2-15 捻くれた思いやり
ドアのきしむ音で眠りが中断させられる。
誰かが店から出たのか、頭をもたげると閉じるドアが見えた。
虚ろな目で時間を確認すると、時刻は明け方近く。
窓の外は白み始め、あと数時間もすれば朝が訪れるだろう。
睡眠をとれたおかげでいくらかすっきりした頭をふり、店内を見渡す。
目覚めている者はまだおらず、冒険者たちの盛大ないびきの合唱で賑わっていた。
エアリスがソファに丸まっているのを見つけ、ローブをかけてやる。
行きがけの駄賃で猫耳をモフろうかとも考えたが、目を覚まさせても悪い。
それからもう一度店内を見渡し、
「あれ、ヴェルンハルデがいないな」
ひときわ目立つ髪色の少女の姿がないことに首をかしげる。
昨夜はオレが先に潰れてしまったため、その後どうしたかは知らない。
先にねぐらに帰ったんだろうか?
秘密を抱えるあいつがこんな場所で無防備にぐうすか寝るわけないし。
「さっき出て行ったのって、ヴェルンハルデだったのか……?」
夢うつつで聞いた木製の擦過音に当たりをつける。
早朝の散歩とは良いご身分だ。
「ん、ん、酒がまだ残ってるな……オレもちょっと外の空気を吸ってくるか」
深酒してしまったし、今日丸一日は休息日に当てることになる。
眠るのは後でもできると、追うように店のドアを押した。
◇◇◇
「奇遇だなヴェルンハルデ。こんなとこで会うなんて」
「私の記憶違いでなければ明確な意思をもってストーキングされたのだが」
「たまたま向かう方向が同じだったんだよ」
「そうか。たまたま屋根の上を歩き、時計台を飛び越え、ここに来たと言うつもりか」
途中でオレの存在に気づいたヴェルンハルデが意固地になって振り切ろうとしたため、ちょっとした肉体労働をする羽目になった。
追いかけっこは翼を使えないヴェルンハルデより魔法を使えるオレに分がある。
重力を振り切ったような彼女の身体能力と身軽さには辟易とさせられたが、ちょうどいい汗を流したところでヴェルンハルデは観念した。
「体を動かしたおかげで体調が戻った」
「あの程度の量の酒で調子を崩すとは情けない」
昨日はさすがのヴェルンハルデも酔ってたように思えたが……。
少し赤みが差してたし、いつもの鋭さも和らいでたためドキリとした場面もあった。
あれは最後まで生き延びた人間だけの特権だな。
「言っとくけど、飲み比べはオレの勝ちだからな? そこのとこ忘れるなよ」
「あんな終わり方で勝ちも負けもないだろう。無効に決まっている」
「っ、勝ち負けじゃねーよ!」
簡単になかったことにしようとするヴェルンハルデにオレはつい声を荒げる。
そんな言葉で否定されちゃたまらない。
方法も、手段も、過程も、そして結果すらもオレにとっては関係ないのだ。
勝ち負けじゃない。オレはただ――、
「勝ちを主張できるならすかさず獲りに行く。ただそれだけだ」
「ゴミか、貴様」
心底引いたような眼差しで、オレを蔑む魔族の少女。
そこに新たな快感を見出しそうになりつつある自分を戒める。
「私は貴様らのパーティーには入らん。諦めろ」
「お、お前、まさか約束を破るつもりか! 人として恥ずかしくないのか!?」
「絆と称し、仲間を踏み台にして己の勝利のみを掴みに行く行為は恥ずかしくないのか」
「そんなの忘れた。オレは過去に囚われることなく自由に生きたい」
「散々熱く語っておいて、それか」
報われんな、とヴェルンハルデが酒場のある方向を見ながら嘆息する。
いや、別に仲間じゃないし。
酔った勢いでいろいろ口走ってたけど名前もわからん連中だし。
あのノリはそれはそれで結構楽しかったけれどな。
「だがまあ、悪くはないものだな、こういうのも。久方ぶりに羽目を外せた」
少し冷たい風で髪をなびかせながら、ヴェルンハルデは穏やかに呟く。
昇りつつある朝日に照らされそれはとても魅力的に映った。
見惚れていた自分を誤魔化すようにオレは咳払いしつつ、応える。
「毎度毎度だと大変だけどな。以前合同で組んだパーティーは酒好きでさ、三日三晩飲んでは潰れ、飲んでは潰れの繰り返しだったよ」
辺境の中でも名のあるチームで、特にリーダーが大酒飲みだった。
とある魔物の狩り出しに付き合わされ、三日間依頼に出て禁酒したのだから三日は飲まなければならないという謎理論を持ち出された。
熱心にパーティーへ誘われたりもしたが、カリスの街を拠点にしていたため断った。
もしも事情が許せばエアリスと一緒に籍を置いていたかもしれない。
それを呼び水にオレは思い出話を一つ一つ語る。
ほんのひと月の蓄積だったが、人生で一番密度の濃い時間だったため話は尽きない。
あの時のオレは何もかもが未熟でがむしゃらに食らいついていった。
おかげで今はいっぱしの冒険者を名乗れる程度にはなった。
オレの他愛のない話にヴェルンハルデは黙って耳を傾ける。
その横顔はどこか羨ましげに見えた。
誰も寄せ付けない孤高の強者のそれではなく、一人の孤独な少女のように。
「オレたちのパーティーに入れよ、ヴェルンハルデ」
だからだろうか。
もっと遠回しに理詰めで説得しようとしていたはずがやけに率直な物言いになった。
唐突で気持ちをぶつけるだけの脈絡のない勧誘。
焦りもあったかもしれない。
何しろお互い流れ者の冒険者で連絡の取りようもない。
この機会を逃せば次は数か月後か、はたまた数年後になってもおかしくないのだ。
「……何度言えばわかるのだ。私は貴様らのパーティーになんぞ入らん。どこのパーティーにも属する気はない」
しかし、ヴェルンハルデにとってそれは予想だにしない切り口だったようで、表面上は取り繕いつつ、応答が遅れたことをオレは見逃さなかった。
とはいえ、そこを突いたところで頑なな否定にあうのはわかりきっている。
「どうしてって聞いてもいいか?」
「何度も言ったはずだ。そして言うまでもないことだ。私が魔族で貴様が人族だからだ」
ヴェルンハルデは何の感慨も込めず、事実のみを羅列する。
一度決着をつけた内容だったが、オレは口を挟まずその続きを聞く。
「貴様は関係ないと言ってくれるのだろうな。今さらそれを疑おうとも思わん。貴様は口先だけでなく行動をもってそれを証明した。正直なところそれは嬉しく思っている」
迂遠ながらヴェルンハルデなりの感謝が述べられる。
覗いた笑みにオレはつられて相好を崩すが、
「だが、ダメだ」
ヴェルンハルデは期待を裏切り、表情を消し、ノーを突きつける。
「私は魔族で人族の敵とされている。私自身は有象無象などどうでもいいが、国からしてみれば絶大な力を持つ魔族が懐に入っている状況を快く思うはずもない。私の正体を知れば躍起になって消そうとするだろう。……もちろんそれで私が死ぬわけもないが」
不敵に笑い、不遜な注釈を入れることを忘れない。
「だが、貴様らは別だ。私ほど強くない貴様らは必ず足を引っ張る」
「オレは……!」
「自惚れるな。私から見れば貴様もエアリスも要件に達していない。冒険者ランクなどという矮小な話ではないぞ? それに縛られているようでは話にもならん」
ヴェルンハルデの冷たい瞳はオレを委縮させるには十分だった。
同じことを同じような相手から言われたことがある。
元Sランク冒険者『悪鬼』オルゲルト。
ことあるごとにあの男から「調子に乗るな」と釘を刺されたのはそう昔の事ではない。
「素質があるのは認めよう。だが、所詮はそれどまり。初見で意表を突くのがせいぜいで、種を割られれば手も足も出ない。そんな半端者を引き連れてどうしろというのだ?」
辛辣だが、それでいて的を射た批評。
素質など知らないが、戦いを知ってまだ間もないオレにふさわしい内容だ。
嘲るように言うヴェルンハルデにオレは、
「……お前って結構心配性なんだな」
「なんだと?」
少しおかしい気持ちになりながらそう指摘した。
ヴェルンハルデは嘘をついていないが、本当のことも言っていない。
この彼女の本性の一端に触れた身としてはそれを看破するのはそう難しくはなかった。
「お前は恐れてるんだろ。自分の正体が知られたときに、オレたちの身にも害が及ぶのを。だからわざとそんなことを言って遠ざけようとしてるんだ」
「……わかっているなら素直に退いておけ。指摘など野暮なことをせずに」
「わかってるから退かないんだよ」
「いや、やはり貴様はわかっていない。それとも先の見通しが甘いのか?」
呆れとも苛立ちともつかぬ感情がヴェルンハルデから窺えた。
語調を強めて彼女は言い募る。
「何事にも万が一ということがあるのだぞ。今回のように何かの拍子で正体が知れることがあるかもしれん。限りなく低い確率でも人生の破滅に直帰するようなことは回避してしかるべきだ。そんなリスクを背負ってまで得るべきリターンなどない」
ヴェルンハルデははっきり言いきった。
「戦力が欲しいなら他を当たれ。私より質は落ちるだろうが、爆弾を抱え込むよりは数段ましだ。欲張ればろくなことにならん。そして、万が一の事態が起きた時にただ安堵すればいい。あの時一緒に連れて行かなくて良かった、と」
「わかってないのはお前の方だ」
ヴェルンハルデの主張の正当性を吟味するよりも前に、検証するよりも先に否定が出た。
正しさとかそれ以前に彼女は大事なものを見落としている。
オレやエアリスの感情はどこへ行った?
「その時にオレたちが感じるのは安堵じゃなくて後悔だよ。その万が一の時に自分の身が危険にさらされることを恐れてここで別れるのは、お前を見捨てることと同義だろ。そんなの許容できるかよ。そんなことしたら死ぬほど後悔するに決まってる」
知り合いが不幸に見舞われて安堵するわけがない。
どれだけ薄情な人間だと思われてるんだ。
「何度でも言ってやる。貴様らでは私の強さに釣り合わん」
「これから強くなる。手伝ってくれ」
「私に貴様らの力など必要ない。私一人で完結している」
「鉱山でドジって大爆発を起こした奴が何寝ぼけたこと言ってんだ」
ヴェルンハルデの拒絶はすでに拒絶の体をなしていなかった。
本気で断るならこんな長々とやり取りを続けず、問答無用で打ち切ってしまえばいい。
目を合わせることなく顔を背け、無関心を表明すればいい。
だが、ヴェルンハルデはそのどれもしようとしない。
だからオレも訊く。
「お前はいいのかよ。こんな貴重な機会を逃して」
「……仲間を、手に入れる機会か?」
「いや、上質な猫耳を手に入れる機会だ。自慢の一品だと自負してる」
親指を立てて見せると、疲れきった溜息が返ってきた。
しかし、最終的に意地を張り続けることが馬鹿馬鹿しく思えてきたのか、
「後悔するなよ、……ユーマ」
そう念を押し、あとは知らんといった面持ちでさっさと話を切り上げた。
初めて名前を呼ばれたなと思いつつ、返答は返さない。
後悔するかどうかはわからない。
でもオレがヴェルンハルデを恨むことだけはないだろう。
恨むとしたら軽薄に浅慮な判断を下した自分自身しかありえないのだから。
「戻ろうか、ヴェルンハルデ。そろそろ酔っぱらいたちが起きだしてくる頃だ」
「……いい加減その呼び方も長ったらしいな」
同意の代わりに返ってきたのはそんな前ふりの言葉。
続く「ヴェルでいい」という許可に、ようやくオレは愛称呼びを許されたのだった。




