3-5 『殺戮姫』の噂
エアリスと合流を果たしたオレたちは宿屋に居を構えた。
いつもよりいくらかグレードの高い宿である。
人の目から隠しやすいスラムや未許可の安宿に潜伏するという案もあったが、こっちの方がかえって盲点となり、衛兵の目を欺きやすいと考えたからだ。
他にも宿泊客はいたが、オレたちに気付いた者はいない。
どうやらまだ情報は出回っていないようだ。
掴まれた情報にしたところで、せいぜい背格好や服装に関する程度のものだろう。
軽く変装を済ませているし、すぐさま露見することはない。
部屋で腰を落ち着けたオレたちはラフィルに事のあらましを聞いた。
ラフィルの故郷で起きた虐殺事件について。
数年にわたって続いた奴隷暮らしについて。
そして、オレに出会うまでの経緯について。
オレたちはそれを反芻しながら、今後の動きについて相談することになった。
部屋にはオレとエアリスの二人だけである。
貸し切りの風呂に押し込んだラフィルはともかく、ヴェルの姿がないことにオレは首を傾げた。
「ヴェルはどうしたんだ?」
「なんかラフィルの首輪を壊した後、眠いとか言って早々に部屋に引っ込んだわ」
オレはその言葉に納得した。
魔力消費の激しい例の魔法を使ったから大事をとって体を休ませているのだろう。
後でお礼を言っておかないとな。
「それにしてもどうやって壊したのかしら? 枷はともかく奴隷の首輪なんてそう簡単に壊せるはずのものじゃないのに……」
エアリスはラフィルの首にはめられていた首輪をしげしげと眺める。
首輪はやはりマジックアイテムであったらしい。
着用者の魔法を封じ込む効果か。
命令に背くと痛みが走る仕様か。
何かしらの抑止力となる力が付与されていたのだろう。
しかし今や首輪はヴェルによって壊されておりその機能を完全に停止させている。
壊れたというよりは抉り取られたといった方が正しいか?
首輪の一部がきれいに消失しているのである。
何とも不思議な断面だ。
剣で切っても、炎で溶かしてもこうはなるまい。
「あいつなら何をやってもおかしくないだろ」
「まあ、それもそうね」
エアリスは肩をすくめ、首輪の残骸を置いた。
ヴェルが不在の状況ではあるが、そろそろパーティー会議を始めるとしよう。
「エルフ狩りね」
エアリスはラフィルの話について、そう結論付けた。
「エルフ狩り……? 村を襲った連中は最初からラフィルを狙ってたってことか?」
「たぶん間違いないと思う。いくら盗賊でも村の人間を手当たり次第に殺して火を放つなんてことしないわ。そんなことしたらさすがに騎士団が動くから」
いくら費用がかさむと言っても自国の領土を侵され国が黙っているわけがない。
そんなことを許していれば国のメンツは丸つぶれになる。
「だとしたら一体誰が……いや、そもそもなんでラフィルを?」
「エルフの血を引く奴隷は高額で売れるのよ。エルフは総じて容姿が優れてるし、寿命も長いからほとんど老化しない。しかも外界に滅多に出てこないから……。犯人はその利益に目がくらんだ何者か、ということになるんでしょうね」
事件の真相は闇の中か。
ラフィルの悲痛な顔を思い起こし、奥歯を噛みしめる。
「ハーフといってもエルフの血を引いている以上、ラフィルにもその性質は受け継がれるから、最低でも金貨数百枚はくだらないはずよ。……いえ、エルフの特徴があまりないハーフだからこそ価格が吊り上がるかも」
他種族が嫌いな貴族にも需要があるというわけだ。
まったくもって胸糞悪い。
「で、これからどうしようか?」
喫緊の問題は二つ。
ラフィルを取り扱っていた奴隷商と通報を受けた街の衛兵だ。
どちらかと言うと大きな問題は衛兵の方だが、奴隷商の方の説得に成功すれば自動的に後者の問題も解決することになる。
とは言っても、これはあまり実行が現実的ではないだろう。
奴隷商を納得させるには金を積むほかない。
しかし、ラフィルの価値を差し置いても今回の一件でオレは脛に傷を持ちすぎていた。
馬車を襲い、護衛の人間を恫喝し、挙句衛兵に追われている。
示談で済まそうにもこれだけ弱みがあればまず賠償金と称して支払額を際限なく吊り上げられる。
そんな大金を出せるのは貴族か、大商人か、あるいは高位の冒険者ぐらいのもの。
ヴェルならそれだけの資産を保有しているだろうが、借りるにはあまりにも大きすぎる額だし、返す目途もないので却下。
いくら金に頓着しないヴェルでもさすがに断る……か?
なんだか頼めばあっさり出してくれそうな気もするが、後が怖いしやめておこう。
「エルフの血がネックか」
椅子に深く腰掛け、宿の天井を仰ぎ見る。
高価な奴隷だからこそ奴らはラフィルを諦めない。
エルフがフォルゲンティルド大森林とやらに引きこもるのも納得といえる。
彼ら彼女らにとって人族領に出向くのは全身に宝石や高価な装飾を身に着けて盗賊の前を練り歩く行為に他ならないのだ。
その結果、希少性が増し、さらにエルフの血の価値を上げる。
やはり当初の予定通り、逃げるしかないか。
連中が素直に諦めるとも思えないが……。
オレが頭を悩ませていると、意外なことにエアリスが首を振り、
「どうこうする必要はないわ。普通に衛兵の詰め所に行って事情を説明しましょ」
「じ、自首はちょっと……そんなことになったら尋問役の衛兵がやめてくれって泣きつくまでエアリスの名前を連呼したくなるかも」
「なんでさりげなくあたしを共犯に引き込もうとしてるのよ!」
半目で睨むエアリスをまあまあと宥める。
「そうじゃなくてラフィルの事情を説明するのよ」
「あ……っと、こういうことをオレが言うのもなんだけど、見通し甘くないか?」
この世界の法律はいろいろ緩くて、あまり人を守ってくれない。
ラフィルの身の上を話せば衛兵の同情を買えるかもしれないが、それ止まりだ。
目に見える証拠がなければ奴隷商側に「作り話だ!」と一蹴されて終わりだ。
賭けに出るには分が悪い。
「普通ならこっちが負けるでしょうね。でもラフィルはエルフの血を引いてるから」
「エルフの血を引いてるとどうなるんだ?」
「ユーマは『殺戮姫』って知ってる? 有名な噂なんだけど」
「なんだその物騒な名前は……」
冒険者の異名にしてもやけに異質で、禍々しい。
普通はもっとかっこよく、見栄えのする異名がつけられるものだ。
いや、『悪鬼』は置いといて。
「一種の都市伝説みたいなものだけどね」
そう前置きして、エアリスは話し始めた。
都市伝説といっても架空の存在ではなく、実在の人物であるらしい。
そして、実際に事件を起こした人物でもある。
始まりはおよそ二十年前から三十年前のことだ。
その頃、王国貴族の間で一つの流行が巻き起こった。
貴族とは見栄と外聞を気にする生き物で、何かにつけて自分の権威を誇示したがる。
それは精巧な金細工であったり、凶暴な魔物のはく製だったりする。
その時に起きた流行もその一環だった。
エルフ奴隷。
それが貴族たちにとっての新たなステータスとなった。
エルフは皆一様に美しく、また長命であるため奴隷の中でも人気が高い。
さらには流通量も少ないため、入手は困難を極めた。
その価値と希少性こそがまさに貴族たちの求めていたものだったのだ。
どの貴族も自分の権威を見せつけようとエルフ奴隷集めに躍起になる。
大金を積みエルフ奴隷を手に入れようとした。
やがてその利益に目がくらんだ者たちによるエルフ狩りが始まる。
エルフからしてみれば暗黒時代と言えるだろう。
この時を境に人族領に住むエルフは急速にその数を減らしていった。
――が、その暗黒時代はそう長くは続かなかった。
とある事件が起きたからだ。
その事件というのは、エルフの奴隷を所持していた大貴族が惨殺されたというもの。
大貴族だけあって屋敷にはかなり厳重なセキュリティが備わっていたらしいが、その犯人に対しては何の役にも立たなかった。
屋敷からは囚われていたはずのエルフ奴隷たちの姿が忽然と消えていた。
代わりに犯人から警告文が残されていたのだ。
すなわちエルフの血を引く奴隷を所有する者には同様の鉄槌を下すと。
その後、警告を無視した貴族が次々に大貴族と同様の運命をたどった。
どんなに質の高い護衛を雇っていても、その魔の手からは逃れられなかったそうだ。
惨殺された貴族は実に二桁にものぼる。
時には小国の王族が殺されることもあったらしい。
その凄惨な殺害手口からいつしか犯人は『殺戮姫』と呼称されるようになった。
「それ以来、『殺戮姫』を恐れて、エルフの奴隷を所持する貴族が激減したわ」
たった一人でそれだけのことをやったのだ。
その強さは計り知れない。
「犯人はまだ捕まってないし、その正体もわかってない。諸説あるけど、『殺戮姫』の正体は今代のエルフの女王というのが有力ね」
「だから犯人不明なのに『姫』の異名なのか」
殺された貴族の元から忽然と姿を消したエルフ奴隷たち。
それを考えれば当然の思考の帰結だ。
エルフの女王は同族を救うためにこんな事件を起こしたのだ。
同族をいたわり、敵には苛烈なまでの制裁を加える。
さぞ女王様は極度な人間嫌いで、偏見に凝り固まった偏屈な性格に違いない。
「今でもたまに『殺戮姫』の手口とみられる事件が起きてるわね」
最初の事件から何十年と続く犯行。
人族でも可能だろうが、やはり寿命の長いエルフの仕業と見る方が自然だ。
「エルフの女王か。どんな奴か少し興味があるな。会うのはちょっと怖いけど」
「ヴェルは以前に会ったことがあるって言ってたわね」
「ヴェルが? どんな経緯で?」
「なんでも貴族の屋敷に連れ込まれたときにタイミングよく襲撃してきたらしくて、貴族を始末して、屋敷に火を放ったとかなんとか。だから私は無実だ……って」
「それ絶対スケープゴートだろ!」
あいつの犯行が明るみに出ていない理由はそれか!?
ちゃっかり自分のやらかした罪をエルフの女王に擦り付けてやがった!
駆け付けた衛兵にも同じような言い訳を使ったんだろう。
エルフ奴隷は毎回姿を消しているそうだから、その屋敷にいなくとも最初からいなかったという証明にはならないというわけだ。
唯一否定ができる貴族本人にしても丁重に口封じされていただろうし。
もう一度過去に起こった事件を洗いなおす必要があるな。
たぶん他にも余罪があるぞ、あいつ。
「まあ、何はともあれ、ラフィルがハーフエルフであることを公開してしまえさえすれば、『殺戮姫』を恐れてラフィルの買い手がつかなくなり、奴隷商がラフィルを狙う理由がなくなる、と。どころか自分たちの命を狙われる懸念もあるから逆にゆすって金をせしめられるというわけだな。さっすがエアリス!」
「なんでゆするところまで話を持ってったの!? そして、なんでその流れであたしを褒めた! あたしはそんなこと一言も言ってないわよね!?」
だったらもう何の憂いもない。
エルフの女王の名前を出せば、ラフィルを奴隷の身分から解放することができる。
誰だって死にたくはないのだから、反対できる者はいないだろう。
事の主導権はこちら側に転がってきた。
明日あたりに衛兵の詰めどころに赴いて事情を話すとしよう。
強引な手段といえばまさにその通りだが、ラフィルが奴隷になった経緯を考えればこの程度なんてことはない。
もしかしたらラフィルの村の事件も調べなおしてもらえるかもしれない。
肩の荷が下りたすがすがしい気分だ。
ラフィルにもいい報告ができる。
オレが張りつめていた緊張の糸を緩めたところへ、誰かが階段を上る音が聞こえてきた。
軽いノックとともにラフィルがドアからひょっこりと顔をのぞかせる。
「ユーマ様! 夕食の準備ができたそうです!」
「ああ、わかった。すぐ行くよ」
頷き、立ち上がる。
さしあたってはオレの呼び方を何とかしなくてはなるまい。
いつまでも様付けでラフィルに呼ばれていたら、惨殺の憂き目に遭う恐れがある。
はたから見れば、幼いハーフエルフの奴隷少女を傅かせている鬼畜なご主人様だ。