3-4 あらぬ疑い
オレと奴隷の少女――ラフィルは屋根の上に身を寄せていた。
ここら一帯の区画はオレを捜索する衛兵であふれかえっている。
さすがに大きい街だけあって、その数も多い。
どこに移動しても、その姿が見受けられる。
オレたちは風魔法で屋根伝いに飛び回り、衛兵たちの目をかいくぐっていた。
「……さてと、どうしたものか」
いつまでも逃げ回るわけにはいかない。
今はまだ気づかれていないが、その内捜索の手を屋根まで伸ばすことも考えられる。
重い鎧を着た衛兵に追いかけっこで負ける気はしないが、大勢で来られたら分からない。
まあ、その場合も空を飛んで逃げればなんとかはなる。
とりあえず、エアリスとヴェルの二人と合流しておきたいところだ。
しかし、連絡手段を持ち合わせていないため、それは難しい。
甘味を探すとか言っていたからその類の店にいるのだろうが、ミネーヴァにある店を一軒一軒当たっていてはどれほど時間がかかることか。
「すみません。わたしのせいでこんなことに……」
「いや、自分の行動の責任ぐらい自分で持つよ」
しょぼんと身を小さくして落ち込むラフィルの自責の言葉に首を振る。
行動すると決めたのも、実際に行動したのも自分自身だ。
その責任を人に押しつけることはできない。
なんか自分のミスを隠ぺいするための行動だった気もするが……?
いやいや、ラフィルを助けたいという気持ちに嘘はなかった。
知ってしまった時点でオレが誘拐犯に鞍替えすることは決定事項だったのだ。
事故の有無はあまり関係ない。
まあ、さすがにあれは見捨てられねーよ。
あそこで見捨てていたら今後の人生に影を落とすレベルの罪悪感と後悔にまみれていた。
とは言え、今の窮地もぶっちゃけなんとかなると楽観視している。
元の世界ならともかく、この世界のオレは根無し草の冒険者でしかない。
指名手配にしろ大した効力はないと聞く。
なにせ顔写真もなく、名前もばれていない。
衛兵も殺人犯ならともかく、ただの奴隷誘拐犯を熱心に追いかけたりはするまい。
――そう、この街から出られさえすれば全部有耶無耶にできる!
そんな浅はかな算段を立てていたからこそオレは悠長に構えていられた。
下界の衛兵の動きを監視しながら方針を練る。
その傍らラフィルが窮屈そうに枷で制限された手をよじるのを目にして、
「ごめんな、その拘束具はもう少しだけ我慢してくれ。後で絶対に何とかするから」
「い、いえ、大丈夫です! 慣れてますから、気にしないでください。それよりもこのローブはお返しした方が……汚してしまったら申し訳ないですし……」
「いいからいいから。貫頭衣よりそっちの方が目立たない」
オレがそう言うと、ラフィルは困り顔で、それでいて嬉しそうに頷いた。
もちろんこれも建前で、単にぼろぼろの貫頭衣のラフィルの横で服をかっちり着こむメンタルがオレになかっただけである。
なぜか頬を赤く染めてふすふすとローブの匂いをかぐラフィルから目を外しつつ、
「早いとこ、二人と合流しないとな。ヴェルならその首輪を壊せるはずなんだ」
いつまでも動きを制限されていては不便だろう。
手枷、足枷、首輪と、これでもかというほど厳重な拘束具の数々。
特に首輪はひときわ解除が面倒そうだ。
改めて見たところマジックアイテムであるらしかった。
か弱い無力な幼い少女相手にここまで徹底的にやる必要があったんだろうか?
そもそもあの馬車にはラフィル以外の奴隷が乗ってなかった。
一人だけ載せるなんて無駄もいいところ。
事故の衝撃でほとんどのびていたようだが、中の護衛も大げさなほどだし……。
今更ながら疑問が噴き出すが、頭の片隅に追いやる。
そんなどうでもいいことに思考を割くよりも、一刻も早く仲間の元へ助け出したラフィルを連れて凱旋して……。
あれ。何か見落としてる気がする。
それも割と致命的なことを……思い過ごしか?
と、そこで建物の下を二人の衛兵が通りかかった。
どうやら情報交換をしているらしい。
見つからないように身を低くし、その会話の内容に聞き耳を立てる。
「どうだ少しは捜索の方に進展があったか?」
「駄目だな。全然見つからない。まったくどこにいったのやら」
主語はないが、きっとオレたちの事だろう。
完全に撒いていることに満足しつつ、更なる情報収集に努める。
「こんなにうまく逃げ回るってことは街のことをよく知ってる住人ってことか?」
「よせよ。馬車を襲ってまで少女を攫うような大それた変態がミネーヴァにいてたまるか。だが、そうだな。一応スラムの方なんかも回っておこうぜ」
オレは衛兵たちの的外れなプロファイリングにほくそ笑みながら……。
………。
待て待て待て待て待て待て待て待て!!?
人攫いだと!? あんまり間違ってないけど……ちょっと待て!!
「あまり遠くには行ってないはずだ。小さいとはいえ、嫌がる子供を無理やり連れて行くとなると並大抵の苦労じゃない」
「そうだな。急がねえと女の子に手を……いや、これ以上はやめておこう」
お、おい、ふざけんな、その深刻そうな顔を今すぐやめろ!
これは互いの合意の上での行動だ!
なんで!? 奴隷逃亡の扶助の罪はあってもどうして誘拐犯なんてことになる!?
「あ、あの野郎の仕業か……!?」
通報したのは戦った護衛の男かその仲間だろう。
たぶんその時にラフィルが奴隷という情報を意図的に伏せたのだ。
理由はいくつか考えられる。
外聞を気にしたとか、奴隷の逃亡より少女の誘拐の方が衛兵が迅速に動いてくれそうだとか、あるいはオレへの嫌がらせもあるかもしれない。
後で衛兵側に嘘がバレても痛くも痒くもない。
せいぜい嫌な顔をされるぐらいだ。
とんでもないことをしてくれたものだ。
逃亡奴隷は珍しくないそうだが、誘拐ともなると話は違ってくる。
街を守る衛兵も本気になるだろうし、何より――、
「えっと、このままだとお仲間の方に誤解されないですかね……?」
それが目下最大の問題だ。
これだけの大事になっていて、二人が騒ぎに気付かないはずがない。
ついさっきまではそれでいいかもと思っていたが、こうなってくると全くの逆効果。
事の真相を見抜いてくれればいいが、さもなくば……。
「だ、大丈夫。オレはあいつらを信じてる。オレを置いてけぼりにするなんて……」
普通にあり得るな。
オレの信用と向こうからの信用は別物だ。
あの二人は冒険者だけあって、判断がシビアだからなぁ。
冗談抜きで見捨てられているかも。
既にオレとの関わりを示す証拠を処分して街の外だとか……。
オレは内心でビクビクしながらミネーヴァの街と外を隔てる門の方へと目をやった。
「あの……もし、わたしが邪魔になるなら……その時は、わたしのことを捨てても……」
顔をうつ向かせながらそんなことを言うラフィル。
そんな彼女の金髪をたしなめるようにくしゃりと乱暴に撫でつけながら、
「いいわけないだろ」
至極当たり前の結論を出す。
「オレは何があってもお前を見捨てない。……だいたいお前を持ち主に返したところで解決するものじゃないだろ。だったらこのまま逃げよう。仲間の事だってそうだ。もうとっくに知れ渡ってる。慌てて取り繕ったって遅いさ」
きっとラフィルは怖かったのだ。
助かったと思いきや、一転して絶望に突き落とされるのが。
助けてくれた恩人に見捨てられるよりは自分から身を引いた方が傷は浅くて済む。
そんな負の思考の終着が先ほどの提案だろう。
「大体、そんな泣きそうな顔で言われても、説得力なんてないぞ。子供が変な遠慮をするな。素直にオレに任せとけ」
「……そう、ですね。あなたはわたしを助けようと馬車の前に立ち塞がってくれたんでした。もしお仲間に誤解されても……その時はわたしが必ず本当のことを言います!」
決意を胸に抱き、頼もしくそう言い放つラフィル。
そんな少女の、英雄を見るかのような感激した眼差しにオレは思った。
……ああ、ここにも誤解してる奴がいた。
思い返せばまだオレはラフィルに事のあらましを一切話していなかった。
ラフィルの中にはオレが咄嗟に作り上げた英雄像がそのまま壊されずに残っている。
そろそろ本当のことを明かすべきなんだろうか。
別にオレがガッカリされる分にはいいが、あまりラフィルを気落ちさせたくない。
彼女には精神的支柱が必要だ。
たとえそれがまやかしの英雄だったとしても。
ならばオレがその役を演じるのはやぶさかではない。
そう、これはラフィルに幻滅されたくないとかそういうんじゃなくて、あくまでラフィルのために仕方なくやっているのだ!
そう言い訳を終えたオレは片膝をつき、爽やかな笑みを作り、
「お前はオレが必ず守る。だからお前はオレに守られてろ」
「っ、はい……! ユーマ様!」
感極まったようにラフィルが涙ぐみながら何度も頷く。
少女からの好感度がうなぎのぼりである。
……って、悠真――様?
幼い少女に様付けで呼ばせるとか犯罪臭が増していく一方。
こんなところを誰かに見られたら間違いなく、変態の烙印を押される!
もうすでに手遅れな感じもするけれど!
「さ、様はいらないから。なんなら呼び捨てで……」
「そんなわけにはいきません! ユーマ様は私の恩人なんですよ! そんな方を呼び捨てにするなんてできるわけがないです!」
「でもそれだと……オレが社会的に死ぬ」
「? 奴隷に様付けで呼ばれるのはおかしなことではないと思いますけど……」
むしろ呼び捨てにされる方が変です、とラフィルは言った。
そういうものなのだろうか。
現役男子高校生にはきつすぎる世界だぜ……。
「どうしてもお嫌でしたら……ご主人様とか?」
オレの反応を窺うように上目遣いをするラフィル。
何一つとしてオレの望む通りの改善がなされていないが……。
「そう、だな。なんかもう……それでいいような気がしてきた」
「はい! ご主人様! えっと……夜伽はまだしたことがないんですけど、その……精一杯御奉仕しますね!」
「ああ。……あ?」
最後の疑問形は軽く流してしまったラフィルの発言の真意を問いただすためのものであったが、同時に突然の状況の変化に投げかけられたものでもあった。
お遊びに終止符を打つ昏い影が頭上から差した。
「ほう? ご主人様か。幼い少女を侍らかして、ずいぶんとお楽しみのようだな?」
ギギギ……と首を軋ませながら上を仰ぐ。
烈火と見紛うような真紅の瞳がすぐ真上から覗き込んでいた。
吐息が当たりそうなほどの超至近距離だ。
赤い綺麗な髪がオレの頬を撫でる。
「よ、よう、ヴェル。久しぶり」
「そうだな、久しぶりだ。少し見ないうちに立派な犯罪者になったものだ」
「犯罪者? な、なんのことかな? オレはただ道端で可愛い女の子を見つけたから連れまわしてるだけだぞ? 犯罪者なんて人聞きの悪い」
「それは紛れもなく、言い訳の余地なく犯罪者の所業なのでは」
ヴェルがラフィルの格好を見る。
両手両足を鎖でつながれ、首輪をはめられているその格好を。
一応オレのローブを貸してはいるが、隙間からはボロボロの服がのぞいている。
靴すら履いておらず、その素足はじかに地面についていた。
奴隷という事前情報がなければ誰がどう見ても犯罪に巻き込まれた少女の姿だった。
「状況はわかってる……よな?」
確認と願望の半々を込めて尋ねる。
オレの問いに対しヴェルは鼻を鳴らし、視線を周囲に向けた。
「適当に捕まえた衛兵から概ね話は聞いている。なんでも黒髪の魔術師が馬車を襲撃して十歳くらいの幼い少女をさらったとかなんとか」
「字面だけ見ると最低な人間の行いだな!」
もっとも内実もそう恰好のいいものではない。
ただ単に人身事故を起こして、たまたま出会った奴隷の少女を連れてきただけ。
行き当たりばったりも甚だしい。
「とは言え、私としても貴様が何の意味もなくそんなことをする男ではないというのは理解しているつもりだ。これも何かしらの事情があっての事なのだろう?」
「お、おお! そうだ、その通りなんだ! 実は……」
「大方、この娘の種族はエルフといったところなのだろう? だから貴様は連れてきた。つまりこれは単なる異種族ハーレム作りの一環だ」
「んなわけあるかっ!」
台無しすぎるだろ!
いろいろと口を慎め!
「クククク、冗談だ。そんなことを言ったら私やエアリスのことだって……」
「あ、あのどうしてわかったんですか?」
「…………は?」
「えっと……確かにわたしはエルフです。その、半分だけですけど……」
途端にヴェルの面白がるような笑みが戦慄に変わった。
無言のまま、ラフィルの耳元の髪をかき上げる。
するとその下から若干先が尖った可愛らしい耳が現れた。
ラフィルの自己申告通り、彼女はエルフの血を引いているらしかった。
ユーマの、ユーマによる、ユーマのための異種族ハーレム。
そんなヴェルの疑惑が確信に変わった瞬間だった。
「……エルフにしろ、ハーフエルフにしろ、そう簡単に見つけられるものではないはずなのだが……。まさかエルフの住むフォルゲンティルド大森林ではなく、この街に寄ったのはそういう理由があってのことだというのか?」
ヴェルは何か得体のしれないものでも見るような目をオレに向けてくる。
ここまで動揺したヴェルというのもなかなか希少だ。
でも、全然違うからな?
執念で探しだしたとかそういうのではなく、本当にただの偶然だ。
「……まさか私との出会いも計算づくだったとでも? それどころかレストアを襲った大規模侵攻さえも貴様の差し金……すべては貴様の手の平の出来事だったと?」
「やめろ、無駄に深読みするな。オレをそんな黒幕っぽい何かにするんじゃない」
あの街で起きた大規模侵攻は変異種のキマイラが原因で決着しただろ。
今になって蒸し返そうとするな。
「でもエルフってことは見た目通りの年齢じゃないのか? もしかして年上だとか?」
さすがに齢何百歳ってことはないだろうが……。
敬語とか使ったほうがいいのだろうか。
「いえ、今年で十五だったはずです」
「ふむ、合法ロリというやつか」
「黙れ、普通に違法だろ」
どうしてこの魔族はそんな変な知識に特化してるんだと思いながら突っ込む。
それにしても十五歳かあ。
幼く見えてオレとそんなに変わらないな。
年の割になかなかしっかりしていると感じたのはそのせいか。
「ところでエアリスはどうしたんだ?」
「ああ、奴なら、別の区画で貴様を探しているはずだ。合流地点を決めて、待ち合わせをしている。今からそこに向かうぞ」
「わかった。それにしてもよくオレの場所が分かったな?」
これでも追われる身だから見つからないように行動しているつもりだったのだが。
オレの質問にヴェルは肩をすくめた。
「どうせ風魔法で屋根伝いに逃げていると思ったからな。それさえ分かっていれば、下手に地上で逃げ回られているよりはるかに見つけやすい」
「なるほど」
仲間ならではの視点だ。
それならば同様の方法で衛兵に見つかる心配はしなくてもいいだろう。
それからオレたちは合流地点に向かったのだった。