2-閑話1 悪魔少女の回想 前編
長くなったので前後編に分けます。
我ながら情けない体たらくだった。
「……っ、待って! 撃っちゃダメ!」
ストーンモンキーに火球をぶつけようとしたまさにその間際。
焦った様子のエアリスが鋭く叫んだ。
すでに魔法が手から離れてはいたが、実のところ止めようと思えば止められた。
だがこの状況から魔法をキャンセルする必要性を見出せず、ヴェルンハルデはそのまま攻撃を続行することを選択したのだ。
案の定、回避も防御もできないまま身を焼き尽くされるストーンモンキー。
一匹が冷静な判断力を失い、狂ったように体を坑道の壁にぶつけていたが無駄なあがきと考え、止めようともしなかった。
自分がしくじったとを理解したのは、剥がれ落ちた壁からむき出しになった赤い鉱石が大爆発を起こしてからだった。
だが、それに気づいた時にはもはや手遅れ。
爆発が爆発を引き起こすという悪循環。
手の打ちようがなくなるほどの大惨事を招くこととなった。
爆発の余波で地面は地面に及び、ヴェルンハルデは悠真と共に崩落に呑まれた。
(なんだ……? なんだ、この醜態は……!)
ヴェルンハルデは自分自身を絞め殺してやりたくなった。
偉そうに悠真に釘をさしておきながら、真っ先にパーティーの足を引っ張ったのは他でもない自分だった。
可燃性の鉱物の存在は偶然だったにせよ、閉鎖空間である坑道内で爆発の危険性を考慮せずに炎魔法を使うなど、駆け出しの冒険者ですらやらない痛恨事だ。
原因は経歴の特殊さにある。
Aランクと言えど、ヴェルンハルデの冒険者の経歴は短い。
戦闘面はともかくそれ以外の知識に乏しかった。
なまじ、戦闘面において苦労したことがなかったため、彼女自身も気にしなかった。
そのツケを今払わされているのだ。
余人に比べてひときわ高いプライドは断じて己の失態を赦さない。
ヴェルンハルデは落下しながら服の背中を素早く炎で焼いた。
材料はドラゴン革製であるため、そう簡単には燃えないのだが、背面部分だけは不測の事態に備え、焼いてすぐ翼を出せるように普通の布を使っている。
わずかに炎が皮膚を舐めたが無視する。
窮屈に押し込められていた黒い翼が久方ぶりの開放を得て、力強くはためいた。
一緒に穴に落ちた不運な同行者の姿を探すと下の方にライトの光を見つける。
あちらもこちらの存在に気付いたのか、顔をハッとあげた。
ヴェルンハルデは悠真へ手を伸ばした。
勘違いのないように言っておくが、ここで悠真を助けるのは義侠心といった類の感情に突き動かされたなどではなく、酷く独善的な理由だ。
もし仮にこの危地が悠真もしくは、他の外的要因によってもたらされたのであればヴェルンハルデは刹那の逡巡もなく見捨てていたことだろう。
これはあくまで尻拭いに過ぎない。
自らが犯した不始末の始末をつけるだけでそこに何の思惑も介在しない。
ヴェルンハルデは葛藤にそう決着をつけて闇の中を突き進む。
危惧していた想像をなぞらえるように、悠真は背中の黒い翼を確認するや否や、愕然とした表情で動きを止める。
しかし、それはヴェルンハルデにとってその反応は予想通りそのもの。
淀みない動作で悠真の体を捕まえにかかる。
パニックに陥って暴れられては邪魔なため、いざという時は意識を落とすことも考えていたが、悠真に動揺こそあれど、恐怖といった負の感情の色はなかった。
どころか横穴を見つけるなど、冷静さすら見せる。
そのことにそこはかとない違和感を覚えたが、すぐに打ち消す。
極限状態にいるせいで魔族という対象に気を回す余裕がないだけだろうと考えた。
そして桁外れの身体能力、圧倒的な戦闘経験に裏打ちされた観察力を生かし、襲い掛かる落石の脅威を退け、横穴の中へと無事に逃げ込んだ。
だが、このまま仲良く地上へというわけにはいかない。
悠真によって自身が魔族であると密告されれば、国に追われることになる。
出会って数日の人間を信用することなどできるはずもなかった。
ヴェルンハルデは腕の中の悠真を勢いのついたままに地面へと投げ捨てた。
投げ捨てられた直後、悠真は何が起こったかわからないという顔をしていたが、地面にぶつかるや否や絶叫をあげながら転がった。
地面に落ちていた石で体を擦りむいたのか、ローブは破れ血が滲んでいた。
さぞ強烈な痛みが体を苛んでいることだろう。
しかしこの時になっても、悠真の顔に浮かんでいるのは恐怖ではなく困惑だった。
どうしてこんなことをされるかわからない。
敵対する理由など何もない――と。
「貴様は今、私に言うべきことがあるのではないか?」
「オレにはお前が何を言いたいのか、さっぱりわからないんだけれど」
「この期に及んでしらばっくれるつもりか?」
ヴェルンハルデは悠真に現状を再認識させるためにそう言った。
憎しみ、嫌悪、恐怖、なんでもいい。
負の感情をさらけ出して襲い掛かってくれれば、この後の処理もやりやすい。
「貴様がどうして痛い目に遭わされたか、わかっているはずだ」
「お前がドジだからだ」
「違う」
「地上までの足代わりに使おうとしたのがむかついたとか?」
「私はそこまで狭量ではない」
「あとは不可抗力でお前の胸を……触ったような、触ってないような。どうだっけ? 微かなふくらみはあった気がするけど感触が思い出せない……」
「どうやら新たに貴様を八つ裂きにする理由ができたようだ……!」
こうではないとはわかっていながら、ペースを乱される。
ヴェルンハルデは場の空気を仕切りなおすために軽い威圧を込めて脅した。
「いい加減、誤魔化すのをやめろ! 私のこの翼……いや、正体についてだ。すでに察しがついているのだろう! 私が何者なのか!」
「あ……ああ、その姿を見ればヴェルンハルデが魔族だってことはわかる。けど、オレはお前が魔族だからと言って気になんてしないぞ? 知った時は驚いたけど、珍しいなってぐらいで、もちろん周りに言いふらすなんてことも」
態度を変えず困ったように頭をかく悠真にヴェルンハルデはまず呆気にとられ、次に可笑しさがこみあげ、最後に怒りが塗りつぶした。
(くだらない時間稼ぎか)
常識にそぐわない悠真のスタンスをヴェルンハルデはそう解釈した。
理解不能なものにわかりやすい解を与える。
この場を凌ぐための上っ面だけの友好的なふり。
道化の滑稽な悪あがき。
その名演技には拍手を送りたくなるが、わかってしまえば苛立ちが募るだけだ。
「――黙れ」
ヴェルンハルデは殺気をばらまいた。
本気の混じりけのない純粋な殺気で、耐性がない者が食らえば恐慌状態は免れない。
しかし、悠真は耐えきった。
歯を食いしばりながらも堪えた。
それはヴェルンハルデにとっても意外なことだった。
(……それなりの修羅場を潜り抜けてきたらしいな)
黒髪の少年の実力を上方修正する。
エアリスが言っていた通り、それなりにやるのだろう。
「その程度で済むわけあるか。助かりたいからといって適当なことをぬかすなよ」
「ヴェルン、ハルデ……?」
「人族と魔族だぞ。水と油以上に相容れない組み合わせだ。気になんかしないだと? 信じられるわけあるか、そんな戯言」
ヴェルンハルデはそう吐き捨てる。
悠真……というよりはむしろ自分自身に言い聞かせるように。
『もしかしたら』なんて淡い希望など持つな。
この場限りの戯言に耳を貸すな。
街に戻り、安全が確保されたならば真っ先に言いふらして回るはずだ、と。
「待て! オレはお前と戦う気はない!」
「それは好都合だ。余計な手間が省ける」
この期に及んで悠真はそんなことを言った。
目は真剣そのものだったが、ヴェルンハルデはバッサリと切り捨てる。
悠真の言葉を信じることができなかった。
今までの積み重ねが、染みついた常識が信じることを拒否した。
――人族と魔族は仲良くなどなれない。
「悪いが口をふさがせてもらう」
ヴェルンハルデは残った胸のしこりを断ち切ると、いまだに逃げようとも戦おうともしない人族の少年に向かって冷たく言い放った。
◇◇◇
人族が魔族を嫌うのと同様に、人魔戦役の戦列に並んだ魔族も人族を嫌っている。
そしてその条件に当てはまる魔族であるヴェルンハルデも人族が嫌いだ。
……が、嫌っているだけだ。
片っ端から殺したいと思うほど憎んでいるわけではない。
元々ヴェルンハルデには人族に大事な人の命を奪われたとか、耐えがたい屈辱的な仕打ちを受けたとかそういった事情はない。
戦争に参加したのはほとんど成り行きである。
あるいは立場上の責務というべきか。
ともかく個人の感情はない。
無論戦場に赴けば殺し合いになったが、それは戦いの結果でしかない。
自らの意志で戦いに出た以上、その結果がどう転ぶのであれ、恨むのも恨まれるのも筋違いだとヴェルンハルデは考える。
しいて言うなら巡りあわせの悪さ、自分の運の無さを恨むべきなのだ。
もっともこれは強者ゆえの傲慢な発想だろう。
力なき者は踏みにじられ、奪われる。
だからそこには畏れや憎悪といった感情が生まれる。
比類なき強さをもつヴェルンハルデにとってそれが無縁のものであったというだけだ。
彼女にとって遥か高みの敵など存在せず、人魔戦役という戦いの場が無くなれば敵はもはや敵視するほどの対象ではなくなった。
戦争からすでに少なくない時間が経過している。
魔族と人族の戦争と言えど、前線で刃を交えたのは戦場に赴いた各国の兵士だけ。
ほとんどの者は戦いとは無関係に過ごしている。
そんな者にまで無差別に手を下そうと考えるほどヴェルンハルデは屈折していなかったし、祖国への愛国心も持ち合わせていなかった。
そうでもなければ、人族領で暮らすなどできはしなかっただろう。
それでも普段から人を避けるのは、己の正体が露見することを恐れているからだ。
魔族だとばれ、討伐されることを恐れているのではない。
その気になればたとえ軍隊相手だろうと無傷で勝つことができる自信がある。
どんな英雄が敵に回ろうと本気で臨めば勝利を収められるという自負がある。
ヴェルンハルデは何よりも恐れていること。
それは周りから恐れられることだ。
人々に恐怖され居場所がなくなることを恐れている。
とある事情により、ヴェルンハルデは魔族領に戻れない。
人族領にしか居場所はなかった。
だが、魔族という正体がばれてしまえば、それも叶わなくなるだろう。
人族の魔族への恨み、恐怖の根は深い。
一度も魔族を見たことさえない者でも極度に魔族を恐れている。
いや、見たことがないからこそなお恐れているのだろう。
子供の教育にも「悪いことをしたら魔族に食われる」という風に使われるほどだ。
ともあれヴェルンハルデは絶対に正体を知られるわけにはいかなかった。
知られたならば口を封じる必要がある。
消すことも考えたが、発端が発端だ。
自分のミスで秘密を暴露しておいて、命を奪うというのはフェアではない。
それだけはヴェルンハルデのプライドが許さなかった。
(ならば記憶を奪う――この手で破壊する)
ヴェルンハルデは自然魔法である炎魔法に加え、固有の技能魔法を持っていた。
その名は『破壊魔法』。
名の表す通り、物質や魔法に始まり、ありとあらゆるものを破壊する魔法だ。
人の持つ記憶もまた例外ではない。
反則じみた魔法ではあるが、もちろん欠点はある。
魔力の消費量が尋常でなく大きいのだ。
今のヴェルンハルデの魔力量をもってしても、基本的に使えるのは一日一度きり。
過剰使用のペナルティーは魔力切れで払わされることになる。
この魔法をもってして、悠真の記憶を『破壊』する。
ただし、この行為にはリスクがある。
記憶というあいまいな部分に干渉するため、狙いが定まりにくいのだ。
破壊対象の記憶のみを選んで破壊するなど不可能。
十中八九、余計な部分の記憶も失われる。
記憶は人格の形成において大きな役割を担っている。
それを破壊するということは、すなわち人格の変容につながる恐れがあるということ。
下手すれば廃人もあり得た。
ヴェルンハルデに言わせればそれは形を変えた死だ。
殺すよりはいくらかマシ、といった程度でしかない。
だが、やらないわけにもいかない。
他人と自分、どちらを優先すべきなど火を見るより明らかだ。
まずは動けなくなるまで痛めつける。
ヴェルンハルデは手のひらに炎を灯した。