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近衛八重への好意を認めざるを得ない

「そう言えばお前、進路どうするんだ」


 週末の日曜日。俺が昼前に起きて朝昼兼用のご飯を食べているとおもむろに父が話しかけてきた。

 正直に言うと、俺は何も考えていない。おそらく俺だけではなく、大体の同級生も「とりあえず進学」以上のことは何も考えていないだろう。うちは進学校ではあるため、進学が決定している生徒がほとんどである。


 ということは大学の四年間が保証されているということでもあるので、具体的な進路を考えるのはずっと後だという意識は学年全体にある。ただ、どこの大学を受けるかという話は割とホットでもある。俺はその話題には入ってないが。


「県内の国立受ける」

「そうか。うちは継ぐのか?」


 父は穏やかなトーンで尋ねた。

 俺の中では柏木さん自主退職事件は大きな事件だったのだが、父にとっては数ある仕事の一つに過ぎない。柏木さんだってやめていったバイトのうちの一人としか思っていないだろう。実際、バイトの移り変わりは激しく一年続けば長い方だ。


 だから俺があの事件が理由でうちの仕事に興味を失ったということに気づいているのかすら怪しいと思っている。そうじゃなかったらこんなこと聞けないしな。とはいえ今更その件を無視して父と喧嘩する気もないので答えを濁すことにする。


「分からない」


 俺が言うと、父は俺が食べている食卓の向かい側に座った。あ、これは長そうだな、と直感して俺は嫌な気持ちになる。


「別にうちを継ぐにしろ継がないにしろ大学ぐらいは出ておいて損はないと思うからそれはいい。だが、前はよく手伝いに来ていたのに最近は全然だからどうしたのかと思ってな」


 いつの話だよ、それ中二のときの話じゃねえか、というのが正直な感想だ。何を今更。

 考えてみるとあの事件からすでに三年近く経とうとしている。これだけの時間ずっと引きずっている俺も俺だが、その間ずっと触れてこなかったこいつもこいつだ。


「中学受験が忙しかったのは分かるが、高校に入っても全然だからどうしてかと思ってな」


 言われてみればあの事件の後ぐらいから、現実逃避という理由もあって俺は受験勉強を熱心に始めた気がする。だから父の目から見れば単に受験を頑張り始めたように思えたのだろう。

 そして高校に入って、慣れてきたらまた戻ってくるのかと思っていたら俺が一向に言い出さないのでようやく痺れを切らしたといったところだろうか。


 とはいえ、父も不況とか人手不足で仕事が忙しかったのを知っているので別に恨みとかはない。ただ、とってつけたような感じだなと思うだけだ。


「別に、何でもない」


 正直触れられたくないことなので俺は言葉少なに答えて茶碗に残ったご飯を急いで口に詰め込む。早くこの話題は切り上げたかった。柏木さんのことを気にしていると父に悟られれば、まず間違いなく険悪な空気になるだろう。

 が、俺のその態度は逆効果となったようだった。父は俺の言葉を聞いて眉をひそめる。


「何か他にやりたいことがあるならいい。でも、部活にも入ってないしこれといった趣味もない。毎日マンガ読んでゲームばかりしてるから心配しているんだ」


 父の表情を見る限りおそらく本気で心配しながらそう言っているが、俺からすればもう一年以上こんな感じの日々が続いているのに今更何をという感じだった。


 まあそれはいい。問題は、父の言っていることは正しいが、俺が書店の仕事に興味を失った理由が父のやり方だとは言いたくないことだ。

 あの時の話を突っ込めば俺が青臭いと言われるだけに決まっている。もしくはただの柏木さんへの思い入れのせいと言われるか、どちらかだろう。


 細かい経緯は知らないが、父は俺の知る限りでは理不尽に他人に高圧的に接するタイプではない。おそらく柏木さんサイドに何か重大な落ち度があったのだろうが、それを知りたいとも思わなかった。この話を蒸し返せば、父は柏木さんの問題点を指摘して俺がいっそう嫌な気持ちになることは目に見えている。


「本当に何もないって」

「そうか? だけど本当に何もない訳ないだろ。突飛なことでもいい、何か考えがあるなら言ってくれ、別にそれを否定したりはしないから」


 父はまるで理解ある父親かのように言った。おそらく父親は俺が動画配信者とかプロゲーマーとか漫画家とか、そういう一般的になるのが難しいとされる職業に興味を持っていて、でもそれを言うと否定されるのが嫌で隠しているとでも思っているのだろう。まだ高校生だしそういう夢があるのなら、それでもいいと思っているのかもしれない。


 俺はこの時、父の言葉に怒りを覚えた。


 しかしこの時の俺の心情を理屈で説明するのは難しい。

 まず、父が言っていることは間違っている。俺は単に店を継ぎたいと思っていたのが冷めただけで、別の何かに興味を持っているということはない。普通にゲームやマンガは好きだし、本も読むが別にクリエイター的な何かになる気はないし、なれるとも思っていない。


 次に断言できることは、俺が抱えている怒りと不満は百パーセント俺が悪いということである。父がやったことは労働法的には非難されることだろうが、俺はそれをただの私怨で恨み、しかもそのことを父に隠して「何もない」と言った。父の発言がそれに対するものである以上どう考えても父は悪くない。


 そういうことは分かっているつもりなのだが、俺の中には燃え盛るような怒りが芽生えていた。


 何もない訳がない。


 その言葉が俺の怒りに火をつけたのだろう。何もない訳がないと言われても俺は本当に何もない。いや、父への私怨はあるが、それは父が言っている「何もない」とは関係しないことだ。


「……何もない訳がないってどういうことだ」


 俺は父を睨みつけながら問うた。俺は自分でも自分の剣幕に驚いた。俺はなぜこんなに怒っているのだろうか。適当に「まだよく分からない」などと濁した方が絶対に穏便に済むのではないか。


 これまでひたすら父から目をそらし、さっさと食事を終えてこの場を去ろうとしていた俺の突然の変化に鈍感な父も気づいたのだろう、一瞬言葉を選ぶように黙る。とはいえ何が俺の態度を変えたのかよく分からないだろう、少し困惑しながら話す。


「……普通に人生を生きている以上、何にも興味がない訳はないだろうってことだ。お前は完全に本屋への興味を失ったのか? だったら何か失う理由があったか、他に興味あることが出来たんじゃないのか?」


 父の言っていることは合っていた。俺は父のやり方が気に食わないだけで、本屋という仕事への興味を失った訳ではない。どちらかというと、蓋をしたという言い方が正しい気がする。そして言うまでもなく理由もある。


「何にも興味がなかったら悪いか?」

「悪いとかじゃない、ただそんな人間がいる訳ないっていうだけで……」


 もはや父の言葉が俺には耳障りで仕方なかった。

 ドン、という音がして俺はテーブルを叩いて立ち上がっていたことに気づいた。


「そんなの親父の思い込みじゃねえか! いる訳ないって言っても実際にいるんだから仕方ないだろう!」


 今ダイニングを震わせている大きな声が自分の声だということが自分でも信じられなかった。まるで自分じゃない誰かが自分に乗り移って怒りをまき散らしているかのようだった。

 目の前に座っていた父が見たこともない俺の剣幕に呆然としている。俺はこれまで不機嫌だったりいらいらしていたりということはあったが、ここまで直接怒りをあらわにするのは初めてだった。


「晴……」


 父は呆然と俺の名を呼ぶが、俺は食べ終えた食器を叩きつけるように流し台に置くと、そのまま家を飛び出した。




 俺は自転車に飛び乗ると、無我夢中で海に向かって漕いだ。別に海に思い入れは全くなかったが、きっと無意識に人を避けようと思ったのだろう。


 自転車を漕ぎながら俺は思った。多分これまでの俺だったらあの程度のことでこんなに怒ることはない。適当に言葉を濁して立ち去るか、ありもしない将来の夢を適当にでっち上げてその場を取り繕っただろう。


 だが、今回ばかりはそう出来なかった。あまり考えたくはない可能性だったから頭の中で考えないようにしていたが、どうも俺は本気で近衛のことが気になっているようだった。おそらく俺は自分のことではそんなに怒らないタイプである。今回は特にそこまでひどいことを言われた訳でもない。


 それなのに怒りが抑えきれなくなったのは父の言葉が流れ弾として近衛に命中していたからではないか。認めたくはないが、それ以外に怒りの原因が思い当たらなかった。


 彼女はあまり表には出さないが、おそらく自分が何も持っていないということに深刻な悩み、葛藤、劣等感のようなものを抱えている。


 近衛は飛び降りるつもりなかったから、とあの屋上での出来事を大したことではなかったことにしようとしていたが、足を踏み外すとか、風が強いとか、そういった些細な偶然で転落することはあり得るし、それは聡明な近衛なら分かっていたはずだ。それもやむなしという程度には人生に悲観していたのである。

 だから俺はそんな近衛の存在が否定されるような父の言動に我慢ならなかったのだろう。


 そんなことを考えながら足を動かしていると海が見えてくるが、時期のせいか、レジャーに来た家族連れが多い。どこか人の少ないところに行きたかった俺はそれを見て不愉快になる。

 仕方なく海岸沿いにしばらく自転車を走らせると、ごつごつとした岩場ばかりのレジャーには向かないところに出たので、俺は適当に自転車を止めて岩場に降りていく。腰かけるとごつごつした岩がお尻に食い込むし、微妙に湿っているしで座り心地は最悪だった。しかも肌を撫でる潮風は生暖かい上に湿っぽく、自転車を漕いで火照った体には気持ち悪い。


「あーあ、何もない癖に他人に当たり散らすとか最悪だな」


 突然激怒したのも最悪ならその理由も最悪。二つの最悪が重なって、俺はしばらく何もする気が起きず、ひたすら生ぬるい風に吹かれていた。


 海岸でぼーっと考え事をしているからといって悩みそのものが解決する訳ではない。ただ、最近あった様々なことがとめどなく頭の中をぐるぐるしていくだけだ。しかし、火照った怒りが冷めていくように、落ち着きだけは取り戻されていく。


「……何で俺、あんなにキレたんだろう」


 我に返るとあの時の自分がとても恥ずかしく思えてくるのだった。



 結局、帰りたくないなという気持ちに引きずられて夕方まで海岸でぼーっとしていた俺は夕飯の時間になってようやく重い腰を上げた。家に帰って父に一言「ごめん」と謝ると父も「俺も言い過ぎた」と言った。


 父は俺が何にキレたのか分からなくて戸惑っている。でも俺が怒っているのを見て何かを間違えたと思った。そんな「言い過ぎた」だった。こうしてこの件はうちではなかったことになった。

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