3-15 戦いの残り火
『剣聖』を撃破した後、オレたちは衛兵の追撃をいなしつつミネーヴァを脱出した。
衛兵の士気は低く、負傷した身でも楽に逃げおおせた。
カレンディア王国で随一と呼び声高い騎士が敗れ去ったのだから無理もない。
十分に引き離したのを確認して郊外の森で休憩をとる。
「ゆ、ユーマざんっ! こん、な……ぐす……わだしが……!」
ラフィルは泣きながらオレの体に縋りついていた。
ラグクラフト・エインズと戦ってからというものずっとこんな感じだ。
衛兵から逃走する時も泣いていたため、絵面としては男に無理やり誘拐される少女という様相を呈していた。
今更といえば今更だが、衛兵のドン引きした顔が忘れられない。
もう一生ミネーヴァに立ち入れそうにない。
立ち入れなくなるのがミネーヴァだけで済めばいいが……。
「……ちょっと見せてもらうわよ」
エアリスは何か言いたげだったが、それを飲み込みオレの腕を触診する。
右腕は青あざを通り越してどす黒い。
まともに動かすこともできず、ただの肉塊と化していた。
軽く触られただけでも神経が焼ききられたような激痛が走り抜ける。
「骨に異常はないみたいね。だけど筋線維がズタズタになってるわ。内出血も酷いし、脱臼もしてる。神経は多分大丈夫だと思うけど」
「治る……よな?」
「………」
「待て、そこで黙るな。気休めでもいいから治ると言ってくれ」
このまま一生腕が動かなくなるというのはさすがに勘弁だ。
みんなで助かるためだったんだから腕の一本ぐらいくれてやる、などと言えるような気前の良さは小市民なオレにはない。
「まあ、そんなに不安がらなくてもこれならきっと治せるわ」
「断定的じゃないのが少し気になるんだけど……そうか、オレはまたお前のふかふかな猫耳の毛先を一本一本感じられるようになるという事か」
「一生治らなければいいのに」
応急処置を終えた右腕をエアリスがぽいと乱雑に放る。
激痛でオレは地面を転げまわった。
「症状としては重度の肉離れってところね。何をどうしたらこんなことになるのよ」
「別に。ヴェルに見せてもらったお手本を風魔法で再現しただけだ」
魔法と剣の合わせ技〝神風″。
ヴェルの剣に近づけようとするにつれ負荷が重なっていくものだから、安易に手を出せばはただじゃ済まないんだろうとは思っていた。
常人が身の丈に合わない人外の領域に踏み入ればしっぺ返しを食らう。
ロケットの推進力を自転車に搭載するようなものだ。
ちなみに名前の候補として〝絶技・紅魔一閃″もあった。
『絶対に良い子は真似しちゃいけない技・紅髪の魔族の一閃』の略称である。
「二度と使わないで」
「……前向きに検討する」
強い口調で言うエアリスに曖昧に返す。
言われるまでもなく二度と使いたいようなものではない。
技などと銘打っても、これはあくまでブーストの調整に失敗しただけのこと。
自爆前提の暴走みたいなものだ。
リスクがあるのは薄々感じていたし、今回だって使いたくはなかった。
ただあの局面では使うしかないと思っていた。
だから多分同じようなことがあれば、オレはまた同じことをするのだろう。
エアリスはそんな考えを察したのか、ため息をつく。
「どうしてこうリスキーな真似をするのかしら……」
「そんなの決まってる。リスクに見合うリターンがあったからだ。右腕を犠牲にして猫耳とエルフ幼女がリターンされるなら安いもんだ」
「結局失敗してたでしょ。もしあの場面でヴェルが来なかったら腕の壊し損よ」
ぐ……奴には美味しいところを持っていかれた。
せっかく体を張ったのに戦功も好感度は全部あいつのものか。
なんという理不尽。
「そもそもあんなことする必要あったの? ユーマが頑張らなくてもヴェルが助けてくれてただろうし……まったくの無駄だったんじゃない?」
「人が思っても言わなかったことを!」
そう言われると途端に自分が道化に思えてくる。
何とも盛大に自爆したものだ。
ラフィルが慰めてくれないだろうかと期待してそちらの方を見るが、いまだに泣きながらオレにしがみつくばかりだった。
自己犠牲を注意されていながらオレは直さなかった。
その事実が間接的にラフィルを追い詰めていると思うと、罪悪感に訴えられるものがある。
なるべくこういったことは慎もう。
オレはそっと心に決めた。
◇◇◇
応急処置を終えたオレはヴェルを探した。
彼女は歩哨に行くと言って、姿を消していたのだ。
風魔法で探知しながら数分ほど辺りを散策すると、すぐに引っかかった。
ヴェルは一人、樹上でミネーヴァの街を眺めていた。
「……ユーマか」
「見張りはオレが代わるから、お前も怪我の治療したらどうだ?」
「たいした怪我ではない。この程度なら唾をつけておけばそのうち消える」
ヴェルがそっと肩の傷を撫でる。
「いや、でも消毒ぐらいしておいた方が……ほら、見せてみろよ」
「大丈夫だと言っている。それとも暗に私に服を脱いで裸体を晒せと言っているのか?」
「どんなやつだよ」
「それとも『唾をつけるならぜひオレが舐めたい』とでも言うつもりか?」
「どんなやつだよ!?」
この怪我はオレがさせたようなものだろう。
オレが不甲斐ないためにヴェルを元勇者パーティーの一員と戦わせてしまった。
傍若無人に好き勝手するのは強者だけの特権だ。
弱者は正義を語れないし、悪を貫くこともできない。
オレには我を通すだけの資格がなかった。
今回の一件でいろいろと考えさせられた。
オレが自分の信念を曲げないためにはもっと強くならなければならないんだろう。
それこそ頭を空っぽにしても無双できるぐらいに。
いつまでも弱いままではいられない。
「……にしても、お前の強さってやっぱり別次元だよな。あのラグクラフトっていう騎士はカレンディア王国最強なんだろ? しかも元勇者パーティー所属だったとか。そんな奴すら倒すなんて、お前って魔王直属の四天王か何かだったりするのか?」
「なんだそれは……。魔王軍にそんな階級は存在しない」
げーむでもあるまいし、とヴェルが鼻を鳴らす。
まあ、王道のRPGではいるよな、四天王。
ヴェルなら炎属性という点でもはまり役だと思ったんだが。
……あれ、オレってヴェルにゲームのことなんて話したことあったかな?
「そもそも倒してなどいない。あの男はまだ健在だ」
「え? だって、お前の蹴りで民家に突っ込んでいっただろ?」
「手ごたえが鈍かった。こっそり衝撃を受け流していたのだろう。そもそもレンガ造りの家を貫いたぐらいで倒せる程度の相手なら手傷を負わされることなく瞬殺していた」
建造物を生身で貫くことを『ぐらい』で済ませるのか。
そんな人間居るわけが……いや、いたか。
辺境の街の冒険者ギルドでギルド長をやっている元Sランク冒険者が。
「じゃあ、何であの騎士はオレたちを追って来ないんだ?」
それともすでに追いかけてきているのか?
今この瞬間にもこの場所に近づきつつあるとか……。
だからヴェルが見張りを?
にわかに焦るオレにヴェルは「その心配はいらん」と声をかける。
「絶対とは言わんが、おそらく来ない」
「いやでも……」
「あの男は不器用なのだ。我々を捕縛することに固執し、強硬に戦うことを選択すれば街が灰となる。かといって騎士たる身で法を犯す者を見逃すわけにもいかない。悩み抜いた末の結論が、わざと私に倒されるという行動だったのだろうな。まあ、さすがに自慢の剣があんなことになるとは想定していなかっただろうが」
その時のラグクラフトの顔を思い出したのか、ヴェルは小気味良さそうに笑った。
しかし、今の話が本当だとすれば……。
「オレたちは見逃してもらったってことか?」
「おい、あまりふざけたことを抜かすなよ、ユーマ。言っておくが、奴が剣を破壊されたのも無様に蹴飛ばされたのも私が何枚も上手だったからだ。私が終始押していたのを貴様はきちんと見ていなかったのか? いいか、あの男が我々を見逃したのではない。私があの男に見逃させてやったのだ。そこを履き違えるな」
若干キレ気味にヴェルは訂正する。
プライドの高さは相変わらずだな。
「……とは言え、もし本当にあの男が我々を害悪だと断じていた場合、なにがなんでも潰しに来ただろうがな。それこそ刺し違える覚悟で」
顔つきを険しくさせてヴェルは言う。
口ぶりを聞くにそこまでされていたら面倒だったようだ。
確かに、あの時のラグクラフトはヴェルとの一騎打ちに集中していたが、負傷していたオレたちを優先的に狙うこともできただろう。
さすがのヴェルもオレたちを守りながらでは戦えない。
「だからその点に関してはよくやったと言っておこう」
「……オレは何もしてないよ。何もできなかった」
「完遂できなかっただけだ。貴様は宣言通り、ハーフエルフの娘を救ったではないか。ならば胸を張れ。無意味に卑下するな。行為に後悔がないなら貴様が責めるべきは己の弱さだけだ。せいぜい次は私の手を煩わせないよう立ち回れ」
慰めてくれているんだろうか。
エアリスによって弄られ傷心のオレの心を。
情けなかった事実が変わるわけではないが、ちょっとだけ救われた気がした。
「それにしてもよく知ってるんだな? あの騎士のこと」
普通、やられたふりに気づけてもその思惑までは推し量れないし、ラグクラフトとの問答でヴェルは幾度か思考の先回りをしていた。
やはり人魔戦役を通じて因縁があるのだろうか。
魔王軍に所属していたヴェルと勇者パーティーに所属していたラグクラフト・エインズ。
どこかでかち合っていても不思議はない。
それにしては向こうはヴェルの素性に心当たりがない様子だったが……。
オレが水を向けるとヴェルは迷うような素振りを見せた。
「ユーマ、私は貴様に……」
言いかけるが、次の言葉が続かない。
「……いや、何でもない」
躊躇っていたものの、結局ヴェルはその先を口にしなかった。
オレも無理に聞き出すことはしない。
そういう約束だ。
しかし、その隠し事もそろそろ明かされる時が近づいているのかもしれない。