4-17 湖のほとりにて
「当初は早期に決着がつくと予想された。なにせ頂点に君臨していたのは子供とは言え、歴代でも最強の力を持つ魔王。その配下も軒並み腕の立つ者ばかりだったからな」
魔王軍の侵攻に人族はかつてないほどの窮地に立たされた。
いくつもの国が滅亡の危機に瀕し、カレンディア王国も大きく押し込まれた。
そのまま魔族の勝利で数百年の戦に終止符が打たれるかに思われた。
「そんな時、奴が現れた」
勇者、ネギシ・ユーナ。
カレンディア王国によって呼び出された日本人の若き少女。
ついに王国は最後の切り札を切ったのだ。
古代人の遺した魔法陣による勇者召喚を敢行した。
世界を越えるなど生半可なエネルギーではない。
国が傾くほどの魔石をつぎ込んでようやく、人族は魔王への対抗手段を得た。
「過去の人魔戦役において、魔王軍は勇者と呼ばれる存在にたびたび苦汁を舐めさせらていたのだが、しかし、類を見ない化物が魔王に就任したことで魔王軍の誰しもが慢心しきっていた。勇者など取るに足らない相手だとな」
だが、それは間違いだった。
此度の勇者もまた同様に化け物だったのだ。
あたかも強大な魔王の出現に合わせるかのように。
運命に導かれたかのように彼女は常軌を逸して強かった。
『剣聖』『氷絶』『悪鬼』――それらの異名持ちの仲間と劣勢からの反撃を開始した。
「……なんかすげー知ってる名前があったんだけど」
「『剣聖』のことか?」
「そっちもなんだが……でもラグクラフト・エインズはお前の顔を知らない風だったよな。というか気づいてたらもっと騒いだだろうし」
「あの男は私の素顔を知らん。顔を知っていたのは側近だけだ。戦場には顔と体形を隠すために鎧を着て出ていたからな。アーティファクトの一種で、体格に合っていなくとも思考で動かせる代物だ。いくら強くとも子供がトップでは箔がつかんだろう」
ほとんどの人族は魔王を屈強な大男だと思い込んでいるらしい。
これもまたステラがヴェルを魔王と信じ切れなかった理由の一つだ。
「連中とは何度もぶつかった。さすがは勇者パーティーとでも言うべきか、一人として欠かすことなく食らいついてきた。まあ、私としては面倒な敵という認識で脅威に思ったことはなかったのだが……」
全身に破壊魔法を付与していれば一切のダメージを負うことがない。
その状態で近寄って来られたら逃げる他ない。
この上なく凶悪な敵だったことだろう。
毎回、勇者側の撤退で終わったそうだ。
「だが幾度にも渡る戦いの末、戦線は混迷。ついに私と勇者の一対一の決闘にもつれ込んだ。途中経過は長いから省くぞ。知りたいのなら英雄章でも読め。内容は脚色されているだろうが、流れぐらいはわかるはずだ」
ルージェナ近郊における伝説となった戦い。
魔王と勇者の一騎打ちの火蓋が切って落とされた。
「勇者の使った魔法に関しては今でもよくわかっていない。あの女は『創造魔法』とか嘯いていたが……。とにかく私の破壊魔法に対抗しうる魔法だった」
戦いは三日三晩にも及んだ。
一騎打ちになったのは正々堂々という理念からではなく、半端な実力の人間では手が出せなかったからだ。
あまりの苛烈さに両陣営とも指をくわえて見るしかなかった。
「三日三晩って話だけど、そんなに魔力がもつものなのか? お前の破壊魔法は消費魔力が膨大で、一日に一回までの制限があっただろ」
そのせいでレストアの鉱山で彼女は不覚をとったのだから。
いかに強力な魔法だったとしてもたった一撃でガス欠になるのでは役に立たない。
そんな弱点があっては魔族最強の魔王を名乗れそうにないが。
「それは現状の私の話だ。昔の私の魔力量なら、その気になればそれこそ一日中だって維持していられた。だが、その件もこの話に無関係ではない」
「と言うと?」
「魔法を発動するには魔力が必要であることは貴様も知っての通りだ。そして、魔法の使用に伴って魔力が消費され、減ることも」
そんなのは講義されるまでもなく、魔術師なら実地で知っていることだ。
「では延々と魔法を使い続ければどうなる?」
「どうなるって、いつかは魔力切れに陥って気絶するんじゃないか」
「その通り。しかし、それは正解ではない」
矛盾をはらんだヴェルの切り返しに困惑する。
そうは言っても魔力切れによる気絶は自分の体で実証済みだ。
「その気絶は魔力切れによるものではなく、身体の安全装置が働くために起きるものだ。魔力は生命維持にも使われるからな。俗に言う魔力切れの状態でも、魔力自体は残っている。つまり意識さえ保てれば魔法は持続して使うことができる」
ただし、それは命を削るのと同義だ。
生命維持に使われる分の魔力に手を出せばただでは済まない。
ヴェルはそれを承知でリミッターを解除し、勇者との戦いを続行した。
そして勇者もまたそれに追随するようにリミッターを解除したそうだ。
「繰り返し言うように魔力は生命維持に必要なものだ。安全装置が働くことからもそれがわかるだろう。それを無理やり解除して魔力を消費したとなると、生命活動に支障をきたし、体の各種器官にも不具合がでてくる」
「そのせいでお前は魔力の回復が遅くなる後遺症を負った……」
「それだけではない。魔力総量も全盛期に比べ激減した。破壊魔法を日に一度しか使えないのはそのためだ」
命を燃やしながらも二人は戦いを続けた。
もはや泥仕合、意地の張り合いだった。
そうまでして彼女たちは三日三晩にも及ぶ死闘を繰り広げた。
「先に倒れたのはどちらだったか……気づけば私も勇者は地面にうつぶせになっていた。鎧も砕かれ、満身創痍で指先一つ動かせなかった」
どれほどの時間が過ぎただろうか。
ヴェルの耳がすぐそばで地面を踏みしめる音を捉えた。
そっと顔だけあげると、いたるところに怪我を負いながら立ち上がった勇者の姿。
僅差でヴェルより早く復活したのだ。
もはや抗うことはおろか逃げることさえ叶わない。
諦めとともに目を閉じたヴェルに勇者がこう声をかけてきたそうだ。
『え!? 何この子、とんでもなく可愛いんだけど!? こんな愛くるしい生き物がこの世界に存在していたなんてっ! こ、これはもうウチまで連れて帰るしかないよね! よし、運良く周りには誰もいない! さっそく持ち帰らなきゃ……!!』
「そして私は連れ去られた」
「ホントさすがっすね、勇者さんっ!?」
寸前まで殺し合いをしていた魔王相手にその物言い。
もうあらゆる感情を通り越して、普通に尊敬するわ。
しかもお持ち帰りって……まったくどんな極致に至った変態野郎なのやら。
「………」
そんなことを考えていると、ヴェルが白い目でオレを見ていた。
なんだろう、この重度の変態を見るような目は。
オレに幼女趣味の変態勇者の影を幻視しているのだろうか。
共通点なんて目や髪の色ぐらいだろうに。
少なくともオレは弱った少女を動けないことをいいことにこっそり連れ帰るような真似は絶対にしない。
「……って、勇者生きてるのか?」
「生きている。なんならその後、共に世界を旅してまわった」
道理で二人の死体が見つかってないわけだ。
幼女魔王を勇者が連れ去るなんて展開を誰が読めるだろうか。
「旅をしながら私は勇者に様々なことを教わった。人族や魔族の確執や歴史、物ごとに対する価値基準、偏りのない視点で世界を見ること……あとは勇者と魔王の本来の正しい在り方などだな」
「勇者と魔王の正しい在り方?」
「奴の言うところによれば本来勇者とは安物の剣にいくばくかの金をもってスタートし、魔王はその到着を魔王城の王座にて待たなければならんそうだ」
「余計な情操教育してんじゃねーよ!」
くっ、妙にヴェルと話が合うと思ったらそういうカラクリか!
気のせいかと思っていたけど気のせいじゃなかった。
やっぱとんでもねーわ、勇者!
「……で、その勇者はどうなったんだ? もうお前と一緒に行動はしていないみたいだけど、今もこの世界のどこかで好き勝手やってたりするのか?」
「元いた世界とやらに帰ったぞ」
「あっそ、それはせいせいするな……え? 帰ったの? 帰れたの!?」
まさかあの超絶難易度の古代遺跡をクリアしたのか?
聞いた限りじゃ人間に踏破できるようなものじゃなかったぞ。
「お前とユーナ……魔王と勇者の最強ペアで古代遺跡に挑んだとか?」
「いいや、あの女とは途中で別れた。だが、この世界から去ったのは確実だ。そもそも全力の私でも殺し損ねたあの女を誰が殺せるものか」
帰った……帰ったのか、元の世界に。
なんだろうな、この溢れ出る言葉にできない感情は。
嬉しいとも妬ましいとも違う。
どこかほっとしたような不思議な感覚だ。
それはただ帰還への道筋が残っていたことだけが理由じゃなくて――。
奇妙な感傷に浸るオレをよそにヴェルは話を締めくくった。
「あとは以前、貴様に話した通りだ。今更魔族領にも戻るわけにいかず、ふらふらと放浪していた折に成り行きでドラゴンと戦い、それが元で冒険者になり、レストアの街で貴様らと出会った」
そうしてオレはこいつと出会ったんだ。
鮮烈なまでに真紅で彩られたこの美しく気高い少女と。
「懐かしいな。今でも昨日のように思い出せる。あの街を襲った大規模侵攻の脅威を我々が力を合わせて退けたのだったか……」
「何一つとして思い出せてないからな!?」
大規模侵攻は遅れて現れたヴェルが一人で相手取り、オレはヴェルに襲われてごみ箱に詰められたせいで迎撃に遅刻したんだろうが。
都合のいい思い出にすり替えてんじゃねーよ。
「さて、私の話は終わりだ。今度はこちらが貴様らに質問をする番だ。諸々の反応を見てわかったが、貴様らも勇者と同じく異界の出身者だな?」
「……そうだ。信じてもらえないと思って隠してた。オレは勇者みたいに召喚されたわけじゃなくて偶然飛ばされてこっちに来たんだけどな」
「私は彼とはちょっと経緯が違うわね。あっちの世界で死んで記憶だけ持ち越したこの世界の住人。転生者ってやつよ」
ヴェルは「そうか」と呟き、ステラと視線を合わせた。
最初の激情はすっかり収まっていた。
「貴様の交渉とやらにのってやろう。私が話したことは今後一切人にしゃべるな。このまま墓まで持っていけ。そうすれば私から貴様に害をなすことはないと約束しよう」
「ええ、私も約束します。交渉成立ね」
握手も書面もなかったが、約束は守られるだろう。
穏便な決着に気を緩めていると、今度はオレと視線を合わせてきた。
「なんだよ? オレにも口止めか?」
「いや、貴様はいい。貴様とて私が捕まり、辱めを受けた挙句、街中を引きずり回され、磔にされ、炎で炙られる様を見たいわけではあるまい? まあ、もしも貴様が人魔戦役の時に犯した罪を贖うべきだというのなら考えないでもないが」
「わかった、わかったから! 誰にも言わない!」
こうも憐憫を誘うような言い方をされると頷くほかない。
そんな気なんてさらさらない癖に自分の悲惨な末路をチラつかせる辺りがずるい。
「私が貴様に聞きたかったのは別のことだ」
ヴェルは笑みの消えた真面目な表情でその質問を口にした。
オレが何度も迷い、苦悩してきたその問いを。
「――ユーマ、貴様は元の世界に帰るつもりなのか?」
来たるべき時が来た、といった心境だろうか。
「今までは貴様が別の世界の住人だという確証がなかったから放っておいたが……。それがわかれば見えてくるものもある。勇者の手記に執着していたということは、貴様もまた元いた世界への帰還を望んでいるのではないか?」
「……そうだ。オレは元の世界に帰りたい。たった一人の家族が待っているから」
その返答にヴェルがすっと目を細めた。
オレはかすかな失望と苛立ちを含んだヴェルの視線から逃れるように立つ。
「ちょっと前まではそう思ってた。でも今は少し違うんだ」
かみしめるようにここまでの道中を思い出す。
この世界に来てから本当に密度の濃い日常の連続だった。
森で魔物に追われる少女を助けようとして、一緒に追われた。
チンピラだと思っていた奴がギルド長で、叩きのめされた上に盗賊討伐をさせられた。
大規模侵攻に巻き込まれ、無双どころかごみ箱に投棄されたこともあった。
いつの間にか奴隷少女を助け、裏の組織や領主ともやり合う羽目にもなった。
同じ世界の出身者と出会い、またもや事件に巻き込まれて……。
だけど、そんな日々がたまらなく充実していた。
だからオレは――。
「オレはこの世界で生きていきたい。妹が心配だからひとまず帰還方法は探す。だけど、その後にまたこの世界に来るための方法も探す。それがオレの答えだ」
悩みぬいた末に出した答え。
見返してみればそれは凡庸で、目新しさなどない。
どうしてこんな簡単なことにずっとうじうじ悩んでいたのか不思議なぐらいだ。
ヴェルは一瞬だけ不意を突かれたような顔をしたが、やがて愉快そうに笑いだした。
「ならば私はその願いを叶える手伝いをしてやろう」
物語はまだ続く予定ですが、少し書きたいことがまとまらなくなってきて一旦完結とします。中途半端なところで途切れるよりは切りのいいところで止めたいので……。別作品に手を出したりするかもしれませんが、気力が回復したら再開するつもりです。