1-閑話1 『悪鬼』オルゲルト
「……獣王国の方の情勢に変化はナシ、と。どうやら向こうの戦いはまだ膠着状態が続いてるみたいね。あたしの出る幕はないか……」
用事を終えたエアリスは独り言をつぶやきながら階下へ至る階段を下りていた。
下の階ではユーマが冒険者になるための手続きをしている。
時間的に見て、そろそろ終わってもいい頃だろう。
「ユーマ、か……」
その名を呟き、あの黒髪の魔術師の男の顔を思いを馳せる。
あの時、悠真が助けに入ってくれなければエアリスは間違いなくこの場にいない。
なすすべもなくオーガに嬲り殺されていたことだろう。
それだけに感謝は深かった。
それにしても悠真という少年は変わった人物だった。
オーガの脅威度はAランク。
本来なら騎士団の精鋭を揃えて挑むような相手だ。
そんな魔物に追われている人間がいたとしても普通は助けようとはしない。
どころか、助けるなんて考えがまず頭をよぎらないだろう。
仮にオーガが街近辺に出没し、暴れ出してしまえば、位置や重要性によっては街そのものがまるごと見捨てられることすらある。
実際、過去いくつかの街や村がオーガの手によって潰された事例がある。
そんなレベルの、もはや災害に等しい魔物だ。
それでも悠真は助けに来てくれた。
自らの危険すら顧みずに。
悠真は確かに優れた魔術師だ。
しかし、それでもAランクのオーガに対抗できるほどではない。
彼自身、確実な勝算があったわけではないだろう。
とっさに機転を利かせたおかげで、どうにか逃げ延びることができたものの、本当に綱渡りの連続で、何か一つ歯車が噛み合わなければ死んでいた。
では、なぜ悠真は助けに入ってくれたのか。
いくつか候補は上がったものの、どれも理由にしては今一つ弱い。
金銭目当てにしろ、体目当てにしろ、どう考えても命を懸けるリスクに見合うリターンとはならないし、当の本人からは「近くの街まで案内してくれ」の一言だけ。
もしかして馬鹿にされているのだろうかと真剣に悩んでしまった。
あの人柄を一言で評するなら『お人よしの変人』だろうか。
よくもまあ、あんな人格が形成されるものだとエアリスは関心すらしていた。
妙に世間知らずな一面もあり、浮世離れしている。
魔法の技術を脇に置いても、彼の事があれこれ気になって仕方がなかった。
だからこそエアリスは悠真をパーティーに誘おうと思ったのだ。
(でも、もし――)
と、そこまで考えたところでエアリスはようやく異変に気付いた。
階下に広がる凄惨な光景に。
「なにこれ……? 嵐でも通ったの?」
壁に開いた大穴に、散乱した椅子やテーブル。
目に飛び込んできた激しい戦闘の跡にエアリスは思わず声を漏らした。
どこの馬鹿が冒険者ギルドの建物内で喧嘩を起こしたのかと思えば、中央には動かない悠真とそれを見下ろす大柄な冒険者の姿があった。
現場の状況と、今までの経験を元にエアリスはここに至るまでの大まかな経緯を瞬時にはじき出した。
すなわち、悠真はあの大柄な冒険者に絡まれ決闘を行ったのだと。
いつだって新人に絡みたがる冒険者はいるのだ。
珍しいことではない。
もっともエアリスは悠真の実力を知っていたため、心配していなかった。
新人に絡んでくるような暇な冒険者程度なら軽くあしらえると考え、階下に残した。
だが、負けて倒れ伏している。
油断したのか、実力のある冒険者と当たったのか、とにかく彼は負け、相手と思しき冒険者はまだ収まらないのか、悠真に近づいた。
(とどめを刺そうと……!)
そのことを認識した瞬間、エアリスは心の中でざわりとしたものを感じた。
かろうじて残った理性で鞘を取り付けたままの剣を構え、段を降りる手間も惜しいと手すりに足をかけると躊躇いなく蹴った。
何事かと振り返る冒険者の男。
猛獣のように飛び掛かってくるエアリスの姿を見るなり、顔をひきつらせた。
「お、おい! ちょっと待て!?」
「待たない! やり足りないって言うならあたしが相手をしてあげるわ!」
男の制止を無視し、問答無用でエアリスは剣を振るう。
鞘というセーフティーがあるとはいえ、エアリスの太刀筋が当たれば骨は砕けるし、打ちどころが悪ければ死ぬこともあるだろう。
決闘の承諾もしていない相手に問答無用で攻撃を仕掛けるのは問題だが、仲間を助け、頭に血が上った冒険者を大人しくするためだった言えば言い分も立つ。
悠真は命を懸けて助けてくれたのだ。
それと比べれば、多少の罪過をかぶることなど問題にもならない。
エアリスに迷いはなかった。
不意を突かれた冒険者の男の回避は間に合わない。
エアリスの剣に打ち据えられた冒険者の男は地面に倒れこみ、そのあまりの痛みに悲鳴を上げて悶絶する――はずだった。
しかし、男はここでドカン! とあり得ない音を轟かしながら床を踏みつけ加速すると、後方に移動し剣先を避ける。
獲物を見失った剣が虚空を切る様をエアリスは驚愕の面持ちで見た。
(速すぎる……!?)
目の前の光景が信じられなかった。
スピードに関してはかなりの自信を持っていたが、粉々に打ち砕かれた。
男の速さは間違いなくエアリスを上回る。
あまりの速さに視界から消えるはずのない巨体を見失いかけた。
悠真がやられたのはまぐれではなく、自身と比しても大きな戦力差があることを理解したエアリスは気を引き締めなおした。
すかさず追撃しよう力強く踏み込む。
勝負を決めるならば短期決戦、先手を取って隙を突いた今だけだ。
距離を開けさせるわけにはいかない。
このチャンスを逃せば、エアリスに勝ちの目はなくなる。
次に繰り出したのはあらかじめ回避を想定した突きだ。
一撃で仕留められないなら、体勢を崩していき、避けられないタイミングを作る。
あわよくば、と思っていた突きはやはりかわされた。
そして、次の動きに繋げようとするエアリスだったが、その動きは止まった。
革手袋をはめた手からは剣が消えていた。
それが信じられずに何度も手を閉じたり開いたりするが、やはり手ごたえはない。
エアリスは視線を目の前の男に戻す。
消失したエアリスの剣は男の人差し指と親指で摘み上げられていた。
されたことはいたって単純だ。
文字通り、見た通り、剣を奪われた。
ただし、戦闘中自分を切りつけようと動く剣を、という異常な注釈がつくが。
よほどの実力差があれば起こりうるが、若くてもエアリスはベテランクラスの冒険者。
チンピラのナイフとはわけが違う。
(何かしらの魔法、だったらよかったけど……これは単純明快な武術で、力量差……!)
動揺と混乱で思考が乱れる。
それでも敵の手に武器が渡ったことだけは間違いようのない事実。
敵の戦闘力は上がり、自身の戦闘力は落ちた。
戦力差がさらに開いたのだ。
それでも思考を空白に染めたまま立ち尽くすことはせず、エアリスはすかさず予備の短剣を抜き、切りかかろうとする。
そんなエアリスの前に男の手のひらが向けられ、奪われた剣が捨てられた。
「待て、待て! 落ち着け! てめえ、このクソガキの仲間か……別にこいつには何もしやしねえ。何を勘違いしたか知らねえが、とどめを刺すなんてくだらねえことするかよ。あのまま放置しておくわけにはいかねえから、医務室に突っ込んでやろうとしただけだ」
そんな予想外の一言にエアリスの目が点になった。
訳も分からずまごまごしていると、受付嬢が驚くべきことを言う。
「まったくやりすぎなんですよ、ギルド長」
「え……ぎ、ギルド長……!? この人が!?」
「そうです。この方は冒険者ギルド、カリス支部ギルド長のオルゲルトさんです」
ギルド長はその名の通りギルドにおいて最高権限を持つ役職だ。
冒険者をまとめるという役割上、経験豊富な引退した冒険者がなることが多い。
そのギルド長に攻撃を仕掛けたと知り、エアリスの額に冷や汗が流れる。
「す、すいません! てっきりあたしは仲間があなたに叩きのめされたとばかり……」
「それは間違っちゃいねえよ。そこのクソガキは俺が叩きのめした」
「あの、ユーマが何かしたんですか?」
エアリスの疑問を受付嬢が引き継ぐ。
「テストですよ。新入りの実力を測るための」
「て、テスト? でもあたしがギルドに入った時はそんなもの……」
「ここは辺境で魔物が多いですから、新規に登録する冒険者に限って実力を測るテストをしているんですよ。実力のない新人の登録を許したら簡単に死にますので。不合格となった方の登録は原則認められません。もっともテストはこの街の冒険者ギルドが勝手にやってることですから、別の街で登録できますけどね」
その説明にエアリスは思わず頭を抱えた。
状況的に限りなく黒だったとはいえ、何の確認もせずに攻撃を仕掛けてしまった。
使いはしなかったが最後は抜き身の短剣まで用いて。
格上相手に余裕がなかったと言えばそれまでだが、厳罰ものだ。
「判断は悪くなかったぜ。冒険者は一瞬の気の迷いが命取りになんだからな」
「も、申し訳ありません!」
「はっ、気にすんな。こんなことで処罰をくだす気もねえ。テストという名目だが、起きたことはてめえが想像していたのとほとんど変わらねえだろうしな」
チンピラまがいの冒険者の如く絡んで叩きのめした、とオルゲルトはニヤリと笑った。
「ま、不幸なことに相手はこの俺だったわけだが」
「確かに災難でしたね……。たまたま手の空いたギルド職員がいなかったがために、普段は戦うはずのない『悪鬼』を引き当てる羽目になったんですから」
そう言っていまだ起きる様子のないユーマを憐れみの目で見る受付嬢。
「てめえはこいつの仲間なんだよな?」
「え、ええ、はい。Cランク冒険者のエアリスと言います」
「Cランク? ……ふん、まあいい」
値踏みする視線を送るオルゲルトだったが、ほどなく顎を引く。
「……このガキ、俺の図体見てあそこまで言えるとなると、見た目を裏切ってかなりの実力を隠し持っていんのかと思ったんだが……その予想をさらに裏切って、見た目通りのただのもやしだったな。さっぱり戦闘慣れしていねえ。魔術師という点を差し引いても酷すぎる。ありゃあ、素人以下だ」
「ある意味意外性はあったが」と言いつつ、オルゲルトは悠真をそう酷評した。
ということはテストは不合格ということだろうかと表情を曇らせたエアリスだったが、オルゲルトはさらにこう続ける。
「だが、魔法だけを見ればそこそこ才能はある。まだガキだから伸びしろもあるだろうよ。テストは合格にしておいてやる。このクソガキは医務室に放り込むぞ」
「は、はい。お願いします」
悠真を肩に担ぎ背を向けるオルゲルトに、ふとエアリスはあることを思い出し疑問をぶつけた。
「……あの、ところでさっきの『悪鬼』というのは……?」
「ああ、そりゃあ……俺の現役時代の二つ名だ」
「二つ名……?」
二つ名と言えばよほどの偉業をなしたか、Aランク以上の者につく冒険者の勲章だ。
ならば彼は――。
「俺は『悪鬼』オルゲルト。元Sランク冒険者だ」