4-11 見えざる脅威
「ゆ、夕凪君!?」
焼かれるような鋭い痛みが左手に走る。
遅れて血が噴き出し、ステラの端正な顔やドレスに飛び散り汚してしまった。
せっかくの衣装がもったいないな……。
ステラの表情が悲痛に染まるのを見ながら搔き乱される意識のはざまで思う。
痛みであげかけた絶叫を噛み殺しながら、ステラを背中に庇う。
すぐそばで舌打ちが聞こえたような気がした。
何者かがここにいる。
憶測が血と痛みをもってして形となる。
「ぐ、こん……のおっ……!」
破れかぶれになって中空に向けて大振りに蹴るが、手ごたえがない。
かわされたのか、それとも見当違いだったのか。
答えを確認するよりまずステラの避難を優先する。
「ゆ、夕凪君、その傷……でもなんで、何も……誰もいないのに!?」
「いいからこっちに来い! 殺されるぞ!」
動揺するステラを無事な方の手で引っ張り、パーティーの会場内に連れ込む。
出席者は何事かとこちらを見て、血に染まったオレの右手を見て悲鳴を上げた。
驚きの悲鳴はやがて恐怖の悲鳴となり、会場を駆け巡る。
ちょっとしたパニックになってしまったが、オレはそれに構わず風魔法を行使し、室内とテラスを結ぶ大きな扉を閉めた。
分断と言うには心許ないが、これでいくばくか時間を稼げる。
とめどなく血をあふれさせる右手を圧迫して止血する。
「何事ですか!」
騒ぎを聞きつけ、フェルシーが現れる。
武装した仲間の姿もあった。
エアリスはいち早くオレを見つけると、負傷に息を飲んだ。
「ユーマ、その傷は!?」
「ちょっとやられた……。性懲りもなくあいつらだ。まだ外にいる」
「手持ちで一番効能の高いポーションです! これで治療してください!」
ラフィルに渡されたポーションのコルク栓を歯で抜き、薬液を患部にかける。
じくじくと苛んでいた痛みが和らぎ、出血が治まる。
貫通するほどの大怪我だ、完治には至らない。
しかし、この場はこれで乗り切るしかないだろう。
布できつく縛り、傷口を保護しながらエアリスと小声で情報を共有する。
「敵は剣士? それとも魔術師?」
「魔術師よりの暗殺者だな。恐らく透明になる技能魔法だ」
「透明……それは厄介ね」
「光を屈折させているのか、保護色になっているのかまではわからないけど、手の届く位置にまで近づかれてもまったくわからなかった」
衛兵が見逃すのも仕方ない。
見張るも何もそもそも見えないのだから。
魔力も発動時に発散される分を除けば、よほど集中してないとわからない。
持続時間は不明だが、効果切れは期待しないほうがいいだろう。
ステラはいまだ動揺の抜けない顔で下唇をかむ。
「ここまでは深く懐に入り込まれたんじゃ、パーティーは中止ね……。使用人に通達、来賓の客に被害が及ばないように安全な場所に誘導して! 死者なんて出たら洒落にならないわ! 商会の評判を落とすどころじゃ済まなくなる!」
ステラの号令で使用人たちが動き出す。
ひとまず大混乱は避けられているようだ。
襲撃者の姿を直接目にしていないのが幸いしたのだろうか。
もしも透明な暗殺者がいると知ったらどれだけの混乱が引き起こされるのやら。
フェルシーは短杖を抜くと、人の消えた会場に目を配る。
「しかし、見えざる敵ですか。風景に擬態する魔物というのは聞いたことがありますが、完全な透明となると……レグル、気配で読めますか?」
「無茶言ってくれんなあ。相手の技量にもよるが、積極的に気配を消していなくとも相当きついぜ。良くて相打ちってとこだろうよ。技量が俺と互角かちょっと下ぐらいならおしまいだ。そっちこそ魔力を辿れねえのか?」
「厳しい、でしょうね。私の感知精度では敵の位置を特定できません」
「……そいつはやべえな」
パリン! と一つの窓が砕け散った。
にもかかわらず、窓を壊した要因が見当たらない。
結果だけが横行し、そこへ到達するまでの過程が欠け落ちている。
事前にネタばらしを聞き及んだ面々も現象を目の当たりにして――否、目の当たりにできない現象に緊張を膨れ上がらせた。
「総員、武器を構えて警戒を……」
誰もが厳しい戦いになると覚悟を決める中、オレは歩き出した。
「お、おい、何やってやがる!? むざむざやられに行くようなもんだぞ!」
レグルの慌て声に耳を貸さずに真っすぐ敵を倒しに行く。
暗殺者にかけられた透明化の魔法。
敵に一切の視覚的情報を与えないその力は確かに強力だ。
条件さえ整えれば無類の強さを発揮するだろう。
しかし、正体さえ割れてしまえばそんな魔法など恐れるに足らない。
いかなる方法で姿を消したのだとしても実体は残る。
オレの風魔法なら見えずともわかる。
不意打ちをされはしたものの、根本的に相性が良いはずなのだ。
「〝風読み(フォーサイト)″」
オレの単独先行に暗殺者が嘲りを見せたのがわかった。
さすがに声に出す愚は犯さなかったが、口元にゆるりと弧を描く。
当の本人はそれすらも掴まれているなど夢にも思っていないだろうが。
猪をやり過ごすように突進の直線上から身を引くと、得物に手をかけて隙を待つ。
唇の動きだけで「死ね」と宣告する暗殺者。
オレはぐるりと首を回し、その不可視の肉体を真正面に収めた。
「なっ、まさか……!?」
「さっきのお返しだ、透明人間」
身体を翻し、斜め後ろに回り込んだ男の側頭部にハイキックを炸裂させる。
剣を振り上げた男は頬でもろに衝撃を受けた。
透明化の力に驕り、攻撃されることを想定していない。
動きにしたって酷く緩慢で無音を心がける以外はなっちゃいない。
これまで透明化のおかげで楽に暗殺家業に勤しめたのだろうが、能力の殻をはぎ取ってしまえばそこに残るのは単なるゴロツキだ。
「ぐば……!」
暗殺者は口内の空気を吐き出したような悲鳴にならない音を出し、床を転がった。
仕返しを済まし、すっきりしたオレは仲間の方を見て、
「ロープをくれ。起きない内にこいつを縛り上げよう」
使用人たちは何が何だかわからず固まっていたが、オレの声掛けに慌てて男を押さえつけ動けないように縛りだした。
倒してなお透明化が切れないため手間取っている。
手探りで推し進められた結果、とんでもない縛り方になったが……まあ、いいか。
「んだよ、もう終わったのか……?」
いまいち勝利を実感できないレグルスが拍子抜けの収束に頭を掻く。
「ユーマさんなら当たり前です!」
ラフィルが誇らしげに言い放つと、「おお……!」と使用人が感嘆した。
いつもの買い被りでしかないが、どうして彼ら彼女らは強者からのお墨付きを得たような反応をしているんだろう?
パーティーは荒らされてしまったが、大事は避けられた。
不審者の侵入を許したことでステラは後始末に奔走する羽目になるだろうが、敵の正体とそれを撃退した事実を公表すれば信頼の回復も図れるだろう。
そう締めくくっていると、
――パリン、と窓が割れる音が聞こえた。
「……ああん? まだ他にもいやがったか?」
音を耳に入れたレグルが剣を構え、いぶかし気にそこを睨み付ける。
だが、そこには何もない。
窓を壊した魔法や人の姿はなく、ただ風に揺らめくカーテンがあるのみ。
既視感のある不思議現象に嫌な予感が働いた。
「……おい、まさか……」
パリン!パリン!パリン!パリン!――と、それを皮切りに窓が次々と爆ぜた。
襲撃者の姿なき破壊の連鎖。
鏡を見ずとも自分の顔が強張るのがわかった。
ホールの三十以上ある窓の実に半分がガラスの破片へと姿を変えた。
そして、そこにはオレだけが知覚できる敵。
あー……、いっぱいいる感じですか。
◇◇◇
人数はまだこちらが上回っている。
倒せるか、と訊かれれば答えはイエスだ。
ただ、ステラを守り切れるかと訊かれれば……。
オレは考えるのを止め、先ほどの暗殺者の剣を屈んで拾った。
勢い「さっきのお返しだ」などと言って蹴り倒したが……人違いな気がしてきたな。
あの時使用されたのは短剣で、この男が使ったのは長剣だ。
だとしたら、とんだとばっちりだ。
まあ、ステラの身を狙って来た暗殺者には違いないので謝ろうとは思わないけど。
「……通路まで後退しよう。こんな開けた場所じゃ守り切れない」
オレは敵に聞こえない程度に声を絞って撤退を促す。
レグルは横目でオレを窺うと、普段よりトーンを落とした声で、
「勝てねえってのか?」
「勝つために工夫を凝らすんだ。警戒する方向を減らせれば負担も減って……」
「ごめんなさい。無茶を承知で頼むけど、ここで戦えない?」
そう言ってきたのは他でもない護衛対象であるステラだった。
「連中をこの会場から出したくないの。向こうの狙いは私なんでしょ。だったら私がここにいる限り、あいつらはここに釘付けになるわよね? もし戦う場所を移して来賓の貴族や権力者に何かあったら、かなりまずいことになるわ」
「お前が囮を引き受けるっていうのか……?」
オレは苦々しさを感じながら、ステラの頼みを検討する。
壁を背にすれば守る面は限定できる。
それでもひらけた会場内だ。
攻撃が激化すれば命を落とす人間が出てくるかもしれない。
「……いや、下がった方がいい。最悪を恐れて最善をうてないのは下策だ」
「最善はここで敵を倒しきることよ。ここで生きながらえても信用を失ったらすべてを無くすの。私が私でいるために、誰一人として欠かさないために、リーファム商会という後ろ盾は絶対に失えない。だから……お願い」
使用人たちの顔を見るが、誰一人として安全策を主張する者はいない。
彼ら彼女らが人間らしく生きられるのはここだけ。
此度の失態でリーファム商会が立ち行かなくなれば、皆行き場を失う。
「お前が死んだらそれこそ終わりだぞ」
「死なないわよ。だってこっちには……」
ステラはそこでとびっきりの笑顔を作ると、自信満々に言い放つ。
「チート主人公がついてるもの!」
は、と口から空気が漏れた。
失笑とも苦笑とも判別のつかない吐息。
なんてことを言ってくれるんだ、こいつは。
あまり勘違いをさせるようなことを言わないでほしい。
そうやって勘違いして調子に乗った挙句、痛い目を見るのがルーティーンなのに。
それなのに、ようやく謙虚さが身に付きかけているというのに。
そんなことを言われたら、頑張りたくなるだろうが!!
「ステラを中心に防御陣を敷け! オレたちが敵を倒しきるまで持ちこたえろ!」
オレの檄に使用人たちから意志のこもった応答が叩き返される。
覚悟を決めて戦いに臨んでいるならもうオレから言うことはない。
オレは鹵獲した武器をパチンと鞘に収めると、構えた。
抜き身を使わないのにはいくつか理由がある。
粗悪品で人を斬り続けると血脂で切れ味が鈍り使い物にならなくなるし、そもそもオレは人を斬りたくない。
魔法剣士のカッコよさに憧れ、しごきまで受けているのにお笑い草だ。
まあ、意識が飛ぶほどぶん殴れるなら武器としての用はなす。
すっと無言でエアリスが肩を並べた。
「ユーマは前に出なくてもいいのよ。その手、痛むんでしょ?」
「血は止まってるし、剣は握れる。エアリスこそ防御や回避はともかく、見えない相手に攻撃を当てられるのか?」
「さあ、やってみないことにはなんとも。でも魔術師のユーマに前衛を任せっきりにするぐらいだったら、あたしは明日にでも冒険者を引退するわね」
ツートップで立ちはだかるオレたちに暗殺者が動いた。
オレは渾身の振りで敵の剣をはたき落とすと、風魔法を胴にぶち込む。
エアリスは敵の刃を最小限の動きで外し、そののちに斬撃を浴びせた。
「カウンターを狙えば、何とかってとこね」
血を払うような仕草を見せるが、ミスリル剣は変わらぬ輝きを放っていた。
ただ手ごたえはあったのか、エアリスは構えを一時的に解いた。
実際、仕留められた暗殺者が床で倒れている。
血が見えない心に優しい仕様である。
最初の奴もそうだが、意識が無くなっても魔法が解除されないのか……?
「……!」
暗殺者の一団が動きを止める。
彼らからやられた仲間は見えない。
どころか傍目からはオレたちの一人芝居に見えるだろう。
だが、くぐもった苦鳴と身体が床をうつ音が確かな撃破を知らしめた。
しかし、躊躇を見せたのもつかの間。
数がいれば押しつぶせると考えたのか、一人、また一人と動き出す。
オレは直近の敵に矛先を向けた。
こちらは対等に戦えるのが二人だけなのだ。
深追いはせず、あくまで防衛ラインの維持を念頭に戦おう。