近衛八重は容赦しないⅠ
「中学三年のころ、私は今と同じように地味で目立たない生徒でした。でも、似たような友達も二、三人いましたし、クラスの華やかな子たちとは関わることはなかったけどそこそこ普通に学校生活を送っていたんです」
そう言えば俺も中学の最初の方はそんな感じだった気がする。そしてどのクラスにもそんな感じの立ち位置の人は数人いた。
「でも唐突にそんな私の日常は終わりを告げました。あれは夏休み後だったかな、突然野球部のエースに告白されたんです。その人は野球部のキャプテンもしていて、イケメンで、女子にも人気だったらしいです」
「いけすかない奴だな」
北嶋が思いつめた表情で話し始めたので気が楽になればいいなと思いつつそんな軽口を挟んでみる。
「……それはそれでねじ曲がった意見では?」
が、返ってきたのは辛辣な言葉だった。
言っていいことと悪いことがあると思うんだが。それとも俺が同性だからやっかんでいるだけで女子から見るとそうでもないということなのか。
「北嶋はそいつのこと好きだったのか?」
「どうなんでしょうね。告白される以前は違う世界の人として認識してました。告白されたときはドキドキしましたよ。校舎裏に呼び出されて二人きりになったところで好きだって」
北嶋は地味だが可愛くない訳ではない。人にもよるだろうが、俺が守ってやらなきゃ、とか俺だけが彼女の魅力を分かっている、みたいな気持ちにさせられることはあるだろう。
「でも、私は断ってしまったんです。だって現実的に考えて私のような地味な女と彼が釣り合う訳ないですし」
それは実際そうだ。相手側は「そんなの気にしないよ」と言うだろうが、北嶋のようなタイプは絶対周囲の視線や自分の魅力のなさが気になってしまうだろう、たとえそれが思い込みに過ぎないとしても。
それに当人同士が良かったとしても周囲の目というのはあるだろう。実際北嶋が続けたのはそういう話だった。
「彼も私の答えを聞くとあっさり引き下がったんです。そしてその件はそれで終わったと思ったんです。しかし数日後から突然クラスの雰囲気が変わりました。最初は何かクラス内の視線が冷たくなったなという程度だったんです。ただ、だんだん女の子たちが私を指さして笑ったり、私が大人の男と繁華街を歩いているのを見たとか言われたり」
だんだんと北嶋の言葉が重くなっていく。振られた本人ではなく女子が始めたというところも陰湿さを感じる。大方、その男のことが好きだったのだろう。
しかし仮に二人が付き合っていたとしたらもっと嫌がらせは酷かったと思わなくはない。それとも、その場合はその男子が彼女を守ってくれたのだろうか。
「クソみたいな女だな。そりゃ彼もそんな奴らに好かれても何も嬉しくないだろうな。後は受験でストレスが溜まってたとか」
「それはあると思います。それの前から何となくクラスはピリピリしてましたし。ただ、受験が迫っているおかげで嫌がらせ自体は目立たない物が多かったのが唯一の救いでした。一番悲しかったのは、友達だと思っていた二人のクラスメイトが口を利いてくれなくなったときでした」
「……」
それには俺も何も言えなかった。
「二人とも、中一の時からの友達だったんです。私のようなタイプってあんまり友達多くないので、いつもその二人と一緒だったんです。高校も同じところ行こうねって言って勉強も頑張って。放課後も一人で入りづらいお店とかあったら一緒に行ったりして。二年の時はクラスが違ったんですけど、休み時間に一人でいると気まずいっていつも一緒に雑談してました。それなのに、ある日を境に意図的に私を無視するようになったんです……」
「……」
案外、どうでもいいと思っている相手にひどい嫌がらせを受けるよりも、自分が信じている相手が離れていくだけの方が傷は深かったりする。特に友達が少ない場合はなおさらだ。
俺はふと自分のことを思い返したが、自分の場合はそういう相手すら今はいないことに気づいて悲しくなる。いや、俺も友達ではなかったが大事な人が離れていって悲しんだという経験があるのは彼女と同じだろう。そう思って俺は黙って頷く。
「その後も物がなくなったりとか、教科書に悪口が書かれていたりとか、色々ありました。しかも少しずつエスカレートしていくんです。それでもずっと無視を続けていたら、ある日私は体育倉庫に連れていかれたんです。そこには同学年の男子がいて、お前は援交してるんだから同学年のよしみでただでしてくれよって。何の話かと思うかもしれませんが、そういう悪口も時々言われていたんです。私をいじめていた女子もどうぞどうぞって。さすがにその時は血の気が引きました。だってこれまでの嫌がらせとはレベルが違うじゃないですか」
「そうだな、れっきとした犯罪だな」
他人の物を盗んだり教科書に悪口を書いたりするのも立派な犯罪だがな。
俺は他人事ながら不愉快になったが、北嶋がそれを過去の出来事として語っているのを救いとして聞いていた。途中はどうあれ、最終的に何らかの解決をみた事件なのだろうから。そして少なくとも今は穏やかな学校生活を送っている。そういう事実がなければ、俺は彼女の話を落ち着いて聴くことは出来なかったかもしれない。
「そこに現れたのが八重さんだったんです。彼女は偶然を装って倉庫に来たんですが、多分どこかからこのことを聞いたのでしょう。さすがに見られた以上みんなも解散していきました。で、それを八重さんは彼らをぞっとするほど冷たい目で見つめていたんです。彼女は元々学年では有名人なので知ってはいましたが、当時は全く接点がなかったので私もびっくりしました。ある意味男子たちよりも怖かったです」
俺には何となくその表情の近衛が想像できた。きっと彼女にとってそいつらは同級生とか人間とかそういうくくりではなく、ただただおぞましいものに見えたのだろう。
そして北嶋にはそんな近衛がただただ異質な存在に見えたのだろう。場合によってはただ野蛮な奴よりも理解出来ない異質な存在の方が恐ろしく感じられることはあるかもしれない。