4-閑話2 プロフェッショナルな客
貴族であるステラには本来、やらなければならない習い事や勉強が山積みだが、一度覚えればだいたい忘れない便利な頭のおかげで適当にサボっている。
なまじ優秀なせいで使用人たちも過度に咎められない。
サボるだけならまだいいが、その時間を使ってふらりと外出するのが勘弁してほしいというのが使用人たちの総意だ。
貴族令嬢という自覚に乏しいステラは頻繁に屋敷を抜け出す。
小さい頃からの脱走の常習犯で、発覚するたびに大騒ぎになった。
「どちらへ行かれるつもりですか? お嬢様」
「げ! フェルシー、どうしてここに!?」
「そろそろ仕事に飽きてサボりだす頃合いだろうと見張っていましたから」
今日も今日とて屋敷を抜け出そうとしたステラをフェルシーが呼び止める。
上階の執務室の窓からロープを垂らしてぶら下がるステラは足元で待ち構えていたメイド服の少女に顔を引きつらせた。
「さ、サボりじゃないわよ。視察よ、視察。街をこの目で見て政策に活かそうと……」
「お嬢様が行く必要はありませんね。調査が必要なら人を遣りますが?」
「自分の目で見ないと見えてこないこともあるのよ!」
「なるほど、卓見です。それで本音は?」
「ラーメン食べたい」
素直に吐けと迫られ、ステラはあっさりと白状した。
「それなら屋敷のコックに言って作らせればよいではありませんか」
「違うの! 私はラーメン屋でラーメンを食べたいの! 雰囲気を大事にしたいの!」
「どこで食べようと同じでしょう」
「全然違うわよ! あんなだだっ広い食卓にテーブルクロスをかけて、使用人に囲まれながら、マナーに気を付けて食べなきゃ駄目なラーメンはラーメンじゃない! 私が何のために今日まで完成したラーメンを断食してきたと思ってるの!?」
またわがままが始まったとフェルシーは遠い目になる。
人格的にも能力的にも心から尊敬できる主人だが、たまに暴走するのが玉に瑕だ。
天才故の奇行と言うべきか。
とにかくステラには思い付きで行動する癖があった。
そんな彼女の突拍子もない性格のおかげでこうして奴隷の身分から拾い上げてもらった経緯を思えばフェルシーとしては面と向かって文句をつけづらいが、警備を預かる立場としてはやはり軽率な真似は慎んでもらいたかった。
だが、いくら言おうとステラが諦めないことも経験から知っていた。
「わかりました。今から護衛と馬車を手配しますので……」
「だーかーらー! もう、百歩譲ってついてくるのフェルシーまでにして!」
「ですが……」
「フェルシーが警護に自信ないって言うならレグルに頼もうかなあ」
「必要ありません。私にお任せを。不逞の輩に指一本たりとも触れさせません」
態度を翻したフェルシーにちょろいなとステラはほくそ笑む。
見つかるのは誤算だったが、友達同士で食べに行くラーメンもおつなものだ。
フェルシーをメイド服から私服に着替えさせ、ステラ自身も顔バレしないよう変装して、ラーメン屋に向かう。
新商品と銘打っているが、ステラの前世の記憶にあるものを真似したに過ぎない。
そのため、新商品を過剰に褒められるたびになんとも複雑な気分になるのだが、なるべく気にしないようにしている。
食べたいものが食べられればいい。
度重なるダメ出しで涙目にさせられた調理班の面々が聞けば脱力するような理由だが、ステラにとっては重要なことだ。
二度目の人生、楽しんだもの勝ちである。
店につくと客はまだまばらにしか集まっていなかった。
「あまり人が入ってないようですが、何か手違いでも……」
「宣伝そんなにしてないからじゃない?」
「なぜです? 自信の一品だったのでは?」
「自信があるからこそよ。放っておいても味が知れ渡れば勝手に客は集まるわ。あと単純に長い時間行列に並びたくなかったし」
脱走を念頭に置いた計画的な犯行だったらしい。
何がそこまで彼女をラーメンに駆り立てるのだろう。
「それとフェルシー、敬語禁止。いくら変装が完璧でもそんなんじゃバレるから。私みたいに一般的な町娘を演じなさい」
「お嬢様のそれは演技ではなく素でしょう……」
店の中はオーダーした通りに装飾されていた。
新装開店の店だというのに、どこか老舗を感じさせる重厚な色合いの看板。
カウンター席や畳をひいた座敷、壁に張り出されたお品書きの数々。
完全に趣味の領域である。
「いらっしゃいませ! 二名様でしょうか?」
「ええ。カウンター席でお願い」
ステラは店員に顔バレしないように帽子を目深に被り直す。
そんなステラに店員は首を傾げたが、深く考えることはせず席に案内した。
カウンター席に着いたステラはメニューに目を通し、注文を決める。
フェルシーの分と合わせてラーメンを二つ頼もうとするが、それを先んじて隣の席に座っていた先客が手を挙げた。
青いローブを着た魔術師の風貌の少年と栗色の髪の獣人族の少女の組み合わせ。
カップルで来店したのだろうか。
ラーメンという未知の料理に物怖じをせず挑むとは素人ながら見所のある胆力と嗅覚だ。
(むむう……出鼻をくじかれた)
内心不機嫌になりながらも、今の自分は平民だと言い聞かせて心を落ち着ける。
挙げかけた手を水の入ったコップに伸ばし、傾けたその時だった。
「……親父、注文を頼む。にんにくラーメンを二人前だ。麺固め、メンマ少なめ、ネギ大盛り、チャーシュー追加で」
「ぶふぅっっっ!?」
ステラは飲みかけていた水を吹いた。
フェルシーがぎょっとしたように見てきたが、それどころではなかった。
(ぷ、プロだ……プロがいるッッッ……!)
後々の導入を見据えてトッピングの注文にも対応できるようにしてあるが、まだメニュー欄には未実装でステラ以外が注文することを想定していない。
しかし、彼はそれを長年ラーメンに親しんだかのような堂に入った仕草で注文した。
素人などとんでもない。
少年もまた険しきラーメン道を歩む者、プロフェッショナルだ。
ステラは隣に座る客の姿を凝視する。
改めて観察すると黒目黒髪の少年の容姿はよく知る日本人そのものだ。
「お、おい? 大丈夫か、あんた。いきなりどうした?」
いきなり水を吹き出したステラを気遣うように少年が尋ねてくる。
それに対し、ステラは外向けの淑やかな笑みを再構築しながら、
「い、いえ、お気になさらず。少しむせただけなので」
「そうなのか……?」
苦しい言い訳ではあったが、少年は変な顔をするだけで引き下がった。
ステラは予定を変更し、普通の醤油ラーメンを頼んだ。
注文した品に手を付けながら、こっそりと隣の少年を盗み見る。
出されたラーメンには箸がついていない。
この世界では箸を使うという習慣がないからだ。
代わりにフォークがついているが、案の定少年はげんなりとした表情になる。
ちなみにステラはマイ箸を持ってきていた。
「ふーん、らーめんってスープに浸したパスタみたいな料理なのね」
「全然違う」
「そうなの? えっと、フォークで巻いて食べるのよね?」
「違う」
「え!? フォークついてるけど!?」
「騙されるな! それはまやかしだ! オレたちは今、試されている。真のラーメン好きなら正しい食べ方が見えてくるはずだ!」
(あ、間違いなく日本人だ)
ステラは確信した。
前世の自分と同じ世界の出身者。
いるかもしれないとは思っていたが、その存在を実際に確認したのは初めてだ。
(私の鑑定魔法で見てみれば何かわかるかも……)
鑑定魔法は生物に対しても有効だ。
名前や種族、年齢などを識別できるが、異世界人はどう映るのだろう。
転生した自分に試してもただの人族としかカテゴリーされなかったが、恐らく生きたままこちらへ来たであろう少年は識別できるかもしれない。
(鑑定魔法――発動っと)
一瞬、魔力の波動によって察知されるのではないかという懸念が思い浮かんだが、その時は素直に謝ればいいと思い直す。
そんな軽い気持ちでステラは鑑定魔法を使った。
――その瞬間、どこか気の抜けたような少年の表情が劇的ともいえるほど一変した。
ステラの魔法が発動するより早く、右手を顔面に突き付けられる。
少年がかざす右手には何もない。
しかし、それは安心材料ではなく何が来るかわからないという不安の種だ。
荒事に不慣れなステラはどうしていいかわからず固まってしまう。
「お嬢様っ!」
主の窮地にフェルシーは血相を変えて立ち上がると、詠唱しながら服の袖に仕込んである短杖を少年に向ける。
彼女は氷属性の自然魔法を使う魔術師だ。
幼少期からスパルタ訓練を受けているため、護衛としての実力は非常に高い。
すぐさま詠唱を完成させて杖の先に拳大の氷弾を生み出す。
少年はその数秒の早業に反応できないのか、石像のように動こうとしない。
しかし、フェルシーは氷弾を発射しなかった。
……いや、できなかった。
フェルシーもまた白色の美しい剣の切っ先を向けられていたからだ。
ミスリル材質の業物の輝き。
繰り手は少年の隣に座っていた獣人族の少女だ。
直前まで動作を見咎めさせなかったことが剣士としての技量の高さを物語っている。
そこでステラは少年が動かなかったのは、フェルシーの早さについていけなかったからではなく、仲間の援護を確信していたからだということに気付いた。
あるいは歯牙にもかけていなかったか。
フェルシーはいざとなれば自分の命を投げ出してでもステラを守り抜くほどの忠義を持っている。
だが、捨て身で少年を倒したところで獣人族の少女が残ってしまう。
そうなれば戦闘力が皆無のステラに抵抗する術はない。
それを危惧しているから杖の先に氷弾を維持したまま動けないでいる。
困ったステラは手元のフォークを獣人族の少女に突きつけておいた。
一応形だけは互角の、奇妙な四つ巴が形成される。
張り詰めた時間が流れた。
口火を切ったのは少年だった。
「何のつもりだ、お前ら?」
「こちらのセリフです! 一体何のつもりですか! この方をどなたと心得て……!」
「知らねーよ。誰なんだよ。まさかニーズヘッグの関係者か?」
「……ニーズヘッグ……?」
聞き覚えのない名にステラは問い返す。
少年はすぐには答えず、ちらりと獣人族の少女に視線を向けた。
微かにフェルシーが表情を変え、短杖を持った手を揺らすが、獣人族の少女の「攻撃魔法じゃないわ」という言葉を受けて、動きを止めた。
察するに少女から発される魔力の波動を感じ取ったのだろう。
魔法適性があまり高くない獣人族が魔法とは珍しい。
しかも無詠唱となると強化魔法だろうか。
ただそれが戦いに備えて自分の肉体を強化したのか、あるいは全く別の目的で魔法を行使したのかまではステラにはわからなかった。
「質問にはイエスかノーかで答えてくれ。お前たちはニーズヘッグの関係者か?」
「……ノーです」
「オレたちの命を狙ってきたわけじゃないんだな?」
「はい。……イエスです」
はたして嘘が簡単につけるこの状況でこんな問答に意味があるのかと思わずにはいられなかったが、ステラは素直に答えた。
少年は顔を動かさず、もう一度目だけを獣人族の少女に向ける。
それから少女が頷くのを確認して、手を下ろした。
併せてフェルシーを牽制していた剣もどかされた。
「勘違いか……。悪かったな。ちょっと立て込んでいて過敏になってたんだ」
「いきなり危害を加えようとしておいてそれだけですか!」
「危害って……先にちょっかいをかけてきたのはそっちだろ。剣士に剣を向けて冗談でしたで済むか? 魔術師に向けて魔法を使うってそういう事だ。喧嘩を売られていると思われても仕方ないぞ」
少年が頭に巻いたバンダナに触れながら痛いところをついてくる。
確かに不躾な行為だった。
「だからと言って……!」
「いいのです、フェルシー。この方の言う通り、非があるのは私ですから。申し訳ありませんでした。非礼をお詫びします」
怒髪天を衝くフェルシーを諫め、謝罪する。
ステラに頭を下げさせたことで、ますますフェルシーの少年への敵意が膨らんだが、主の手前、顔に泥を塗るわけにはいかないと氷弾の発射は控えていた。
「ところでこのあとお時間はありますか?」
「時間? なくはないけど……」
ステラは先ほどの諍いなどなかったかのように柔らかく微笑んで見せ、少々唐突ともいえる提案をした。
「では私と二人きりでしばしお話をしませんか?」