天塚晴は警告に屈しない
五木と話した翌日の昼休み。俺はいつものように屋上へ向かう階段を上っていた。が、いつもは一人なのに今日は後ろから別の足音が聞こえてくる。まるで俺の後を追っているかのようだ。
屋上へ上がる階段を使う人は俺以外にいないし、屋上を勝手に使うのは学校にばれるとまずいことなので俺は一応いつも気を配っている。それなのに俺が途中まで気づけなかったということは、意図的に後をつけてきたとしか思えない。
仕方なく俺は足を止めて振り向く。階段の下に現れたのは一年と思われる男子だった。日焼けした肌にがっしりとした体格、さっぱりした髪。きっと何かのスポーツをやっているのだろう。俺とは全く関わりがないタイプの人間だし、実際知り合いではない。
が、彼はなぜか俺のことを敵意のこもった目で睨みつけている。少なくともスポーツの最中に相手に向けていい目つきではない。
「俺に何か用か?」
これでただ屋上にタバコを吸いに来た不良とかだったらとんだ自意識過剰である。が、男は俺を睨みつけながら口を開き、低い声で尋ねてきた。
「お前が最近近衛さんに近づいているという噂の男だな?」
残念なことに彼の目的は俺であった。うちは進学校であまり生徒が問題を起こすような学校ではないと思ってあまり後先考えずに行動したのがよくなかったようだ。近衛の人気を考えると、冷静に考えればこういうことが起こってもおかしくはない。
「そうだ」
俺が答えると彼は無言でこちらへ上がってくる。ここで脅えを見せるとマウントをとられる、ということは分かっている。
が、俺は体格でも運動神経でも負けていて、そんな彼と目が合うと本能的な危機感を感じてしまう。気が付くと俺は体の内側から湧き上がる恐怖に負けて思わず一歩、二歩と下がっている。
とん、と背中が屋上への扉にぶつかる感覚があった。こういう時に堂々とした態度をとれないから柏木さんの時も何も出来なかったのだろう、と俺は落ち込んでしまう。
そんな俺を見て男は嘲るような笑みを浮かべると、ゆっくりと階段を登って近づいてきて俺のシャツの襟もとを掴む。
「大胆にストーカーしてるっていうからどんな奴かと思ったが、ただのもやしじゃねえか」
そう言って男は俺の顔をぐいっと引き寄せる。至近距離で見つめられると体の奥まで射すくめられるような感覚がして、俺は反射的に顔をそむけてしまう。
「おい、何か言えよ」
「……」
何も言える訳ねえだろ、と思うが気が付くと膝ががくがくと震えて頭が真っ白になっている。理屈ではただの学生、しかもまあまあの進学校に通っている以上怖いことなんか何もないと分かっていても体が言うことを聞かない。
「まあいい、とりあえず近衛さんに今後は二度と近づくな。いいな?」
「お、おお」
かろうじて俺の口から出たのはそんな吐息のような言葉だった。それを見て男はつまらなさそうに舌打ちする。
「次はただじゃすまないからな」
それでも俺の表情からは逆らおうという気力が見て取れなかったからか、彼はすぐに解放してくれた。今日の目的は警告だけだったのだろう。
男の手が襟元から離れると、脱力した俺はへなへなとその場に座り込む。男はそれを見て肩をいからせながら去っていった。全く、何なんだあいつは。
だが、俺は喉元過ぎれば熱さを忘れる性格であった。その後いつも通りに屋上で一人弁当を食べていた俺はぼーっと思考を巡らせているうちに苛々してきた。
別に近衛の彼氏でも何でもないのにいきなり現れて何様なんだあいつは。確かに肉体的な恐怖には屈したが、別に心から屈した訳ではない。そう思うとむしろ敵愾心まで湧いて来た。ここまでやってきたことをあんな奴に屈してやめる訳にはいかない。
本当は次に近衛本人と連絡をとるのはもう少し解決の展望のようなものが見えてからにしようと思っていたが、こうなったら会って話してやる。一応いくつか話したいことも出来た。そしてあいつについても聞いておくか。
俺は謎の男への対抗心からスマホを開いて近衛へのラインを送る。
『すまん、いつでもいいので放課後どこかでお話出来ないか?』
数分後、早速返信が来た。
『次の月曜で良ければ。何か穴場みたいなところあります?』
学校近くであんまり生徒がこないところか……あそこか。仕方なく俺は昨日五木と一緒に行った喫茶店の名前を出す。ということは、また八百円払うのか、と少しげんなりしてしまう。まあ、世の男子にとってはそれで近衛のような美少女と二人きりで話せるのなら安いものなのかもしれないが。
とはいえ、俺にとっての近衛の価値は外見とは何の関係もない。いや、それも嘘か。完璧な外見と能力を持ち合わせているのに中身が“空っぽ”だからこそあそこまで近衛は輝いて見えるのかもしれない。
“私のことを好きになっても報われないですよ?”
不意に近衛のそんな言葉が記憶の中によみがえってくる。そうだ、俺が近衛を好きになっても問題は何一つ解決しないどころか、俺が苦しむ分むしろ悪化している。あくまで俺は近衛を救い出さないといけないんだ。
そう思いつつも、俺は知らず知らずのうちにぬかるみにはまっていくような良くない感触を抱くのだった。