3-14 『煌炎』vs『剣聖』
「ヴェル? お前、どうして……」
「だから言っているだろう。貸したものを返してもらいに来たと。それにしても随分と手こずっているようではないか」
「……これでも大健闘した結果なんだよ。なんならお前がもっと早くに駆けつけてくれていれば痛い目を見ずに済んだんだけどな」
そうしたら、オレがラグクラフトに腹を殴打されることも、屋根に体を打ち付けることも、右腕を壊したりすることもなかっただろう。
「どうやら文句を言う元気はあると見える」
「オレはいつどの状態だって、文句と冗談は言える」
「それは上々だ」
いろいろと言いたい文句もある。
こうしてほしかったという要望も、つけたい注文もある。
けれど、それでも――。
「だけど助かった。……ありがとう」
口では何と言おうが、こいつは間違いなくオレたちを助けに来てくれたのだ。
かつての勇者パーティーの一員にして、カレンディア王国所属の騎士と対峙してまで。
自身の正体が世にばれるリスクを考えれば、覚悟のいる決断だっただろう。
だが、それでも彼女は決断してくれた。
自分ではなく、オレたちのことを優先してくれた。
それをどうして感謝せずにいられるだろうか。
どうして嬉ばしく思わずにいられるだろうか。
多少の遅刻など些末な問題でしかない。
来てくれた、間に合ってくれた、その事実だけで十分だ。
オレの感謝にヴェルは相好を崩す。
「クククク、素直なのは嫌いではない」
何度も鷹揚に頷き、慈しむようにオレの頭を撫でた。
そんな子供扱いになんとなく気恥ずかしくなり、振り払おうとしたが右腕は絶賛崩壊中。
痛みでそんな気力もわかなかった。
やがてひとしきり撫でて満足したのか、ヴェルが口を開く。
「だから私も素直になろうと思う」
「……うん?」
素直に?
どういう意味だ?
デレるという意味なのだろうか?
オレがにわかにそんな淡い期待を寄せつつ見守る中、ヴェルはコホンと咳払いをしてその内容をカミングアウトした。
軽くオレから目をそらして。
「……実は陰でこっそり出るタイミングを見計らっていた」
「てんめぇええええええええええええっ!!」
台無しだ! もう何かいろいろと台無しだ!
胸いっぱいの感謝の気持ちがそこはかとない殺意へと変わっていく!
「お前だけは! お前だけは絶対に許さない!」
「……とは言われてもな。もともと私はこの件に手を貸さないということになっていたはずだ。貴様もエアリスも危険は承知の上でラフィルの救出に行ったのだろう? なのにそれを責められても困るぞ」
「ぐ……」
そう言われてしまえばもうオレは何も言い返せない。
ヴェルのやってることは畜生にも劣る行いだが、発端はオレのわがままなのだ。
「繰り返しになるが、私がここに来たのはあくまで貸した剣の回収が目的だ。貴様らを助けに来たわけではない。だから、これから私がこの男を叩きのめすのも、貴様らの仇をとるためなどではなく――」
そこでヴェルはオレから視線を外し、ラグクラフトを睥睨した。
血が凍りつくような凄まじい殺気を伴って。
「――私が純粋に殺したいと思ったからだ」
オレはそのヴェルの感情の発露にあてられ、知らず知らずのうちに唾を飲み込む。
ヴェルの表情は静かな声とは対照的に怒りに歪んでいた。
目には激しい憎悪の炎を灯し、眼前の敵を焼き尽くさんばかりだった。
ラグクラフトも気圧されたように半歩下がる。
「この威圧……お前は一体何者だ……?」
「答える必要があるか? あの女からは貴様らとは殺し合わないようにとお願いされていたが……私の我慢は限界を超えた。もしかしたら手加減をしくじって殺すかもしれんが、その時は運が悪かったと諦めるんだな」
「なんの話を……?」
「いいから黙って死ね」
ヴェルの周囲から炎が吹き上がり、ラグクラフトに襲い掛かる。
詠唱はおろか、様式美であるはずの指鳴らしもない。
ただ苛立ちや憤りをぶつけた癇癪のような攻撃だ。
ラグクラフトはすぐさま跳び退り、灼熱の魔の手から逃れる。
「ユーマ、貴様は余計な手出しをするなよ」
「い、いや、でも援護ぐらいは……」
「そんな状態の貴様にできることなどない。いいから黙って見ていろ」
ぞんざいな口調だが、心配されているのはわかる。
任せきりにするのは躊躇われたが、ヴェルの言う通り、魔力は底をつきかけているし、腕の痛みで思考が混濁している。
こんなコンディションでは足を引っ張るのが関の山だろう。
オレはその言葉に素直に頷き、戦いの行く末を見守った。
「顕現せよ、〝煌炎の剣″」
ぼそりとヴェルが詠唱するのに連動し、オリハルコン製の黒い刀身を炎が包む。
ヴェルが軽く一振りすると、炎の中からは赤熱した刀身が現れた。
直視するのが厳しいほどの輝きと、周りの温度が数度上がったと錯覚をするほどの激しい熱量を伴った、見る者すべてを畏怖させる灼熱の剣。
「ドラゴンの鱗すら容易に切り裂く剣だ。迂闊に触らんことを勧めるぞ」
ヴェルはプレッシャーをかけるように告げ、ゆらりと始動する。
気づけばヴェルとラグクラフトは剣を交えていた。
予備動作、移動、そして攻撃、そのどれもが刹那の内に行われたのだ。
とても目では追えない速さ。
空間認識を用いても反応できるかどうかといった、超スピード。
遅れて二人を起点にびりびりと衝撃波がまき散らされる。
両者ともに紛れもなく本気だ。
刃が交錯するたびに星屑のような美しい火花が散る。
剣戟はあたかも舞のようだった。
立ち位置を変え、攻守を変更し、激しく切り結ぶ。
当たれば文句なく勝負が決するであろう攻撃は、しかし命中しない。
かすかな思考の停滞も許されない高速の戦いの中にありながら、両名とも手落ちなくきっちりと対処する。
互いに致命傷を紙一重で避ける。
刃が着衣を何度もかすめるが、皮膚への到達は一度も許さない。
「忌々しい奴め。さっさとくたばるがいい」
「そういうわけにもいかんな! 俺にはこの王国を守るという責務がある!」
「クク……ッ! そう遠慮するな!」
ヴェルが屋根瓦を踏み砕きながら、剣を横薙ぎに払う。
その鈍重な攻撃をラグクラフトは口元を引き結びつつも、受け止めた。
先ほどラグクラフトの剣を砕いたオレの一振りと同一のものではあるが、今度は衝撃を流したのか、剣は破壊されることなく耐えきる。
ヴェルの強引な剣の押し込みに、ラグクラフトは苦い顔で距離をとる。
どうやら腕力勝負ではヴェルに分があるようだ。
「なんて怪力を……。化け物か」
「礼儀がなってないな。こんな可憐な乙女に向かって化け物呼ばわりはあるまい」
間髪を入れずにヴェルが追撃にかかる。
だが、ラグクラフトも巧みな剣さばきで猛攻を凌ぎ切った。
刃同士での打ち合いを最小限に絞り、剣を合わせざるを得ない時は受け流しに徹する。
ヴェルの剣は威力に勝る分、大ぶりになりがちだ。
ラグクラフトは攻撃終わりのあってないような隙をつけ狙って懐へ入り込もうとする。
「剣だけが能ではない。〝炎の弾丸″」
ヴェルは動揺を顔に出すことすらなく、詠唱。
炎魔法を展開し、ラグクラフトの接近をはねのけようとする。
一見適当に放たれたように見える弾丸ではあるが、剣で切り裂いていては対応できないように綿密に計算された配置にしてあった。
「魔法など織り込み済みだ! この程度で俺が下がると思ったか!」
ラグクラフトは強引に突破をかける。
迫りくる弾丸を次々と撃ち落としていくが、やはりいくつかをその身に受けた。
火傷の痛みに顔をしかめるが、勢いを落とすことなくヴェルに肉薄する。
それでもやはりヴェルの表情は揺らがない。
「わかっていたとも。貴様の猪突猛進など」
パチン、と指を鳴らす。
瞬間――ばらまかれた弾丸が一気に大爆発を引き起こした。
爆風で足元の屋根が崩れ、ラグクラフトとヴェルの両者が吹き飛ばされる。
防御だけは怠っていなかったのか、煙の中から姿を現した二人のダメージは軽微だ。
ヴェルの狙いはおそらく身動きの取れない空中へ引きずり込むこと。
とは言え、ヴェルもこんな街中で魔族の証である黒翼を広げるわけにはいかないはず。
必然的に条件が同じになってしまうわけだが……。
しかし、そんなオレの予想を裏切り、ヴェルは空中で体勢を切り替える。
「爆風で空を駆けてるのか……!」
細かな炎魔法での小爆発を繰り返し、ヴェルは自在に宙を移動する。
オレが風魔法で全身のバランスをとるのとは違い、足裏での爆発が唯一の推進力。
魔族であるため空中での体勢維持に高い適性があるのだろうが、それを差し引いても驚異的なバランス能力と言える。
爆発の威力と角度を調節し、あっという間にヴェルはラグクラフトの上をとる。
ラグクラフトが撃ち落そうと斬撃を放つが、その全てを躱しきる。
そして、左手をかざして巨大な炎を生み出した。
ラグクラフトは落下しながらそれを睨むことしかできない。
「消し炭になるがいい。――〝烈火の支柱″!」
直径が十メートルを越えるであろう巨大な火柱が形成される。
人間など容易く蒸発させる高火力。
それを無慈悲に宙でもがく騎士に向けて落とす。
「オオオオオオオォォォォ――っ!」
ラグクラフトが咆えた。
剣を両手で固く握りしめ、ためを作ってから豪快に振りぬく。
今までで最大級の大きさを誇る斬撃が火柱めがけて放たれた。
斬撃は火柱のちょうど中心に命中し、真っ二つに断つ。
火柱はそのまま霧散するかのように思えた。
それに対し、ヴェルは両手を合わせるような動作をする。
それを合図に二つに割られた火柱が再度火勢を増し、左右から挟み込むようにラグクラフトを呑み込んだ。
それを見てヴェルは戦闘態勢を解く。
顔にもうっすらと勝者の笑みが浮かぶが、すぐにその表情を消した。
直後、火柱から斬撃が飛び出す。
「ちっ……!」
ヴェルは驚異的な反射神経で身を翻すが、身動きのしにくい空中というのもあって避け損ねた。
斬撃が掠め、左肩に切り傷が生じる。
ヴェルの明確な負傷を見たのはこれが初めてだった。
それだけにこれが命懸けの同格同士の戦いなのだと思い知らされる。
負傷により魔法の精彩を欠いたのか、ヴェルは屋根に着地し、時を同じくして火柱を切り刻んで、ラグクラフトがその姿を現した。
鎧の一部が熱で溶け落ち、身体にもやけどを負っていたが、戦闘の継続に何の支障もないのか、ゆっくりと立ち上がった。
悪い状況ではない。
しかし、良い状況とも言えない。
両者の実力は拮抗していた。
見たところ純粋な剣の技量に限ればラグクラフトの方が上手だが、ヴェルは炎魔法を併用することで戦力を底上げできる魔法剣士だ。
よって総合戦闘力はほとんど互角。
ここからどう転ぶかわからない。
「想像以上にしぶとい。このままでは埒が明かんな」
「ではどうする?」
「取引というのはどうだ?」
「なに? 取引だと」
思いもよらぬ提案にラグクラフトは訝しげに聞き返す。
「そうだ。貴様の行いは殺してやりたいほどに業腹だが、怒りに身を任せて本懐を見失うほど私も愚かではない。多少は気も晴れたことだしな。このままではお互い好ましくない事態になるのは明白だ。ここいらで我々を見逃す気にはならんか?」
「好ましくない事態だと? 俺が負傷を恐れるとでも? 残念だが、断らせてもらう。法を犯した者を逃がすことなどできん。それは……」
「正しい正義ではない、とでも言うのか?」
「……そうだ」
ラグクラフトはヴェルの言葉に「なぜ知っている」と言いたげに眉根を寄せた。
その返答にヴェルは白けたような表情になる。
「馬鹿げているな。正義など立場によって変わるものだ。正しいものなど何一つとしてない。それとも貴様は己こそがが唯一無二の正しい正義などとでも思っているのか? 貴様の正義など所詮は一国の法に則っているにすぎんというのに」
愚かだな、とヴェルは吐き捨てる。
ラグクラフトはそんな罵倒を無言で受け止める。
「貴様は知るべきだ。自分がいかに脆いものに身を預けているか」
「……黙れ。法は民の安寧を守る国の礎だ。法があるからこそ民は安心して暮らすことができる。お前たちの都合でむやみに乱していいものではない」
「それは否定しない。だがしかし、法の庇護を受けられなかった者に一方的に法の断罪だけを下すのは平等ではないとは思わんのか?」
ヴェルはラフィルに目をやる。
村を襲われて、理不尽にも奴隷にされてしまった少女を。
彼女の首にはまだ奴隷の首輪がついたままだ。
ラグクラフトは何も言い返さない。
「まあいい。話を戻させてもらうが……勘違いするなよ。先ほど私が言った好ましくない事態とは私と貴様の身の削り合いなどではない」
「ならば、お前の言う好ましくない事態とは一体何だ?」
「すべてだ」
ラグクラフトの困惑気味の問いにヴェルは答えを明かす。
悪魔のように邪悪に嗤いながら。
「これ以上戦いを続けるというなら、全てを焼き尽くす。もはや加減などしない。ここら一帯を業火の海に沈めてでも貴様を殺す。私にかかれば、都市一つを灰燼に帰すことなど容易い。ここから先はミネーヴァの住民全員の命を懸ける覚悟をしろ」
それを聞いた途端、ラグクラフトから溢れんばかりの怒気が立ち上る。
「関係のない人間を巻き込むつもりか……!」
「巻き込むかどうかは貴様次第だ。よもや殺し合いに良識を持ち出す気か? 命を奪わんとする相手に配慮を願い出るつもりか? それこそ恥知らずというものだろう」
ヴェルは悪びれもせず、のたまう。
「さてどうする? 法に固執し民を殺すか、己が正義を曲げて我々を見逃すか。どちらにせよ貴様の理念である正しい正義とやらからは外れるがな」
ラグクラフトが葛藤するように視線を彷徨わせる。
ふと視線を下にずらすと、衛兵たちがこちらへとやって来るのが見えた。
時間切れを悟ったラグクラフトは静かに息を吐きだし、剣を構える。
「俺が……騎士が法を破るわけにはいかん」
「やはり愚かだな。民よりもシステムをとるか」
「いいや、見捨てはしない。……魔法を使うよりも早く俺がお前を倒せばいいだけだ!」
言うなり、ラグクラフトは剣を振りかざしヴェルに突進する。
そんな真っすぐな行動を前にして、ヴェルは口を好戦的に三日月に裂けさせた。
さっきまでの白熱したような剣の様相は鳴りを潜め、元の黒色に戻っている。
ここで付与した魔法の解除? ……いや、違う。
刃の表面にはオリハルコンが放つ特有の金属光沢が見られない。
もっと異質で、凶悪な魔力の波動を滲みだす何かが剣に纏わりついているのだ。
「――〝壊神の一撃″!」
その交錯をもって決着はついた。
両者の空間をも歪ませるような気迫の割には実に静かな幕引きだった。
「こ、これは……まさか!?」
ラグクラフトが信じられないような面持ちで手元の剣に目を落とす。
古代人が作ったとされるアーティファクトは刃先が中ほどから消失していた。
残骸のひとかけらを散らすこともなく。
あたかもヴェルの剣に呑まれたかのように。
再生を促す魔法陣の輝きは弱々しく明滅するばかりで、その機能もやがて停止する。
「答える必要があるのか?」
呆気にとられるラグクラフトに、容赦のないヴェルの蹴りが炸裂する。
防ぐ間もなく騎士の身体は民家の壁を貫いた。