4-閑話1 二人目
ルージェナに隣接する湖の港。
数ある倉庫の一つにて二名の護衛をひきつれた少女が物資の検分をしていた。
倉庫は隅々まで手入れが行き届いており、清潔さが保たれている。
しかし、それでも少女がいる場所にしてはふさわしくないように思えた。
少女が身に着けている服や装飾品はいくらか大人しめではあるものの、見る目がある者が見れば高価なものだと気付く品々。
平民では手が出しにくいが、貴族である少女には関係ない。
少女の名はステラ・エスペランサ。
エスペランサ侯爵家の一人娘にして、リーファム商会の最高責任者。
そして、ルージェナの街の領主代行の役目を担っている。
彼女は侯爵である父、ジョージ・エスペランサがいくつか所持していた内の一つの弱小商会をわずか数年で一大商会に育て上げた才女であった。
整った目鼻にこざっぱりと垢抜けした顔。
腰まで伸ばした水色のゆったりとした美しい髪。
そのターコイズブルーの瞳は見る者に理知的な印象を与えるが、同時に一種挑戦的ともいえる勝気な光を宿していた。
傍らでは揉み手をした取引相手の商人の男が人のいい笑みを張り付け、ステラの行動を固唾を飲んで見守っている。
ステラが検分している物資は小麦粉だ。
本来は商会の最高責任者が直々に出向くような案件ではないが、そんなことを気にも留めない様子でステラは黙々と品質を確かめていた。
やがて満足できたのか小さく笑って、取引相手の方に向き直る。
「……いかがでしたでしょうか? 我が商会の扱う小麦粉は? かの有名な小麦の産地であるアレウラから取り寄せた高級品でございます」
商人は熱意を込めた口調で語る。
「市場への流通量が少ないもののため、本来であれば十キロあたり大銀貨二枚はするのですが……他でもないステラ様の商会のためならば、このわたくし、一肌脱ぎまして十キロ当たり大銀貨一枚と銀貨五枚で卸させてもらいます」
「あら、それは随分と良心的な価格ですね? あまりにも安すぎて何か裏があるのではないかと疑ってしまいそうですわ」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、ステラは言う。
その可憐さは社交界でも特に人気のある令嬢として納得のいくものだ。
「いえいえ、かのリーファム商会と繋がりを持てると考えれば安い出費ですよ」
「これは嬉しいことを言ってくださいますね」
ステラは口元に手を当ててコロコロと上品に笑う。
商人はそれを見て、撒いた餌に獲物が食いつく手ごたえを感じていた。
商売人であれば、誰もが飛びつくであろう設定価格にしてはいたが、それでも袖にされる可能性もないではなかったのだ。
「良いでしょう。取引をさせていただきます」
ステラがそう言うと、商人はそっと胸をなでおろした。
そして心の奥底でひそかに呟く。
この馬鹿め、と。
ここにある小麦粉はアレウラ産の高級小麦粉などではない。
真っ赤な偽物だ。
さすがにあからさまに品質の悪い小麦粉では、人並み外れた目利きを持つと言われているこの若き商会主に見破られてしまうと思い、十キロで大銀貨一枚の品質のものを用意したが、噂など当てにならないものだ。
所詮は商人気取りの貴族の小娘。
この様子ではもっと低ランクの品質のものでも誤魔化せたかもしれない。
商人は小さな後悔を覚える。
今でも十分な利益が出せるが、さらなる利益を得られると知っては失敗したと思ってしまうのが商売人という生き物の性だ。
(まあ、次の機会に生かせばいい……)
商人は人当たりのよさそうな笑みを浮かべる裏でそう思案していた。
次の商談では在庫の余った古い小麦を処分させてもらおうと。
しかし、次に告げられた言葉でその笑みが凍り付く。
「――ただし、値段は十キロ当たり銀貨五枚が妥当かと」
「は? ……なっ!? じょ、冗談でしょう!? いくらリーファム商会との繋がりを持つことがアドバンテージになると言ってもそれでは採算が取れませんよ!」
吹っ掛けた額どころか元値すら下回る提示額に商人は汗をかく。
「はて、そうでしょうか? お互いに利益のある取引になると思いますが」
「とんでもない! 失礼を承知で言わせていただきますが、暴利もいいところです! そのような阿漕な取引をしていては信用を失い、どんな大商会もたちどころに潰れるでしょう。む、無論、ステラ様に限ってそのようなことはなさらないと思いますが」
「もちろんです。ノブレス・オブリージュ。カレンディア王国の一貴族として権力をかさに着た横暴はしないと誓いましょう。ですが……」
ステラはたおやかに微笑む。
「誤発注したマーヴ産の小麦粉の処分も大変でしょう」
その言葉に商人の顔から今度こそ血の気が引いた。
(ば、馬鹿な……!? どうして産地まで!)
品質の良し悪しはともかく、産地まで見抜くというのは並ではない。
十何年と小麦の取り扱いに携わった商人ならともかく、温室育ちの貴族の娘にできる芸当ではない。
いっそ当てずっぽうと言われた方が信じられるが、こうも確信を持って断言されるということは何もかもが筒抜けということだ。
(お、落ち着け……動揺を表に出すな……!)
トレビオは動揺を押し殺して、自分にそう言い聞かせる。
ここで偽装を認めては信用を失うどころか下手したら牢屋にぶち込まれる。
「ま、マーヴ産ですか……? そんなはずは……。しかし、ステラ様がそう言われるのであれば、もしかしたらそうなのやもしれません。おっしゃる通りどこかで手違いがあったのかと。至急調査させますので、今回の取引はとりあえずなかったことに……」
慌てて小麦粉の入った袋が積められた木箱にふたを閉め、手じまいにしようとする商人をステラはやんわりと制す。
「いえ、ですから取引はするといったではありませんか」
「は? しかし……」
トレビオは呆けたように返事を返す。
ややあってようやく意味を飲み込めたのか、慌てて首を振る。
「で、ですが、これがマーヴ産でしたら、一キロ当たり大銀貨一枚はくだりません。それをたったの銀貨五枚で卸すというのは……」
「かまいませんよ、私は」
商人は相手を見誤ったことを悟った。
ステラの微笑は世間知らずの若い貴族が商人ごっこを楽しむものではなく、まぎれもなく優秀な商人が有利な商談を推し進める時の貫録のある表情だった。
「も、もしや勘違いなされているかもしれませんが、これはあくまで手違いでして、ステラ様をだます気なんて僅かばかりも……!」
「もちろん私はそんな無体をするはずがないと信じております。しかし、そちらの商会がアレウラ産の小麦粉だと言って、マーヴ産の小麦粉を我がリーファム商会に卸そうとしたのも事実。これが外に漏れれば、詐欺まがいの取引をする商会か、ずさんな管理体制をしている商会として周囲に誤解されてしまいますね」
アキレス腱を抑えられ、商人の顔が青くなる。
言うまでもなく商人は信用が命だ。
信用がなければ、商売は成り立たない。
このことが外に漏れれば、その先は身の破滅しか待っていない。
「……わ、わかりました。十キロ当たり銀貨五枚で卸させていただきます……」
商人はステラの言外の脅しに屈した。
小遣い稼ぎをしようと相手を舐めたばかりに手酷い出費となった。
「ええ、今後とも(・・・・)よろしくお願いします」
暗に今後もこの格安値で取引を続けろと突きつけるステラ。
ますます強くうなだれる商人を前にステラは静かに笑みを浮かべていた。
◇◇◇
「まったく馬鹿にしてるわね! まだ私相手にあんな詐欺まがいの事をしようと考えるボンクラがいたなんて驚きよ! 驚き!」
所変わってエスペランサ家の所有する屋敷の執務室。
ステラは怒りと呆れをないまぜにした顔で窓の外を睨みつけていた。
椅子に深く身を沈め、足を執務机に投げ出し、こめかみを苛々と指で叩く。
そんな淑女らしからぬ姿を格好を窘める声があった。
「お嬢様、もっとご自身が貴族令嬢であることを理解した行動を心がけてください」
「なによ。ここにはあなたたち二人しかいないじゃない」
「そういう問題ではなく……」
「細かいことは気にすんなよ。お嬢が貴族らしい振る舞いをする人間だったら俺もお前も今頃どっかの薄暗い路地でくたばっていただろうぜ」
ステラの他に執務室には少年と少女がいた。
先ほどの倉庫にステラの護衛として付き従っていた二人だ。
黒みがかった髪を持つ礼節丁寧だが少々お堅い少女フェルシーと、褐色の抜け目のなさが宿った目をした粗野な言葉遣いの少年レグル。
性格は真逆だが、どちらもステラが厚い信頼を預けている部下だ。
フェルシーは元奴隷、そしてレグルは元スラムの住人である。
ステラがまだ十歳にも満たない子供の時に拾って屋敷に連れて帰ったのだ。
屋敷で働いていた使用人たちは当初身元の不確かな者を雇い入れることへの難色を示したが、ステラは立場を使って押し切った。
ステラの両親は普段王都ベルナールで生活しており、屋敷には表立って反対できる者はおらず、ねじこみに成功。
以来、フェルシーとレグルには貴族が受けるような教育、そして騎士が受けるような戦闘訓練を受けさせてきた。
その後もステラはスラムから身寄りのない子供を拾ってきたり、奴隷に落とされた子供を購入してきたりしては同様の事をさせ、将来の部下にするべく育てていたが、やはり最初期のメンバーである二人には別格の信用を置いている。
「それにしてもあの商人、白々しいわね。なーにが『手違いがあった』よ。そんな言い訳が通るなら食品偽造業者は誰も捕まらないっつーの」
「別にいいじゃねえか。損させられたわけじゃねえんだからよ。それどころか丸儲けだぜ。こんな価格でマーヴ産の小麦を吐き出す商会が哀れでしょうがねえ」
「ですが、詐欺行為があったのも事実。証拠も押さえていますし、今からでも領主代行権限で牢に入れてしまいましょうか?」
「うわっ、フェルシーえげつなっ! 別に黙認を約束したわけでもないから牢屋にぶち込んでもいいけど、まあ今回は特別に絞れるだけ絞るので勘弁してやるわ」
「まったく、えげつないのはどっちなんだか」
ステラの言葉遣いを両親が見れば、間違いなく卒倒するだろう。
しかし、腹心の二人は指摘するでもなく流している。
正確に言えば、フェルシーの方は口調を治させるのを諦めただけなのだが。
ステラとて公の場ではきちんとした言葉遣いを心掛けている。
ただいつもそんな振る舞いをするのは疲れるため、他に人がいないときはお淑やかさをかなぐり捨てたような話し方をしていた。
「秘密裏に終わらせると、また同じことを考える馬鹿が出てくるかもしれないのよねえ。いちいち私が出向いて商品を目利きするのも手間だし。あーあ、相手の心が読めたり、嘘を判別したりする魔法があればいいのに」
「そんな都合のいい魔法があるはずないでしょうに……」
フェルシーは呆れを隠さず言う。
魔法に関しては手勢の中でフェルシーが一番詳しい。
彼女は人と比べて高い魔法のセンスを持っていて、しかも暇さえあれば魔法に関する書物を眺めているほどの大の魔法好きだ。
「わからないわよ? 何せ私の鑑定魔法があるんだもの。読心魔法や嘘発見魔法なんてものがあってもおかしくはないでしょ」
ステラの目利きの正体は『鑑定魔法』という技能魔法だ。
鑑定魔法は見るだけで観察する対象の情報を事細かに知ることができる。
この力にかかれば、産地はおろか、収穫時期や品質の有無までわかるのだから偽装やごまかしなど容易に見破れる。
先ほどの倉庫での一件にもこの力が使われていた。
ステラは屋敷に置いてあった様々な魔法の蔵書に目を通してきたが、鑑定魔法に関する記載はどこにも見当たらなかった。
おそらく固有の魔法なのだろう。
この魔法の存在は両親にすら秘匿しており、誰よりも信頼できる部下であり、仲間であり、友人であるフェルシーとレグルの二人にしか明かしていない。
ステラはしばらくぶつぶつと文句を言っていたが、ふと調理班に命じて作らせてあった新商品の事を思い出す。
「そう言えばアレの開発の方はどうなってたっけ?」
「ああ例の物なら一応完成したと調理班から報告が上がって来てんな。味の方も大好評だ。よくまあ、あんな突拍子もないものを次から次へと思いつくもんだ」
レグルは手元の書類に目を通しながら感服したようにめくる。
「……もちろんよ。容姿端麗、頭脳明晰な私にかかればあの程度のアイデアなんていくらでも湧いてくるわ!」
「容姿関係あんのか?」
口では強気を演じながら心にはしこりのようなものが残っていた。
ステラには誰にも言えない秘密がある。
全幅の信頼を置く二人にさえ隠しているステラ・エスペランサの根幹。
幾度となく打ち明けようとしながら、狂人扱いされることを恐れてついには言えないまま胸の内にしまってしまっている。
(さすがに言えないわよね……前世の記憶があるなんて……)
こことは違う世界で生きた一人の人間の記憶。
レグルにいくつかの提携店に新商品を卸すことを命じながら、ステラは部下たちに気付かれないように小さく息を吐いた。