4-閑話3 間違えられた少女
「どうして勝手に決められたのですか!?」
悠真との遭遇を果たした日の夜。
フェルシーは溜めたものを吐き出すようにステラに詰め寄った。
使用人が主に向かって異議を唱えるというのは本来許されざる行為だが、ステラはフェルシーのお小言を咎めるでもなく、ひたすら聞き流していた。
心境としてはまた始まったかぐらいにしか思っていない。
ステラはこの程度で逆切れするような狭量な人間ではない。
フェルシーの方が正しいのも理解しているし、極めつけに顔に「心配」の二文字が延々と羅列されていたとあっては、罰するなどできるはずもない。
それでも屋敷に来たばかりの幼いフェルシーのおどおどとした態度が懐かしいなどと昔の思い出に浸らずにはいられなかったが。
「私が最高責任者なんだから、どんな人選にしようと私の勝手でしょ?」
「何か起きたらどうするつもりなのです!」
「何も起きないように警備を配置するんだけど?」
あえて論点をずらし話すステラ。
こういう議論をする時は感情を荒ぶらせた方が負けである。
フェルシーにお小言はつきものだが、ここまで感情を発露するのは珍しい。
よっぽど悠真に対し腹に据えかねているようだ。
「警備をするのなら私たちがいます!」
「パーティーには大勢の来客が見込まれているわ。他の子たちも仕事に忙殺されてるし、人手はいくらあっても余るということはないわ」
「数人増えたところで大して変わりません!」
「普通の人材ならね」
ステラはフェルシーに向かって意味ありげに笑って見せる。
フェルシーがその言葉の意図を尋ねようとした時、執務室のドアがガチャリと開き、書類を片手にレグルが入って来た。
「レグル、入室前にノックぐらいしたらどうなのですか」
「お、すまんすまん。お嬢と逢引中だったか?」
フェルシーの注意にレグルはニヤリと笑いながら混ぜっ返す。
その軽口にフェルシーの目元がピクリと引きつる。
今の彼女が沸点が低い。
ステラはこの後繰り広げられるであろう二人の舌戦を予期して耳をふさいだ。
(前世のことを話せないとやっぱり説得が難しいわね)
今頃、悠真も同じ苦労をしているのだろうかとステラは窓の外の街明かりを見る。
同郷という事情を話せたところで結局フェルシーやレグルには理解してもらえないかもしれないが。
出身地が同じだけで家族でも、友人でも、まして顔見知りでもない赤の他人。
一般的な感覚ではどうして信用しているかわからないだろう。
けれど、どう取り繕ったところでこの世界の異物であるステラは、似たような立場にいる悠真との出会いに安らいでしまう。
この感覚は当事者にしかわからない。
自分でも意外なほどに彼を無条件で信用している。
(ん、いや、違う……?)
ステラは自分の中にある引っかかりに気づいた。
無条件の信用ではない。
(夕凪君と、私はどこかで会ったことがある(・・・・・・・・・・・・)……?)
その考えは、ストンと胸に落ちた。
顔も、名前も、思い出も、憶えていない。
ただそれが事実だという事だけが不思議と確信できた。
しかし、だとしたら、どこで――、
「……お嬢? どうかしたか、ぼんやりして」
レグルの呼ぶ声にハッとする。
「え、あ、何の話だっけ?」
「追加の従業員の話だろ。頼まれていたことは調べておいたぜ」
思い出しかけていたことは雲散霧消していた。
まあいいとステラは一旦切り替える。
「冒険者ギルドにはちょっとばかし渋られたが、領主代行の強権を使って情報開示させた。ギルドのトップにはこのことはくれぐれも内密にしてくれって懇願されたけどな。で、成果の方だが、とんでもないもんが引っかかったぜ」
「……とんでもないもの?」
レグルは持っていた紙束を見やすいように執務机の上に並べた。
悠真とエアリスの経歴の調査書である。
ステラはそれにざっと目を通しつつ、
「エアリスさんはCランクか。獣人族だけあって近接戦闘には秀でているのね」
過去の受注した依頼の完遂率は九割を超えている。
与えられた仕事はきちんとやり遂げるタイプだ。
やはり部下に欲しいとステラは引き入れ工作に思考を傾けた。
「あの男の方はDランク。それなり止まりですね。エアリスという冒険者はともかく、こちらは警備に引き入れるほどの魅力を感じません。あの時、私の詠唱スピードにもついてこられていなかったようですし。……? 三枚目?」
「ああ、それが『とんでもないもの』だ。俺がそいつらのことを調べていたらその情報も一緒に転がり出てきやがった」
隠れていた一枚にフェルシーが目を留める。
レグルの前置きにせわしなく目を動かして文字を拾っていたが、ある一点の項目でピタリと止まった。
かすかに唾を飲み込む音が聞こえてくる。
「……なっ! Aランク……」
「Aランク……!?」
漏れた驚愕にステラはフェルシーの手から書類をひったくる。
ヴェルンハルデと書かれた名前の欄の隣にフェルシーの言った通りAランクの記載。
写真は載っていないため容姿はわからないが女性であるらしい。
冒険者としての活動期間は駆け出しの域を出ていないというのに、その密度はSランク冒険者すら超えるという異様なものだった。
「ヴェルンハルデ……『煌炎』の異名を持つ冒険者ギルドにおける史上最速昇格記録の保持者。登録初日に単独での竜殺しに成功し、この功績によりAランクに抜擢。数か月前にはやはり単独でレストア近辺で発生した大規模侵攻を退ける。……同じ人間とは思えませんね。どうしてこんなパーティーに?」
フェルシーは信じられないとばかりに呟く。
Cランクが在籍しているパーティーを「こんな」呼ばわりはいささか酷だろうが、異名持ちの冒険者が籍を置くようなパーティーでもない。
「さあ、もしかしたら他の二人もランク通りの実力じゃないのかも。彼だって私が魔法使おうとしたことに気づいたんだから、それぐらいの技量はあるってことだし。案外、フェルシーよりも強かったりして」
「……まさか。たまたま感知能力だけが優れていたのでしょう。経歴だって凡庸なものです。とてもそんな大した人物であるとは思えません」
表面的な情報を切り取ればフェルシーの考察は正しい。
だが、悠真は異世界に転移してまだ半年にも満たないのだ。
ステラのように生まれついての貴族の後ろ盾があるわけでもなく、常識も心構えもない状態での一からの積み重ね。
衣食住の保証された平和な国から命の軽い世界に放り出されて生き延びてきたのだから経歴では測り取れない強さを持っているはずだ。
「ぶっちゃけ、私の目的は彼らに人手不足を解消してもらうことじゃないの」
「では、なぜあんなことを……」
「私の目的はエアリスさんの引き抜き。彼女は今後重要な役目を果たしてくれるわ」
「重要な役目、ですか?」
「彼との約束があるからまだその中身までは言えない。でもエアリスさんはこのリーファム商会にとって黄金よりも価値のある存在よ」
ステラの命令に「わかりました」とフェルシーは渋々頷いた。
レグルも赤みがかった髪を掻きあげながら肯定的な要素を付け加える。
「こいつは獣人族だからな。他の貴族の息がかかってるってこともねえだろう」
リーファム商会は新商品を次々に開発し、飛躍的な進歩を遂げている。
その利益をつけ狙って産業スパイが送り込まれることが多くなってきたが、エアリスの力があればそういった方面の対処も楽になるだろう。
「『煌炎』はいかがしますか?」
「味方につけられれば心強いけど……名誉でもお金でも釣れなさそうだし、様子見でいいわ。機嫌は損ねないように」
屋敷が更地になったら困るから、と冗談めかしてステラは注意した。
◇◇◇
翌朝、屋敷の門前でレグルがあくびをかみ殺しながら待っていると、待ち人が現れた。
着崩した執事服の首元を緩め、片手をあげて出迎える。
「おお、来たか。お前らがお嬢の言っていた臨時手伝いってやつだな」
「はい、そうです。このたびステラ様の下で働かせて頂くことになった悠真と言います。短い間ですがお世話になります。至らぬ点があればどうぞご指南ください」
「おぉ? ははっ! なんだ冒険者だって聞いてたが、そんな言葉遣いもできんのかよ! まあ、公の場ではともかく内輪の時は普通に話して構わねえぜ。言葉遣いを気にする奴はこの屋敷にあんまいねえし、常にそんなんだと疲れるだろ?」
フェルシーがあまりに悪態をつくからどんな野卑な男が来るかと身構えていたが、自分よりよっぽど礼儀を弁えてそうな人物だとレグルは笑う。
それから芝居がかった仕草で胸に手を当て、腰を折り曲げると、
「俺はレグルだ。一応まとめ役なんて立場を預かってる。つってもただの古株ってだけなんだがな。まあ、よろしくやろうぜ。そんで後ろのお仲間を紹介してくれるか?」
「ああ。獣人族の彼女がエアリス。こっちの子はラフィルだ」
「……ラフィル?」
リストにない名前にレグルは眉根を寄せた。
悠真とエアリスはいい。
あらかじめステラから聞き及んでいた背格好とも一致している。
人違いということはないだろうし、面識のある二人に会わせればより確実だ。
問題は残った最後の一人。
ヴェルンハルデという冒険者が入るはずだった枠に収まっている少女、ラフィル。
冒険者ギルドに提出させた名簿にはなかった人物だ。
「手伝いは多いほうがいいって話だったから連れて来たんだけど、まずかったか?」
「……いや、なんも問題ねえよ。中でお嬢が待ってる。こっちだ」
三人を引き連れて屋敷の廊下を歩きながらレグルは考える。
(考えられる可能性は二つだな)
レグルは心の中で指を折り曲げる。
一つは他のパーティーメンバーという可能性。
一見したところ順当な考えだが、それだとどうして名簿になかったかが疑問だ。
(だが、だとしたら……)
もう一つの可能性。
すなわち――この少女こそが『煌炎』ヴェルンハルデ。
その可能性に思い至った時、レグルの手にじんわりと汗が浮かんだ。
ラフィルというのは正体を隠すための偽名。
どこからどう見てもか弱い子供であるこの少女こそが彼らのパーティーの最大戦力。
戦えなさそうに見えるのは、あえてそのように演技しているため。
強者のオーラを一切感じられないのは巧妙に隠し通しているため。
レグルもそれなりに腕に覚えがあるが、Aランク冒険者とは隔絶とした差がある。
そうだ、これならばすべてに説明がつく――!
(……なーんて、まさかな。んなことあるわけねえよ)
レグルはそこまで思考を飛躍させたものの、すぐその陳腐な考えを打ち消した。
冒険者経歴の短さを考えると相応に若い者でもおかしくないが、しかしいくらなんでもラフィルという少女は幼すぎる。
この年齢ではいくら才能に恵まれても磨く時間がない。
戦闘技能とはもって生まれた才にも左右されるが、何より研鑽が不可欠だ。
件の『煌炎』には仕事の参加を断られたのだろう。
ラフィルは言葉の通り、悠真が人数合わせで連れてきた他の旅の仲間なのだ。
(残念ながら『煌炎』は不参加っと。ご尊顔を拝したかったが、しゃあねえな)
そんなふうに締め、レグルがちらりと視線を後ろにやった時だった。
『あるもの』がレグルの網膜に焼き付けられた。
(あ……あれは!?)
目に映ったのは金色の髪から覗いたラフィルの尖った耳。
噂話では有名なエルフの特徴だ。
一瞬の出来事ではあった。
だが、その一瞬があれば十分すぎるほどだった。
剣術をかじったレグルの動体視力は単純な錯覚や見間違いなど起こさない。
「……あの、どうかしましたか?」
小さな少女から戸惑ったような声がかけられる。
レグルは自分が隠れて見えなくなってしまった耳を凝視し続けてしまっていることに気付き、慌てて視線を引き剥がした。
「な、何でもねえよ。ちょっと考え事をだな……」
焦燥に身を焦がしながら向きなおり、歩き出す。
背後から訝しげな視線が注がれているのを感じながらレグルは情報をすり合わせる。
(……そうか。そういうことかよ)
レグルの中でパズルのピースが間違った形ではまった。
悠久の時を生きる種族、エルフ。
それならば、すべての疑問に解を与えることができる。
かの種族の正確な寿命の長さは知られていないが、数百年は生きると言われている。
幼く見えるが、実年齢はレグルの数倍、数十倍なのかもしれない。
(間違いない。こいつが……こいつこそが『煌炎』ヴェルンハルデ!)
ラフィルとヴェルンハルデが同一人物。
その方程式が成り立った瞬間、レグルは先ほどから感じているラフィルのあどけない視線に異形が混じっているような気がしてならなかった。
(ちいっ、とんでもねえぜこりゃあ……)
気づいてはしまったが、素知らぬふりをし続けるしかない。
名乗られていない以上この少女はラフィルなのだ。
偽名を使っているということは素性を知られたくないのだろう。
隠したがっていることをこっそり調べられたとなれば、まず気を悪くする。
まかり間違って癇癪を起こされて、暴れられでもしたらことだ。
さすがにそこまではしないとは思う。……思うが、高ランクの冒険者には性格が破綻した者やプライドの高い者など問題児が多いと聞いたことがある。
見た目おとなしそうなこの少女の本性もそれに類似するものなのかもしれない。
それを試す勇気はレグルにはなかった。
彼女の逆鱗にだけは触れないように周知徹底しておこう。
レグルはそう決めた。
そして、そのレグルの盛大な勘違いは誰にも正されることがないまま、ステラたちの間で共有されることとなったのだった。