3-閑話3 望まぬ再会
ラフィルにとって悠真と言う少年は紛れもなく英雄だった。
なにせもう助からないと半ば諦めていたところへ現れ、颯爽と救い出してくれたのだ。
英雄でなくては何だというのだろう。
後になって本人はそのことを否定した。
ラフィルの乗った馬車をひっくり返したのは偶然だったのだと説明された。
ラフィルが乗っていたことを知っていたわけでも、計画的だったわけでもないと。
後ろめたそうに言う悠真にラフィルは「そうですか」とだけ返した。
そんな態度に拍子抜けしたような顔を悠真は見せたが、本心でそれだけだった。
――そんなことラフィルは最初から知っていた(・・・・・)。
初めてラフィルが悠真を見たとき、彼はひたすら困惑した表情を浮かべていた。
悪の組織に立ち向かうヒーローの勇ましさはなく、明らかに巻き込まれた一般人と言った風情。
間違っても裏組織にたてつくような人間ではない。
助けを求めるために手を伸ばしたのも、ほとんど反射的な行動だった。
身の危険に対し、思わず目の前の可能性に縋ってしまったのだ。
頭では助けなどないと分かっていたはずなのに、求めずにはいられなかった。
だが、悠真はラフィルの助けを求める声に応えてくれた。
気まぐれだったかもしれない。
成り行きだったかもしれない。
それでも偶然ではなく、自分の意志でその手を掴んでくれた。
途中で投げ出すことなく、最後までラフィルにとっての最善を探してくれた。
だからこそ悠真はラフィルにとっての英雄なのだ。
「冒険者、か……」
一緒にいたいがために勢いで言ってしまった。
何とかパーティーに入ることは認めてもらったが、これからどうなるのだろう。
狩人としての自負はあるが、魔物と獣とではスペックも凶暴性も違う。
所詮、狩人は狩人でしかなく、足を引っ張ってしまうのではないかという不安はあった。
加えてもらったパーティーはかなりレベルが高そうだった。
悠真はもちろんのこと、エアリスという獣人族の少女の立ち振る舞いも並ではない。
そして、そんな二人も口を揃えて「ヴェルにだけは敵わない」と言うのだ。
その強さは想像すら及ばない。
「頑張らないと」
ラフィルがこっそり決意を固めているとガチャリとドアが開いた。
悠真が帰ってきたのだろうかと、ラフィルは笑顔で出迎えるが、そこにいたのは――ウェルナーとその仲間だった。
「……え?」
駆け寄りかけていた足が止まる。
頭が混乱した。
なぜ行方をくらましたはずの男たちがここにいるのか。
警備が厳重なはずのこの場所に。
逃げなければ。
もろもろの思考をすべて捨て去り、ラフィルはそういう結論に達した。
どんな手段を用いたにしろ、ウェルナーは現実として目の前にいる。
何としてでも逃げなければならない。
(いや、それよりも助けを……!)
ここは衛兵の詰め所の建物内。
大声をあげれば、勤務している衛兵の誰かに届くはずだ。
ウェルナーによってすでに殺されているという可能性もあるが、それは極めて低い。
そんな騒ぎがあればいくらなんでも気づかないはずがない。
ラフィルは声を上げるために、短く息を吸った。
しかし、それが声となって響き渡るよりも先にその人物の存在に気づいた。
ウェルナーとその仲間の後ろに立っている男に。
「ルドルフ、さん……?」
ルドルフは歯を食いしばり、下を向いていた。
あれほどウェルナーやイヴィリースの捕縛に息巻いていたというのに、ウェルナーを止めるでも捕まえるでもなく、ただじっと立ち尽くしていた。
この一時間にも満たない短い時間で何があったのか。
「ずいぶんと手間をかけせてくれたな。だが、これが結果だ。お前は逃げられなどしない」
「ど、どうして……!」
「ふん、その様子だとやはり聞いていなかったようだな。何度か馬車で口にしていたはずだが……まあ、あの時にそんな余裕などなかったか」
どうしてここにいるのか。
どうしてルドルフは助けてくれないのか。
そんな様々な疑問を込めたラフィルの問いにウェルナーは答える。
「なに、を……?」
「お前の売却先のことだ。お前がきちんと覚えていて、その情報をあの魔術師に伝えていれば、あの魔術師もこんな迂闊な真似をすることもなかっただろうに。いや、その場合はもっと早い段階で見捨てられていたか?」
「だから何の……!」
「ザイトリッツ・ギュンター伯爵」
唐突にウェルナーがとある人物の名前を口にする。
「お前は知らないだろうが、このミネーヴァの領主だ。当然この街の衛兵にも顔が効く。お前がノーチェックでこの街に入れたのは門番の怠慢などではなく、そう通達があったからだ。まあ、事を大きくしないために通達を一部に絞っていたから、この男みたいにニーズヘッグの影をかぎつけて捕縛しようとするやつもいたが……偶然とはいえ、あの魔術師を引き離せたんだ。結果的には好都合だったな」
「そ、んな……」
事実の重さに体が震えた。
組織どころか、領主や衛兵も含めた全員がグル。
この街でラフィルの味方してくれる者など誰一人としていないのだ。
そう――あの黒髪の少年以外には。
状況を理解したラフィルは即座に駆けだした。
ウェルナーたちが固めているドアを強行突破するのは現実的ではない。
今は武器を何一つとして持っておらず、もみ合いになれば体格、人数差で確実に負ける。
ラフィルは窓からの逃走を選択した。
二階ではあるが、うまく着地を決めれば怪我はしないだろう。
衛兵が待ち伏せしていることも考えられるが、その時は屋根伝いで逃げればいい。
悠真のように軽快に移動することはできないが、鎧を身につけた衛兵相手ならば簡単に追いつかれることもないはずだ。
そして、悠真にもう一度助けを求めて――。
「……っ」
そこまで考えたとき、ラフィルは一瞬だけ足を止めてしまった。
本当に助けを求めていいのかと迷ってしまった。
ニーズヘッグは想像以上に深くこの国に根を張っていた。
こんな規模の大きい街の領主を任されるほどの貴族とも繋がりがあったのだ。
その影響範囲はもはや見当もつかない。
この街から逃げおおせたとしても諦めずに追ってくるかもしれない。
行く先々の街全てが牙をむいたとしたら、たかが個人などひとたまりもない。
エルフの女王に助けを求めるにしても悠真は連絡手段を持ち合わせていない。
冒険者ギルドを利用することもできないとなれば、直接会って訴えるしかないだろう。
しかし、そんな暇が果たしてあるのか?
どこにいるかもわからない相手に会えるのか?
自分が諦めればいいのではないか?
おとなしく捕まれば悠真を危険に晒さずに済むのではないか?
下手に歯向かえばカレンディア王国そのものを敵に回すことになるのではないか?
溢れ出た迷いが、ラフィルの行動の遅延を引き起こした。
ウェルナーはその隙を逃さなかった。
「あぐうっ……!」
窓ガラスを突き破るよりも数秒早く後ろから蹴り飛ばされる。
後ろを見ると、足を振りぬいた体勢のウェルナーと目が合った。
衝撃で体のバランスが崩れ、壁に激突した。
痛みで意識がもうろうとする。
それでも窓の方へと這って行く。
具体的な展望はなく、迷いも残ったままだ。
ほとんど無意識の内の行動だった。
しかし、それをウェルナーが見逃すはずもなく。
ほとんど進まないうちに背中を強く踏みつけられる。
「ぅあっ! うぅ……!」
痛みに歯を食いしばる。
この程度なら慣れていたはずだった。
だが、これほどの絶望感を味わったことはない。
なまじ一度助けられてしまったがために、期待してしまった。
ほんの数日前までは完全に諦めていたはずなのに、今では再び求めてしまっている。
あの暖かく幸せなひと時を。
必死で逃れようとするが、足を退けることも、這い出ることもできない。
徐々に加えられていく体重に耐えきれず、ついに抵抗をやめる。
それを見取ったのか、ウェルナーはゆっくりと足を上げると、耳元に低いドスのこもった声を投げかけてくる。
「二度も逃げられるとは思うなよ? あれだけでも俺は組織から結構なペナルティーを負わされる羽目になったんだ。次も同じことをやらかそうというなら……」
グリッとラフィルの右の二の腕を踏みにじる。
「逃げられないように両手両足を折るぞ?」
「っ……」
恐怖で体がこわばった。
それが脅しではないことは踏みにじられた腕の痛みからすぐにわかった。
必要とあらば、ウェルナーは躊躇なくやるだろう。
「ただ、それだと治療のために顧客への引き渡しが遅れる。こちらとしてもそれは避けたい。お前も骨なんて折られたくないだろう? だったらおとなしくしていろ!」
最後にもう一度強く踏みしめ、ウェルナーは足をどかした。
そして、すぐさま手が伸びてくる。
身をよじろうとするが、直前のウェルナーの言葉を思い出し、動きを止めた。
襟首をつかまれ、持ち上げられる。
息が苦しくなったが、懸命に耐えた。
ラフィルの首元に首輪がないことにウェルナーは眉をひそめる。
「ちっ、一体どうやってあの首輪を外した? 通常の首輪ならともかくあれは高純度の魔法金属と幾重にも魔法陣を刻んだ特注のマジックアイテムだぞ。生半可な方法では破壊できないはずだが……相変わらず得体のしれない奴め。おい、予備をよこせ」
「それが、あいにくここにはランクが一つ落ちたものしかなく……」
「それで十分だ。どうせこのガキには首輪の破壊なんてできない」
ウェルナーは仲間に手渡された首輪をラフィルにはめようとする。
奴隷の証である首輪を。
数年にもわたってラフィルに虚無感を与えてきた首輪を。
抵抗は……できなかった。
ガチャンと金属質な音をたてて、首輪の錠が落ちた。
◇◇◇
「それで魔術師の方はどうなっている?」
ラフィルを馬車に押し込んだ後、ウェルナーがルドルフに問う。
目下、唯一にして最大の障害である少年のことを。
「……奴隷の奪取という罪状で捜索をかけています。誘拐されていた奴隷は確保したものの、被疑者は取り逃がしたという筋書きで。衛兵二百名を動員していますが、さらに領主殿の私兵も協力してくれるとのことです……」
ウェルナーは小さく口元をゆがめる。
領主が私兵を出すのは予想の範囲内だ。
情報を握っているあの男に生きていてもらっては困るのは領主も同じなのだから。
衛兵はあくまで捕縛を前提に動くだろうが、私兵の方は有無を言わさず殺すように領主から命令されているに違いない。
「街の出入り口部分を重点的に固めろ。絶対に逃がすな」
「……っ、わかっています」
不承不承といった感じでルドルフは頷く。
領主からのお達しとは言え、裏の組織に所属する素性も知れない相手から命令を下されるのが我慢ならないのだろう。
だが、個人の感情などウェルナーにとってどうでもよかった。
領主を介した命令に背けないのはわかっている。
「これであの忌々しい魔術師も終わりだ」
いかに優れた魔術師と言えど限界はある。
しばらくは善戦するかもしれないが、いずれ魔力切れになるはずだ。
また万が一この街から逃げ出せたとしても、手元に証拠がない状態ではエルフの女王を動かすことはできないだろう。
あとは領主の方で勝手に処分してくれる。
おそらく見せしめの意味も込めて無残に殺されることになるだろう。
これ以上手を煩わされることはない。
(ふんっ、せいぜい後悔と絶望にまみれて死ぬがいい。我らニーズヘッグに歯向かった身の程知らずの愚か者にはお似合いの末路だ)
腹の底で嘲りながらウェルナーは仲間に合図を送った。
「行くぞ。領主に商品を引き渡してこの仕事は完了だ」