3-閑話1 ガールズトーク
「どうしてこんなことに……」
エアリスはそう漏らす。
その顔には焦燥と疲労、そして若干の諦めが浮かんでいた。
エアリスはヴェルンハルデとともに街の洋菓子店にいた。
リーファム商会という新興の商会の系列店でミネーヴァでも特に人気が高い店らしい。
値段はやや割高だが、その見た目や味は貴族ですら絶賛するほどのもの。
それがちょっとしたブームとなっているそうだ。
その人気にたがわず、店の前には行列ができていた。
短くない時間待たされたものの、その甲斐はあったといえよう。
新商品として販売されていたケーキは今まで口にしてきたスイーツの中でも頭一つ飛びぬけており、多少の不満など吹き飛んでしまった。
そう、多少の不安など……。
「………」
エアリスは自分の状況を顧みて、思わず嘆息した。
そんな仲間の物憂げな様子をヴェルンハルデは目ざとく見つける。
「どうしたエアリス? ケーキが口に合わんかったか?」
「いや、あたしは別にケーキの味が気に入らなくてため息をついたんじゃないから」
「ふむ? では何が気に入らんのだ」
「あたしがヴェルに抱きかかえられている以外に何かあると思う……?」
エアリスはヴェルンルデの膝に載せられ、モフられていた。
エアリスは何度も脱出を試みたがことごとく失敗に終わっている。
ヴェルンハルデの腕の拘束はまさしく万力の如し。
いくらもがいても決して緩まず、それでいて苦しくない程度に配慮がなされている。
捕まった時点でエアリスの運命は決していた。
「……ねえ、ヴェル、離してくれない?」
「安心するがいい。ここは個室だから人目を気にする必要もない」
「そういう事じゃなくて」
エアリスは達観の面持ちで窓の外を眺めた。
頼りになる相棒の少年が助けに来てくれないだろうか、と。
しかし、そう都合よく悠真が現れるはずもなく。
さらに言えば、現れたところでヴェルンハルデの魔の手から助けてくれはしないだろう。
どちらかというと役割の交代を要求しそうだ。
エアリスはヴェルンハルデに差し出されたケーキに無言でかぶりついた。
餌付けされている気分だ。
そして、その認識は間違いでないだろう。
頬が落ちるほど美味しいはずのケーキの味が今やほとんどわからない。
無駄にカロリーを摂取するだけの行為に思える。
「大体この体勢は何なのよ……」
「ああ、これか。エアリス、貴様は猫カフェというものを知っているか?」
「知らないけど、ロクな響きじゃないわね」
「ユーマに教えてもらったのだが、猫を愛でながら飲食を楽しむ喫茶店らしい」
「ユゥゥゥウウウマァァァアアアア!!」
助けてくれるどころか、参加しそうなどころか。
そもそもの諸悪の根源だった。
後でどんな報復をしてやろうかとエアリスは百通りの復讐方法を練り始める。
「さて、せっかくそのユーマもいないのだ、腹を割って話そうではないか」
「腹を割って……?」
「ガールズトークといこう」
腹を割るよりも膝から下ろして欲しい。
そんな思いがエアリスの胸中をよぎったが、続くヴェルンハルデの言葉にかき消される。
あまりに突飛で、がーるずとーくというワードの意味を理解するまで十数秒。
「が、ガールズトーク? ヴェルが?」
「私がしたらおかしいのか?」
「おかしくはないけど……」
おかしくはないが、違和感がある。
どうにもエアリスにはヴェルンハルデがそんなものに興味があるとは思えなかった。
そんなエアリスの心情を汲み取ったのか、ヴェルンハルデは小さく苦笑した。
「私はそういうおしゃべりが好きだぞ。まあ、ここ最近はそういう話をする相手がほとんど……というか、まったく居なかったのだが」
「ああ……」
遠い目をするヴェルンハルデにエアリスは納得する。
女性の冒険者の割合は全体から見て一割から二割と非常に少なく、またランクが低い相手ではヴェルンハルデに対し、委縮してしまうだろう。
同レベルの同年代となると限られるし、そういう冒険者は総じて我が強いものだ。
ガールズトークなど望むべくもない。
「それでどんな話題にするの? 好きなスイーツについての品評とか?」
エアリスは目の前に並べられたスイーツに目を向ける。
テーブルを埋め尽くさんばかりの幾種ものケーキがそこにはあった。
ヴェルンハルデの奢りであるため金額的な心配はないが、甘いものが好きなエアリスでさえ見るだけで胸焼けしそうな量だ。
「いや、好きなスイーツの話をするのではない」
エアリスの言葉をヴェルンハルデはかぶりを振って否定した。
そして、ニヤリと明らかにガールズトークの場にふさわしくない邪悪な笑みで言った。
「好きな男のタイプについて話そう」
「………」
別に話題としてはおかしくない。
ガールズトークで提供されるものとしてはごく一般的、ありふれているものだ。
だが、なぜかエアリスは雲行きが怪しくなっていくのを感じていた。
「厳密にいえばエアリスがユーマのどこが好きかということについてだな」
「厳密すぎる!?」
図星を突かれて思わず動揺が表に出る。
そんなエアリスをヴェルンハルデは白い目で見ていた。
「……なぜそんな驚愕に満ちた声を出す。まさか気づかれていないとでも思っていたのか? バレバレだろう、あんなもの。あれで気づかないのは本人ぐらいのものだ」
「~~っ!」
その言葉にエアリスの顔が紅潮する。
気づかれていたことはもちろん恥ずかしい。
しかし、気づかれていてなお生暖かい目で見られていたこと、そして気づかれていないはずだと高をくくっていた自分が何よりも恥ずかしかった。
とにかく否定せねばとエアリスは明後日の方向に目を泳がせつつ、
「にゃ……にゃんのこと?」
「焦りのあまり、可愛らしくかんでしまっているが」
「し、知らにゃいにゃ。あたしにはにゃんの事かわからにゃいにゃ」
「あたかもそのしゃべり方がデフォルトであったかのようにして誤魔化そうとするな。もう手遅れだ。観念してすべて吐いてしまえ」
追及の手を緩めようとしないヴェルンハルデにエアリスは困窮するも否認を貫く。
自白してしまえば、この先ずっとそのネタで弄られる。
さらにはその弱みに付け込まれ、猫耳すらも弄られることになってしまう。
そんな事態を避けるべく、エアリスは無駄なあがきを敢行した。
「か、勘違いだって! ヴェルの思い違いだって! ユーマはただの友人でそこに好きとかそういう感情はないの!」
「……ほう、そうか。つまり貴様は『べ、別にあたしはユーマのことなんて好きでもなんでもないんだからね!』と主張するわけか」
「何か含みのある言い回しだけど!? ……そ、そうよ」
ヴェルンハルデは目をつぶり、何度も頷いた。
やがて目を開け、エアリスの耳元にそっと口を近づける。
「……では私が貰ってしまってもかまわないということだな?」
「ゆ、ユーマを……!?」
思わぬ返しに、それはまずいとエアリスは言葉を詰まらせた。
ヴェルンハルデは魅力的だ。
エアリスが今まで見てきた女性の中でも文句なしで断トツの美貌を誇る。
そんな彼女に迫られてしまえば、悠真が陥落しないわけが……。
「いや、エアリスを」
「……へ?」
ヴェルンハルデの腕がエアリスの胴に巻き付いた。
後ろから抱きしめられる構図にエアリスは状況が読めず、ただ呆けていた。
あるいは現実逃避だったのかもしれない。
「エアリス、実は私は初めて貴様に会った時から、ずっと魅入られていたのだ」
「……はいぃっ!?」
「その猫耳に」
「くっ、一瞬だけときめいてしまった……!」
自分の嗜好に若干の疑問を持ちながらこうではないとエアリスは頭をふる。
ここは間違っても残念がる場面ではなく安堵するべき場面だと。
しかし、その判断もいささか早計だった。
「まあ、ついでにエアリスの方もいただいておこう」
「ついで!? 猫耳のほうが本体よりも優先度が高いのはなぜ!?」
悠真といい、ヴェルンハルデといい、なぜか猫耳への評価が非常に高い。
もちろん毛嫌いされるよりは断然いいが、エアリスとしては複雑な気持ちである。
「騒ぐな。他の客になどにあられもない姿を見られたくはあるまい?」
耳にふっと息を吹きかけられる。
見やるとヴェルンハルデの紅い瞳が妖しげに光っていた。
老若男女問わずに惹きつけるその美貌を眼前にし、エアリスは思わず息をのむ。
揺らぎかけている思考に貞操の危機を感じ、必死にヴェルンハルデの拘束から抜け出そうとするが、やはり全く動く気配がない。
「ま、待って! 女の子同士なんて不毛だと思うの! ね!? 一旦、落ち着きましょ!?」
「大丈夫だ。優しくしてやる」
「いらない配慮!?」
服の中にヴェルンハルデのひんやりとした手が入り込み、蠱惑的にうごめく。
体を怪しくまさぐられ、エアリスは上ずった声で小さく悲鳴を上げた。
これ以上はまずい。
これ以上されたら「や、優しくしてね」などと口走ってしまう可能性がある。
エアリスは速やかに降伏の白旗を揚げた。
「わ、わかった! 言う、言うから! あたしはゆ……ユーマのことが好きなの! だからヴェルの気持ちには応えられない!」
「そうか。まあ、そうだろうな」
そう呟くとヴェルンハルデはエアリスの服からするりと手を抜いた。
エアリスは次に何をされるのかと戦々恐々しながら動向を見守るが、ヴェルンハルデは何をするでもなく、再びスイーツに手を付け始めた。
そのあまりにあっさりとした態度にエアリスは戸惑う。
「……あ、あれ? それだけ? さっきまでのは……?」
「もちろん冗談だが?」
ヴェルンハルデは真顔で言う。
先ほどまでの妖艶な雰囲気はどこにも見当たらず、きれいさっぱり霧散していた。
エアリスは腹の底から沸々と怒りが湧き上がってくるのを感じた。
しかし、出鼻をくじくようにヴェルンハルデが、
「ユーマが好き……だが、それにしては距離が微妙というか、今まで二人きりで旅をしていたのだからいくらでも恋仲になる機会はあっただろうに」
「べ、別に急ぐようなことじゃないし、そういうのは段階を踏んでいくものでしょ」
「なるほど。まずは仲間、次に友達、さらにメイドを経て恋人か」
「一個だけ変な過程が紛れ込んでなかった!?」
やや躊躇ってから、エアリスは続ける。
「……なんだかユーマってどこか線を引いているような感じがするのよね。あ、いや、もちろん隔意を抱いてるとかそういうんじゃなくて、何かこう……ギリギリの事はしても一線だけは越えないようにしてるというか」
エアリスは日頃、悠真から感じていることを吐露した。
ここまで口を滑らせたからには、もうはばかる必要もないと思ったからだ。
「さっきヴェルはあたしがユーマのことを好きってことに気付いていないのは当の本人だけって言っていたけど、ユーマも薄々気づいているんじゃないかと思うの。気づきつつも、気づかないふりをしているような……」
「……ふむ? あの男は貴様のことが好きだと思うがな。あえて気づかないふりをする理由はないと思うが」
「そ、そう?」
エアリスは照れながらも、ならば悠真の行動の端々の違和感はどういうことなのかと考え始め、その最中にはたととあることを思い出す。
すなわち自分だけが一方的に情報を抜かれていたということに。
自身は何ひとつヴェルンハルデの情報を得られていないということに。
「ヴェルはどうなの? ユーマのこと好きなの?」
「……さて、それでは好きなスイーツについてでも語り合うか」
「それさっきあたしが最初に振った話題! あからさまにごまかそうとしないで! ユーマのこと好きなの、それとも違うの!?」
そう言いつつ、エアリスは魔法を行使する。
嘘を見抜く勘働き。
こればかりはいくらヴェルンハルデと言えど、欺くことはできない。
魔力の波動を通して、魔法の発動を感知したのだろう。
ヴェルンハルデはわずかに片眉を上げた。
しかし、その余裕な態度は崩れず、相変わらず笑みを浮かべたままだ。
「クククク、無駄だ、エアリス。貴様のその能力がシロかクロかの判断しかできないことはわかっている。明確な答えが返ってこない限りは無効ということもな」
「ど、どうしてそれを……!?」
その見識は極めて正しい。
エアリスの能力は極めて限定的で、答えをぼかされたりすると途端に精度が落ちる。
しかし、その対処法を人に教えた覚えはなかった。
ヴェルンハルデはもちろん悠真にさえ。
「ある程度情報が集まれば、そのくらいの推測は立つ。私は知られたくない秘密を山ほど抱えているのでな。貴様の能力の把握と対策に数日は費やしたぞ」
「ぬぐぐぐぐ……」
勝ち誇るヴェルンハルデにエアリスは悔しげに下唇をかむことしかできない。
とは言え、やられっぱなしで終わらせるわけにもいかない。
どう攻略してやろうかと頭を悩ませていると、ふとエアリスは窓の外の通りのほうが騒がしいことに気が付いた。
騒がしいというか、慌ただしい。
往来を行き来する衛兵の数がやけに多い気がする。
「……何かあったのかしら?」
「さあな? 何か事件でも起きたのだろう。物取りか、人殺しか……まあ、あれこれ考えるよりは直接聞いた方が早い。ちょうど食べるのにも飽きてきたところだ」
ヴェルンハルデは店員を呼び、余ったケーキを包ませた。
代金は恐ろしいことに大銀貨一枚もしたが、ヴェルンハルデはこともなげに払う。
両手にケーキの箱をもって二人は店から出た。
「さてと……あの衛兵あたりでいいか」
ヴェルンハルデは辺りを見回したのち、若い衛兵の一人に近づいていく。
「おい、状況を分かりやすく簡潔に説明しろ」
「今は忙しい。後に……」
あまりのぞんざいな物言いにその若い衛兵は顔をしかめながら振り返るが、ヴェルンハルデの端正な顔を見た瞬間にわずかにその顔に赤みがさす。
しかし、その後ヴェルンハルデが提示したAランクのギルドタグを見てすぐに緊張したような様子を見せた。
本来いくら高位の冒険者といえども、衛兵に対して情報開示を請求する権利はない。
だが、依頼や協力を申し出る際にはその限りではない。
もっともヴェルンハルデに協力の意志はなかった。
いかにも協力するかのような雰囲気を醸し出しているが、欲しい情報を抜き取るだけ抜き取った後は知らん顔で放置するつもりだった。
「わ、わかりました。実はついさきほど馬車が襲撃されまして……」
「……なんだそれは。わざわざ馬車を襲うなど奇異なことをする奴がいるものだな」
ヴェルンハルデは明らかに興味が薄れたように小さく肩をすくめる。
しかし、若い衛兵はヴェルンハルデのそんな様子を気に留めず話を続けた。
「目撃情報によると、襲撃犯は黒髪の魔術師の少年だそうで……馬車を襲撃したのち、乗車していた少女一名を誘拐して逃亡中とのことです」
「へー、……黒髪の、魔術師の少年?」
エアリスは聞き流しかけた犯人の特徴を吟味するように復唱する。
何か引っかかる。
というかすごく心当たりがあった。
エアリスはすぐさま脳裏に仲間の少年の姿を思い浮かべた。
(……いやいや、そんなまさかね)
頭を振って浮かんだ突拍子もない考えを追い出す。
悠真が襲撃なんて大それたことをとても実行に移すとは思えなかった。
しかし、やはり気になる。
無視するには気になるフレーズが重なり過ぎていた。
「もっと他に詳細な情報はあるか?」
ヴェルンハルデもまったく同じことに思い至ったのだろう。
先ほどの興味なさげな態度を翻し、顔をひきつらせながらそう若い衛兵に尋ねる。
「え、あ、はい。どうやら連れ去られた少女は十歳前後、容姿は金髪慧眼だそうです。それと襲撃犯の少年は無詠唱で風魔法を操ったという情報があります。他には……」
「……いや、もういい。十分だ。それ以上はいらん」
ヴェルンハルデは途中で手を振り、若い衛兵の言葉を遮った。
どこか疲れたような表情をしている。
おそらく同じような表情を自分もしているのだろうとエアリスは思った。
「呼び止めて悪かったな。職務に励むがいい」
「い、いえ! お気になさらず! では、私はこれで!」
若干の名残惜しさを見せながらも、その衛兵はその場を去って行った。
それを見送りながらヴェルンハルデはおもむろに口を開く。
「……一体あの男は何をしているのだ?」
「観光に行くとか言ってた気がするけど……」
何がどうしてこうなったのか。
そんな疑問を中空に投げかけるが、当然のごとくその答えが返ってくることはない。
そして、その答えを知る少年は現在、衛兵に追われている真っ最中だ。
「……ユーマとの関わりを示す証拠をすべて処分してから、この街から出るか?」
「……準備だけしておきましょ」
エアリスとヴェルンハルデは深々と息を吐いた。
この作品は完結までの大まかなプロットを立ててから順次肉付けをする形で投稿していましたが、登場キャラが暴走したせいでプロットが崩壊しました。現在立て直し中です。