4-7 お忍び散策
ひとしきり街の空を飛び回ってステラが満足した後、地面に降り立つ。
初めての飛行を経験した人間は足元がおぼつかなくなるものだが、ステラは大はしゃぎで空を仰いだ。
「あー、楽しかった。空を飛ぶのって気持ちいいわ。風を顔いっぱいに浴びるのがもう最高。今度、飛行船作りに挑戦してみようかしら」
「できなくはなさそうだな。熱気球みたいにするか、ヘリウムガスを詰めれば」
「テストが大変そうね。壊れたら地面に真っ逆さまだし。試験機を飛ばす時は夕凪君に添乗員を務めてもらおっと」
「体が空いてたらな」
蒸気機関車すらできていないのに飛行船に着手するのは時代を先取りし過ぎではと思うが、好きにやってくれればいい。
オレはその時何やってるんだろうな。
いまだ帰還方法を探し回っているのか、元の世界に帰っているのか、はたまたこの世界に居残ることを決めているのか。
「そういやお前、タイヤキのレシピ知ってんの?」
「さあ。けど、うろ覚えでも鑑定魔法があればどうにかなるわ。分析に特化した魔法だから。商品開発の半分はこの力のおかげね」
「便利だな。どこまでわかるんだ?」
「対象の名称や生物体系に沿った分類から経年、構成要素まで知りたいことはだいたい。それを知識とすり合わせればほぼ筒抜けね」
食材はステラの所持する倉庫から自由に持ち出せるという事なので、型用の鉄板を探すために鍛冶屋を訪ねた。
発明品の作成依頼をすることもある懇意の鍛冶屋らしい。
「おやステラ様、視察ですかい? 頼まれていたものはまだできてませんが……」
「ううん、また新しいもの作ってもらおうと思って」
「仕事の追加ですか。相変わらず人使いの荒いことで。まあ、あなたのアイデアにはいつも度肝を抜かされとりますからね。断るのは職人が廃るってもんです。それで今度はどういったものが入用で?」
さっそく鯛の形のくぼみを彫った鉄板の図面をかいて説明する。
ステラの絵心はなかなかのものだった。
頭の中のものを人に説明するのに絵が手っ取り早いから練習しているのだろう。
「ははあ、なるほど。生地を流し込んで焼けばその形になると」
「どう? 作れる?」
「はっはっはっ。いつもの無茶苦茶な注文に比べれば遊びのようなもんです。明後日にでも完成品を屋敷にお届けしましょう」
「え? この場で三十分ぐらいでできない?」
易しい注文にほっとしたところへ鬼のような時間制限を設けられ、職人が頭を抱える。
「む、無茶言わんでくださいよ、ステラ様。抱えている案件を全て後回しにしたとしても三十分は無理ですよ。魚のような込み入った型じゃなく、単純な円筒型のくぼみならいくらか作業時間を減らすこともできますが……」
「それじゃ大判焼きになっちゃうじゃない。私はタイヤキが食べたいの」
「はあ……味に違いがあるんですかい」
「ないわ!」
職人が助けを求めるようにオレを見てきた。
気の毒に……毎度ステラの無茶に振り回されてきたんだろうな。
苦労がしのばれる。
「加工しやすい厚さの鉄板はありますか?」
「それなら取り置きのやつが」
「じゃあ、それを二枚ください」
職人が奥の部屋から手頃なサイズの鉄板を持って戻って来た。
渡された鉄板にステラが口を尖らせる。
「未加工の鉄板なんてどうすんのよ。しまいにはホットケーキになるわよ」
「安心しろ。きちんとタイヤキにしてやるから。あ、ちょっと、工房借りますね。それと道具……小さくて先端が丸まったノミをいくつか」
「それは構いませんが……何をする気で?」
万力のハンドルを回して鉄板を固定する。
それから借りた杭状のノミを風魔法で手のひらに浮かせた。
「銃弾……ま、まさか弾痕で鯛の型を彫る気……?」
「ご明察。危ないから下がってろ。〝風の弾丸″っと」
注意だけして弾丸に見立てたノミを鉄板に撃ち込む。
衝突で鉄板が歪み、小気味のいい金属音が突き抜けた。
着弾後に跳弾が起きないようノミを覆った空気で抑え込むのを忘れない。
「とんでもない力技でとんでもなく緻密なことしてるわね……」
感心とも呆れともつかない声でステラは感想を述べる。
手慣れてからはテンポよくノミで鉄板を叩けた。
ステラの描いた絵を参考に空間把握で実物の形状と比べながら作業を進める。
意識して急いだわけではないが、目標の三十分以内に二枚の型を完成させられた。
我ながら悪くない仕事ができたんじゃないだろうか。
魂がどこかへ旅立ちかけ呆然自失の鍛冶職人にお礼を言って、ついでに各種調理器具を貰って鍛冶屋を後にする。
次はタイヤキの材料調達だ。
オレたちは港近くの倉庫街へと足を向けた。
商会が所有しているものや港に着いた船から降ろした荷物を一時的に保管する倉庫群が整然と並んでいる。
似たような建物ばかりで案内がなければ迷いそうだ。
リーファム商会所有の倉庫に到着し、鍵を開ける。
「ここがうちの倉庫よ。えっと……小麦粉に砂糖、牛乳と小豆……はないから他の豆で代用しましょうか。味と食感が近くなりそうなのがあったはず」
「重曹は?」
「発明してあるわよ。万事ぬかりなく」
倉庫内は圧巻の広さだった。
上下五段で区切られた棚が等間隔で配置されており、木箱が積まれている。
「どれがどこにあるか把握してるのか? 一個ずつ木箱を覗いてたら年が明けそうだ」
「ちゃんと種類ごとに区分けしてあるわよ。あれと、あれ……高くて手が届かないわね。脚立がどっかにあると思うけど」
「魔法があるからいい」
「本当便利ね……」
手をかざし棚から教えられた木箱を抜き出し、必要な材料を集める。
調理の失敗も考慮して分量は余分に準備しておいた。
「倉庫内は外より寒いな……。冷房を入れてるのか?」
「品質を保つために氷魔法を使える従業員に定期的に巡回してもらってるわ。早いとこ出ましょ。寒いのもそうだけど、フェルシーに……」
「――見つかったら困る、ですか?」
冷たい声がステラを震わせた。
メイド服を着た黒髪の使用人の少女が倉庫の入り口で仁王立ちしていた。
「ふ、フェルシー何でここに!?」
「ええ、はい、探しましたよ。お嬢様が忽然と屋敷から消えられたものですから。一体どのような手品を使われたのでしょう」
青筋を浮かべたフェルシーが口元を引くつかせる。
相当お怒りのようだ。
「お前、自由に出歩けるって……」
説教の気配に小声で詰問するが、ステラは下手糞な口笛を吹いて誤魔化した。
お前それ、図星を突かれた時の行動まんまじゃねーか……。
ステラは頑なにオレと目を合わせなかったが、ポンと掌を拳でうった。
この危機を脱却するアイデアを閃いたらしい。
彼女はフェルシーの腰に縋りつくなり、わざとらしい泣き顔でオレを指さして、
「こ、この人に脅されて無理やり!」
「おい待てそれは洒落にならないやつだ!?」
所詮はこいつも自己保身しか頭にない貴族か!
オレは権力者の横暴に屈したりしないからな!
「やはりそうでしたか」
「あっさり騙されるな!? 弁護士とエアリスを呼んでくれ!」
フェルシーが詠唱を始めたので後退る。
ステラの口から出まかせを鵜呑みにしたというよりかは、オレを攻撃できる口実ができたからどさくさに紛れて消そうとしているようだった。
彼女には初対面の時から毛嫌いされているからな。
「前々から怪しいと睨んでいましたが、ついに尻尾を出しましたね。貴族の子女を誘拐に加え、先日の暴行未遂容疑。極刑を覚悟してください」
「ち、違う! オレは無実だ! ステラの責任逃れだ! オレはただステラがタイヤキを食べたいって言うから……」
「は? なぜ馴れ馴れしく呼び捨てにしているのですか。『ステラ様』でしょう。お嬢様がこの街の領主代行にしてカレンディア王国に侯爵位を賜れたエスペランサ家のご令嬢であることをお忘れですか? 貴族への礼節が著しく欠けていますね。だからこそ短慮な犯罪に手を染めたのでしょうが」
「だから誤解だって! オレは生まれてこの方、貴族を軽んじたことなんてない!」
ミネーヴァの領主にしてカレンディア王国に伯爵位を賜れたギュンター家の当主を殴り飛ばして大怪我させた人間の言葉である。
客観的に見て、危険極まりなかった。
今にも発射されそうなフェルシーの氷弾をいつでも抑え込めるように身構えていると、茶番に満足したのかステラが、
「必要なものは全部確保できたし、屋敷に帰りましょうか。フェルシーは荷物運搬用のそりを魔法で作ってくれる?」
「はあ、あとで事情を聞かせてもらいますからね」
「特にないわよ。食べたい物を思いついたから彼に付き合ってもらっただけ」
「……お嬢様、仮にも嫁入り前の身なんですから得体の知れない男と二人きりになるのは控えてください」
人をけだもの扱いしていることに異議がないでもなかったが、世間一般に浸透している常識ではフェルシーの方が正しそうだった。
「彼なら平気だってば。せいぜい太ももと腰を触られたぐらいよ」
魔力の波動を感知して傾けたオレの顔のすぐ横を氷弾が掠めた。
主従揃ってオレを嵌めようとしてるんだろうか。
「少々お待ちを、お嬢様! すぐさまこの下郎を始末しますので……!」
氷そのもののようなどぎつい視線で短杖を向けてくる。
もはや下がるはずのない好感度の駄々下がりが留まるところを知らない。
まだしも台所に湧くゴキブリの方が慈愛を発揮してもらえそうだった。
「最初は怖かったけど、慣れたら癖になる心地よさで……」
「……っ、……っ、……っ!」
「ステラ、そろそろ悪ふざけをやめないとフェルシーが脳溢血を起こすぞ」
タイヤキの鉄板で飛んでくる氷を防ぎながら半目を送る。
心酔する部下で遊ぶのは趣味が悪いぞ。
「な、なぜ、当たらないのです……」
簡単にあしらわれ自尊心を傷つけられたのか、肩で息をするフェルシーに睨まれた。
風の動きを読めば弾道は導き出せる。
言っても頭のおかしい人間を見る目をされるのが通例だから言わないが。
それに手品の種は明かさない方が強キャラっぽく見える。
……何に対して見栄を張ってるんだオレは。
どうにかフェルシーの誤解を解き、作ってもらった氷のそりに荷物を積んで取っ手を押しながら倉庫を出る。
時間はかかったが、屋敷に帰ればお待ちかねのタイヤキだ。
直後のことだった。
魔力を感じた。
性懲りもなくフェルシーが不穏分子であるオレを亡き者にせんと排除に乗り出したのかと一瞬勘ぐったが、否定する。
魔法発動の兆候を感じたのは二人のいる背後からでなく正面。
練り込まれた魔力も人を死に至らしめる量だ。
それが複数。
感じた魔力を頼りに目で辿ると、囲むように人影が倉庫の上から睥睨していた。
黒いローブで顔まで隠したいかにも怪しい風体の輩。
手元ではすでに魔法が完成しつつある。
妨害の手が間に合わない。
「なんなんだ、こいつら……!」
そりを捨てて倉庫内に駆け戻る。
ワンテンポ遅れてローブの男たちの手から追いかけるように魔法が投じられた。
「――〝落石″!」
「――〝火炎弾″!」
ズン、と体の芯に響く音とともに膨大な重量によって荷物が押しつぶされた。
氷のそりが砕け散り、夕日に染まった美しい破片が石畳に散る。
木箱は見るも無残な姿をさらし、積み荷が零れる。
続く炎に炙られた空気の熱気を振り切って、オレは倉庫内に頭から滑り込んだ。