

 鬼頭は拳を握り締め、それを頭の高さまで持ち上げた。しかし、その手は宙でプルプルと震えるばかりで、目の前に立つ女の顔面に振り下ろすことはなかった。

 ざまぁみろ!

 望夢の計らい通り、鬼頭は拳を振るえなかった。それもそのはず、大の男がヤワな女子高生に拳を振るうなど、あっていいことではない。

 鬼頭は握った拳を下ろした。「てめえ、マジでいい加減にしろよな⁈俺が取ったんだから、俺のもんだろ‼︎」

 望美はニヤッと笑ってみせた。「あんたね、そんなぶっとい体してるくせに、それ以上食べて何になるのよ?ちょっとは控えたら?だからわたしによこしなさい?」

「このヤロー‼︎」鬼頭は望美に掴みかかった。

「キャーーー‼︎」望美はわざとらしくカフェテリア中に聞こえるような悲鳴を上げた。「誰かー‼︎助けてー‼︎鬼頭くんがイジワルするー‼︎」

 カフェテリア中の視線が二人に集中した。心の中で、しまった!ちくしょう!と悔しがる鬼頭と、やってやった!ざまぁみろ!と高を括る望夢。勝敗は出ていた。

「鬼頭!離すんだ!」

 爽やかな声がカフェテリアに響いた。声の主は、例のイケメン、木晒悠斗だ。

「なんだよ木晒!邪魔すんじゃねえ!」

「女に手を出すのは卑怯だぞ!喧嘩がしたいなら、俺が相手になるぜ!」

「なんだと⁈」

 鬼頭は望美を乱暴に離すと、木晒に向かい合った。

「上等じゃねえか!オラァ‼︎」

 鬼頭は叫んで木晒に殴りかかった。しかし木晒は見事なタイミングでそれをよけ、鬼頭はつんのめった。

 歓声が湧いた。

「ナメやがって‼︎」

 さらに鬼頭は拳を振り上げたが、木晒はひょいと片足を引くと同時に鬼頭の胸ぐらを掴み、床に投げ飛ばした。

 また歓声が湧いた。

「許さねえ‼︎」

 鬼頭は再び立ち上がったが、振り向いた瞬間に木晒に手を掴まれ、そのままクイッと腕をひねられて拘束された。

「降参しろ!」木晒は怒鳴った。

 鬼頭はしばし拒んだが、抵抗もできず、しぶしぶ降参した。

 カフェテリアから拍手が喝采した。

 木晒は望美に向き直ると、「大丈夫?怪我はない?」とまた尋ねた。

「はい!」望美は目を輝かせた。「ありがとうございました!」

 望美は深々と頭を下げると、満足げに微笑んだ。ここまでは想定してなかったけど、ラッキー!

「また何かあったら、俺に言うんだぞ?助けてやる」

 木晒はそう言いながら望美の頭を撫でた。

「えへへ!ありがとう!」望美は笑顔で返事した。

 こうして、望夢は鬼頭に一泡吹かすことに成功し、なおかつイケメンとの距離を縮めたのだった。

「へっへっへ!最高なんだけど!」望美は上機嫌で奪ったフライドポテトを頬張った。

「望美…」瞳は不思議そうな顔で望美を見ていた。

 このときも、川浦は望美のことを見つめていた。

 望美はルンルン気分で飲み物を買おうと自販機の前に立った。お金を入れ、ボタン押すとき、隣の自販機でも同時にボタンを押す者がいた。ふと目をやると、それは芽傍だった。

 二人は数秒睨み合った。

「何よ?」望美は尋ねた。

「別に」

 芽傍はそう答えて落ちた飲み物を取ると、回れ右して戻ろうとしたが、立ち止まってこう言った。

「女になってもバカに変わりはないな」

「…⁈」望美は仰天した。「お前!おれが男だったこと知ってんのか⁈」

 芽傍は返事をせず、代わりに『そうだけど?』とでも言うようにちらりを振り向いて見せた。

「…お前…何なんだよほんと…」

 芽傍は無言で席に戻った。望美は芽傍からしばらく目を背けることができなかった。




 その翌日から望美の振る舞いは一変した。

 望美はボサボサの状態で朝起きると、顔を洗ってヘアドライヤーをかけ、ヘルシーな朝食を取ると、部屋で鏡台に向き合って化粧を施した。

 その最中に外から声がした。「望美ー!おはよー!」

 瞳の声だ。望美は窓を開けると外に向かって「おう!今行く!」と返事した。

 そして膝上20センチくらいのスカート丈で制服を着込むと、優雅に学校鞄を肩にかけ、軽やかな足取りで外に出た。

「おはよ…え⁈」

「おはよ!どうかした?」望美はにっこりして尋ねた。

「どうかした?ってのはこっちのセリフだよ!急にそんな化粧してどうしたの⁈」

「えーさりげなくした感じだけどバレちゃったか」

「女ならすぐわかるよ!ていうか校則違反だよ?」

「別にいいでしょ?他の女子もやってるし」

「そうだけど…」

「んなもん気にしてたら楽しめないよ?女子なんだからオシャレしたいじゃん」

「…ま、まあ、ね」

 瞳は納得しきれぬまま、望美と電車に乗り込んだ。

「昨日から様子が変だけど、大丈夫?」

「変って?」

「鬼頭をからかったり、学校行くのに化粧したり」

「あー。別に!女を楽しんでるだけだよ!」

「そ、そう…。別にいいけど、気をつけてね」

「気をつけるって何に?」

「なんかトラブルとかに巻き込まれないでね」

「大丈夫だよ!女に暴力振るう男なんていないし」

「そういう話じゃなくて…」

「なんでもいいけど、うちは気にしないよ。女なら、存分に女楽しまなきゃ!」

 ここで電車の扉が開き、望美は踏み出した。

 そして香水の香りを振りまきながら颯爽と校舎の廊下を歩いた。

 男女問わず、すれ違う者は望美に目を奪われた。

「あれ本橋?」

「なんか違くね?」

「いつもすっぴんだったじゃん?」

 あちらこちらでささやく声に、望美は満足気だった。

 そんな望美を、川浦と芽傍もばっちり視界に捉えていた。

 トロフィーが展示してある棚の前で、男子が数名集まっていた。その中央にいたのは、あのイケメンの木晒悠斗だ。望美は後ろから近づいていった。

 男子の一人が望美に気づき、木晒を振り向かせた。望美を見た途端、木晒も驚きを隠せなかった。

「本橋さん⁈なんか今日は、素敵だね!」

 男たちは木晒を冷やかした。

 望美はにっこりした。「ありがとう!はいこれ!」

 望美は紙袋を差し出した。

「何これ?」

「二度も助けてもらったから、お礼!」

 望美は木晒の手を取って紙袋を握らせた。

「そんな!当然のことをしたまでだよ!でもありがとう!」木晒も微笑んだ。

「こちらこそ!じゃ、またね!」

 望美は踵を返して教室に行こうとした。

「待って!」木晒は引き止めた。

 望美は立ち止まった。

「今週の土曜日、空いてる?良ければ、一緒にどっか行かない?」

 一部始終を見ていた者たちは小さな歓声を上げた。

 男たちはまた木晒を冷やかした。

 望美はニヤリとすると、振り向いて満面の笑みで答えた。「空いてるよ!じゃあ、10時くらいに久米沢駅に集合しない?」

「いいよ!また連絡する!あ、連絡先交換しよ!」

「うん!」

 二人はスマホを出して連絡先を交換し合った。

「じゃ、土曜日、楽しみにしてるね!」

「俺も!」

 望美は満足気な顔で教室に向かった。

 な〜んだ。男ってちょろいじゃん!




 その日の昼休み、望美は教室でこっそりスマホを開いた。あるSNSを開くと、木晒から『よろしくね』と来ていた。さっき木晒と交換し合ったSNSだ。さっきは何の躊躇もなくこれを起動したが、男だった自分はSNSはやっていなかった。

 望美も『よろしく!』と返し、木晒のアカウントをじっくり見てみた。アイコンは芸能人か自信家特有の本人写真。ヘッダー画像は好きであろうサッカー選手がゴールする瞬間の画像。呟きを見ると、『筋トレ頑張った!』や『模試しゅうりょー!むずかった汗』など、普段の苦労が読み取れるものが多めだ。努力家なんだなと望美は思った。

 ここで望美はふと思った。女になった今、自分のSNSはどうなっているんだ?周りからの反響は?

 そこでまず自分のアカウントを見てみた。アイコンはよくある飼い犬画像、クロの写真だ。ヘッダーはどこかで撮った景色の写真。呟きは、『かわいくなりたいー』とか『ブス降臨』という文と共に可愛げに撮った自撮りを何枚も上げている。どの写真も加工アプリでバリバリに加工してある。

 メンヘラじゃん!望美は恥ずかしくなった。

 次に自分がフォローしている人の呟きを見てみた。すると今日のことが呟かれていた。

『速報!木晒、本橋を誘う!』

『本橋やべ〜〜。木晒くんとデートとかうらやま』

『みんなの前でデートの誘いとか木晒もやりよるの』

 みんなめっちゃ反応してんじゃん。望美は笑みを浮かべた。

 この前痴漢冤罪にあったときに慰めてくれた川浦夏美も呟いていた。

『木晒くんと望美ちゃんのやり取り見ててキュンキュンした!あんな青春がしたいなー!』

 望美はクスッと笑った。

 みんなの呟きを見ているうちに、『Hitomi』という名前のアカウントを発見した。もしや⁈と思い覗いてみると、やはりそれは瞳だった。アイコンはネコの画像、ヘッダーは女友達(おそらく本郷玲奈と望美自身)と一緒に背中を向けてピースしている画像だ。なんとも女子らしい。

 呟きを見たが、ほとんど浮上していなかった。内容も『あつい〜』とか『おすし食べたいなー』とか、つまらないものばかりだ。だが優等生の浮上率は低いというのはお約束だ。

 さらに見漁っていると、『。』という名前の妙なアカウントを発見した。アイコンは真っ黒で、ヘッダーはアニメの病みキャラ。一番目を引くのは呟きだ。どれも酷い内容だ。

『本橋とかいうブスがなんで木晒くんに言い寄ってんのー?』

『すっぴんお化けが急にいきりだして草』

『スクールカースト底辺のクズ女、本橋ww』

 いくつかの呟きには、いつの間に撮ったのか望美の画像も添えられていた。

「なにこいつ⁈タチわっる!」

 望美はさらに古い呟きまで見ていった。自分以外の悪口もふんだんに書かれていた。中にはこんなのも。

『片山あいつ絶対自分のことかわいいと思ってるだろwwうっざwww」

『片山っていばってるけど友達少ないよねw本郷玲奈と本橋くらいじゃんwかわいそww」

 こいつ、瞳のことまで悪く言いやがって!望美は怒りがこみ上げてきた。

 さらに見ていくとこんなものもあった。

『モールで片山が男と歩いてるの激写』

 それには瞳と彼氏らしき男が手を繋いで歩いている写真があった。

 これは酷い!さすがの望美も激怒した。デート中の写真を盗撮してSNSに上げるなんてこいつにモラルはないのか⁈

 望美はイライラしてスマホを閉じた。




「このヤロー!」

 望美は怒号しながらラケットでボールを打ち返した。ボールは相手チームの顔すれすれを飛んで後ろの体育館の壁に激突した。

 男の望夢は帰宅部、いわゆる無所属だったが、女の望美はバドミントン部だった。望夢自身は運動が得意ではなかったが、この女の体だとやり慣れてるのかバドミントンはすんなりできた。

「ざっけんなー!」

 望美はボールに怒りを思う存分ぶつけた。

「望美ちゃん、気をつけて!」ある部員が叫んだ。

 望美ははっとして周囲をキョロキョロ見回した。しかし何に対しての気をつけてなのかわからなかった。

 もたもたしていると、「危ない!」と木晒が飛びかかってきた。

「きゃっ!」望美は叫んだ。

 その直後に望美が立っていた位置にボールが落ちてきた。間一髪だ。

「大丈夫?怪我はない?」木晒が尋ねた。

 この下り、何回目?

「うん!ありがとう!また助けてもらちゃった」望美はえへへと笑った。

「今日色々あったね!気をつけて!じゃ!」

 木晒はピースしながら走っていき、校庭をランニングする列に合流した。どうやら陸上部らしい。

 望美はたくましく駆ける木晒悠斗の姿に見惚れていた。

「望美ちゃん、気をつけて!」

「え?」

 ぼんやりしていた望美の側頭部にバドミントンボールが直撃した。

 時は進んで18時。部員たちは女子更衣室で着替えた。

「今日めっちゃ気合い入ってたね!お疲れ様!」

「おう!お疲れ!」

 先に着替え終えた部員は望美に挨拶して更衣室を出た。

 その部員が出た直後だった。柔道服姿の川浦夏美が入ってきのだ。そういえば川浦は柔道部だ。

「あ、川浦さん!」あのときはありがとう!と言いそうになったが、言いとどまった。痴漢の冤罪にあったのは自分が男だったから。なら女となった今、その事実はどうなっているのだろうか。なかったことになっている…のかな?

「お疲れ様」望美はとっさに言い直した。

 川浦は望美を見ていたが、返事はなかった。元気がないのか、いつもと違って無愛想だ。話しかけるのはやめた方がいいか?

 そう思い、望美は黙々と着替えを続けた。なんとも気まずい空気だった。

 しかし数十秒後、川浦は突然、両腕で望美の胸ぐらを掴んできたのだ。望美はロッカーに後頭部を打ちつけた。

「きゃっ!ちょっとなに⁈何すんの⁈」

 望美は恐怖で抵抗できない。

 真正面、近距離で自分を睨みつける川浦の眼差しは、狂気に満ちていた。その表情はまるで別人だった。あのとき望夢を免罪から救ってくれた天使ではなくなっていた。

「あんたさ、調子乗ってんじゃないわよ?」

 望美の胸ぐらを掴む川浦の手にさらに力がこもった。さすが柔道部、力は相当強い。

「川浦さん…なに…⁈」

「とぼけんじゃねえよ‼︎あんた、ブスなくせに木晒くんに色気つかってんじゃないよっつってんの!」

「あたしは何もしてない!木晒くんが一方的に優しくしてくれるの!」

「嘘だ‼︎」川浦はまた望美の頭を打ちつけた。「木晒くんがあんたみたいなブスを気遣うなんてありえない!あんたが色目使って木晒しくんに言い寄ってんだろ‼︎違うか⁈」

 ここで望美にある疑惑が生じた。「もしかしてあんた?…SNSにうちの悪口書き込んでるの」

「だったら何⁈」

 望美の瞳孔が広がった。川浦は表情をまったく変えない。少しも悪いと思っていないようだ。

「これ以上木晒くんに媚び売ったらただじゃおかないから!」

 川浦は望美の顔すれすれでロッカーの扉をゴンッ!と一発殴って、更衣室を出ていった。

 川浦が殴ったところは凹んでいた。

 川浦の魔の手から解放された望美は背中を引きずって床に座り込むんだ。

 …あれが川浦夏美⁈あれが本当の姿⁈

 望美は、いや、望夢は初めて女に恐怖を感じたのだった。




『そうだったんだ…。望美大丈夫?』

「うん」電話越しに尋ねる瞳に望美は答えた。

 帰宅した望美は疲労のため制服のままベッドに寝そべって瞳に電話をかけたのだ。

『川浦の脅しは無視していいと思うよ。木晒くんと望美がどう接するかお互いが決めるこだから』

「そうだよね。どうせ木晒くんとは深い関係にはならないだろうけど」

『えー!付き合っちゃえば?もったいないよ〜』

「そう上手くいくとは思えないもん。これまでだって散々コクってきたけどフラれてばっかだし」

『え⁈そんなに告白してたの⁈誰に誰に⁈』

 しまった!口が滑った。自分が告白しまくっていたのは男だったときのこと。

「あ!いや!散々はウソ!三、四人!もったもった!あはははは!」

『なーんだ!誰なのそれは⁈』

「秘密!」

『教えてよー!』

「やだ!秘密‼︎」

 実際、男には告白したことがない。

『えーつまんない』

「と、ところでさ、実は朝からお腹っていうか、股間の辺りに違和感があって…」

『うんうん』

「たまに頭痛もしたし、あと目眩もしたのね」

『うんうん』

「具合でも悪いのかなーなんて思ってたけど、もしかしてこれって…」

『生理だね』瞳はさらっと答えた。

「やっぱり。通りでパンツに血が…」

『え⁈生理用品使ってなかったの⁈』

「持ってたっけ?」

『絶対持ってる!女子の必需品!』

 望美はスクールカバンをガザゴソ漁ってみた。すると小さなポーチが出てきた。それを開いてみると、中にそれらしき物が入っていた。

「これかな?白い布みたいのがいっぱい入ってるやつ」

『それそれ!ねぇ、本当に大丈夫⁈」

「大丈夫じゃない。おかしくなりそう。ところで、これどうやって使うの?」

『はあー⁈生理用品の使い方がわからないって、何年女やってんのよ!』

 まだ一週間くらいだし。

 望美は深いため息を吐いて枕に顔を埋めた。女子でいるのも、楽しいことばかりではないと実感した。




 望美はどうにかその週を女としてやり通し、あっという間に土曜日になった。

 平日以上に化粧に力を入れ、オシャレなワイシャツとかわいいスカートで着飾った望美は、家を出るのが少し遅れてしまった。

『ごめん!5分くらい遅刻する!』

 電車内で木晒にメッセージを送信した。

 すぐ返事が来た。

『ん』

 “ん”って…。そこは大丈夫だよ!とか気にしないで!とか気をつかってくれよな!まあでも、きっと木晒くんも緊張してるんだろ。もしくははケータイ越しでは冷たいツンデレだったり。望美はそう思うことにした。

 望美は『笑』とだけ返事を送って電車を降りた。

 10時5分。望美は改札を抜けた。キョロキョロと見回していると、背後から木晒が頭をなでてきた。

「お!お待たせ!本当にごめんね!」

「大丈夫。行こ!」

 木晒は望美の手を握った。

 緊張していた望美の胸がさらに高鳴った。人生初のデート。いったいどんな展開が待っているのだろう⁈

 駅から出ると、近くに車が止まっていた。木晒のものだ。なかなかカッコいいスポーツカーだ。デートには最適である。

「乗って!」

 木晒が言うので、望美は助手席に乗り込んでシートベルト締めた。

「ねえ!どこ行くの?」望美はワクワクしながら尋ねた。

 木晒からの返答は意外だった。「どこ行こっか?」

 望美はキョトンとした。「え⁈決めてないの⁈」

「全然」木晒はあっさり答えた。

 なんだ…。自分から誘っておいてノープランかよ!さっきの返信といい、序盤から好感度下げ過ぎだろ!

「ならせっかくだし、遊園地でも行かない?」望美は思い切って提案した。

「えーやだ。遊園地って結構値段すんじゃん?」

 おいおいおいおい!デート中にお値段どうこうはよそうぜ?

「じゃあさ、ショッピングは?久米沢のモール行かない?」望美はさらに提案した。

「いいよ。暇つぶしにはなるだろうし」

 木晒はキーを回してエンジンをかけるとアクセルを踏み込んだ。

 車を駐車してモールに入ると、望美は真っ先に服屋に行った。いざ女になって見てみると、オシャレな帽子や靴がたくさん並べてあるだけで興奮した。

「これどう?」望美はある帽子を被って木晒に尋ねた。

「いいんじゃない?」木晒は答えた。

 望美はまた別の帽子を手に取った。

「これは?」

「いいね。欲しい?」

「いや、別に。被ってみただけ!」

「欲しいんだろ?気にすんな!」

 そう言って木晒は望美が手に取った帽子を二つとも購入してくれた。

「はいよ!」木晒は紙袋を手渡した。

「ありがとう」

 一応お礼は言ったものの、本当に欲しいわけではなかった。ただ、上昇気候にあったイライラメーターのレベルが下がった。

「お腹空いたー!何か食べよ?」

「さんせー!ずっと歩いてたから疲れたし腹減った!その前に、トイレ行っていい?」

「いいよ。待ってる」

 木晒がトイレに行っている間、望美はスマホを見て待っていた。そんな望美に、魔の手が襲いかかる…!

 ビシャッ!ビシャビシャ!

「わっ‼︎」望美はびっくりして飛び退いた。頭上から水が降りかかってきたのだ。雨ほどの水滴ではなく、バケツをびっくり返したような大量の水だ。

 見上げると、なんと川浦が2階から自分を見下ろしていた。脇にバケツを抱えている。

 あの野郎!木晒に近づいたらただじゃおかないというのは、脅しではなかったのか!

 望美が仕方なくハンカチで体を拭いていると、木晒が戻ってきた。

「お待た…どうしたの⁈」

「水かけられたの!」と言って、望美は頭上を指差したが、もう川浦の姿はなかった。

 木晒、頼むぞ!ここはタオル買ってくるとか気の効いたことしろよな!

 という望美の願いを振り払うかのように、木晒はケラケラと笑ったのだ。

「…何?何がおかしいの?」望美は顔をしかめた。

「あはははは!いや、またかーと思って!」

「また⁇」

「女の子とお出かけしてると、いつも嫉妬して嫌がらせしてくる人がいるんだよねー!人気者は辛いよ!」と木晒は満面の笑み。

 望美がイライラしたのは言うまでもない。この状況で自慢かよ!こいつ、見た目だけじゃん!

 結局、望夢は水気を拭ききれないまま、二人してフードコートへ向かった。

 木晒は適当に選んだ席に荷物を置いた。

「食べるもの決まってる?」

「えーと、カツ丼にしようかな」

「お!オレもカツ丼!じゃあ行こう!」

 二人はどん物屋の前に来た。全然並んでいなかったため、すぐに注文できた。

「カツ丼」先に木晒が注文した。

「あたしもかつど…」と望美は言いかけたとき、せかせかと腕を振るう店員と目があった。それは芽傍ゆうだった。

 あっちゃー!そういえばここは芽傍ゆうのバイト先だった。木晒にイライラしているせいですっかり忘れていた。

 客が望美であることに気づいた芽傍も、気まずそうに目線を落とした。しかしすぐに自分の立場を思い出し、「…カツ丼でよろしいですか?」と尋ねてきた。

「あ、はい」望美もついつい敬語になった。

「すぐ作るのでお待ちください」と芽傍は言うと、速やかに厨房でカツ丼2つを作り始めた。

 普段の芽傍からも思いもしないくらい動きが俊敏だなーと望美は感心した。けれども木晒はと言うと…

「おい早くしろよな!おせーぞ!」

 何のためらいもなく店員を唆した。まだ1分も経っていないのに。木晒も芽傍が同級生であることは知っているだろうが、まるで赤の他人のように平気で文句を言う。

 望美はまたイライラした。1分くらい待てよ!混んでるときはもっと待つんだぞ!

「さっさとしろよ!冷めたら作り直せよな⁈」

「お待たせ致しました」芽傍は木晒の罵りをしかとしてカツ丼2つをお盆に置いた。さっきとは打って変わって低いトーンで差し出してきた。

「1100円になります」

 望美が財布を出すと、木晒はポンと2000円出した。

「え!いいよ!出すから!」望美は千円札を出した。正直、こんな男の世話にはなりたくない。奢ってほしくなんかない。

「いいよ!遠慮すんな!」

「いや、いい」

「いいから!」

「いいって!」

 お互いにお金を出したり押し返したりを繰り返した挙句、機転を効かせた芽傍はそれぞれから1000円ずつ取り、会計した。お釣りも500円玉は使わず、2人で割れるようにすべて100円玉でくれた。

「ったく!余計なことしやがって!」木晒はぶつぶつ言いながら席に戻っていった。

「ごめん!ありがとう!」望美は木晒の分の謝罪と、割り勘させてくれた感謝の意を込めて芽傍のお礼を言った。

 望美がカツ丼を持っていこうとすると、芽傍は「箸、忘れてるぞ」とまた差し出してきた。

「お!おう!」

 望美がそれを受け取ろうすると、芽傍は目を真っ直ぐ見つめてこう言ってきた。

「木晒には気をつけろよ」

「⁈」

 望美が問いただそうとすると、芽傍は手の力を抜いた。箸が望美の手に受け渡された。

 芽傍はすぐさま次の接客に当たった。

 望美はもやもやした気持ちで席に戻った。

「どうかした?ぼんやりしちゃって」と木晒が尋ねる。

「いや、別に。大丈夫」

「そう」

 食事中、思いの外楽しめない望美は試しにこの話題を持ち出してみた。

「昨日のジャニーズの滝田くんのニュース見た?」

「何それ?見てないかな」

「モデルの高山英と熱愛だって!」

「へー」

「ドラマで共演してた頃から噂になってたけど、本当だったみたい!」

「ふーん」

「もしかしたら滝田くん、結婚して引退しちゃうかも!」

「ほー」

「……」ダメだこりゃ。全然食いついてこない!

 木晒は食べるのに夢中だ。口いっぱいにカツ丼を頬張ってくちゃくちゃと音を盛大に鳴らしながら噛んでいる。なんて意地汚いんだ。お前の咀嚼音なんか聞きたくねーよ!話には食いつかないくせにカツ丼には食いつきやがって!

 望美は話す気も失せ、チミチミとカツ丼をつついた。

「つまらない話でごめんね。木晒くんは何か、面白い話とかある?」

「特に何も」

「…そう」

「ほんとつまんないな。聞いてて疲れる。元カノとデートしたときは野球とかプロレスの話してくれてめっちゃ盛り上がったよ?」

 知らねーよ!元カノと比べんな!ほんとどうしようもねーなこいつは‼︎っと、望美はつい素で言いそうになった。元カノと比べて非難する、これはマイナス点が高い。

 その後、お互い無言で食べ物を口に運んだ。

「この後、どうする?」

「どうしようかー?疲れたし」

 疲れた疲れた…さっきからそればっかり!望美は言い返す気も湧かなかった。イライラメーターはもうはち切れそうだった。

 食事が済んだ2人はモールの出口を目指して歩いた。

 その途中、前方から川浦が歩いてきたのだ。望美は身構えた。また何かする気か⁈でも、手には何も持っていない。…大丈夫か。

 望美は訳もなく息を潜めて川浦とすれ違った。案の定、何事もなく川浦は通り過ぎた。

 よかった…。と思ったのも束の間、お尻に何かが凄い勢いでかすめた。

「わっ‼︎」と叫ぶ望美。反射的に振り返ると、川浦が走って逃げていく姿が見えた。

「ん⁈どうした?」木晒はやけに落ち着いた様子で尋ねた。スマホをいじりながら歩いていたみたいで、川浦には気づかなかったらしい。

 望美はスカートを回して確認した。かすめたところに長い切れ込みが入っていた。川浦のやつ!カッターか何かで切ったに違いない!望美ははもう許せなかった。

「あーあ!切れちゃってるね!」ようやく木晒は事の重大さを知ったようだ。

「川浦が!川浦にやられたの!」と望美は訴えた。

 頼むから今度こそ気を遣ってくれよな?新しい高級なスカートとか、ズボンでもいいから、買ってくれて良いんだぞ?

「ちょっと待ってて」木晒はその場に望美をおいてどこかに行った。

 これは、もしや⁈ついに⁈木晒、男を見せてくれ!

 数分後、戻ってきた木晒しは「はい!どうぞ!」と言って、ガムテープを渡してきた。

「もういい!帰ろう!」

 二人はモールから出て車に乗った。

「じゃあ、次はどこ行く?」木晒は尋ねた。

「特に何も」望美は木晒の真似をして答えた。正直もう帰りたかった。

「そっか。じゃあさ、」木晒は望美の肩に手を回してきた。「ホテル行こうか?」

「はあ⁈やだ‼︎」望美は木晒の腕を振りほどいた。

「もう帰っていい⁈」望美はもう感情を爆発させていた。こんな男とこれ以上関わりたくない!

「そっか。ごめんね。駅まで送るよ」

「いい!自分で歩く!」望美は車を降りようとした。

「いや!お願いだ!」木晒は手を合わせて懇願した。「迷惑ばっかりかけちゃったから!せめて最後はお詫びさせてほしい!」

 望美は気が向かなかったが、後味が最悪よりはマシだろうと思い、しぶしぶ聞き入れた。

 木晒は駐車場を出ると、駅に向かうと思いきや、駅沿いの大通りをどんどん先へ進んでいった。

「ねえ、どこ行くの?」望美は不審に思い、尋ねた。

「別にたいした場所じゃないよ。二人きりになれるところかな」

「⁈」望美はビクッとしてしまった。まさか⁈もしや⁈

 二人きりになれる場所……というと、ホテル、カラオケ、ネカフェのどれか?どれにしても嫌だ!

「ねえ!駅まで送るんでしょ⁈余計なことしまいでよ!」

 木晒はもう返事しなかった。

「ちょっと‼︎」

 望美がいくら喚いてももう無駄だった。木晒はひたすらまっすぐ前を見つめ、ハンドルを切っていた。

 仕方なく望美はハンドルを掴み、無理矢理歩道に止まらせようとした。しかしハンドルはびくともしない。木晒の命令しか聞かないハンドルになっていた。木晒も木晒で、ハンドルを掴む望美には目もくれない。取り憑かれたかのように前を見つめてハンドルを握っている。

 望美は怖くなって助手席で縮こまった。

 ……誰か…助けて…‼︎




 数分後、木晒はようやく車を止めた。

「⁇」

 周囲の景色を見回したが、何もない。なんせそれは、人通りのないトンネルのど真ん中なのだから。

「ここ、どこ…⁈」

 望美が尋ねようとすると、木晒は望美の頭に手を添えて向かい合わせ、唇を押し当ててきた。

「⁈」

 望美は木晒と接吻していた。

「いや‼︎」

 パンッ‼︎望美は木晒を押しのけて引っ叩いた。

「おいおい」木晒は頬をさすって望美を見つめた。「せっかく二人きりになれたんだから、もっと楽しもうぜ?」

 木晒はまた頭を掴んで唇を押しつけてきた。今度はさっきより激しく。舌をねじ込むようにキスしてくる。

 望美は気持ち悪くて仕方なかった。無理だ!思ってたのとだいぶ違った!こいつとは天と地がひっくり返っても付き合えない!

「やめて‼︎もう帰る‼︎」望美は車を降りようとした。

「待てよ!」

 木晒は望美の手を引っ張り、無理矢理シートに座らせ、膝の上にまたがった。

「逃げんじゃねえよ!」

「や!やめてよ‼︎」

 望美は溜まっていたイライラメーターを解放して、渾身の空手チョップを何発もくらわせた。しかし木晒はびくともしなかった。あれだけ溜め込んでいた怒りをぶつけてもまったく動じないなんて。この女の体では、腕力が足りないのだ。

 ワクワクする展開を期待してはいたけどこれは想定外!イケメンなら何しても許されるなんて真っ赤なウソだ!というかこいつはイケメンじゃない!顔が良いだけのクズだ‼︎

「離して‼︎」望美はさらにもがいた。

 木晒は望美の首をぐいと締めた。望美は「うっ!」とうめいた。

 ちくしょう!動けない!男の体だったら抵抗できるのに、この女の細くて筋力の少ない体では太刀打ちできない!

「金出してやっただろ⁈少しは言うこと聞けよ!」

 そう言うと木晒は望美の胸を激しく揉みしだいた。

「うう!…ぅ…うーーー‼︎」望美は唸った。

 こいつ、最初からそのつもりだったんだ!だからデートはノープランだったし、そのくせ妙にお金は出してくれてたんだ!いや、あんなのデートじゃない!

 木晒は望美の腹を一発殴った。望美は「うっ!」とうめいてかがみ込むんだ。続いて木晒はさっき買ったガムテープを取り出し、望美の口を塞ぎ、さらに両手をぐるぐる巻きにして縛ると、望美のワイシャツの胸元を掴んで引き裂いた。

「きゃっ!」

 ワイシャツの内側の白いブラジャーが露わになった。望美は高く短い叫び声を上げたが、塞がった口から外に漏れることはなく、自分の中で響いた。

 望美は絶望した。もう助かる手段はないのか。このまま暴行を受けながら陵辱されるしかないのだろうか…?

 望夢は過去の自分を悔いた。下心に任せて女に言い寄っていた頃の自分を。女の気持ちがよくわかった。もう絶対に女にしつこくしたりイヤらしい目で見たりしない!女に向かって面倒なやつとか二度と言わない!神様、これからは女を大事にします!なので、助けて下さい!

 望夢は心の中で何度も神頼みした。

「やめろーーー!」男の怒号が響き渡った。

 その願いが叶い、突然、運転席側の窓ガラスにひびが入った。二人ははっとして窓を見た。何者かがさらに石で窓ガラスを叩き、バリンと割ったのだ。

 扉が開け放たれると、芽傍が立っていた。芽傍は石を投げ捨てると、木晒を掴み、車から引きずり出した。二人が揉み合う音と木晒の罵声がトンネル内に響いた。

 望美は車から身を乗り出し、目を真ん丸くしてその戦闘を眺めていた。芽傍は体が小さく喧嘩も強くないのに、一人で勇ましく木晒を相手にしている。ちょっとかっこいい…。って、何考えてんだ!

「逃げろ‼︎」芽傍は叫んだ。

 あ!そうだ!望美はついつい見とれて逃げるのを忘れていた。申し訳ないがここは任せよう!

 望美は一目散に走ってトンネルを抜けたが、つまづいて転んでしまった。痛い!ともぎゃー!とも叫ぶことができず、無言で地面に倒れた。手が縛られているせいで立てない。

 そんな望美の目の前に、誰かが立ち止まった。見上げると、なぜか川浦がいた。さっきモールにいたのに、どうやってここまで⁈

「あーあ、木晒、イイ男だと思ってたのに、残念だなー」

 どうやら望美が襲われるのも見ていたようだ。望美は「うー…」と精一杯唸って助けを求めた。

 川浦は望美を見下ろした。「無様なこと」

 川浦はそれだけ言うと、スマホを出してガムテープで拘束されて倒れる望美の姿を撮影した。

 この野郎‼︎望美は木晒と同じくらい川浦に怒りが湧いた。

 川浦はスマホをしまうと、踵を返して行ってしまった。助ける気はないようだ。ドラマやアニメならここで助けてくれて、二人で協力して最低男に仕返しするまでがお決まりなのに!

 仕方ないがないから望美は、トンネルの壁まで這うと、壁に背中を押しつけるようにしてどうにか立ち上がった。

 そしてまた走った。すると、あろうことか、芽傍のクラスの担任の木下先生に遭遇した。休日出勤なのかわからないがいつものスーツ姿だ。

 …このトンネル、やけに知人と出くわすな。

 “先生!”と望美は叫ぼうとしたが、口が塞がっていてできない。望美は仕方なく口と手の自由を奪われたまま、なおかつワイシャツのボタンも外れたまま木下先生に駆け寄った。

「あら⁈本橋さん⁈どうしたの⁈何があったの⁈答えて!」

 口が塞がってて答えられねぇよ!って言いたいけどそれすら言えねぇ!

「ああ!」木下先生はガムテープを剥がしてくれた。

 望美は木下先生が手のガムテープを剥がしてくれている間に事態を説明した。

「なんてこと!案内して!」

 望美はワイシャツを締めながら誘導した。

 現場に戻ると、木晒と車はいなくなり、芽傍がたふぁ一人、壁もたれてぐったりしていた。顔が痣だらけだ。

 二人は芽傍に駆け寄った。

「芽傍くん!大丈夫⁈」と木下先生は必死で安否確認。

 芽傍は二人を一瞥すると、無言で立ち上がり、歩き始めた。

「芽傍くん!」木下先生は回り込んで芽傍の両肩を掴んだ。「そんな傷で無理しちゃ駄目よ!救急車を呼びましょう!」

「平気です」

「待ちなさい!」

「平気だ‼︎」芽傍の怒鳴り声がトンネルにこだました。こだまが消えると、芽傍は再び歩き出した。

 茫然とする木下先生。望美は「先生、もう大丈夫です。そっとしといてあげて下さい。うちから話すので。ありがとうございました」と伝え、小さく会釈した。そして芽傍の後を追った。

 望美は芽傍の後ろを一定の距離を保って歩いた。

「あのさ、」望美は芽傍の背中に話しかけた。「……ぁりがと…」

 芽傍は振り向かずに片手を“どういたしまして“と言うように頭の横で振った。

 望美は芽傍との距離二メートルをキープして着いていった。

「なあ、何で助けてくれたんだ?」

「おかしいか?」芽傍は振り向かずに答えた。

「うち…、おれのこと、嫌いなんだろ?女になってもバカに変わりないって言ってたし。だったら何で助けてくれたんだ?」

 芽傍は立ち止まった。望美も止まった。二人の前方の踏み切りで電車が勢いよく通過した。ものすごい騒音が響き渡る。電車が通過し終わったところで、誰もいない、車一台ない踏み切りのバーが上がり、辺りはしんと静まった。

「見捨てることもできた」芽傍はおもむろに答えた。「たしかにお前はバカだが、だいぶマシにはなってると思うから、見捨てる気になれなかった」

 続く静寂。物音一つしない、まるで二人だけの空間のよう。望夢は、これまで一度も聞いたことのない芽傍の言葉に、黙って耳を傾けていた。

「…マシにはなってるって、何が?」望夢は尋ねた。

「……。別に。何でもない。お前を見捨てることはできたけど、正義感がそれを許さなかった。それだけだ」

 ここで車が数台踏み切りを渡った。芽傍は再び歩き出した。

「え?おい⁈」意味深な発言しといて急に撤回するなんてずるいぞ!

 望夢は踏み切りを渡って再び芽傍の後ろに着いた。「お前ほんとに何なんだ⁈いっつも意味深なこと言うし、何かとおれに絡んでくるし、すっげーウザいけどよ…。今だって、お前だけおれが男だってこと知ってるし。なあ?なんなんだよ?どうしてそんな素直じゃないんだ?」

 望夢は今までずっと思っていたことをいっぺんに尋ねた。芽傍は相変わらず振り向かぬまま、歩き続けている。

「亜久間を知ってるのか?」望夢はさらに問い詰めた。

「だったらなんだ?」芽傍はぶっきら棒に返した。

「やっぱり知ってるんだな?あいつとはどういう関係だ?」

 芽傍はそれにも答えず、足を速めた。

「おい!」望夢も遅れまいと速足になりながら叫んだ。「おい‼︎」

「契約者よ」

 後ろから答えた声に、望夢はドキッとして振り向いた。そこにいたのは亜久間だった。

「彼も私の契約者よ。あなたと同じ」

 望夢は困惑した表情で亜久間を見ると、芽傍の方に振り向いた。芽傍は今では走っており、だいぶ遠くまで離れていた。

 再び振り向くと、亜久間は消えていた。

 芽傍も契約者だったなんて…。望夢は自分が契約させられたときのことを思い出した。たしか、付き合うという名目でサインさせられて、愛について学ばせるという内容で契約させられたんだっけ?

 じゃあ、あいつは?芽傍はいったい、亜久間とどんな契約を交わしたんだ?




 望美は予定よりも早く電車に乗って自宅に向かった。車内は朝ほど混んではいないがまあまあ人がいて、男の人と近くなったり、揺れて体がぶつかったりするだけで望美は滅入ってしまった。

 その夜、望夢はベッドに寝転んで、芽傍のことを考えていた。芽傍は恋愛に興味がない。それどころか周囲に対して冷たい。人に対する愛情は、見ていて一切感じられない。人を信用する気すらなさそうだから、愛情なんてもっての他だろう。もしかして、それが原因で、亜久間と契約させられたのだろうか?それとも、芽傍自身が契約を望んだのか?人を信頼したり好きになる気持ちを教えてほしいと亜久間に願ったのか?いや、だとしたら人に対してあんな冷たい態度は取らないはずだ。といっても、彼は不器用だ。自分の気持ちとは裏腹に素直になれていないと考えることもできる……。わからない。あー!わからない!

 ピロロロロロロロ!

 突然のスマホの着信音に望美は飛び退いた。見ると、瞳からだった。

 望夢はスマホを取った。「もしもし⁈」

『どうだったの⁈木晒くんとのデートは⁈』

「あ…ああ…。それがね…」

 望美はその日起こったことをすべて話した。

『そんな…。辛かったね!大丈夫⁈木晒くんがそんな人だったなんて』

「大丈夫。ほんと。幻滅したってレベルじゃないよ」

『良かったー!芽傍くんが助けてくれたなんて、びっくり!恩人だね!』

「そうだね。なあ瞳、瞳は芽傍のこと、どう思ってる?」

『え?どうって、いい人だなーって』

「変だなーとか思わないの?」

『たしかに変わってるし理解しがたいとこはあるけど、でも悪い人じゃないし、ああいう人ほど優しさを持ってると思うの。表向きは冷たいけど、ただ不器用なだけなのかなって』

「そうか…なるほど」

『どうして?あ!もしかして、木晒くんに冷めて、芽傍くんのこと好きになっちゃった⁈』

「違うバカ!そんなわけないじゃん!」

『ふーん!ところでさ、急なんだけど、明日、後楽園で花火大会があるらしいんだけど、一緒に行かない?』

「花火?」

『うん!ここ数年見てないし、望美と行きたいなーと思って。玲奈のことも誘ったんだけど、予定があるみたいで』

「いいけど、彼氏とじゃなくていいの?」

『うーん、彼氏よりも望美の方がいいかな。彼氏とはいつまで続くかわかんないけど、望美とはずっと今のままでいたいから』

 今日の出来事にへこんでいた望美の心に、何か暖かいものが湧いてきた。

「わかった。行こう」

「じゃあ決まり!集合時間はどうしよう?」

「いつでもいいぞ」望美は気前よく言った。

「じゃあ後でDM送るね!」

「オッケー。じゃあまた明日」

 電話を切った望美はDM(ダイレクトメッセージ)という言葉でSNSを思い出し、開いた。

 木晒のアカウントを覗くと、『筋トレしててめっちゃ痣つくった〜』と添えて自撮り写真を上げていた。結構派手な痣だ。きっと芽傍につけられたものだ。それを筋トレでつけたとか、気障も甚だしい。望夢は木晒のアカウントをブロックして閲覧できないようにした。

 次に川浦のアカウントも見てみた。すると、とんでもないことが発覚した。

『本橋と木晒の“デート”激写!

本橋ってほんとバカ笑

木晒はクズ判明!』

 という文章とともに、望美がガムテープで手と口を封じられている画像が載せられていた。

「あのヤロー‼︎」望美は怒り散らした。

 いつか川浦にはギャフンと言わせてやる。そう誓った。




 翌日の夕方。そろそろ日がくれるという頃。瞳の家に17時集合ということになった。

 望美は16時過ぎ、化粧を始めた。

 化粧中、望美から『ごめん。数分遅れる』と連絡が入った。

 およそ1時間後、自分の顔が二割増しくらい綺麗に見えたから望美は良しとした。

 望美は慌てて家を飛び出て、瞳の家の前にやってきた。玄関の外に瞳の姿はない。時刻は17時20分。先に行ってしまったのだろうか?

 インターホンを押そうとすると、瞳が玄関から出てきた。望美と同じようにしっかりと化粧をして、おまけに綺麗な浴衣に身を包んでいる。

「おお!」望美は瞳の美しい姿に唖然とした。

「ごめん!遅れた!」瞳は手を合わせて謝った。

「いいよ!うちも化粧に時間かかっちゃって!」望美はえへへと笑った。

「そっか!望美は浴衣着ないの?」

「うち持ってたっけ?」

「あったじゃん!着よ!」

 二人は望美の家に戻った。望美は部屋のクローゼットを見ると、そこには綺麗に畳まれた浴衣が収納されていた。

 望美はそれをきっちりと着こなし、瞳と一緒に夜の後楽園へと向かった。

 望美は昨日のことがあったとはいえ、電車内で男性が気になることはなかった。瞳と自然と会話が弾み、あっという間に目的地に到着した。

 現地は多くの人で賑わっていた。二人のように着物で着飾った人も大勢いる。至るところに屋台が置かれ、空腹を誘う匂いを漂わせている。

 二人はたこ焼きやお好み焼きを食べたり、金魚すくいや的当てなどをやって花火までの時間を満喫した。

「ハイ、チーズ!」望美は自分と瞳を自撮りした。

「花火あと10分で始まるよ!」瞳は満面の笑みで提案した。

「いいよ!でもだいぶ人集まってきてて場所埋まってるね」望夢は集まる人々を見回した。

「来て!いい場所があるの!」

 瞳が自信満々で誘うものだから、望美は着いていった。

 ほんの数分で瞳が連れてきたのは、近くにあるモールの駐車場の屋上だった。たしかに花火鑑賞には最適な場所だ。

 シューーー!ボンッ‼︎

「あ!上がった!」瞳は叫びながら速足で駐車場のフェンスにしがみついた。

 ボンッ‼︎ボーンッ‼︎と立て続けに黒い幕に大きな眩しい花が咲いた。二人はしばらく無言でその空の花園に魅入っていた。

「望美、」瞳はおもむろに言うと、望美に振り向いてた。「今日は付き合ってくれてありがとう」

「いや、こちらこそ!」望美は照れて頭をかいた。

 それから二人はまた、終わるまで花火に見惚れた。

「綺麗だったね!」瞳は夢見心地で呟いた。

「うん!あ!動画撮るの忘れてた!」

「あ!あたしも!」

 二人はケラケラと笑った。

「でもいいや!思い出として残ってるから!望美と一緒に観れて良かった!」

「おれ…うちも!」

「じゃあ、花火見終わった記念の写真撮ろ?」

「おう!」

 瞳が自撮りモードでカメラを向け、二人はくっついた。

「ハイチーズ!」

 瞳はすぐさまのそ写真をSNSに上げようとケータイをいじった。すると。

「もー!まただ!」うんざりした様子で瞳はぼやいた。

「どうしたの?」

「B組の広瀬くんが付き合ってくれってしつこいの」

「マジ⁈いつから?」

「初めては二年の夏」

「初めてって?」

「これで4回目なの。いい加減にしてほしい。ついこないだ小坂井くんに告られたばっかだし。しつこい人ほんと嫌い」

「へー!てっきり異性から好かれて嬉しいのかと思ってた」

「そうでもないよ?自分が好きな人は好きになってくれないし。興味のない人ばっかり言い寄ってくるの」

「大変なんだね」

「うん。恋愛って、うまくいかないよね」

「…そうだね」

 望美は、初めて瞳の恋愛事情を聞いた。瞳がモテるのはよく知っていて、正直羨ましかった。男子数名から告白されていたことも噂で耳にしていた。異性に言い寄られたり告白されたりなんて境遇は、男である望美、つまり望夢が願う状態そのもの。しかし瞳も苦労しているのだ。川浦からも敵にされているし、それなりに大変なのだ。

 風が吹き、望美はふとこんなことを尋ねてしまった。

「ねえ、すごく変なこと訊くけどさ、瞳はうちが男でも、友達で居てくれる?」

「え?当たり前じゃん!」瞳はポカンとした。「性別なんて関係ない。望美は望美。大切な親友だよ」

「もし超ドスケベな男でも?」

 瞳はくすりと笑った。「なんかそれ面白そう!でも、何で急にそんなこと訊くの?」

「え…いや、その…たまーに男になってみたいなーなんて…って違う!何でもない!忘れて!」

 瞳は大笑いした。「なんか変だよ?」

「えへへ…。ごめん」

「でも、気持ちはわかるよ」

「?」

「私もね、たまに思うんだ。男になりたいなって」

「ええ⁈」望夢は仰天した。あのお嬢様気取りの瞳が男になりたいだなんて、意外過ぎた。「何で⁈」

「えー?だって、めんどくさいから。女でいるのって」瞳は柵にもたれて夜空を眺めながら呟いた。

「そ、そうだな!すげえわかるよ!うん!」望夢は大きく頷いた。

「女の子は人前じゃ行儀よくしてないといけないみたいな風潮嫌だし、他の女と関わるのも面倒なことばっかり。愚痴は言うし、わがままだし、みんなお人好しだし。…私もそうだし…」

 望夢は驚いて瞳の横顔を見つめた。まさか瞳がめんどくさい女であることを自覚していたなんて。

「望美、」瞳は振り向いて言った。

「ん?」

「……こんなあたしと友達でいてくれて、ありがとう」瞳はにっこりと笑った。

「…⁈…え⁈いや!そんなー!ありがとうなんて言われるほど!むしろこっちこそこんなやつでごめん!おれなんてほんとどうしようもないし迷惑かけてばっかだしほんとに…もう…」

 望夢は頭をボリボリ掻いて顔を背けた。なんだか恥ずかしくなったのだ。言葉に詰まった望夢も、「こちらこそ、ありがと」と返した。

 瞳も頬を赤らめて恥ずかしそうに頷いた。

 幼稚園の頃から関わってきて14年。お互いにこんなことを言ったのは初めてだった。言わないのが普通なのだろうが。

 望夢は胸が温かくなった。

「瞳!」そして唐突に叫んだ。

「⁈何⁈」瞳は目を見開いて望美を見た。

「おれ、…おれ!おれ‼︎お前のこと‼︎」

 何を言おうとしたのか自分でもわからなかったが、次の言葉を言いかけたところで、望美は光に包まれ、遙か彼方の奈落の底に落っこちていった。遠退いていく瞳。それを見ながら無言で叫ぶ望美。望美はどんどんどんどん落ちていき、視界がはじけるように真っ暗になった。




 望夢ははっと目を覚ました。

 何が起こったのかわからず、連続で瞬きして周囲を見回した。久米沢のモールだ。隣には自販機がある。見回す限り視界を飾るのは見慣れた久米沢の景色だ。

 望夢は自分の体を触ってみた。髪、胸、そして股間。すべて男のものだった。男に戻ったのだ!

「お帰り」

 と声がして、見上げると、亜久間が自分に笑いかけていた。

「お前!どういうことだ⁈」

「夢を見させただけよ?今夢から覚めたの」

 夢⁈望夢は驚いて時間を確認した。13時過ぎ。瞳に怒ってモールを出てから数十分しか経ってないじゃないか!実際、望夢が買った炭酸飲料にはまだ炭酸が残っていた。

「夢⁈ゆめー⁈全部夢かよ⁈痴漢にあったのも川浦に胸ぐら掴まれたのも気晒とデートして襲われたのも⁈」

「ええ。そうよ。木晒悠斗は存在してない」

 存在してない⁈そっか!あいつは夢の中での登場人物で現実にはいないんだ!

「ってことは、ということは、つまり!つまり!」

 望夢は満面の笑みを浮かべると叫んだ。「俺はまだファーストキスしてないんだーーー‼︎」

 生まれて初めて、ファーストキスがまだなのを喜んだ。

「気にするのそこ?」亜久間はやれやれと首を振った。

「それも大事だろ!にしてもさ、全部夢⁈さんっざん苦労したのに⁈今どき夢落ちは受けないぞー⁈」

「落ちはあなた次第よ。まだ終わってない。ほら。瞳ちゃんはどうするの?」

「どうするって?」

「怒鳴っておいてけぼりにしたままでいいの?」

「あ、そっか」

 望夢は立ち上がった。

「あとは任せるわ。うまくやってね!」

 亜久間は煙のようにスーッと消えた。

 望夢は走ってフードコートに戻った。

 瞳はまだ同じ場所に座っていた。テーブル上のカフェラテが弱々しく湯気をたてている。瞳はテーブルに両手を投げ出し、寂しそうな顔でうつむいている。

「瞳!」望夢は駆け寄った。

 瞳ははっとして顔を上げた。「望夢!」

「急に怒ってごめん。というか、ずっと態度悪くて、済まなかった!」望夢は深々と頭を下げた。

「え⁈いや、いいんだけど、急にどうしちゃったの⁈」

「なんて言うか、せっかく一緒にお出かけしてるから、もっと気つかわなきゃ駄目だなって思って!」

「ひえー!」瞳は叫んだ。

「なんだよひえーって?」

「あまりに急に変わるもんだから!この数十分で出家でもしてたの?」

「まあそんなもんだ」望夢は近いような遠いような記憶を思い返しながら言った。

「そう…。あたしこそごめん。さすがにわがままだったよね?あたしこそもっと気つかうべきだった」

「いや気にすんな!女子なんてみんなそうだろ!」と望夢は笑った。

「それ嫌味?」

「あ!いや!そんなつもりじゃなくて!」望夢はブンブン首を振った。

「ふふふ!いいよ、考え直してくれたみたいだし!行こ!」

「おう!もう買う物はないのか?」

「もう……あ、あと一つだけいい?」

「いいぞ!」

 そう言うと望夢は率先して荷物を持った。

 瞳は笑みを浮かべながら、望夢の前を歩いた。エスカレーター前の丸椅子で望夢に「ここで待ってて」と告げると、近くのアクセサリーショップに行き、そこで何かを購入した。

 こうして二人はモールから出て、久米沢から地元の尾長駅に向かった。

 電車内で望夢は瞳を囲うようにして立った。

「どうしたの?」瞳は首を傾げた。

「ん?お前が痴漢に遭わないようにと思って」

 瞳は笑いが止まらなかった。

 地元についてからも瞳の家まで望夢は荷物を運んだ。

「よーし!これにて完了!」瞳は笑顔で言った。「荷物、玄関に置いていいよ。今日はありがとね!」

「いや、むしろごめん」

「ううん、あたしこそ」

 荷物をすべて置くと望夢は手をぶらぶらと脱力させて言った。「ふー!んじゃ、またな」

「待って!これ」

 瞳はそういうと持っていた紙袋から男物のネックレスを取り出した。最後に購入していた物だ。翼の形をしており、青い宝石が埋め込まれている。望夢はこういったネックレスをよくつけている。ここまで高級そうなのは持っていないが。

「こういうの好きなんでしょ?今日のお礼」

「…おう」望夢はそれを受け取った。「ありがとな!」

「じゃあね!」瞳は扉を閉めた。

 望夢はもらったネックレスを早速首にかけると、ニコリと笑った。

 帰宅し、ベッドに寝そべった望夢は、ふと、例のSNSが頭に浮かんだ。“望美”はそれを使いこなしていたが、本来の自分はスマホに入れてすらない。望夢はとっさにそれをダウンロードして適当にアカウントを作った。

 望夢は真っ先に瞳のアカウントをチェックした。アイコンもネームも夢で見たまんまだ。瞳は早速今日のことを呟いていた。

『久米沢モールでお買い物♫

いっぱい買っちゃった!

色々あったけど楽しかった!』

 という文章とともに大量の荷物の画像を添えていた。

 望夢はそれを見て微笑んだ。

 それから適当に同級生のアカウントを見ていった。そしてまたたどり着いてしまったのだ、例のアカウントに。

『モールで片山と本橋のツーショット激写!

片山尻軽カクテー笑』

 望夢はイライラした。川浦のやつ…。

 さらに他の呟きを見ていくと、木晒と女の自分についての書き込み以外、夢で見たものがすべてあった。愚痴や盗撮がふんだんに載せられている。中にはこんなのもあった。

『本橋のやつ痴漢に勘違いされてやんのwwどんな反応するかと思って助けてやったら案の定コクろうとしてきた!キモっw』

「ったく!川浦めーーー‼︎」

 望夢は思った。こいつをどうにかしなければ、終わった気がしない。もしかして…わざわざ夢の中で川浦が絡んできたのは、亜久間が自分に川浦の悪事を知らせるためだったのか?亜久間は、後は任せるからうまくやれと言っていたし。

 そうだ。まだ終わっていない。




 翌日。夢ではなく現実の、本物の世界で望夢は電車に乗り、学校に向かった。

 校舎に入り階段を上がると、まず3年D組に行った。川浦夏美のクラスだ。望夢は教室を見渡したが、川浦の姿は見当たらない。まだ来ていないのか?

 と思ったそのとき。

「おい見ろよ!」校舎の裏側の窓から顔を出していた鬼頭が叫んだ。「芽傍のやつ、何する気だ⁈」

 その言葉で廊下にいた生徒たちは外を見下ろした。望夢も窓から顔を出した。見ると、校舎の裏で、芽傍と川浦が向かい合っている。

 望夢は仰天した。芽傍、何する気だ⁈どういう状況だこれ⁈

 望夢は大急ぎで階段を下りた。

 その頃、校舎の裏にて。

「急にどうしたの?」川浦は無邪気そうに芽傍に尋ねた。

 芽傍は手にしていたスマホを突き出した。その画面には、例のアカウント、川浦の裏垢が表示されている。

「これ、川浦さんのだよね?」芽傍は真面目な声色で尋ねた。

「えー?あたしじゃないよ⁈誰だろこれ?」

「とぼけるな!」芽傍は強い口調で言った。「呟いてる内容でわかる!そうなんだろ⁈」

 川浦の口角が下がり、愛らしさのあった目は細くなって芽傍を睨んだ。

「だったら何?」川浦は低い声で尋ね返した。

「やめろよ、こんなこと」

「何呟こうがあたしの勝手でしょ?」川浦はまったく反省の色がない。

 芽傍はさらに声を強めた。「お前のやってることは犯罪だぞ!写真を勝手に取るのも、それをSNSに上げるのも!」

「へー。犯罪ね。じゃあ本橋には注意しないの?女子更衣室を覗いたりしてるけど、そんなことしてるやつには何も言わないの?」

「今のあいつは違う!」芽傍は断言した。「たしかにあいつはどうしようもないやつだった。でももうそんなことはしない。あいつは改心したんだ。お前も改めろ!」

「改心?ばっかみたい!知ったことちゃないから!どうしようがあたしの勝手でしょ!あいつのことは関係ない!」

「お前、いい加減にしろ!」

 芽傍が歩み寄ると、川浦は脚を振り上げて渾身の蹴りを芽傍の側頭部にお見舞いした。望夢は「うっ!」と唸って地面に倒れた。

 さすがは柔道部。効果は抜群だ。

 芽傍は衝撃でキーンと耳鳴りがして、しばし喋れなかった。川浦はそれを見てクスクスと笑った。

「あんたみたいなクズ野郎が、偉そうに指図すんなし!」

「やめろー‼︎」

 校舎の方から叫ぶ者がいた。望夢だ。望夢は芽傍のもとに駆け寄った。

「大丈夫か⁈」望夢は側頭部を赤らめて倒れ込む芽傍を見て事態を察し、「てめえ!」と叫んで拳を振り上げた。

 しかし芽傍は勢いよく立ち上がり、その手を掴んだ。

「やめろ本橋!手を上げたら川浦の思う壺だぞ!」

 はっ!そっか!望夢は我に帰った。

「そうそう。レディーに手上げたらどうなるかわかってんでしょ?」川浦は偉そうに言った。

 望夢は夢の中で自分が鬼頭にしたことを思い返した。いざ自分がされてみたら、相当ムカつくものだ。さすがにあのときはやり過ぎた。悪かったぜ鬼頭。

 望夢は川浦に向き直った。「川浦、いい加減あのアカウントを消せ!もう二度とあんな呟きはするな!」

「はっ⁈何⁈あんたまで一緒になって。ウザいんだけど」

「お前のせいで苦しんでる人がいるんだ!自覚しろ!」望夢は勇ましく言い返した。

 川浦は躊躇なく更なる武力行使を望夢に繰り出した。望夢は首に一発くらい、尻もちをついた。

 川浦は勝ち誇ったようにに笑っている。「バカね。ほら、さっさと消えてよ?陰キャと変態のクズの指図なんか受けたくないから。それともまだ足りない?」

 望夢は怒りで歯を食いしばった。芽傍も凄まじい形相で川浦を睨みつけた。

 次の瞬間、川浦は投げ飛ばされた。

 川浦は何が起こったのかわからず、地面に背中を思い切りぶつけた。恐る恐る顔を上げると、見覚えのない女生徒が立っていた。つり目で筋の通った鼻の美女だ。

「……誰?」川浦は尋ねた。

 亜久間はニヤリとした。そう、久々の制服姿の亜久間だ。

「あなたには理解のできない存在よ。あなたね、調子に乗るのもいい加減にしなさい!こいつらがどれだけ殴るの我慢してるかわかってんの⁈あんたからしたら二人はただの変態と陰キャのクズだろうけど、女ってだけであんたに拳振るの我慢してる立派な男なんだよ!」

 川浦は服をはたきながら立ち上がった。「何よ⁈何のよあんたも偉そうに!」

「偉そうなのはあんたでしょ⁈女ってだけで男を見下して、クズはあなたの方よ!なのに二人は歯食いしばって堪えてんだよ!」

 川浦はもう言い返さなかった。怯えた様子で亜久間を見つめている。

「いいかいあんた⁈女だからって、威張るんじゃないよ!女の方が偉いとか、男の方が偉いとか、そんなものはないんだよ!男と女はけして相容れない存在。だからこそ違いを尊重し、お互いを受け入れ合わなきゃいけないものなの。そんなこともわかってないあなたに、レディーなんて品の良い言葉、使う資格ないんだからね!わかったか⁈」

 川浦は小さくコクンと頷くと、即座に振り向いて走っていった。

 亜久間の完全勝利だ。

 亜久間は地に伏せたままの二人に手を差しのべた。「ほら。もう安心しなさい」

 望夢はその手と借りて立ちあがり、芽傍は自立で立った。

「ずいぶんと熱く語ったな」望夢は川浦が消えた校舎の角を見ながら言った。

「まあね。彼女とは契約してないから、あまり叩き込めないけど」

「いつもは自分でどうにかさせるのに、なんで今日は助けたんだ?」芽傍が尋ねた。

「あんたたちは充分頑張ったし、学ぶことは学んだよ。でもここで彼女を殴ってたら、すべて台無しになってた。だから私が代わって制裁した」

「それはありがと。助かったよ」望夢は礼を述べた。

 芽傍も軽く頭を下げた。

「ところでさ、」望夢は芽傍に振り向いた。「毎回おれのゴタゴタに関わってくるけど、それも亜久間が仕込んでるのか⁈」

「そうよ?すべて計画のうち。今回、木晒からあなたを助けさせたのもね」

 そう言うと亜久間は一瞬にして木晒悠斗に姿を変えた。

「あ‼︎」望夢はびっくりして大声を上げた。「芽傍、お前、覚えてるのか⁈おれが女になってたこと!あと木晒がこいつだって知ってたのか⁈」

「ああ。ただ、木晒の正体は今知った」

 望夢は納得した。芽傍が木晒を追い払えたのは、木晒が、亜久間が手加減したからか。言われてみれば木晒の整った顔つきは亜久間そっくりだった。どうして気づかなかったんだ!

「望夢ー!芽傍くーん!」

 校舎の角から瞳が走ってきた.

「大丈夫⁈怪我ない⁈」

「おう」と望夢。芽傍は無言だ。

 いつの間にか亜久間は姿を消していた。

「みんな校舎裏に釘付けで、何事かと思って見たら二人が川浦さんに痛めつけられてて。びっくりしたよ!それにしても、どうしてこうなったの?」瞳は尋ねた。

「川浦の裏垢だよ」芽傍が答えた。「本橋とか片山の写真を勝手に載せてて、それが許せなくて」

 望夢は驚いた。自分がやろうとしていたことを、芽傍が先にしていたなんて。

「そのことか⁈ほっとけばよかったのに!あたし全然気にしてなかったもん」瞳は首を左右にブンブン振りながら言った。

「そうかもとは思ってたけど、許せなかったんだよ」

「芽傍くん……」瞳は芽傍を見つめた。

「ありがとよ。芽傍」望夢はトンネルで助けてもらったことも含めて感謝を告げた。

「別に」芽傍はそれだけ言うと、足早に去っていった。

「ありがとね!芽傍くん!」瞳も後ろ姿に向かって言った。

 芽傍はいいえと言うように片手を上げた。

「相変わらずだな、ほんと」望夢は呆れた。

「いいんじゃない?このまま仲良くなれそうだし」

「そうかー?」

「うん!」瞳はにっこりと笑った。


 亜久間、アジェ、メモリーの三人は、また望夢たちを見下ろしていた。

「今回も上手くいったんだな。お前が川浦に正体明かしたこと以外は」とアジェ。

 亜久間は笑った。「まあね。熱くなるとついに語っちゃうのよね。メモリー、あの子から記憶消しといて?」

「了解しました亜久間様!」そう言ってメモリーは杖を振るった。

 亜久間は二人に向き合った。「あなたたちもお疲れ様。やっぱりあなたたちが作る仮想空間は最高ね!また頼むわよ!」

「ラジャー!」とメモリーは元気よく返事をし、アジェは「ん」と頷いた。

女の気持ちを理解し、瞳と仲を再確認した望夢。亜久間の鬼畜レッスンは、まだまだ終わらない。

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