4-1 旅の目的地
この世界に来てはや四カ月。
あまりに長い寄り道をしたせいでつい忘れ気味になってしまっているかもしれないが、ここいらで一旦旅の目的をおさらいしよう。
オレこと、夕凪悠真はある日原因不明の異世界転移に巻き込まれてしまい、それ以来元の世界に帰る手段を探している。
世界間の移動など真っ当に考えて再現不可能な現象だろうが、こちらの世界には科学の代わりに発展した魔法技術があった。
あらゆる法則を超越する魔法ならあるいは。
そんな一縷の望みをかけて調べ回ったものの、民間に知られている魔法に該当するものはなく、どころか異世界という存在そのものがまず認知されていなかった。
さっそく行き詰りかけたオレに道筋を示したのは、辺境の冒険者ギルドをまとめ上げるオルゲルトという男だった。
『悪鬼』の異名を持つ元Sランク冒険者で、恐らく人魔戦役にも参戦していたであろう彼は勇者がオレと同じ異世界からの来訪者であることを言外に示唆し、その足跡を追うように助言を寄こしてきた。
同郷人の勇者が書き残した手記。
その内容を確認するため、オレは手記が保管されている街を目指した。
ルージェナ。
人魔戦役終結の決め手となった勇者と魔王の一騎打ちが行われた地。
行く先々でトラブルに見舞われたせいで、予定よりもだいぶ遅れた到着だった。
特にミネーヴァで起こした騒ぎが決定的だった。
追手を撒き、騒動のほとぼりが醒めるのを待つために主要な街道を外れた迂回を余儀なくされ、怪我の療養も兼ねて情報の疎い村落で数週間滞在した。
怪我の度合いは軽いものではなかったが、治癒魔法とエルフ印の妙薬の効能は目覚ましいものがあり、あっという間に傷は完治。
腕のリハビリもほぼ終えている。
そうしてオレたちは現在、ルージェナ近郊の湖畔のほとりでキャンプをしていた。
時刻は深夜を回ったところ。
他のみんなはテントで就寝している。
オレは不寝番の担当のため、焚き火を囲んでぼんやりと湖を眺めていた。
対岸すら見えないこの巨大湖はルージェナとも隣接していて、物資の搬入などにも一役買っており、人魔戦役で荒んだ街の復興に貢献したらしい。
しかし、これはただの自然の湖ではない。
つい十五年前まではこんなものは存在しておらず、森や草原などが広がるだけの何の変哲もない大地だったのだ。
それが人魔戦役にて一変した。
より正確には人魔戦役を終結させる要因となった勇者と魔王の一騎打ち。
人族と魔族の最高戦力同士の激突によってこの湖は形成された。
地形の変化を引き起こすほどの神話じみた戦いを遠目に目撃していたものは大勢いたが、しかしその詳細を理解できたものは誰一人としていなかった。
ひたすらに轟音と閃光、そして破壊と死がまき散らされていたそうだ。
戦いの結末も不明。
ただ勇者と魔王の行方不明という結果だけが残った。
記録では死んだとされる勇者。
彼女は実際のところどうなったのだろう?
本当に死んだのだろうか?
……わからない。
こんな天変地異が起こりえた戦いなのだ、死んでいても不思議ではない。
生き延びていた方が驚きですらある。
それでもどこかで生きているのではないかとオレは思っている。
根拠のない勘だ。
それともただの願望だろうか。
生きていれば色々なことが聞けただろうから。
「異世界から来た勇者、か……」
彼女はどんな思いで、どんな理由でこの戦いに身を投じたのだろう?
何も考えず、周りに流されたのだろうか?
それとも自身の正義によるものだろうか?
答えの返ってこない不毛な問いを湖に向かって投げかけていた時だった。
カサリ、と草を踏みしめる音が聞こえた。
「……ヴェル? 不寝番の交代にはまだ早いんじゃないか」
「眠ろうにもなぜか目が冴えて仕方がない。暇つぶしにエアリスの猫耳をいじっていたが、それも飽きた。やはり反応がなければつまらんな」
「やりたい放題か、お前」
ヴェルはオレの隣に腰を下ろすなり、着衣の背中側の留金を外して翼を露出させた。
魔族という種族の特徴であるその漆黒の翼は人目に触れるとまずいため、人気のない場所や不寝番を行う夜中にしか解放できないのだ。
「まったく窮屈でかなわん」
「その感覚はわからないけど、確かに大変そうだな」
どんな感覚なんだろうな、翼ってのは。
空を飛ぶ感覚は知れても、人には存在しない器官の感覚はオレにも知りようがない。
ヴェルは文字通り羽を伸ばしてくつろいでいた。
焚火の炎に浮かび上がるコウモリに似た翼は悪魔を連想させる。
もっとも黒という色の割に禍々しさはなく、どころか神秘的でさえあった。
しばらく翼を凝視していると、ヴェルは意地悪に笑い、
「ククク……なんだユーマ、人をそんな情欲に濡れた目で見て。興味津々なところ邪魔して悪いが、女の素肌をそう不躾に凝視するものではないぞ」
「ご、誤解するな。オレは生物学的な見地から知識欲を満たすために観察しているのであって、白磁器のような背中から生えたお前の翼を見ても、せいぜい撫でまわしたいという衝動に駆られるだけだ」
「……貴様の発言は時々私を戦慄させるよな」
オレが焦りながら釈明すると、からかい半分だった彼女は予想外のカウンターを喰らったかのように真顔になった。
惜しげもなくさらされていた背中が遠のいてしまった。
余裕のある年上ムーブしてたくせにヘタレだ。
「なんだよ、人を変態みたいに。魔族って翼について批評したりしないのか?」
「他の連中の嗜好など知らんが、少なくとも貴様のような奴はいない」
「馬鹿な……相手を抱きしめた時に微弱に抵抗するかのように翼がパタパタと動くところを想像して萌える奴がいないというのか」
オレが代表例を交えて語ると、ついにヴェルは怯えたような眼差しを向けてくる。
何か理解不能なものを見る目つきだ。
そんな蔑まれるほど変態的な嗜好を暴露した覚えはないんだが。
普段強気なヴェルに対して精神的優位に立つのは愉快だが、あんまり調子にのると我に返ったヴェルに細切れにされかねない。
「翼など弄って何が面白い。私にはさっぱりわからんな」
「猫耳に置き換えて考えてみたら?」
「……不本意ながら理解した」
「人にやるのはよくてやられるのは嫌だというのは通らないぜ。さあ、お前も大人しくオレに揉みしだかれろ」
「ちっ、貴様に角とか生えないものか。そうすれば辱めてやれるものを」
秋も終わりかけた寒空の下、温かいココアの入ったマグカップを片手にそんなとりとめもない会話を二人でかわす。
静寂が辺りを包み、焚き火に放り込んだ木の枝の爆ぜる音だけが時々耳を打つ。
しばらくして空気が入れ替わったのを見計らいオレは口を開いた。
「……なあ、一つだけ聞いてもいいか」
「なんだ改まって」
「人魔戦役についてだ」
それを口にした途端、ヴェルの機嫌が目に見えて急降下した。
露骨にしかめられたその顔にそのまま質問を続けることを躊躇する。
オレはこれまでこの話題はなるべく避けるようにしていた。
かの戦争の話を匂わせるたび、ヴェルが無言の圧力をかけてくるからだ。
それ以上は踏み込むな――と。
そのせいでせっかく人魔戦役の生き証人がいるというのに何一つ情報を得られていなかったのだが、ルージェナを目前に控えた今はなるべく情報が欲しかった。
「もちろん答えたくない質問には答えてくれなくてもいい」
「……質問すらされたくなかったのだがな」
ヴェルは嫌そうな顔を取り繕おうともしない。
しかし、退きそうにないと悟ったのか、溜息とともに「一つだけだぞ」と許可を出す。
オレが最初に「一つだけ」と前置きしたのは単なる会話の切り口であって、これだけは聞いておこうと心に決めているものがあったわけではない。
この偶然もたらされた機会を逃せば、ヴェルの口から人魔戦役について聞けるのはまた先のことになってしまうだろう。
オレは何を聞くべきかやや逡巡した。
「ええっと……」
「それと先に補足しておいてやろう。いいか、貴様ができる質問の回数が一回なのであって、私が質問に答える回数が一回というわけではないからな。もし私が答えたくない、答えられない質問を貴様がしてきたらその時点で質問タイムはおしまいだ」
ヴェルがそんな屁理屈じみたことを言う。
どれだけオレの質問に答えたくないというのだろうか、こいつは。
これもオレが言ったことではあるが、この調子じゃどんな質問をしても「答えたくない」の一言でバッサリと切られる可能性があるな……。
「お前は先代の勇者と先代の魔王、どんな奴か知ってるか?」
「知っている」
「………」
「………」
「で、どんな奴なんだ?」
「すでに質問には答えた。数も数えられんのか、愚か者め」
期待通り、期待を裏切ってきた。
ヴェルの晴れやかな顔には人の思惑を踏みにじったことへの愉悦が垣間見えた。
「まあいい。仕方がない、答えてやろう。言っておくがこれはサービスだからな」
いちいち恩着せがましいなあ、こいつは……。
常に自分が優位でなければ気が済まないらしい。
まあ、喋ってくれるなら何でもいいけど。
「どんな奴かという質問だが、そうだな……」
ヴェルはやや言いよどむが、やがて吐き捨てるかのように言う。
それまでの少しばかり緩んだ態度を一変させて。
「両方とも世間知らずのガキだ」
世間知らずのガキ。
そこには嘲笑とも、嫌悪とも、侮蔑ともいえない感情が込められていた。
敵であった勇者はともかく、魔王といえば魔族を統べる王。
崇め、奉られるべき対象のはずだ。
しかし、ヴェルには一切敬意を払う様子がなかった。
まあ、ヴェルが誰かに平伏する姿は、それはそれで想像できない。
彼女はいつだって不敵な笑みを浮かべ、絶対的強者としてそこに君臨している。
「なあ……」
「言ったはずだ。これはサービスだと。これ以上話すつもりはない」
オレがさらに質問を重ねようとすると、ヴェルは首を振り拒絶の意を示す。
やんわりとした態度だったが、同時に頑なでもあった。
まったくの無駄とは言わないが、実のある収穫があったとも言えない。
ガキということはどちらも若者だったという事か?
でも同郷人の勇者はともかく魔族の老化は遅いみたいだから、ヴェルの称するガキというのもあまり当てにならなさそうだ。
精神的に未熟という意味で使ったのかもしれないし。
もっと切り込んでみるべきだっただろうか。
しかし、あまり込み入ったことを質問しては答えてもらえなかったかもしれない。
できれば勇者と魔王の一騎打ちの結果、もしくは行方を聞きたかったが、いくらヴェルでもそこまでは知らないだろう。
やはり勇者の手記とやらを当たってみるしかないな。
オルゲルトの話ではそこに元の世界へ帰還するための手掛かりがあるとのことだった。
……あれ、違うな。
思い出してみればオレの求めているものの手掛かりがあると言っていただけだ。
元の世界への帰還方法とは一言も言っていない。
ちゃんと意識の共有できてたよね?
冒険者の極意とかそんなものの手掛かりじゃないよね?
これだけ時間をかけて目的外のものを掴まされるだなんてオチで終わったら、この身を削ることになろうともあの男に一発かまそう。
「……そうだ。私も貴様に一つだけ聞きたいことがあるのだった」
「聞きたいこと? なんだよ」
少し間をおいてからヴェルは話し出す。
「私は目的のない放浪者でエアリスは根無し草の冒険者、そしてラフィルは故郷を失った元奴隷だ。そんなわけで貴様が決定した場所に異議を挟むでもなく付き従っている」
「……? 目的地に不満でもあるのか?」
「別にそんなものはない。ただの興味だ」
「興味……?」
ヴェルが何を言いたいとしているのかがわからずオウムのように聞き返す。
「そう、興味だ。貴様はなぜルージェナを目指す?」
「……言ったことなかったっけ? ちょっと勇者について興味があるからルージェナに保存されている記録を調べてみたいんだ」
ヴェルの問いに対して、オレは曖昧にごまかすことしかできなかった。
人の秘密主義にあれこれ言っている当人が秘密を隠しているのだから、厚顔無恥もいいところだった。
「……そうか」
ヴェルの真紅の瞳によくわからない感情の光がともる。
どんな思いが込められているかは読み取れないが、どうやら納得はしてないらしい。
オレにもわかってはいる。
いつかは言わなくてはならないということは。
いつかは彼女たちに別れを告げなくてはならないということは。
……いや、実際どうなんだろう?
元の世界に帰るための手段を確保した時、オレは素直に帰還を選択できるのだろうか。
土壇場で迷ってしまうのではないだろうか。
ここ数ヶ月で自分でも驚くほどこの世界に適応している。
不便なことや大変なことだってあるが、それも次第に慣れてきた。
エアリスにヴェル、そしてラフィルという気の置けない仲間たちと過ごす時間は言葉で言い尽くせないほどの楽しさがある。
このひとときをオレは……失いたくない。
元の世界にいる家族は心配だし、心配されているだろう。
だけど、異世界という未知の冒険に挑む幸運を安易に手放してしまっていいのか。
決断まではまだ猶予がある。
いまだ元の世界へ帰る方法はおろか手掛かりすら掴めていないのだから。
それでもオレはいつか出さなければならない。
この世界に残るか、それとも元の世界へ帰るかの答えを。