1-3 冒険者エアリス
パチッパチッ、という焚火の火の粉がはじけ散る音で目を覚ます。
あたりはすでに真っ暗になっていた。
オレは起き上がろうと体に力を入れるが、体のあちこちに鈍い痛みが走る。
その痛みに思わずうめき声が漏れた。
自分の体を見下ろすと、外套が掛けられていた。
見覚えのないそれを取り払うと、自分の体があちこち負傷しているのが目に入る。
服やズボンにもところどころほつれや血のにじみが見られた。
とは言え、怪我自体はたいしたことなく、すでに血は止まっているみたいだ。
「ん、目が覚めたのね」
唐突に声をかけられる。
オレはそこで焚火の近くにあの赤いバンダナの少女がいることに気付いた。
少女は手近にあった枝を焚火に放り込むとこちらへ近づいてきた。
「傷は大丈夫? どこか痛んだりしてない?」
「え? あー、えっと……少し痛むけど、大丈夫みたいだ」
「一応、見せてもらうわね。……うん、触ってみた感じ骨に異常はないみたい。気になるようだったら、ポーションがあるけど使う?」
少女はペタペタとオレの体を軽く触診した後にそう尋ねてくる。
その口ぶりから傷を治せる類のアイテムだと思うが、見せられた瓶の中身の見慣れない色や温存の観点から使うのは気が引けた。
「ほっとけばその内気にならなくなるだろうからいい。それよりも……」
「ああ、ごめん。ちょっとその前に先に言わせてくれる?」
オレが口に出しかけた言葉を少女が手で押しとどめる。
それからたたずまいを直すと、頭を下げた。
「助けてくれてありがとう。あなたのおかげで命拾いしたわ」
突然の少女の感謝の言葉に戸惑う。
こんな展開を期待していたのだが、畏まってお礼を言われると何か居心地が悪い。
オレは所在を失った手を首の後ろにやりながら、頭を振った。
「いや、気にするなよ。命拾いはお互い様だ。オレも遭難していてちょうどあの時、人を探していたんだ。いくらか打算もあったし……。だからそこまでオレが傷だらけになりながらもあの化け物を叩きのめしてお前を助けたことは恩に思わなくていい」
「記憶の改変が起こってるわよ」
少女のジト目がオレに突き刺さる。
とても命の恩人に向ける目ではなかった。
「あなたがボロボロになったのは空中で魔力切れを起こして森の中に突っ込んだからだし、オーガは倒すどころかダメージすらほとんど与えられなかったじゃない」
ほら、と少女が指し示すのに従って上を見上げると、覆い茂る木の枝の一点だけぽっかりと人間サイズの穴が開いており、そこから夜空がのぞいているのが見えた。
視界の中を舞う木の葉、遠ざかっていく青い空、体を打ちつける木の枝。
おぼろげだった記憶が蘇ってくる。
……おかしい、オレが思い描いていた救出劇と何かが違う。
「あれ、でもあの高さから落ちた割には、そっちはあまり怪我してないような」
「あたしはほら、身軽だから。空中で体勢を立て直しつつ、木の枝を手でつかんだり、足で踏みつけたりして、徐々に衝撃を和らげながら着地したのよ」
うすうす気づいていたが、こいつの身体能力はとんでもないな……。
こともなげに言うが、どんな特殊訓練を積んだらそんなことができるようになるんだ。
オレとそう変わらない年齢だろうに。
この世界はデフォルトでそれぐらいできないと生き延びられないのか?
「あの魔物……オーガだっけ? あいつはどうなった?」
「そのことなら安心していいわよ。おかげさまできちんと振り切れたから」
「そうか……。ならよかった」
少女の言葉を聞き、ほっと安堵の息を吐く。
悠長に焚火を囲んでいる時点で安全であろうということはわかってはいたが、やはり確固とした保証を貰うまでは不安だった。
「ずいぶんと無茶したわね。ええっと……」
「ああ、オレの名前は夕……悠真だ。よろしく」
苗字を名乗りかけて、やめる。
異世界モノでは苗字を持つのは貴族だけと相場が決まっていることを思い出したからだ。
考えすぎかもしれないが、警戒するに越したことはない。
無用な勘繰りをされても困る。
ただでさえ、身分証明が不可能な異世界人なんだしな。
残念ながらオレはそんな見え透いたトラップに引っかかる男じゃない。
「あたしはエアリス・アルド……っ! エアリス! そう、ただのエアリスよ!」
「………へ、へえ」
突っ込まねーぞ!
オレはそんなトラップに絶対に突っ込んだりしない!
「なるほど、ユーマね。ここら辺ではあまり聞かない珍しい名前だけど」
「出身地がここからちょっと遠いところにあるからな」
「ここから遠いところ? となると……トルメニア公国とか、ゴスペル帝国とか、それともロザンビークあたりの小国群出身?」
「東の方にある国の出身なんだ。結構遠くにあるし、小国だから知らないんじゃないか?」
これもまた定番ともいえる返しをしておく。
別の世界だし、知っているはずがない。
なんて楽観的に考えていると、エアリスが何やら難しい表情でこちらを見つめていた。
「ここよりも東って……まさか魔族領? そう言えばその格好、あまりここら辺で見ないものだし……もしかしてあなたは魔族だったり?」
「……ちなみにもしもオレがその魔族とやらだったらどうなるんだ?」
「そりゃ騎士団による大捕り物が始まって、捕まったら公開処刑ってところじゃない? 十数年前までは勇者と魔王を旗頭に争ってたんだし」
こともなげに言うことじゃないんだが。
魔物の次は人間に追い回されることになるなんて笑えない。
「ごめんごめん、魔族が人族領にいるわけないわよね。気を悪くしたなら謝るわ。空を飛んだりなんかしたからあたしもまだちょっと混乱してて……でも、あれは本当にどうやって飛んでたの? 風魔法、だったわよね?」
そう言って踏み込んでくるエアリスのアンバーの瞳には強い興味の色がうかがえた。
そんな彼女の反応に内心で首を傾げつつ肯定する。
「見ての通り風魔法だよ。普通の人間が魔法も使わずに空なんて飛べるわけないだろ?」
オレの知る普通の人間はそもそも魔法なんて使えないなんて前提は忘れた。
我ながらこの世界に大分毒されつつあるな。
転移した初日は魔法やら魔物やらの存在に一喜一憂していたものだが。
「普通は魔族でもなければ空なんて飛べないわよ。いえ、魔族も背中に黒い翼をもっているからこそ飛べるわけで、魔法だけじゃ飛べないはず。人族や獣人族はもちろん、魔法に秀でているエルフでさえ不可能なはず、なんだけど……」
じーっとエアリスが探るようにオレの顔を見つめてくる。
そんな目で見られても特別変わったことはしているわけではない。
ただ単に風を操って体を浮かしただけである。
簡単だったとは口が裂けても言えないが、魔法を習得したばかりのオレにできるなら何年も魔法に触れているこちらの人間にだってできるはずだ。
もしやチートの部類なのかと思い直しかけるが、一旦脇にどける。
今はそんなことよりも遥かに気になる内容がエアリスの言葉の中にあった。
「ところでエアリスさん。この世界……いや、この国には獣人族がいるのか?」
「なんでさん付け? まあ、正確な数まではわからないけど、それなりにいるんじゃない? 特にここらは王都からも遠く離れた辺境なんだし」
「獣人族っていうのはアレだよな? 一見、人間に見えるけど、実は獣耳と尻尾を生やしているようなやつだよな! やけに体毛が毛深かったり、二足歩行した動物がしゃべったりしているようなやつじゃないよな!?」
「そ、それはそうでしょ。何わけのわからないこと言ってるのよ……?」
なるほどなるほど。獣耳っ娘、エルフっ娘に恐らくは悪魔っ娘か。
さすがは異世界、脱帽のラインナップだ。
異世界と言えばやはり異種族との交流は外せない。
あまりに人類とかけ離れていたら交流すらおぼつかないだろうが、エアリスという前例がある以上、そうそう人型から逸脱しないだろう。
オレがこの世界に来た理由はあるいはそこにあるのかもしれなかった。
「それでこれからユーマはどうするの?」
「とりあえず近場の街まで行こうと思ってる。できれば送ってくれないか? 道がわからなくて困ってたんだ。その後は……お金を稼ぐ手段を探すかな」
最終目標に元の世界への帰還を据えつつ、せっかく異世界に来たのだからいろいろと見て回りたい気持ちもある。
この世界に居座るわけにはいかないが、ちょっとした観光くらいなら許されるだろう。
だが、何をするにしても当面の生活費がなければどうしようもない。
「道案内ぐらい全然かまわないわよ。どうせあたしも街に向かってるんだし。それとお金を稼ぐ手段なんだけど……」
ふむ、といった感じにあごに手を当て悩む様子を見せるエアリス。
何度かチラチラとこちらを見ていたが、やがて意を決したように頷き、
「だったら冒険者になってあたしとパーティー組まない?」
「冒険者? 冒険者っていうのは……」
「うん。知っての通り依頼を受けて魔物を狩る職業よ。魔物の討伐以外にもいろんな種類の依頼があるんだけど……たぶん、ユーマの魔法を一番役立てられる職業だと思う。騎士みたいに誰かの紹介も必要ないし、束縛されたりもしない。あたしもちょうど遠距離攻撃ができる魔術師が欲しかったところだし」
全くもって知っての通りではなかったが、人の紹介が不要だったり、一か所に束縛されたりしないのはありがたいな。
後ろ盾なんてないし、観光や調べもののにも都合がいい。
魔物ならこの森で何度も戦っているし、やってやれないことはないだろう。
まさかオーガのような魔物と戦うことを強制されることもあるまい。
「あたしはこう見えてCランク冒険者なの。あなたの風魔法はすごいけど、実績のない駆け出しだから、組めて同じ駆け出しのFランク冒険者か、せいぜい一つ上のEランク冒険者といったところね。だったらあたしと組んだ方が何十倍も得でしょ? それにあたしなら先輩として冒険者についていろいろと教えてあげられるわ」
ふふん、と自慢げにエアリスは言う。
ドヤ顔は大変可愛いらしいが、残念ながら異世界人であるオレには冒険者におけるCランクとやらの位置づけの凄さがいまいちわからない。
だからエアリスが魔物と対決している様子を思い浮かべて、
「確かにオーガ相手の逃げ足は大したものだったな」
「し……仕方ないでしょ。オーガはAランク相当の魔物よ。それにあたしはスピード特化でパワーがそこまでだからあの硬さとは相性が悪いのよ」
欠点をあげつらうつもりはなかったが、オレの指摘にエアリスは勢いを失っていじけた。
あのずば抜けた身体能力を見るに弱いなんてことはないだろう。
先達者にいろいろとレクチャーしてもらえるというのも魅力的であるし、異世界のあれこれを知るにも案内人がいるといないではだいぶ変わってくる。
異種族でこそないものの、美少女とお近づきになれるのも魅力的だ。
「こっちとしては願ってもない話だけど、いいのか? オレはお前の足を引っ張るかもしれないぞ。少しなら魔法を使えるけど、それ以外は自信がない」
「少しは使えるって……オーガの拳をはじいたり、あれだけの速度で魔法展開できたりするなら十分でしょ。詠唱もとんでもなく短かった……というか、たまに無詠唱だったわよね……。あたしはあまり自然魔法に詳しくないんだけど、少なくともそこらの魔術師とはレベルが違うことぐらいわかるわ」
と言われても魔術師の水準がさっぱりなため、どうにも実感がわかない。
魔法に限らずさっきから知らない単語が飛び交いまくっているせいで、知ったかぶりながら一語一語すり合わせて会話している。
自然魔法ってなんだよ。
魔法自体不自然で、超自然的なもんじゃねーのか?
「とにかく、それだけ魔法が使えれば問題ないわよ。オーガに追われているときもあなたは冷静に打開策を練られていたし、魔法もほとんど外していない。これだけできれば十分合格点以上。……オーガには通用しなかったけどね!」
先ほどの意趣返しのつもりか最後にちくりと一言付け加えるのを忘れない。
オーガに歯が立たなかった者同士ちょうどいいということだな。
なんとなくおかしくなって笑いが零れた。
こいつとならこの先もうまくやっていけそうな気がする。
「わかった。エアリス、オレとパーティーを組んでくれ」
オレの返答にエアリスは嬉しそうに手を差し出してきた。
「パーティー結成ね。これからよろしくユーマ」
「こちらこそ。いろいろと頼む」
力強く握手を交わす。
こうして異世界の人間とのファーストコンタクトは無事に終了した。