2-11 地上を目指して
オレはいまだヴェルンハルデを背負ったまま坑道跡で右往左往していた。
迷子である。
道は途切れることなく、どこまでも伸びている。
うんざりするほど景色が変わらない。
坑道は放置されて長いのか、人の手が入った形跡はなかった。
枝道はなるべく上へ続いているものを選んでいるが、やはり途中でアップダウンがあって、地上への最短距離を進むとはいかない。
総合的には徐々に地上に近づいていると思うのだが、もしかしたら勘違いで地下への道を進んでいるのかもしれない。
マッピングもしておらず、地図もないため、現在位置すら不明だ。
まあ、先行きに関しては悲観していない。
元々調査は長期戦を予定していたため、予備も含めて食糧には余裕がある。
大規模侵攻で鉱山が空っぽになっているのかと思いきや、散発的に魔物と遭遇するため、肉もいくらか手に入った。
「魔力さえ完全回復したなら地上までの岩盤ぐらいぶち抜いてやる」
とのことなので、いざという時は任せよう。
できそうと人に思わせるあたり、人間を辞めている。
ヴェルンハルデは魔力回復に専念するため、しばらくは食って寝るだけの羨ましい生活サイクルを送っていたが、次第に起きている時間が伸び、その合間に魔法のレクチャーをしてくれるようになった。
彼女クラスの魔術師の授業はためになる。
「なるほど、魔力抵抗ね」
一口で言えば魔法の生成と操作を阻害するもの。
なんでも自然界に存在するものは魔力抵抗が非常に高く、操作が困難であるらしい。
そのため魔術師は魔法を使用する際、『生成』を行ってから『操作』を加える。
これが一番魔力のロスが少なく、展開スピードも速いからだ。
オレはその『生成』の手順を省略した。
これがオレと他の魔術師との魔法運用の相違点なのだろう。
まあ、ヴェルンハルデに指摘されるまで違いに気づくどころか、違いがあることすら気づいていなかったが。
しかし、自分で生み出した現象の方が魔力抵抗を破りやすいということは、操作するにしても生成から 行った方が効果を得やすいということだろうか?
ふと気になり試してみる。
風を操るのではなく、――ゼロから生み出す。
「う……む……意外と難しい」
直接操るよりも魔力を食う量が多く、時間も余計にかかる。
規模を大きくするとなると、どれほどの負担がのしかかってくるか想像もつかない。
他の魔術師はこんな手間のかかることをしているのか。
その割には操作性も良くならないし。
「相変わらずふざけた奴め。確かに誰にでもできる技術ではなく、これが魔術師になれるかどうかの分水嶺でもあるが、自然魔法を扱う魔術師ならば誰でもできる技術だ。ある程度魔法をかじった者が躓くようなものではない」
事象操作の方がはるかに負担がかかる、とヴェルンハルデは断言した。
「でもイメージがしにくいんだよ。だってそれってつまり無から有を生み出すんだろ? 質量保存の原則はどこに行ったんだ」
「無から生み出しているわけではない。魔力を現象に変換しているだけだ」
「頭ではわかってるんだけどな……」
既に最初の思い違いが定着してしまっている。
風を起こす。風を生み出す。
言葉だけを並べれば些細なニュアンスの違いとしか思えないが。
「全然違う。自分で人を殴るのと、人に頼んで殴ってもらうぐらいかけ離れている」
「表現が暴力的だな。……わかりやすいけども」
自分で殴るよりは人に頼んで殴ってもらう方が疲れない。
ただ、頼む相手と仲が悪ければ説得に時間がかかって、かえって疲れる。
どっちの労力が少ないかは人それぞれか。
例えばオレが炎魔法の使い手だったら最初の勘違いはなかっただろう。
都合よく流用できる炎が身の回りにある状況なんてなかなかあるものじゃない。
その場合は素直に生成という手順を踏んでいた。
しかし、オレが使えたのは風魔法。
空気というのは身近に存在する物質の最たるものだ。
そのために直接それを魔法に流用するという方向へ思考が流れてしまったのだ。
「せっかく教えてもらったけど、このやり方はオレには合わないな」
「無理に変える必要もあるまい。他者のやり方に合わせなければならん理由などないのだ。貴様のそれは戦闘に耐えうる技術としてきちんと確立されている」
「ま、これはこれで使い道が見つかるかもしれないから練習はしておくか」
空気のないシチュエーションなんてそうそうなさそうだけどな。
水中とかなら役立つか?
「話を戻すぞ。魔力抵抗はすべての魔法理論の根幹に関わってくる。大抵の魔法の発動様式の形の理由には魔力抵抗が絡んでいると言ってもいい」
「へえ……」
「詠唱は世界にひびを入れ、自分の魔法を滑り込ませるためにある。生成時にも事象操作の時ほどではないが、いくらか魔力抵抗は働くからな。魔法の展開位置もそうだ。魔術師は基本的に自分の傍に魔法を展開し、相手に放つ。距離が遠ざかれば遠ざかるほど魔力抵抗を破るのが難しくなるからだ」
「………」
「魔力抵抗は一説では魔力の波長の違いと言われている。人は皆、固有の魔力の波長をもっている。当然自然界の物質もな。同じ波長なら抵抗はほぼ働かないが、異なる波長同士では干渉は弾かれる。魔法に疎い者でも自己への強化魔法だけは詠唱無しで使えるのはそういう理屈だ。だから戦士にも潜在的な魔術師は多い。反対に意図的に自分の魔力の密度を操って抵抗力をあげれば、魔法をレジストすることも……」
「zzz」
「……人体発火」
「レジストォォォオオオ!」
長々とした説明でつい眠気を誘われたが、耳の横で物騒なことを囁かれて目が覚めた。
多分できないけど、気持ちだけは全力で抗っておいた。
「なんだ、きちんと聞いていたのか。私のありがたい授業を」
「その『とりあえずむかついたから火をつけよう』的な危険思想やめろ!」
「違う。貴様の被害妄想だ。私はただ呟いただけだろう。それに人が折角説明してるのにうとうとするな。二度は説明しないぞ」
「いきなり長文で説明されても頭に入ってこねーよ……」
一度で覚えられたら勉強で苦労する奴なんていない。
後でノートにでも書き留めて、見直すか。
◇◇◇
「……ヴェル」
「なんだ、急に馴れ馴れしい。貴様にその呼び方を許した覚えはない」
「エアリスがお前のことそう呼んでたのを思い出したんだよ。いつの間に仲良くなったんだ? 人見知りっぽいお前が」
「人見知りではない。用心深いと言え。獣人族ならば無用な警戒をせずに済むからな。何度か一緒に出歩いた。食事に行ったり、露店を巡ったりな」
オレ、それ知らないんだけど。
いつの間にそんな交流を深めてたんだ。
「今度はオレも誘ってくれよ。こうして苦労して運んでやってるんだ。労ってくれ」
「混ざりたいなら勝手にするがいい。ただ言わせてもらうなら苦労なら私もしている。人に背負われっぱなしというのは存外ストレスだ」
「何の文句だよ。知らねーよ。不満があるなら場所変われよ。オレはお前の翼に顔を埋めてみたくてそわそわしてるんだから」
「……今後貴様は私の背後に回れば死ぬと思え」
真剣そのものの口調でヴェルンハルデは牽制してきた。
欲望が駄々洩れすぎた。
「で、オレもヴェルって呼んでいい?」
「この流れで許してもらえると思うか……? そもそもなぜ呼び方を変える必要がある。今のままでも不都合はあるまい。これまで通り様付けで構わん」
「距離遠ざかったぞ!? 様付けなんてしたことないだろ!?」
「なんだ、その口の利き方は。敬語を使え、無礼者め。目上の人間だぞ。本来貴様ごときが話しかけていい身分ではない」
「どんどん遠ざかってるんだけど! 何様なんだよ、お前は!?」
魔族の国の上級階級出身だったりするのか、こいつ?
偉そうな態度は貴族的ではあるけれど。
「ほら、ヴェルンハルデってさ、名前の響きはいいんだけど、長いし、仰々しいし、気軽に呼びにくいんだよ。呼ぶ側の気持ちになってみろ」
「貴様こそ知らない人に愛称を呼ばれる側の気持ちになってみろ」
「待て! ついにお前の中からオレという存在が抹消されてなかったか!?」
死闘も和解も忘却の彼方へ葬り去ろうとするヴェルンハルデに食って掛かる。
それを軽くいなし彼女は冗談とばかりに肩をすくめ、首を傾げた。
……おい、なんで首を傾げた。
「貴様の名前、なんだっけ?」
「どこまでオレに関心がないんだ!?」
本気でオレの名前覚えてなかったのか?
名前がわからなかったから貴様呼ばわりしていたのか?
「冗談だ。もちろん覚えているとも。忘れるわけがない。この私の記憶力をもってすれば過去の情報などいくらでも掘りおこせる」
「それ、忘れてるに等しいよな」
「忘れてなどいない。記憶には残っている。確かユー……」
ようやく答えが捻り出されるが、ヴェルンハルデは最後まで言い切らなかった。
そして、そのまま黙ってしまった。
あと少しのところだというのになぜ諦めたんだ?
最後の一文字がわからなかったのか?
怪訝に思って首だけ振り返る。
すると、なぜかめちゃくちゃ嫌そうな顔をしたヴェルンハルデと目が合った。
「そうか。常々気に食わんと思っていたらそういう事か」
「あん?」
物憂げに目を細めるヴェルンハルデ。
それからそっとオレの首筋に手を添えると、悪意の滴る微笑で、
「話しは変わるが私は今、貴様の関節の可動限界に並々ならぬ興味が沸いている」
「何する気!? オレの関節にどんな仕打ちをする気!?」
「いいだろ、一つくらい」
「オレの身体に蔑ろにしていい関節は一つとしてない!」
えーい、離れろー、と背中に憑りついた悪魔を振り落とそうとするが、首にがっちりと腕が食い込んでいて離せそうになかった。
肉食獣に噛みつかれた獲物の気分だ。
もう自力で歩けるぐらいの元気はあるんじゃないか?
歩くのが面倒だからって理由で居座ってるんじゃないよな。
「なんだよ。オレの名前が何なんだ」
「深い意味はない。ただ単に貴様の名前……と顔とその性格、つまりは存在が気に入らんだけだ。気にするな」
「全否定じゃねーか!」
「なんでもない。……なんでも、ないのだ」
ヴェルンハルデはオレのローブに顔を伏せ、何かを思い出しているようだった。
よくわからない感情が背中越しに伝わってくる。
顔を見られないからうまくコミュニケーションがとれない。
不便さを覚えながらも、もう一度名乗っておいた。
「……悠真だよ。今度は忘れるな」
「忘れていない」
まだ言い張るのか。
プライドが高いとかじゃなくてただ頑固なだけだな。




