4-6 ある日の業務
回り道しましたが本編です。
本日の業務はステラと二人きりのデスクワークである。
作業者を圧死させんとばかりに積まれた書類のタワーを背後に両手を合わせて手伝いを頼んできたステラは夏休み最終日まで宿題を貯め込んだ奴のそれだった。
書類の中身は予算のチェックや新商品の開発の進捗状況、五日後に迫ったパーティーのプレゼンテーションに使用するものなどなど。
机に載せられた書類を片っ端からさばいていく。
パーティーでは新商品のお披露目などをするらしい。
貴族令嬢と言っても使える金が無限に湧くわけではなく、それで出資者を募るわけだ。
「こんな重要なものを外部の人間に見せていいのか?」
「社外秘だけど、夕凪君に限って見られて困るものはないわね。冒険者が生業の夕凪君じゃ、商会の収支がわかっても活かしようがないでしょ?」
「そりゃあ、まあ……」
「新商品の情報にしてもあっちの世界原産のものだから見慣れてるでしょ。つまりはなんの問題もなし。好きなだけ見てもらって構わないわ」
「お前がいいって言うならいいんだけどさ」
こんな軽いノリで機密が漏洩されたとフェルシーあたりが知ったらまたキレそうだ。
どうも彼女にはラーメン屋の一件以来毛嫌いされている。
まあ、フェルシーの大恩ある主人であるところのステラに魔法で害しかけたことを考えれば、その気持ちもわからなくはない。
予算のチェックはそこまで難しくはなかった。
単純な計算ができれば処理できるもので、何か月も勉学から離れてはいるものの、現役高校生には造作もない。
新商品の開発状況についても自力での開発はできなくとも、完成形を知っているオレならその進歩状況の把握ぐらいはできた。
「よくここまで商品開発やらができたよな。聞きかじりの知識じゃ、さすがに限界があるだろ? 前世でこういった仕事でもしてたのか?」
ただそれにしては手を広げる範囲が広すぎる。
食品関係を中心とした発明品の数々。
書類を見る限り、リーファム商会の取り扱う商品は多岐にわたる。
「そういうわけじゃないわ……たぶん」
「曖昧な言い方だな」
「わからないのよ」
ステラはこともなげに言う。
あまりにあっさりした物言いであったため、一瞬聞き流しかけた。
「わからないって……記憶喪失じゃあるまいし」
「まさしくその記憶喪失よ。私はね、前世の記憶があると言っても全部が全部残っているわけじゃないの。大半の知識は残ってるわ。でも自分自身に関することだけが何一つとして思い出せない」
そこでステラは記憶を掘り起こすようにトントンと頭をペンで叩く。
そんな刺激で記憶が取り戻せるわけもなく、やがて諦めたように肩をすくめた。
「もう一つの世界で生きていた確信はあったわ。妄想にしてはやけに細部まで鮮明だし、実際に使える知識もあったから。でも自分のことは何もわからなかった。前世での名前はもちろん、どんな人生を歩み、何が原因で死んだのか。知識の狭さ的に死んだのは高校生ぐらいの時だったっぽいんだけど」
それは……一体どんな気持ちなのだろう。
生きていたことはわかるのに、どんな生き方をしてきたかわからないというのは。
自分というものを見失ってしまいそうだ。
ひょっとして彼女は自分のルーツを見直すために同郷である勇者たちについて調べたのかもしれないな。
転生というのが果たしてどういうシステムで行われているかわからないから記憶の欠落がイレギュラーな事態かどうかはわからない。
超常的な存在、あるいは世界の修正力から制限を受けたのか。
むしろ前世の記憶が残っていることをイレギュラーに考えるべきなのか?
……わからんな、検証するには情報が少なすぎる。
「ていうか妙に軽いな。成人前に死ぬって割かし悲惨なことなんじゃないか?」
「だから自分の記憶がないんだってば。死んだって言われてもどうにも実感が湧かないの。重い病気にかかってたのかもしれないし、事故に遭って死んだかもしれない。でも想像を巡らす以上のことはできないわ。それに今の暮らしも結構楽しいし」
そう朗らかに話してみせる彼女は無理をしているようではない。
間違いなく不幸で、不運なことだろうに。
……いや、それはオレじゃなく、彼女自身が決めることか。
ステラの中ではもうすでに決着がついている。
彼女にとっては終わった話、終わった人生ということなのだろう。
「もしも私をこの世界に転生させてくれた神様がいるなら感謝せずにはいられないわね。おかげでやりたいことが自由にできるから。夕凪君は……妹さんと引き離されて怒っているんだろうけども」
「いや……怒ってはいない」
そう、怒りはない。
この異世界転移が神なんて呼ばれる存在の仕業だったとしても。
それがどんな意図で為されたものだったとしても。
オレはこの世界に来たおかげで元の世界ではまずできない経験や出会いを得られた。
元の世界に帰れないとなったらオレは激怒するかもしれない。
あるいは帰れたとしても仲間たちとの別れの際に、こんな思いはしたくなかったと恨み言を吐くかもしれない。
けれどまあ、今のところは全部ひっくるめてプラスマイナスゼロだ。
ステラがじっとオレを見る。
「……夕凪君ってさ、私と会ったことある?」
「なんだ藪から棒に……生憎とオレにお前みたいな派手なカラーリングの髪をした女の知り合いはいない」
「そうじゃなくて。……前世、とか」
「さあ、そうなるとわからない……いや、時系列的にあり得ないな。現時点で同い年なんだから、お前があっちの世界で生きていた時にオレは生まれてない」
「そう……そうよね」
理屈立てて否定したが、納得してないようだった。
煮え切らないステラだったが、切り替えるように頭を振る。
「よしっ、仕事も一段落したし、休憩しましょ」
「一段落? してるか?」
鎮座する書類の山の標高に変動がない。
雪崩も頻発するほどの量で、生き埋めになりそうだった。
遭難する前に救助隊を呼びたい。
「いいからいいから。仕事はメリハリが大事よ。根を詰めてもいいことなんてないわ。リーファム商会はホワイト企業です。ここアピールポイント」
「あっそ。ウチの猫耳はやらんけどな」
「余裕ぶってられるのも今の内よ。裏でエアリスさん勧誘のために『猫じゃらし計画』と『またたび計画』が始動してるわ!」
「ふっ、遅れてるな。そんなもの我が猫耳研究会において過去の通過点に過ぎない。試したら真顔で踏みつけられたぜ!」
責任者が仕事しなくていいというならいいだろう。
好き好んで書類の大海へ漕ぎだしたいたいわけではないのだ。
「食べたいもののリクエストはある? 大概の物は用意できるけど」
「へえ。じゃあ、タイヤキが食べたい」
「なぬっ……!?」
素っ頓狂な声を上げ、ステラがこっちを見てくる。
「どうした? ステラはタイヤキ嫌いか? 前世はタイヤキに殺されたか?」
「どんな死因よ。そうじゃなくて単純に見落としてたわ。タイヤキ……そういえばタイヤキなんてものがあったわね。やっぱ一人の頭じゃ発想の幅に限界があるなあ」
「そうか、ないならしょうがないな。他のもので……」
「思い出したら食べたくなったわ! もう完全に脳がタイヤキの気分!」
「いや、ないんだろ? まさか一から作るのか?」
「作りましょ!」
薄青の瞳を楽し気に輝かせてステラが立ち上がる。
現物を知るのはオレたちだけだから自分で作らなきゃならない。
降って湧いた作業に失敗したとぼやきつつ、気分転換にはいいかと腰を浮かすと、
「ん? どこ行くのよ?」
「どこって厨房。タイヤキ作るんだろ」
「厨房にタイヤキ用の型なんてないわ。アンコも作んなきゃなんないし。まず材料になりそうなものを外で見繕いましょ」
材料調達から始めるのか。
それはまた大仕事になりそうだ。
外出用らしい外套と帽子を隠すようにしまいこまれた戸棚の奥から取り出すステラを尻目に執務室のドアノブに手を伸ばすが、またもや止められる。
「夕凪君って空を飛べるみたいなこと言ってなかったっけ」
「ああ、風魔法を使えば飛べるけど」
「私が一緒でもやれる?」
「おいおい、まさか飛んで行こうってのか? そんな目立つことしなくても……」
「お願いっ! だって空を飛ぶ機会なんてそうそうないでしょ?」
「ったく、しょうがねーな」
片目をつぶっておねだりしてくるステラに折れる。
頭を掻きながら窓を開け放つと、彼女はオレの背中を遠い目で見つめていた。
「どうした? 怖気づいたか?」
「……あなたは、やっぱり」
「ん? なんだって? やめとくか?」
「――ううん。行きましょ!」
何事か言いかけたステラだったが、胸の内にしまいこんでしまった。
「で、どうすればいいわけ? 背中におぶさるの? それともお姫様抱っこ?」
「どれでもお好きなように。接触してれば落ちることはないから」
「聞き方を変えるわ。夕凪君は背中に胸を押し付けられるのと、手に太ももの柔らかさを感じるの、どっちが嬉しい?」
「落とすぞ、てめえ」
「ちょっとしたジョークじゃないの」と文句を垂れるステラ。
腕を首に回させ、腰を抱え上げる方法に落ち着いた。
誓って太ももを選択したわけではない。
くっつかないと空の旅に同伴できないとはいえ、こいつ一切迷わなかったな。
余計な前ふりのせいで余計な意識を回さないよう戒めながら窓枠に足をかけ、飛び立つ用意をするが、ふと、
「安易に引き受けたけど貴族令嬢が勝手に出歩いていいのか?」
「当ったり前じゃない。囚人じゃないんだから。ラーメン屋にだって行ってたでしょ」
「そうかそうか。じゃあ、平気だな」
「ええ、レッツゴー!」
窓から身を乗り出し、一旦屋敷の屋根に上がる。
助走をつけるように屋根を走り、一歩一歩の歩幅を徐々に大きくしていく。
それから一息にルージェナの街へ飛び出した。
あまりに堂々と言うものだからオレはすっかり信じてしまっていた。
オレがステラに騙され、脱走の手助けをさせられたとを知るのは半日後だった。