3-2 嵐の前
レストアを出発して十日が過ぎた。
いくつか村を経由して、大きな街へ到着した。
ミネーヴァ。
それがこの街の名前である。
特別珍しい産業があるわけではないが、魔物のはびこる辺境から遠ざかり王国の内陸部に入ったからか、今まで訪れた村はもちろん、カリスやレストアと比べても広大な都市だ。
ミネーヴァには二、三週間ほど滞在する予定である。
長く思えるが、この期間で旅の疲れを癒し、装備の修理を行い、路銀を稼ぐとなると、実際はわりと慌ただしくなるだろう。
それでも休息がてら観光する暇ぐらいはあるはず。
急いでばかりの旅というのもつまらない。
エアリスやヴェルからも文句が噴出するだろう。
それに精神的にも体力的にもゆとりがあった方が、かえって効率もいいはずだ。
張りつめすぎると、思わぬところで失敗してしまう。
◇◇◇
街に入ってまず冒険者ギルドに寄る。
旅を続けるうえで情報収集は欠かせない。
近辺で何か異変や事故が起きたり、危険な魔物が出没したりしていないかなど。
大規模侵攻なんて非常時は滅多に起きないまでも、情報を知っているか知らないかで対応が変わってくることもある。
そちらをエアリスに任せ、オレとヴェルは依頼の下見を行くことにした。
貼り出されている依頼のランクや報酬を大まかに把握するためだ。
日によって中身は異なるが、傾向ぐらいは知れる。
辺境ほどではないにせよ、街の規模にふさわしく集まる冒険者の数も質も充実しているようだった。
依頼も多岐にわたって存在していた。
金銭には余裕があるが、依頼は受けられるときに受けておこう。
しばらく大きな街に寄る予定はないため、ここで一気に稼いでおきたいところだ。
「Bランクの討伐依頼を中心に受ければいいか」
「Aランクのものはどうだ? 報酬が段違いだ。ちまちました依頼を受けるよりずっと効率的だぞ。私個人としてはこのバーサクレックスなんかがおすすめだ。常に錯乱したように暴れる体長が十メートルほどの魔物で……」
「自殺方法のおすすめか!? 明らかに危険そうじゃねーか!」
実力は向上したが、命を懸けたギリギリの戦いなど御免である。
同レベル以上の魔物との戦いはスキルの向上にもつながるが、その分リスクも増える。
強敵と戦いたいならヴェルに模擬戦を挑めば事足りる。
依頼なんて楽できるに越したことはない。
「そんな恐れるほどの敵ではない。図体のせいでそこまで速くなく、的も大きいから蹂躙するのにうってつけだ。私がよく暇つぶしで狩る魔物だ」
「お前の尺度で語るな……。Aランクの魔物が大したことないわけがない」
蹂躙とか暇つぶしって、間違ってもAランクの魔物相手にやることじゃない。
こいつはやっぱりAランク冒険者の枠に収まらないな。
「だいたい生息予想地点が街から二週間以上離れたところにあるんだぞ。倒せたとしてどうやって三人で素材を運ぶんだよ」
「素材? わざわざそんな物をとるのか?」
「そんな物って……素材があるかないかで報酬の桁が変わるんだけど」
その辺に出没する雑魚魔物では魔石ぐらいしか取るところがないが、Cランクより上になると一気に素材の価値が跳ね上がる。
種類にもよるが普通は成功報酬より高いのが普通だ。
「ほう、いつもは適当に魔石だけ抉って後は死体は焼き捨てていたが……そうか、素材か。そういえば貴様はキマイラの素材を持ち帰っていたな」
「ちゃんとその分の報酬はお前のギルドカードに入れてあるぞ。確認しろよ」
「保有額が十億を超えたあたりから見ていない。数千万までは端数だ」
豪気すぎるだろと思う反面、素材運びを面倒くさがる気持ちはわからなくもない。
高ランクの魔物は総じて巨体である。
一人で素材を解体して運ぶとなると、面倒を通り越して苦行だ。
ヴェルの力をもってすれば重さの問題はないだろうが、とにかくかさばる。
だからこそ冒険者は特別な事情がなければ単独で依頼を受けることを避けるものだが、ヴェルは一人でいることに拘らなければならなかった。
ギルドまで運ぶ労力を考えれば、すっぱり切り捨てるのもあり……なんだろう。
欲の皮を張って帰り道に魔物の群れに襲われて死ぬ冒険者の話も聞いた。
荷物を捨てれば対処できたのに素材を惜しんだらしい。
それに比べればましなんだろうが……。
でも苦難に直面する前から宝の山に等しい素材を破棄するなんて普通できないよな。
「まあ、とにかく魔物の素材も立派な収入源だ。お前も手加減ならぬ火加減に慣れてくれ。さすがに毎回素材を消し炭にされてばかりじゃ困るからな」
わかったわかったと空返事をするヴェル。
手綱を引くのが大変である。
下見を終え、情報収集を済ませたエアリスと合流する。
ギルドの情報網によると取り立てて周辺で何かが起きている様子はないとのことだ。
盗賊の活動が活発なわけでも大規模侵攻の予兆があるわけでもない。
いたって平穏無事であるらしい。
ギルドの外に出ると、日はまだ高く上っていた。
旅の疲れも残っているだろうということで、今日は各自自由行動となった。
「ユーマはどうするの?」
「ああ、そうだな……この街を適当に見て回ろうかな」
「街を? それって面白いの?」
わかりかねるとばかりにエアリスが首をかしげた。
別世界出身のオレにしてみれば、この異国風の街並みは見物に値する。
海外旅行とは違って言語が通じるから、ガイドなしで自由に行動できる点も高評価。
カリスは魔物の防波堤として、レストアは鉱物の発掘や加工としての役割があったため、いささか華々しさに欠けていたのだ。
「ふうん……まあ、楽しみ方は人それぞれだけど」
「露店で昼食を買いながら適当に散歩するだけだ。エアリスたちは?」
「あたしはヴェルと一緒に甘味を探そうと思っているわ」
「じゃあ、別行動にするか」
二人の方に混ざりたい気持ちもあるが、目的が少し違うしな。
無理に一緒に行く必要はないだろう。
それにこの二人と一緒にいると周りの目が少々厳しくなるのだ。
はたから見れば、とびっきりの美少女を二人もはべらす鬼畜男の構図だからだろう。
それが原因で絡まれたこともある。
女の子二人だけというのもそれはそれで絡まれる理由になるかもしれないが、この二人なら万に一つの心配もいらない。
心配するべきは二人に絡もうとする不逞の輩の身である。
「合流は五時くらいでいいか? その後宿もとらないといけないし」
「わかったわ。じゃあ五時にギルドの建物前に集合で」
今からだと四時間ぐらいか。
それだけあれば隅から隅とまではいかなくとも、街の主要な部分は見て回れるはずだ。
そこでヴェルが思い出したかのようにオレの方に向いた。
「……ああ、そうだ。ユーマ、貴族街の方にだけは近寄るなよ」
「貴族街?」
「街の中心部にある貴族の住む屋敷が集まった一帯だ」
ヴェルはそう言って街の一角を見やる。
その視線の遥か先にはひときわ豪華な屋敷が立ち並んだ区画があった。
真っ先にオレが見物しに行こうとしていた場所でもある。
「何かあるのか? できれば見に行きたいと思ってたんだけど」
「やめておけ。ロクな目に遭わんぞ」
「そうね、あんな所になんて行ったら絶対に嫌な思いをするわよ」
ヴェルの言葉にエアリスも賛同するように頷く。
そう言われると逆に好奇心が芽生える。
そんなオレの感情を見取ったのか、ヴェルが面倒臭そうに髪を撫でつけながら、
「私の友人の話をしてやろう」
「友人?」
ぼっち魔族であるこいつにそんな相手がいるのだろうか。
そんな疑問を視線で投げかけると、同じく視線で黙れと言い返された。
つまりは実体験ということですね。
「その友人はある日、道を間違えて貴族街に足を踏み入れてしまったそうだ。そこでさっさとそこを離れていればよかったのだが、不幸にも貴族に目をつけられてしまった」
ふむ、ヴェルは人目を引く容姿だからな。
そんなこともあるだろう。
もっとも中身は悪鬼羅刹のごとき悪魔だ。
「友人は、その貴族に妾になれと脅すように迫られた。彼女はその誘いを断ったのだが、当然のごとく貴族は聞き入れようとはしなかった。そして、友人はほとんど誘拐同然に馬車に押し込め、屋敷に連れ去ってしまったのだ」
「連れ去られたのか?」
オレは驚きを込めてヴェルに問いかける。
こいつがそんな大人しい性格ではないことはよく知っている。
さすがの彼女も貴族という権力には表立って逆らいにくかったのだろうか?
それともまさか本当に別人の話か?
「そうだ。私の友人は周囲に助けを求めたが、周りの人間は誰一人として聞き入れなかった。貴族に逆らえば、自分の身にも危険が及ぶからだ。そのまま貴族の屋敷に幽閉されてしまったそうだ。そして……」
「そ、そして……どうなったんだ?」
「その夜、貴族の屋敷は謎の全焼を遂げた。めでたしめでたし」
「絶対にお前の実体験だろ、それ!?」
間違いなく火事の原因は放火で、犯人は「私ではない」とほざく炎使いの魔族だ。
エアリスも戦慄したように顔を引きつらせている。
「お前、まさか指名手配とかされてないよな!?」
「何を言っている? 私がそんな凡庸なミスを犯すと思うか?」
「やっぱ実体験じゃねーか!」
ついに架空の友人を身代わりに仕立てるのを止め自分の犯行を自慢し始めた。
ああもう、マジかよ……!
まさか身内に犯罪者がいたなんて……。
元々社会不適合者だとは思っていたけど、ここまでか!
「Aランク冒険者の肩書を振りかざせば大人しく手を引いたんじゃないのか……」
「もちろん軽く警告はした。だが、その貴族は私を手籠めにさえしてしまえば、その武力すら手に入るとか馬鹿なことを考えていたからな」
「ありがちな話ね。貴族は自分が絶対的な存在だと盲信する傾向にあるから……」
挫折を知らずに育つから自分のわがままが何でも通ると勘違いするのだそうだ。
しかもそういう貴族に限って高位の貴族であるため手に負えない。
「ちなみにその貴族は……」
どうなったんだ、と口に出しかけて止める。
ヴェルの口が三日月形にパックリと割れたからだ。
その凄惨な笑みを見る限り、生きていたとしても五体満足ではなさそうだ。
とは言え、非難する気にもなれなかった。
もし仮にヴェルが抗う力を持っていなければ、そのまま貴族に飽きられるまで飼い殺しにされる未来もありえたのだから。
例え死ぬような目に遭っていたとしても、その貴族の自業自得だろう。
「まあ、そういうわけだ。貴様は男だからそんな目に遭うことはないだろうが、貴族街などを歩いていたらどんな因縁をつけられるかわかったものではない。面倒事に巻き込まれる可能性があるところへ自ら飛び込むのは愚かだろう?」
「今の話で行く気が完全に消し飛んだよ……」
これを計算して話をしたというなら大したものだ。
豪邸の立ち並ぶ市街地というのはわりと興味があったんだけどな。
遠くから眺めるだけで我慢するしかないか。
「本当にわかったのか? フリではないぞ」
「いや、よくわかったって。絶対近づかないから」
「もし貴様が何か面倒事を起こしたら即座に見捨てるからな。助けなど期待するなよ」
「見捨てるのか」
正体がばれるリスクがあるから、もめ事に巻き込まれたくない気持ちはわかるけども。
「だけどきっとエアリスなら……」
「もちろん。ユーマの骨は絶対に拾ってあげるわ」
エアリスは力強く両手で拳を握って意気込みをアピール。
でもそれだと助かってないよね、オレ。
「お前ら、もっと仲間をいたわれよ。助け合ってこその仲間だろ」
「馴れ合いばかりが仲間ではない。だが、どうしてもと言うなら、面倒事が起きる前に先手を打ってこの街の貴族を全員消しておいてやろうか?」
「なんでお前はあえて面倒への最短距離を突き進もうとすんの?」
こいつの言うことはいちいち物騒だ。
何も知らない人から見たら完全に危ない人である。
少し付き合ってみればそれが冗談だと思えるようになる。
その証拠にエアリスは過敏に反応せず流している。
もっともさらに深く踏み込んだオレからしてみれば、何割かの本気が含まれていることに気付いてしまうのだが。
まあ、今回のところは冗談で済ませるつもりらしい。
ヴェルは喉を鳴らして笑うと身を翻した。
「なんにせよくれぐれも気を付けるのだぞ」
「またあとでね」
「ああ」
オレはヴェルとエアリスに軽く手を振りながら見送った。
紅色と栗色の髪の美少女二人組が見えなくなったところで、オレも歩き出す。
「とりあえず……露店で昼飯でも買うか」
資金はそれなりにあるのだし、何かうまいものを探そう。
オレは期待に胸を膨らませつつ、雑多な人ごみへと足を踏み入れた。
――この時のオレは思いもしなかった。
まさか本当に自分が面倒事に巻き込まれるなんて想像すらしていなかった。
振り返ってみれば間抜けな発端だ。
いくつもの偶然が重なった運命のいたずらだ。
もしも未来がわかっていたなら、きっとオレはその事件を避けるべく奮闘して……。
いや、そんなことはないか。
できたはずがないし、したはずがない。
この先どのような結果が訪れるのかを知っていようと知らずにいようと、結局オレという人間は愚かに愚直に、同じ道を歩むことを選択していたはずだ。
人族最大の国家であるカレンディア王国。
その王国最強の男と対峙してでも、あの少女を救う決断をしていたのだろう。