1-閑話2 二人の新参者
「……ったくひどい目にあったぜ」
オルゲルトはギルド長専用に与えられた個室で一人ぼそりとごちる。
いつもは他のギルド職員にやらせていたテスト。
今日は暇な人間がいなく、久しぶりにオルゲルトが直々に行うことになったのだ。
結果から言えばオルゲルトが相手をして正解だった。
他の職員では手に余っただろう。
便宜上実力テストと称しているが、実態は少々異なる。
冒険者になろうとする人種は大抵一山当てて名声を得てやろうという博打じみた考えをもっていて、しかもその大半が自分の実力を過信している。
そのため無茶な依頼を受け、死んでいく冒険者が後を絶たないのだ。
そういった甘えた考えを改めさせようと、カリスの街で独自に取り入れられたこのテスト――という名の『洗礼』。
少しばかり魔法や武器の扱いをかじったからといって増長していた新入りの鼻をこれまでも幾度となくへし折ってきている。
ボコボコにされた冒険者は謙虚さを持ち、慎重に行動するようになる。
おかげで辺境という危険地域に設置されているにもかかわらず、カリス支部における冒険者の死亡率は、ほかの街のギルドに比べて圧倒的に低い。
今日も新入りの冒険者を軽くのしておしまいにする予定だった。
その凶悪な顔も相まって完璧なチンピラ冒険者を演じ、決闘まで持ち込む。
一応、相手に大怪我をさせないため、オルゲルトは手加減に手加減を重ね、さらに手加減をした上で決闘に臨むつもりだった。
しかし、あの悠真という新人冒険者は、
「ありゃあ、才能があるなんて話じゃねえ。……異常だ」
オルゲルトはその恵まれた体格を椅子に沈めながら戦いを振り返る。
悠真が使った魔法は風の塊を相手に向かって放つというごくごく単純かつ初歩的ななもので、これは風魔法を扱う魔術師なら誰でも使えるものだ。
ここまでは何ら問題はない。
威力に関しても問題はなかった。
年齢のわりに高威力ではあったが、優秀の一言で片付く。
小さいころから魔法に触れる機会があれば納得できないでもない。
才能が開花するかは別として、幼少の頃から英才教育をする貴族など珍しくはない。
問題は魔法の展開速度だ。
これは天才という言葉だけではとても片づけていいものではない。
悠真が最初に手をかざしたあの時、オルゲルトは戦いを舐めている見習い魔術師が長々と詠唱をし始めるのかと思っていた。
発動媒体である杖すら持っていなかったのだ。
戦いの体勢ができていない。
剣士で言えば刃先の錆びきったガラクタの剣で戦うどころか、敵を前にしてようやく準備体操を始めるのと同義である。
魔法を扱えるのは才能がある者だけであるため、魔術師は貴重だ。
魔物相手にも先制攻撃をかけやすくなるという利点もあり、多少レベルが低くても魔術師はパーティーに入りやすい傾向にある。
同じ強さの剣士と魔術師でも、魔術師の立場の方が上。
そのため、中には勘違いする者も出てくる。
悠真もその一人だろうとオルゲルトは腑抜けた考えごと粉砕しようとした。
しかし、ここで予期せぬ事態が起こる。
詠唱の最初の数文字にオルゲルトは違和感を持った。
それが長々とした詠唱ではなく、詠唱における最後の小節――魔法発動のための起動キーだということに気付いたのだ。
詠唱とはあくまで魔法発動のための補助でしかない。
よって詠唱の省略や破棄は必ずしも不可能というわけではなかった。
ただし、未熟な魔術師がこれを行った場合、詠唱時と比べて魔法展開までの時間が爆発的に多くなるリスクがある。
そして、これは戦闘時において致命的なリスクだ。
無詠唱や詠唱省略での魔法行使は確かに便利だ。
前兆のない突然の攻撃は相手の不意を突くことができるのだから。
とはいえ、それは伴う技術があってこそのアドバンテージ。
いくら無詠唱でも展開に五分、十分とかかっては意味などなく、だからこそ多くの魔術師は不便であろうとも呪文の詠唱を行い、杖を振りかざす。
無詠唱、もしくは一小節まで詠唱を省略し、なおかつ実践に耐えうるレベルの速さで魔法を操れるのは魔術師の中でも一流の実力を持つ者のみ。
常人ならば生涯をかけてたどり着く境地で、そこへ到達する者より叶わず生涯を終える者の方が圧倒的に多い。
(こいつ……もう撃ってくる、のか?)
あのギルドでの戦いの時、長年の戦いで培ってきた直感と経験の両方でそれを感じたオルゲルトは慌てて手加減をやめ、本気で加速した。
つい意固地になって「遅い」と口に出してしまったが、全く遅くなどない。
むしろ数いる魔術師の中でもトップレベルの速さだった。
そのせいで少々冷静さを欠き、勢い余って悠真を過剰にボコボコにしてしまった。
あとあと振り返ってみれば、そこまでする必要はなかった。
初手を取られても対処は十分にできたはずだったのだ。
仮に対処が間に合わず、魔法を正面から受けても問題はなかった。
速いといっても小規模の魔法だ。
防ぎきる自信、防ぎきれるであろうという自負がオルゲルトにはあった。
しかし、詠唱スピードが予想を飛び越えた速さであったため、ついオルゲルトは本能的に一流魔術師を相手取るような対応をしてしまった。
そのあと天罰とばかりに手酷いしっぺ返しを食らったが。
土下座で油断させてからの無詠唱魔法という反則すれすれかつ完璧な奇襲で。
決闘のルール的にはグレーだが、最初に煽る一環で言った冒険者の戦い方という観点から見れば必ずしも間違っていないため、文句も言えない。
それに思い返してみれば悠真は謝罪を口にしただけで降参はしていなかった。
……もっともあの時オルゲルトが完全に油断しきっていたかといえばそんなことはなく、悠真が性懲りもなく仕掛けてきたならそれはそれで手立てはあった。
自然魔法を展開する際には必ずタイムラグが発生する。
そして魔法の規模が大きくなればなるほど、比例してタイムラグも大きくなる。
修練で縮めることが可能だが、決してゼロにはならない。
例え世界最高の魔術師が最高品質の発動媒体を用いてもその前提が覆ることはない。
だからこ万が一、悠真が攻撃に動いたならオルゲルトはそのタイムラグを利用して処理する腹積もりだった。
だが、期待していたタイムラグはゼロだった。
(馬鹿な……。そんなのはありえねえ……!)
常識を覆す衝撃を受け、オルゲルトは固まってしまった。
隙を見せたオルゲルトに、最速の魔法展開。
対処する暇はなかった。
おかげで壁を突き抜けることとなり、本当に久しぶりに痛手を負ったのだ。
その後、オルゲルトは仕方がなく悠真をもう一度殴った。
仕方がない、と自分に言い聞かせていたものの、もちろん鬱憤晴らしである。
しかし、あの魔法の展開速度。
その点だけを見ればまず確実に国の抱える宮廷魔術師以上である。
あれほどの異才を誇る魔術師はオルゲルトとてそうそう知るものではない。
「展開スピードだけなら『氷絶』クラス。……いや、下手したらそれ以上か?」
オルゲルトは古い仲間の姿を脳裏に浮かべる。
水色の瞳と透き通るような白色の髪で、眠たげな雰囲気を持つ少女。
だが、そんな見た目とは裏腹に世界で五指に入るであろう自然魔法の腕を持つ、知らぬ者などいない超一流の魔術師だ。
現在でも現役のSランク冒険者。
十五年前に起きた魔族との戦争の終結時にパーティーを解散して以来、一度も会っていないが、今も北の方でのんびりと冒険者を続けていると風の噂で聞いた。
もちろん威力や規模、バリエーションでは到底『氷絶』には敵わないだろう。
足元にも及ばない。
勝負にすらならないはずだ。
だが、展開スピードに限れば――あの『氷絶』すらも上回っている。
すでに悠真が一流クラスというわけではない。
魔法の展開に関しては極みの位置にあると言えるが、他はまだまだだ。
一芸に秀でているとは言え、総合的な戦闘力なら悠真以上の魔術師など大勢いる。
悠真は強いのではなく、あくまで『異常』なのだ。
「……何者だ、あのクソガキ」
軽く身元の調査をしたが、空振りに終わった。
魔術師ギルドにも該当する者はいなかった。
降って湧いたような悠真の正体をしばし考えこみ、オルゲルトは結論を出した。
「どうでもいいか」
他国の間者だろうが、犯罪者だろうが関係ない。
それに気を回すのはオルゲルトの仕事ではない。
最大の疑問点である魔法展開時のタイムラグがゼロという謎も考えるのを放棄した。
魔術師でもないオルゲルトに解けるはずもないのだ。
大抵の人間は詠唱の短さに気を取られて気づくこともないだろうし、見つかって大騒ぎにはなったところでやはりオルゲルトには関係ない。
自分があれこれ気を遣うのも馬鹿らしいと放置することにした。
「そういや、もう一人いたな」
バンダナをつけた冒険者の少女、エアリス。
かなりの有望株で、冒険者ギルド加入からわずか一年でランクをCまで上げている。
ランクを一つ上げるのに数年要することを考えれば、十分驚きに値する。
だが、今日実際に相対してみて、その評価が甘いと言わざるを得ないことがわかった。
おそらく戦闘面における実力はすでにCランクの範疇を超えている。
剣筋に関してオルゲルトは見覚えがあった。
完全に同一のものではなかったが、とある剣士の癖が見とれた。
以前相対した経験があったため、剣筋を見極めエアリスの剣を奪うという芸当ができたが、それがなければ穏便に事を収められなかった。
「つまりあいつは……そういうことなんだろうな」
ふんとオルゲルトは息を吐き出した。
ギルドの壁を生身で貫通するという目には遭ったが、なかなかどうして面白い二人がパーティーを組んでいることを発見できた。
駆け出しの悠真だけではやや不安があるが、エアリスのような経験者が一緒ならば適度にフォローしてもらえるだろう。
「まあ、なるようになんだろ……あん? これは……」
オルゲルトの机にいくつかの書類が乗っていた。
冒険者時代の業績でギルド長に選ばれたオルゲルトはこういう事務処理が苦手だ。
普段のオルゲルトなら丸めてゴミ箱に放り込むか、事務方に回していた。
しかし、その内容を見るや否やオルゲルトは唇の端を悪辣に歪める。
「ついでにこいつを片付けさせるか」
悠真の魔法の解説はまた後日、別の人がしてくれます。