1-4 辺境の街
草原の遥か先にぼんやりと街の姿が見えてくる。
辺境の街カリス。
それがこの街の名前だ。
エアリスとパーティーを組むことになってから移動を続けること数日。
オレたちはようやく森を抜け、街の目前までたどり着いた。
移動の最中にエアリスに聞いた話によると、オレが彷徨っていた森は世界でも屈指の危険地帯であったらしい。
深部ではオーガよりさらに凶悪な魔物が跋扈している。
オレがこれまで凶悪な魔物を避けられていたのは単に運が良かっただけのようだ。
もしオレをここに飛ばした召喚者か神がいたらいつか絶対に殴る。
カリスはカレンディア王国南東部の辺境に位置する街で、森に生息する魔物から内陸地を守る防波堤の役割を担っている。
そのため冒険者の質も他の街と比べて非常に高い。
エアリスがこの街を目指したのもパーティーメンバーを見繕うためだったそうだ。
なおこの辺りは国境付近であるにもかかわらず、関所が設置されていない。
理由は簡単、前述の通り凶悪な魔物がはびこる危険地帯が存在しているからだ。
ここを通り抜けるのは関所を通過するよりも困難であり、また関所の設置自体も危険であるため、通行は完全フリーとなっている。
別の場所にある関所にしてもしかるべき費用と身分証明さえあれば問題なく通行できるため、よっぽどやましいことがなければ無理に森を突っ切る必要性は皆無だ。
この説明をエアリスから聞き、オレはふと疑問を覚えた。
「だったらどうしてエアリスはわざわざ危険地帯を経由したんだ?」
「遠回りしたら二倍以上の時間がかかるからショートカットしようと思って」
人生をショートにカットしたかったのかな?
ペロリと舌を出してそう言うエアリスの顔には、反省の色は見られなかった。
思慮深そうに見えて案外彼女は浅慮なようだ。
もしかしたら冒険者という人種自体がそうなのかもしれない。
命を預ける対象であるところの仲間の思考にそこはかとない不安を抱きつつ草原を歩いていくと、やがてカリスの街の門に到着する。
門の前には門番の姿があり、行商や旅人らしき人間の相手をしていた。
その光景を見て一つの懸念が浮かんだ。
「……もしかして街の中に入るのに通行証や身分証なんかが必要だったりするのか? ちょっとした諸事情で身分を証明できそうなものがないんだけど」
「それなら田舎から出てきた冒険者志望って言えば仮の身分証を発行してもらえると思うわ。通行料を払っても通れるけど、冒険者になればタダなんだし、払うのも馬鹿らしいでしょ。冒険者ギルドに登録すれば身分証になるギルドタグを貰えるしね」
どうやらそれほど厳格に取り締まっているわけではないようだ。
あるいは戸籍の管理がきちんとなされていないのか。
魔法的な何かでいろいろ探られるのではと心配していたため、その点は安心だ。
「そんな口実で通れるなら警備の必要なくないか?」
「一応指名手配されていないかどうかぐらいは調べるわよ。でもあまり厳重にしすぎると人の出入りが減少するから。ただでさえ辺境なんだし」
人の出入りが減少すれば税収が落ちる。
税収が落ちれば、警備にかける費用も削らなくてはならない。
そうなると街の治安が悪化する。
それを避けるために仕方がなくといった感じだろうか。
エアリスに聞いた通り門番に「田舎から出てきた冒険者志望」と答えたところ、それ以上追及されることなく仮の身分証を発行してもらえた。
手慣れた感じを見るに珍しいことではないのかもしれない。
有効期限は五日でそれまでに正式な身分証を手に入れる必要があるが、今日中にでも冒険者ギルドに出向くつもりであるため、問題ないだろう。
門をくぐると、古風な街並みが目に飛び込んでくる。
オレはその光景に改めて異世界に来たのだと再認識し、思わず感嘆した。
「うお、すげえ……、本当にファンタジー世界なんだな」
門から続く石畳の道は街の中心まで伸び、その上をいくつもの馬車が行き交っている。
大きな通りの左右にはいくつものレンガ造りの建物が並んでいた。
まさしく中世ヨーロッパのような異国情緒あふれる街並だ。
通りでは人々の喧騒が飛び交い、賑わいを見せている。
中にはエアリスの言っていた通り、獣人族らしき人の姿もちらほらと見られた。
その目に入る全てが冒険の始まりを告げる合図のように思えて、心が浮足立つのを抑えられない。
そんなオレの内心の感動を知らずにエアリスが後ろからせっつく。
「ほら、そんなところに突っ立ってたら邪魔になるわ。さっさと行きましょ」
「まずは登録のために冒険者ギルドか?」
「その前にユーマの装備を買いに行くわ。いくら新人だからってそんな恰好でギルドに顔を出したらどやされるわよ」
言われて改めて自分の格好を見る。
ジーンズにパーカー、ゲーム風に言えば『布の服』である。
この場にそぐわない恰好であるためか、心なしか視線を感じる。
目立たない格好に着替えた方がよさそうだ。
「最低でも丈夫なローブとブーツが必要ね。それと、いくら後衛の魔術師と言っても革の防具ぐらいは着こんでおいたほうがいいわよ。各部関節と胸当てがあるだけでもずいぶん違うから。魔法の発動媒体はいらないんだっけ?」
「あー……、今はちょっと持ち合わせがないんだ。だからギルドで依頼を受けて、余裕ができてからゆっくり揃えていくよ」
矢継ぎ早にあげていくエアリスを押しとどめる。
確かに生存率を上げる防具は喉から手が出るほど欲しいが、一文無しでは仕方がない。
魔物の接近さえ許さなければなくても戦えなくはない。
「まさか一文無しだったとは……。じゃあ、はい」
エアリスはポーチから何かを一枚抜きとると、指でこちらに弾いてきた。
キャッチし、手を広げるとそこには金色に鈍く輝くコインが。
「それだけあればそこそこの装備をまとめて購入できると思うわ。それとそのお金は返さなくていいわよ。オーガから助けてくれたことへのお礼だから」
「え、いいのか?」
「もちろん。というかそんなんじゃ命の対価としては全然釣り合わないから後で改めてまとまったお金を出すわ。パーティーを組む身としても生半可な装備だと困るし」
元々街への道案内を目的に助けたわけで、他にも欲しい情報を得られたし、そういう意味では十分に対価を貰っているが、エアリスの言う事も正論だ。
装備をケチって怪我したり、死んだりしたら元も子もない。
「わかった。でもこれ以上はいらない。これで貸し借りはナシにしよう」
「た、たったそれだけ? いくら金貨でも装備を買ったら大して残らないわよ?」
「足りなくなったらその都度借金ということにしてくれ」
「……ユーマがいいならそれでいいけど」
自分の命の値段にしては安すぎるとでも思ったのか、微妙な顔をしたエアリスを連れて、商業区のある街の一角へと足をさし向ける。
ここには露店が所狭しと並んでおり、特に人通りが激しい。
客引きと商談の声があちらこちらから聞こえ、活気に満ち溢れていた。
露店を軽く見て回ったことでおおよその貨幣価値を把握することができた。
値札の数字が読めたため、商品と見比べて相場の見当をつけたのだ。
文字が読めるのは謎だが、言葉が通じてる時点でその辺は深く考えるのをやめている。
使われている通貨単位は『レンド』。
鉄貨一枚で一レンド。
その後は銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨と十進法で増えていく。
結構物価は安いが、一レンドはおよそ一円と考えて差し支えないだろう。
貨幣価値を把握したところで、装備探しに本腰を入れる。
「あ、この青いローブなんてどう? 魔物の素材で作られてるから丈夫だし、戦闘を考慮して動きやすいようになってるわ」
エアリスがローブの一つを手に取り、見やすいように広げる。
濃い青色に黒い模様の入った全体的に大人しい配色のローブだ。
「なんか地味じゃないか? せっかくならもっとかっこよくて派手なやつの方がいいな。ほら、さっき見かけた魔術師が着ていた鮮やかな赤いやつとか」
「そういうのは売名行為には役立つけど、隠密性にかけるからお勧めはしないわ」
やれやれこれだから初心者は、とでも言わんばかりにエアリスが肩をすくめる。
その仕草に軽くイラッときたオレは、
「だったらお前のその頭の派手なバンダナはどうなんだよ。それのせいでオーガに見つかって追われたんじゃないのか? 今後の安全のために剥いてやろうか?」
「ち、違うわ。このバンダナは関係ないから。あれはたまたま運が悪かっただけだから!」
バンダナをむしり取ろうとするオレの手を必死にブロックするエアリス。
あくまでバンダナの非ではないと主張するつもりらしい。
結局、オレはエアリスに勧められた青色のローブを購入することにした。
特に名を売りたいわけでもないし、実用性を重視した形だ。
一通り買い揃えたところで防具屋に向かう。
こちらは露店ではなく、きちんとした店舗のものを選んだ。
露店の方がいくらか安いのだが、店に置いてある物の方が品質に信頼がおけるそうだ。
店内には防具が整然と並べられており、目移りする。
手元にはまだまだエアリスからもらった金の大半が残っているため、選択肢は多い。
「さてと、やっぱり防具の定番と言えばやっぱり盾と鎧と兜か? あと、アクセサリー」
「何の定番よ? 魔術師は戦場の俯瞰が不可欠だから視界を遮る兜はいらないし、魔物の攻撃を受ける必要もないから盾もいらないわ。アクセサリーなんて論外、あっても邪魔になるだけよ。冒険者には一切必要ないわ」
再びオレとエアリスの間でバンダナを巡って掴み合いになったが、割愛する。
「これと、これと、これ……まあ、念のためにこれも買っておいた方がいいわね」
「お、おい、何か適当に選んでないか? ほとんど即決じゃねーか。試着するなり、店の人に聞くなりして決めた方がいいんじゃないのか?」
「失礼ね。ちゃんと性能を見ながら決めてるわよ。魔物の革素材なら下手な店員よりあたしの方が詳しいし、大きさなら後で調節できるから大体あってればいいわ」
テンポよく積まれる防具に不安になったが、そう言われてはそれ以上反論できない。
自分で選びたい気もしたが、こういうのは慣れた人間に任せた方が確実か。
オレは渡された防具を両手に抱えた。
防具は鎧のように全身を包むようなものではなく、関節や急所を守る最低限のものだ。
素材は革のものが中心で、金属はほとんど使われていない。
「金属鎧の方が防御力に優れるんだけど、ユーマの体格じゃフルプレートの金属鎧なんて着ても動けなくなるだけだから、あたしと同じ金属部分を最低限にした軽量型の装備を選んだわ。これならそんなに重くないし、動くのにも邪魔にならないはずよ」
エアリスの説明に納得する。
オーガみたいな相手に遭遇した時に装備の重みで動けないのは困る。
質の高い品だったためか、会計では所持金の七割近くが消えた。
体に馴染ませるため買った防具をローブの下に着こみ、店を出る。
エアリスはオレの格好をひとしきり眺めると、満足そうに頷いた。
高級品とまではいかないが、新人の冒険者が着るにしてはかなりいい装備らしい。
「これならギルドに顔を出しても問題ないわね」
「なんか悪いな。何から何まで」
「別に気にしなくていいわよ。パーティーメンバーのためだから」
パーティーメンバーにしても普通は初心者にここまで手厚くはしてくれまい。
そもそも聞く限りではCランクというのはそれなりに高位の冒険者であるらしいし、初心者を拾い上げる真似をしなくとも仲間集めにはさほど苦労しないはずだが……?
思い返してみれば、彼女は自己紹介の時に苗字を名乗りかけていた。
しかもそれを隠したがっているようだった。
もしかしたらそのあたりが関係しているのかもしれない。
「それじゃ、ギルドに行きましょ」
なんとなく気になりつつも聞けないまま、エアリスの後に続いた。