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近衛八重を放っておけない

「はい……とは言ったものの、どう話していいか分からないですね。まず安心させるために言っておくと、私は別に本当に飛び降りようとしていた訳ではないですよ」


 それを聞いてひとまず安堵するが、すぐに別の疑念が湧き上がってくる。飛び降り以外にあんなところにいる理由があるか?


「そうだったのか?」


 言われてみれば戻って来いと言った時、彼女はあっさりと戻ったような気がする。

 しかし、地面を見つめていた時のあの思いつめたような目は飛び降りる寸前と言われても違和感のないものだった。だから俺は、例えば彼女が飛び降りる振りをして誰かの気を引こうとしているとか、そういう可能性は自然と排除していた。


「だが、あの金網を上り下りしていれば何かの拍子に落ちるかもしれない。というかさっき自分でも、これから飛び降りるのにそんなこと気にしないって言ってただろ」

「まあ、そうなったらなったですね。最悪落ちてもいいかなと思ってはいましたが、それは目的ではないですよ」


 さらっと死んでもいい、と言い放つ近衛。死のうとしていた訳ではないにせよ、それに匹敵する何かを抱えているようである。


「じゃあ目的は何だ? 飛び降りる以外にあんなことをする理由なんてあるのか?」



「では逆に問いますが、先輩は何のために生きているのかって分かりますか?」



「…………は?」


 唐突な質問に俺はうまく答えることが出来なかった。

 が、困惑する俺を近衛は澄んだ水面のような瞳で見つめてくる。その瞳を見ていると思わず吸い込まれてしまいそうで、向こうからも俺の全てを見通されてしまいそうだった。その目は飛び降りる直前に見せたあの時の瞳とほぼ同じで、俺は思わず背筋がぞくりとしてしまう。


「何でもいいですから答えてみてくださいよ」


 近衛の表情は和やかだが、目は依然としてこちらを見据え続けている。絶対に俺が逃げることを許さない、とでも言うかのように。


 困ったな、まさかこんなことを訊かれるとは思わなかったが、適当に答えを濁すことが許されるとも思えない。もし俺が当たり障りのないことを答えてお茶を濁そうとすれば、近衛も俺に対する答えを濁すだろう。


 とはいえ、正直に答えるとしてもうまい答えは思いつかなかったが。というか、この年で人生の目的なんて持っている奴は逆に少ないんじゃないだろうか。


「……目的なんてねえよ」

「面白くないですね、でも正直に答えてくれたのは評価します」


 彼女はふふっと笑う。何で上から目線なのかはよく分からないが、いつの間にか状況の主導権は握られてしまっている。


「こんなことを自分で言うのも変なのですが、私は幼いころから色々なことが出来たんです。運動神経も良かったですし、勉強も授業と宿題で大体分かりました。よく試験前に『私全然勉強してないわー』とか言ってる子がいますけど、私は本当に全然勉強しなくてもいい点数がとれたんです」


 ちなみに、ここ藤嶺高校は県内では一番頭がいいと言われる私立である。危うく、自慢か? とやっかみの一つも言いそうになったが、事情を話せと言ったのはこちらなのでぐっと飲みこむ。

 それに近衛の様子を見ると自慢しているという雰囲気でもなかった。ただ単純に事実を羅列しているだけ、そんな印象だった。


 どうでもいいが俺の経験だと成績が本当にいいやつはあまりそのことを自慢しない。そのことを当然に思っているか、その成績でもまだ足りないと思っているかのどちらかであることが多い。近衛はそれで言うと前者に見えた。


「あと、習っていたピアノもまあまあ上達しましたね。特に好きでもなかったのでそこまで嬉しくはなかったですけど、母親は喜んでくれましたね。そして、人間関係も大体うまくいったんです。こう見えても私、クラスではトップカーストの集団にいるんですよ?」

「……らしいな」


 ちなみに、こう見えても、とは言っているが普通に美人だし笑うと愛嬌もある。よく見ると薄く化粧しているし、制服の襟元も緩めているし、スカートも短い。要するに陽キャリア充っぽい。本当に自殺とは無縁そうな人物だ。


「もしかして何でも出来過ぎて人生つまらなくなった、とかそういうオチじゃないだろうな?」


 だとしたら馬鹿らしい、と思ってしまう。俺の昼休みを返して欲しいし何なら今から突き落としてやろうかとすら思う。

 俺の言葉に彼女は首をかしげた。


「う~ん、それはちょっと惜しいですけどやっぱり全然違いますね。いくら勉強が出来ると言ったって、多分大学に行って専門的な研究とかすれば何でも出来るって訳にはいかなくなると思いますし、社会に出ても同じように通用するとは思っていないですよ。出来る出来ないで言えば出来ないことは無数にあると思うんですよ。そうではなくて、もっと根源的な問題です。そこで最初の問題に戻ってくるんです。私は一体何のために生きているんでしょう?」

「どういうことだ?」


 彼女は普通に話しているときも、あまり笑顔を絶やさない。おそらく、リア充トップカーストにいるのもそういう人当たりの良さが一因なのだろう。もしかしたら人間関係を円滑にするために意識してやっているのか、順序は分からないが。俺は普通に話しているだけでたまに「機嫌悪い?」などと聞かれるのでえらい違いだ。

 だが、今の俺にはそんな近衛の笑顔は作ったもののように思えてならなかった。


「だって別に生きている目的なんか考えなくても生きられるだろ?」

「う~ん、そういうことじゃないんですよね。どう言えば伝わるんだろう。ほら、よく『ゲームなんて時間の無駄』みたいなこと言う大人いるじゃないですか。じゃあ何だったら無駄じゃないんですかね。勉強? スポーツ? 習い事? 友人関係?」

「一般的にはそうだろうな」


 大体親とか先生に推奨されるのはその辺だろうな、と思う。

 そう言えば近衛は勉強が出来てピアノも弾けて友人関係が円滑だと言っていた。


「でも、それをやったら何が得られるんですかね。おそらく私たちは幸せになるために生きていると思うんですけど、そういうことをしたら幸せになれるのでしょうか」

「……」


 俺はその問いに対する答えを持っていなかったが、近衛も別に俺に答えを求めていた訳ではないのだろう、そのまま話を続ける。


「だから世間的に有意義とか、幸せとか言われるようなことを一通りやってみたんです。勉強、スポーツ、習い事、友人関係、そして恋人。全部ある程度のところまではやったつもりですが、全然幸せになりませんでした」

「……それはそれですごいな。というか、恋人もいたのか」


 まあ近衛ほどの完璧リア充超人であればそれもおかしくはないのかもしれない。俺は驚きと納得が半々ずつの気分になる。


「中学の時に一人。一応学校で一番人気のサッカー部エースのイケメンでしたよ。でも、付き合っていてあまりに私が何も感じないので、申し訳なくなって別れましたが」


 変な話だが、俺は今の彼女の話を聞いて、近衛が申し訳ないという感情を持っていることに安堵してしまった。幸せが分からない、と言っているが別にサイコパスという訳ではないらしい。

 そしてこれまでゆったり話していた言葉が急に早くなっていく。気が付くと、顔からも笑みが消えていた。


「悲しいですよ、だって周りの人が皆楽しそうにしていることを同じようにやっているのに、私だけ何も感じないんですよ。まるでロボットじゃないですか、いやロボットは悲しみも感じないのでむしろいいのかもしれません。私にとって目の前に広がる景色が全部灰色なんです。これは私が間違っているのか、私が悪いのか」


 穏やかに話していたはずの彼女の声は気づけば震えていた。あの作ったような笑みも消えて、不安や恐怖が表情に出ている。


「私って……人間じゃないんですかね?」


 そう言って近衛はそっと目を伏せた。俺はそんな近衛に何と声をかけていいのか分からなかった。

 大丈夫、お前も同じ人間だ、という言葉をかけることは出来る。

 しかし彼女が今述べたことに対する解答は何一つ持ち合わせていない以上、それで彼女を納得させることは出来ないだろう。


「……」


 俺たちの間に気まずい沈黙が流れる。

 悲しみにくれる近衛。答えられない俺。

 が、やがて近衛が顔を上げる。その表情は元の明るいものに戻っていた。


「すみません、取り乱しました。初対面なのに変な話をしてしまって申し訳ないです」

「いや、こっちこそ話してもらってすまない。でも、何であんなことを? 別にそれで辛くなって死にたくなったって訳じゃないんだろ?」


 幸い、彼女は自殺が目的だった訳ではないと言っていた。


「はい、死が間近に迫れば多分生きたいって思うと思ったんです。そしたら私の中に人生への未練というものが感じられるかなと思ったんです」


 生きる目的を知ろうと思えば死と隣り合わせになるのが近道ということか。悩み抜いた末にとった行動としては、理屈は分からなくはない。共感は出来ないが。


「で、結果は?」

「先輩に邪魔されたのでよく分からなかったですが、今のところ死への、というよりは地面に落下することへの恐怖しか感じませんでしたね」


 彼女は唇を尖らせて不服そうに言う。

 こうして見ると、本当に表情豊かだ。そのうちどこまでの感情が本物なのかは分からない。ただ、表情がころころ変わるのは可愛い、と思わされてしまう。そりゃあ人間関係もうまくいくわけだ。


「それは悪かったな……いや、何で俺が謝っているんだ?」

「ふふっ、冗談ですよ? 多分あのまま続けていてもそれ以上のことは分からなかったでしょう」

「そうか……」


 そこで俺は弁当を食べていなかったことを思い出し、おかずを口に入れるが、味わう余裕はなかった。

 もし文字にして彼女の話を内容だけ聞けば、俺は彼女のことを鼻もちならない高慢なやつだと思っただろう。何でもそつなく、それも高水準でこなせるくせに生きていて幸せじゃないとは何と贅沢な、と思ったかもしれない。


 しかし彼女が時折見せるどこか遠くを見つめているような澄んだ瞳を見ると、彼女は本当に周りの人とは違う考えで生きているのだろうと思わされた。

 俺がそんなことを考えている間、近衛はぼんやりと空を見つめていた。まあ、こんなことがあってから教室に戻って友達とわいわいする気にはならないのだろう。


 すぐに答えが見つかる問題でもないし、彼女はこの先ずっとそんな違和感を抱えながらそつなく生きていくのだろう。優秀な大学に合格し、そこそこの会社に入り、幸せな家庭を作る。いや、今の近衛の状態だと幸せな家庭は無理か。


 ということはずっと一人で生きていき、一人で死ぬのだろうか。そう思うと俺は他人のことなのに急に悲しみに包まれた。


 キーンコーンカーンコーン


 ちょうど俺が弁当を食べ終えたところで昼休みの終わりが迫っていることを告げる予鈴が鳴る。それを聞いた近衛は一つ大きく伸びをして立ち上がる。その表情には一応笑顔が戻っていた。


「すみませんね、せっかく屋上で一人でご飯食べようとしていたところを邪魔してしまって。もう来ませんから安心してください。それから、卵焼きありがとうございました!」


 そう言って近衛は歩き去っていこうとする。

 が、俺はこのまま当たり障りのないことを言って近衛を見送ることは出来なかった。思えばこの時から俺は既に彼女の本質のようなものに惹かれていたのかもしれない。

 気づけば俺はその背中に向けて叫んでいた。


「何にも価値が見いだせないって言うなら俺が近衛にとって価値があるものを見つけてやる!」

「えっ……?」


 思わず近衛が振り返る。その表情は俺がこれ以上絡んでくることは予想していなかったという驚愕のものである。

 彼女は別に自殺を試みていた訳ではないし、もうここには来ないとも言った。そして彼女の問題は本人にしか解決出来ないものである。普通に考えて俺が彼女に関わる理由はないように思える。


 それでも俺は彼女に関わろうと決めた。


「これだけ世界は広いんだ、本当に世界が無価値な訳はないだろ」


 俺は彼女に言ったつもりだったが、最後の方は自分に言い聞かせるような口調になってしまっていた。

 彼女は俺の言葉を聞くと一瞬顔をしかめたが、やがて何も言わずに校舎の中に消えていった。

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