1-6 決闘騒ぎ
オレは自分の目に映ったものが信じられずフリーズした。
なぜギルドの中にゴブリンが?
それもただのゴブリンじゃない。
顔こそオレのよく知るゴブリンと瓜二つだが、体躯が全くの別物。
目の前の奴は身長が二メートルにも迫り、服の上からもわかるほど筋肉がついている。
さすがにオーガほどではないが、十分驚嘆に値するほどの肉体美だ。
しかも見事な人語を操るという芸当を……ってあれ、人間? …………人間!?
「新入り、てめえみたいなチビで貧弱なもやし野郎がSランクになんてなれるわけねえだろう? Dランクにすら上がってこれねえよ」
まさか面と向かって「人類ですか?」などと尋ねるわけにもいかない。
周囲の冒険者が放置しているのだから危険はない……はずだよな?
とりあえず「いじめないで! ぼくわるいゴブリンじゃないよ!」的な感じのゴブリンということで状況を認識しておくとして、
お前もか? お前もわざわざオレの夢をぶっ壊しに来たのか!?
「そりゃあ、あんたから見れば大抵の人間はチビで貧弱でもやしだろうよ。……それでオレに何か用でもあるのか?」
身長的にも、年齢的にも明らかに目上の人間ではあるが、敬語は使わなかった。
エアリスからあらかじめ言い含められていたからだ。
冒険者の間で下手に敬語を使うとなめられる原因になるとかなんとか。
あるいはエアリスの経験に基づいたものなのかもしれない。
十代の女の子なのだから、舐められる理由には事欠かないだろう。
まあ、それ以前に初対面で馬鹿にしてくるような人間とは友好的に接したくない。
「なあに、冒険者の先輩としててめえにいろいろ教えてやろうと思ってな」
「いろいろ? 冒険者の世知辛さについてはあっちの受付嬢さんから懇切丁寧に教わったところだからもういいんだけど……」
あれ、意外といい人? だなんて思ったりはしない。
だって明らかに「悪いことを企んでまっせ」と言いたげな悪い笑みが滲んでいるもの。
あれは親切な教育者というよりも路地裏に頻出しそうな強奪者の顔だ。
夜間に遭っていたら真っ先に通報している。
「冒険者についての知識云々も先約がいるから遠慮しとく」
「んだと? せっかくギルドの大先輩である俺が教えてやろうって言ってんだぜ? 素直に聞いておけよ、なあ。授業料は特別に安くしてやるからよ」
「安くって……授業料とるのかよ」
「はあ? あたりめえだろ。俺が教えるのは冒険者の極意だぜ? ただで教えてもらおうなんざ、図々しいにもほどがある」
そもそもオレから頼んだ覚えはない。
きちんとした教えなら金を払っても聞きたいが、この男じゃ期待できそうにない。
筋肉はすごいが、頭には何も詰まってなさそうだ。
冒険者の極意?
そんなものがあるならギルドの掲示板にでも張っておいてくれ。
オレがどうやって目の前の男を追い払おうかと頭を悩ませていると、
「あーあ、また始まったよ」
「よりにもよってあのオルゲルトさんに絡まれるなんてついてないぜ、あの新入りも」
「俺もニュービーの時に運悪くやられたからな……」
「ま、冒険者の厳しさを学ぶいい勉強だと思って諦めるしかないだろうな」
「だけどよ、前の奴はあれで冒険者になるのを辞めちまったって話じゃねえか」
周りからそんな囁き声が聞き漏れてくる。
それに対し、オルゲルトと呼ばれた冒険者が「うっせえぞ、てめえらっ!」と一喝。
冒険者たちはひきつったような苦笑を浮かべがら、一様に口をつぐんだ。
また始まった。ついてない。運悪く。冒険者の厳しさ。前の奴が冒険者を辞めた。
どう好意的に解釈してもプラスの評価にはならない言葉ばかりである。
やはりこれは新人冒険者をターゲットにしたたかりか?
しかも聞こえた感じでは常習犯だ。
ああくそ、これは面倒なのに捕まったかもしれない。
「……ったく、余計な茶々を入れやがって……。いいか、あんな外野の奴らの言う戯言なんかに耳を貸す必要はねえぞ」
「消費者の声は大事だろ。それにさっきも言った通りあてはあるんだ」
「はっ、てめえの言うあてなんざ、どうせEランクとか駆け出しに毛が生えた程度の奴なんだろう? そんな奴に冒険者のイロハを教わっても何にもならんねえぜ? それだったら俺のところで雑用でもしていたほうが百倍ましだ」
オルゲルトのしつこさにいい加減嫌気が差してくる。
ある意味では正論かもしれないが、こいつが言っても説得力がない。
オレが教わる予定のエアリスの実力も冒険者ランクが証明してくれている。
第一、オレにはやらなければならないことがある。
元の世界に帰る手がかり探し――と、獣耳っ娘、エルフっ娘、さらには悪魔っ娘に会うという何よりも優先すべき目的、使命が。
一から下積みなんて悠長なことをやってる時間はない。
しかもそれがチンピラまがいの相手の元というならなおさら。
エアリスがいつ帰ってくるかもわからないし、さっさと穏便にケリをつけてしまおう。
「例えばの話をしよう」
「あん?」
「あなたは実力も定かではなく、強盗か魔物かわからないような顔をしたむさ苦しい荒くれチンピラ冒険者の雑用と、かわいい女の子のベテラン冒険者のパーティーメンバーの二つに誘われました――さあ、選ぶならどっち?」
「そりゃあ……その二択なら迷うまでもなく断然後者だな」
「だろ? まあ、そういうことだ。それじゃあ今回は縁がなかったということで」
ソファがひっくり返された。
誰がどうしてひっくり返したかなんて説明は不要だろう。
「……例えばの話って言っただろうが」
あらかじめこうなることを予見し、心の準備をしていたおかげで少し床を転がっただけでソファの下敷きになるだけは回避できた。
身を起こすと射殺さんばかりに睨みつけている大男の姿が目に映る。
「ビギナーのくせに粋がりやがって! 誰がゴブリン面の荒くれだ!」
「いや、そこまでは言わなかった」
思ったけど、さすがに口に出すことは自重していたはずだ。
ていうか自覚はあったのか。
「どうやら先輩への礼儀が足りねえようだな!」
「弁えるべき人間にはきちんと礼を尽くすさ。だけど、お前は違うだろ」
「身の程知らずのクソガキが……! 少し痛い目を合わねえと分からねえか!」
オルゲルトの目がはっきりと据わった。
オレはそれを横目で見つつ、ちらりと階段のある方へ目を向けた。
もしも、今ここに用事を終えたエアリスが来たら間違いなく面倒事になる。
容姿の整った彼女をこのチンピラが見逃すとは思えない。
なんだかんだ理由をつけてエアリスのことも引き込もうとするだろう。
まあ、そうなったとしてもエアリスなら軽くあしらってくれるかもしれない。
とは言え、絡まれたのはオレだ。
ならば問題を処理するのもオレの役目だろう。
いちいち尻拭いをさせていたらこの先パーティーメンバーなんて務まらない。
一応、受付の方を見たが誰もかれも我関せずを貫いていた。
オルゲルトを恐れているのか、それとも冒険者同士の諍いにはノータッチなのか。
薄情とも思うが、そんなものと言われればそんなものかもしれない。
しつこく訴えたところで、この程度で泣きつくようなら冒険者などやれないとか、またあの受付嬢さんあたりにぼろくそ言われて終わるのがオチだ。
……うんまあ、本当はわかってる。
わかってはいるのだ。
駆け出しの冒険者など掃いて捨てるほどいるなんてことは。
そして、そのほとんどが右も左もわからず、ロクな力も持たないということは。
そんな新入りで、しかも夢見がちなことを言いだす奴を軽んじるギルドの受付嬢さんやオルゲルトの態度もきっと自然なものなのだろう。
でもそれに反発し、低い評価を覆したいと思うのもまた自然なことだよな?
なあなあで乗り切ろうとしたけど、やっぱり無理だ!
全部ひっくり返して度肝を抜いてやる!
「表へ出ろよクソガキ。まさか今更逃げるなんて言わねえよな?」
「はあ……しょうがないな。わかったよ、出ればいいんだろ」
さすがにギルドの建物の中で暴れるのはまずいと考えたのであろうオルゲルトの脅迫じみた提案にオレはニヒルを装ってクールに頷く。
案外冷静というか、小賢しいというか……。
後の事に気を回せる程度には自制が効くということか。
この後の流れはだいたいわかっている。
これから始まるのは『決闘』という制度を利用した戦いだ。
街に来るまでの道中でエアリスからも軽く聞き及んでいる。
荒っぽい冒険者間では常日頃から争い事が絶えないそうだ。
依頼書の奪い合いから、酒の勢いでの喧嘩。
冒険者になる人間のほとんどが荒くれのような人種で、その他の人間も次第にそれに染まっていくのだから、ある意味当然と言える。
その争いに決着をつけるための制度が『決闘』。
要するに強い者、優秀な者が偉いという身も蓋もないルールである。
これから行われる戦い。
傍から見ればオレに勝ち目など一つもない。
相手は昼間から依頼も受けずにギルドでたむろしているチンピラではあるが、筋肉ダルマという形容詞がふさわしい肉体を持っている。
ただ、それもオレが魔法を使えなければという注釈がつく。
適度な距離を保っていれば一方的に向こうは魔法に晒されることになる。
特に樹木すら抉り取る威力の風魔法なら一発もあれば十分だ。
まあ、それだと命の保証ができないし、この程度の揉め事で人死にを出したくもない。
軽く威嚇射撃をして降参の一言を引き出して終わるのが妥当か。
――いや、違う。
もっとこの男の性格を読め!
もっと正確に行動を予測しろ!
魔法の威力を見せつければ恐れをなした男は無様に降参しながらこう言うはずだ。
すまなかった! もうあんたにゃ、手を出さねえ――と。
しかし、背を向けたオレにすかさず襲い掛かってくるオルゲルト。
それを軽くいなし、とどめの風魔法を放ち、動かなかくなった奴に悔し気に馬鹿野郎……、とでも言ってようやくこのテンプレは完成するのだ。
……なんて、オレは冗談交じりに頭の中で展開をシミュレートしていたが、オルゲルトの小物さを少々測り損ねていたらしい。
それに気づいたのは後ろから愉悦に染まった捨て台詞が聞こえた時だった。
「――馬鹿が。くたばりやがれ」
それに対応できたのは偶然が半分、森でのサバイバルで勘が養われていたのが半分か。
オレはとっさのところで体をのけぞらせ、オルゲルトの攻撃をかわした。
かわしてようやくその攻撃を視認する。
空を切ったオルゲルトの拳はそのままズガンッ! と破砕音をたて床へ突き刺さる。
比喩などではなく文字通り突き刺さった。
木製の床が砕け散り、木っ端が舞う。
そのあまりの威力に背中のあたりにひやりと冷たいものが走る。
あとわずかでも反応が遅れていたら、今の一撃だけでやられていた。
「ちっ、外したか」
軽く舌打ちをするオルゲルト。
しかし、その表情は言うほど悔しそうでもない。
オレの動揺した顔が見られたことで留飲を下げたのか、愉快気ですらある。
これからどう料理するか舌なめずりしながら考えているようだった。
そんなオルゲルトの様子に怒りよりもまず驚きの感情が先行した。
「お、お前っ! いきなり何すんだ!? スタートの合図を切るどころか、外にも出てないぞ!」「ぶっ、ぎゃははははっ! どんだけおめでたいんだてめえの頭は! 決闘は相手が受けた瞬間に開始されんだ。常識だろ? 何がスタートの合図だ!」
「知るか、そんな常識! 駆け出し冒険者相手に恥ずかしくないのか!?」
「お前さえ殴れれば俺はそれでいい」
「嫌な男らしさだ……!」
オレが食ってかかるも開き直ったオルゲルトはどこ吹く風。
にやにや笑いをさらに深くする。
「はっ、なに寝言言ってやがる。まさかてめえは魔物との戦いをよーいどんで始めるつもりか? 先制攻撃のチャンスをみすみす逃して真正面から戦いを挑むつもりか? 言っとくが冒険者の戦いっていうのは、騎士様みたいに名誉や誇りをかけてするものじゃねえ。命をかけてするもんだ。そこに卑怯もくそもねえ。勝利こそすべてだ。よかったなぁ、一つ賢くなって。ぎゃはははははは!」
……うん。言い分はわかる。
理屈も限りなく屁理屈に近いが、わからなくもない。
だけどそれ、先輩を自称している奴が格下の相手に使っちゃダメな奴だろ!?
いや、してたよ!?
確かにシミュレーションでは背後からの不意打ちは想定してた!
だけどそれは本当に最後の手段だろ!?
一番初めにやるとかプライドの欠片もないのか、このゴブリン野郎!
「びびりやがったか? そうだな、俺は寛容だから今すぐてめえが床に頭をこすりつけて、謝るって言うなら許してやらないこともねえぜ」
「誰がやるか、そんなこと。いろんな意味でびびったが……お前は致命的なミスを犯した。今オレを仕留めそこなったことで、お前は起死回生の最終手段を永遠に失ったんだ」
「あ? 最終手段?」
「なんでもない。ゴブリンが無い知恵絞っても無駄って言ってんだよ」
「こんの……! 懲りねえようだなクソガキィ!」
オルゲルトは一瞬呆けたような顔をしたが、すぐに憤怒の表情に変わった。
感情の荒ぶるままに腕を振り上げ、突っ込んでくる。
だが、それはあまりにも遠く遅い。
オレはオルゲルトの突進に怯むことなく、魔法発動の手順を踏む。
「〝風の――」
「……あ?」
詠唱の開始と同時に空気が歪んだ。